01/19 Wed.-1
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朝。
メイは、目覚まし時計の音で飛び起きる。
そして、ものの2秒とかからずに、それを止めた。
カイトの安眠を妨害しないためだ。
おそるおそる、隣を見る。
いまの騒音で、目を開けていないかどうか。
彼の目は―― 開いていた。
えええ?
ドキーン!
メイは、その不意打ちに驚き固まってしまう。
普通の彼なら、まだ深い眠りの中で泳いでいるはずなのに、今日に限っては水面に顔を出していたのだ。
カーテンを引いているので薄暗い室内だったが、すぐ近くの彼の目が開いてるかどうかくらい、見間違えるはずがない。
カイトは、目覚めていたのだ。
カァ。
薄暗くてよかった。
メイは、真っ赤になりながら、慌てて動き始めた。
と言っても、布団の中に潜り込んで、ごそごそとやり始めたのだ。
こんなところで、いきなり明かりをつけられてはかなわない。
まだ彼女は、何も身につけていないのだから。
パジャマ、パジャマ。
布団のどこかに紛れ込んでしまっているに違いない、その布きれを探す。
もしかしたら、ベッドから転げ落ちているかもしれないが、いま彼女は外に出られる姿ではない。
焦れば焦るほど見つからなかった。
毛布の中の手が、何かを探す。
布だ。
あった!
ばっと引っぱり出し、手探りで袖があるのを確認する。
暗い中で袖を通しかけて、ハタと止まった。
袖から、完全に手が出ないのだ。
よぉく、その布を見る。
色は。
白だった。
それはパジャマではなく、ぐしゃぐしゃになったカイトのワイシャツだったのだ。
んきゃー!!!
昨夜のいろんな証拠が、闇鍋状態で彼女の手に握らされたのである。
セーターを編んでいたことや、タヌキ寝入り、キスと―― それから後のこと。
カイトは、会社から帰ってワイシャツのまま。
やー!!!!!
自分の妄想。
いや、この場合は現実にあったのだから「記憶」を、メイは追いやってしまおうとした。
毛布の中で、ぐにゃぐにゃと身悶えてしまう。
どうしよう。
このまま毛布から顔を出して、彼と出会えないような気がした。
まだ、全然心の準備が出来ていないのだ。
いつもなら、カイトはまだ眠っているので、恥ずかしい証拠をつかまされてしまったとしても、朝食の準備をしている間なんかで呼吸を整えることが出来るのに。
そうして、落ち着いた状態で彼を起こしにこられるハズなのだ。
なのに、もう起きているなんて反則だった。
そのカイトが。
動いた。
自分以外の意思で、ベッドがきしむのだ。
えっと慌てて、亀のように毛布から首だけを出すと、カイトは裸のままベッドから降りるところだった。
薄暗い世界で、彼の浅黒い肌はもっと暗く見える。
筋肉や骨の影は、もっと暗い。
どこに行ってしまうのだろうかと、途端に不安になるのだが、カイトの行き先がバスルームであるのを見てほっとする。
いまの内に。
メイは、枕元の明かりをつけると、パジャマの捜索を開始した。
ズボンの方は、毛布の間に紛れていたけれども、上着の方はベッドから落ちていた。
捜索にいつもより時間がかかったせいで、パジャマを着込み終わる頃には、カイトはバスルームから出てきてしまった。
枕元の明かりだけなので、はっきりとは見えなかったが、ざっとシャワーでも浴びてきたのだろう。
そんなカイトが、近づいてくる。
「このまま会社に行く…おめーは…寝てろ」
髪からは水滴。
とりあえず着た、という風にしか見えないバスローブ。
「あっ、でも朝ご飯…」
すぐ用意するから。
彼女が、慌ててパジャマのまま調理場の方に向かおうとすると、その腕は掴んで止められた。
カイトの手が濡れているのが分かる。
「いい…昨夜の、食ってねぇから」
それを言う時の声が、まるでメイに対して悪いことをしてしまった、みたいな風に聞こえた。
要するに彼は、昨日の夕食を食べて出勤するから、何もしなくていいと言っているようだ。
「あっ、それじゃあ温めるから…」
一晩中、寒い調理場に置いていたのだ。
何もかも、冷凍室に入れていたような騒ぎになっているだろう。
まだ1月なのだ。
カイトが自分でご飯をよそって、電子レンジでおかずを温めなおし、お茶を入れて―― とてもじゃないが、想像つかない。
何となく、おかずだけを冷たいままかじって、出かけてしまいそうな気がした。
「いい!」
しかし、彼はメイにそのわずかな仕事さえさせてくれないかのように、拒否をした。
「いや!」
反射的に、彼女は自分が強い声を出してしまったのに気づいて。
自分でもびっくりした。
ぱっと、掴まれていない方の手で、自分の口をふさぐ。
カイトも、驚いた顔をしていた。
「あ…の、その…ホントに温めるだけなら、すぐだから。それに、おいしいご飯を食べて、お仕事に行って欲しいの……ホントに、ホントに、すぐだから」
着替えててね。
カイトから遠くに離れようとしたら、するっと捕まれていた手が離れた。人肌のぬるい水の感触だけが、腕に残る。
それで、ほっとした。
彼が、自分の気持ちを分かってくれたような気がして、すごく嬉しくもなった。
その勢いで、パジャマのままドアを開けて出ようとした時。
しかし、自分がかなり無謀なことをしようとしいたのに気づくのだ。
廊下には、暖房などないのである。
冷たい空気に襲いかかられて、彼女は慌てて上着を取りに戻ったのだった。
※
昨日、スーパーで買った魚のすり身で、つくねボールを作っていた。
レタスと、そのつくねボール。
それから、千切りにした野菜を麻婆の素で味付けして炒めたモノ。
魚のお吸い物。
電子レンジから出して、お皿に戻した頃、カイトが2階から降りてきた。
ご飯をよそって、お茶の準備をして―― これで、出来上がり。
ほら、早く済んだでしょう?
そんな笑顔で、カイトを迎え入れる。
これなら彼だって、メイが手間取るような仕事でなかったのを分かってくれるはずだ。
自分が、すごく家事に優秀な気分になれた。
ほんのちょっとだけ、だけれども。
「おめーは?」
しかし。
椅子に座るなり出てきたその一言が、彼女の笑顔をストップさせた。
素早く出来たのは、すでに昨夜作ったものを温め直しただけだからだ。
でも、それはカイトの分だけである。
自分の分は、昨日食べてしまったのだから。
「あ、私は…後でちゃんと作って食べるから……お吸い物、少し残ってるし、ご飯もあるから」
彼女は、大丈夫ということをアピールしようとした。
しかし、彼の観察するような目が、緩む様子はなかった。
ガタッ。
カイトは、一度座った席を立ち上がった。
無言のまま、調理場に消えていく。
彼が一体、調理場に何の用があるのか。
ついて行こうとしたが、既に彼は戻ってくるところだった。
何?
そう思う間もなかった。
彼は、新しい皿を一つ置くや、おかずを半分それに移したのだった。
あっ。
メイは、これから山ほどの言葉でマシンガンを乱射し、カイトを止める予定だった。
どういう意味の行動か、分かってしまったのだ。
なのに。
「一緒に…食え」
理屈では計算不可能な声で―― そんなことを言われてしまったら。
本当にカイトが、そうして欲しいのだと、肌で感じてしまったら。
メイには何が言えようか。
今朝は、パジャマの身体をぎゅっと抱きしめて、カイトは会社に行った。




