01/18 Tue.-3
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車の音が聞こえた時。
メイは、ハッと顔を上げた。
慌てて時計を見ると午前1時半―― 車の音の聞こえ方からして、ほぼ間違いなくカイトが帰ってきたのだろう。
瞬間的に、身体が『嬉しい!』だの『会いたい!』だのという、アラームを一斉に鳴らし出す。
部屋にいた彼女は、慌ててソファから立ち上がった。
要するに、カイトの電話での言いつけも聞かずに、ベッドにいなかったのである。
普通なら、退屈でしょうがなかっただろう。
まだかな、まだかなと100回では足りないほど、時計をみながらため息をついて、それから寂しくなってしまって大変だったはずだ
。
しかし、今日の彼女には強い味方があった。
編み物だ。
最初は、本を見ながら一目一目慎重に編み始めていたが、だんだん指が思い出してきて、小さな鼻歌と一緒に編めるようになってきた。
あの時も、編み物をしていたので電話に出るのが遅れたのだ。
きっと、カイトに違いない。
電話の音を聞いて、彼女は編み棒を持ったまま―― あの時は、ダイニングから飛び出した。
編み棒には、編みかけのセーターがついている。
そのセーターには、白い毛糸の玉がついてくるのだ。
彼女の後ろで、落ちた毛玉がころっと転がったのを見て、慌てて戻って毛糸玉を拾い上げ、セーターをテーブルに置いて。
いろいろしているうちに、コールが切れてしまった。
うそ!
誰もいないと思って、電話を切ったのだろうか。
どうしよう。
メイは、心配しながら電話のある玄関の方へと走ったのだった。
しかし、電話はあきらめたワケではなく、シュウの手の中にあったのだ。
話している内容の中に、『会社』という単語が聞こえて、相手がカイトであることは、はっきりと分かった。
彼の方に近付きながらも、メイはどうやって代わってもらおうかと、言葉を探してしまった。
シュウとは、まだちっとも交流を深めていないので、しゃべりづらいところがあったのだ。
こんないきなり、カイトの妻におさまった彼女のことを、快く思っていないかもしれない。
もしかしたら、電話も彼女宛ではなく、本当にシュウに仕事の話があってかけたのかも。
いろいろ考えていると、彼がちらとこっちに見た。
言葉を探し切るより先に、あっさりと受話器を渡されてしまったのである。
※
そして、メイは言いつけを破って夜更かしをしていた。
普通のおとぎ話なら、この辺でオオカミに食べられてしまうところなのだが、運がよかったのか彼女は無事で。
まず―― 慌てて編みかけのセーターと、セーターの本を隠さなければならなかった。
毛糸も。
内緒、なのだ。
編み上げたら、びっくりするかな?
ハルコの申し出に、彼女はちょっとそんなことを考えた。
いまは、とにかく全部を紙袋に押し込めて、クローゼットを開ける。
この中に、自分の服を置くエリアを作ってもらったのだ。
といっても、単に半分ずつ使うことになっただけなので、仕切というものは何もないけれども。
最初、いきなり自分のスーツなんかを、全部クローゼットから出そうとしたカイトに気づいて驚いて止めた。
どうやら、彼はこのクローゼット丸々、メイに提供しようとしたのである。
自分のスーツは、一体どこに入れる気だったのか。
こんなに広いから半分だけでも多すぎるくらいなの、と必死の説得で、ようやく納得してくれた。
そのカイトの触れないエリアの一番奥に、紙袋を押し込んだ。
さあ。
これで証拠は隠滅したので、お出迎えに。
ドアの方に小走りで走りかけたメイは、ノブに手をかけて止まった。
きゃー!!!!
しまった、とそこで急停止。
そうなのだ。
出迎えるな、とも言いつけをされているのである。
出迎えたら、いままで起きていましたと宣言するようなもので。
疲れて帰ってきたカイトが、イヤな気分になってしまうかもしれない。
メイは、くるりと回れ右をすると、ベッドにもぐりこんだ。
それから、いつもカイトがそうするように、リモコンの全消灯のボタンを押す。
要するに。
タヌキ寝入りを決め込んだのである。
こうしていれば、カイトが帰ってきた気配も分かるし、ベッドに入ってきた体温を、きっと彼女も感じることが出来るだろう。
眠りという無意識下では、決して味わえないその感触を、メイは自分から手放したくなかった。
でも。
タヌキ寝入りしながらも、彼女は別のことを考えていた。
帰ってきたカイトは、きっとそのままダイニングで夕食を食べるだろう。
部屋に戻ってきて、お風呂に入って―― それからベッド、となると、1時間くらい先の話になるのではないだろうか。
うっかり、その間に眠ってしまったら本末転倒だ。
しかし、その考えは杞憂だった。
どう考えても、玄関を開けてまっすぐ来たとしか思えないタイミングで、部屋のドアが開いたのである。
ドッキーン!!!
ど、ど、ど、どうしてー!!
おなかはすいてなかったのだろうか。
彼女は冷や汗をかいた。
パチッ。
ドアのところの電気がつけられる。
瞼に白い光を感じたので、それが分かった。
「ふぅ……」
長いため息。
仕事で疲れたに違いない。
こんな遅くまで働いているのだ、当然だった。
でも、何だかその音は初めて聞いたような気がした。
自分の知らないカイトを、垣間見ているような気がしたのだ。
いや、目は使えないので、盗聴している気分の方が近いか。
先にお風呂にするのかな?
ドキドキしながら、彼女は次の彼の行動を待った。
すると。
えええ?
考え違いでなければ―― カイトの気配が、近付いてくるような気がするのだ。
眠っている彼女に気を使っているのか、足音をおさえているようなので、はっきりとは分からないけれども、そんなカンジがした。
気のせいよ、と自分に言い聞かせて落ちつこうとした。
ギシッ。
しかし。
ベッドにかかった自分以外の体重に、心臓が飛び出しそうになる。
間違いなかった。
彼はいま、すぐそこにいる。
タヌキ寝入りかどうか、確認しているのかな?
などと、バカなことを考える。
その頃には、もう刺さるほどはっきりと、カイトの視線を感じた。
横を向いて眠ったフリをしていたメイは、いま、自分の顔が眺められているだろうことを知ったのだ。
ぴくりとも出来ないまま、彼女はタヌキを続けた。
そうだわ。
彼女は、名案を思いつく。
眠っているフリを装って、寝返りを打てば。
反対側に顔を向ければ、バレないんじゃ、と考えたのだ。
顔よりも、背中の方が分かりにくいに違いないから。
うーんと、ちょっと唸るようなカンジの演出をつければ、きっとうまく乗り切れる。
そう思った。
彼女が、その三文芝居を始めようと、タイミングと勇気をハカリにかけていたら。
そっと。
頬に、触れられた。
ビクッとしなかったのは、神様がメイの味方だったせいに違いない。
本人としては、そりゃあもう、家出した心臓の行方を探さなければならないくらいだったというのに。
その指の方に、神経の全部を持っていかれていたので。
唇の方に。
そっちに触れた感触が何なのか、すぐには分からなかった。
え?
ええ?
ええええええええええー!!!!????
そう。
それは、まぎれもない―― キスだった。




