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01/18 Tue.-2

「社長、すみません…ここなんですが」


 午後10時。


 カイトの意識は、かなり殺伐としていた。


 たったいま、コンピュータ・トランスという、残業には都合のいい感覚が吹っ飛んでしまったからだ。


 呼びかけられる、ほんの少し前に。


 時計を見て、時間を確認する。


 遅くなるというのは朝言ってきたが、こうしている間にも、彼女が寂しそうに一人で待っているのではないかと思うと、気が気ではない。


 きっと、夕食も食べないで待っているのだ。


 電話を。


 先に食べて寝ろ、と電話を入れようと思った。


 しかし、それを開発のチーフに封じられた。


 椅子を回して振り返ると、書類を目の前に広げるのだ。


 そして、細かいチェック項目などの、確認作業が始まってしまった。


「ああ」とか、「そうじゃねぇ」とか、「ちょっと貸せ!」とかやっている内に、時間がどんどん過ぎていく。


 書類がとんとんと整えられる頃には、10時半になっていた。


「ああ、そう言えば…」


 なのに、立ち去りかけたチーフは、ぴたっと足を止めて振り返ったのだ。



 まだ、何かあるのかー!!!



 イライラしている時は、たかがハエ一匹でも、機関銃乱射で仕留めたくなるものだ。


 一刻でも早く、今日出来る限りのところまで仕事を進めて帰りたいカイトとしては、彼のおしゃべりに付き合っているヒマはない。


 のだが、仕事に関係することは別だ。


 たとえ、彼がガオガオと吠えようとも、それは踏みしだいてはいけないものだった。


「結婚されたって、本当ですか?」


 なのに。


 チーフは、彼の『仕事なら』という情状酌量に、まったくあてはまらないことを言い出したのだ。


 ざっ。


 騒然としていた開発室が、ぴたっと静かになった。


 みな、こっちの方を見ないように、キーボードを入力したり、書類をがさがさ言わせたりしているけれども、そんな擬音語さえも、息をひそめていた。


 そうして。


 彼らの耳が、こっちの方に向いていることは―― あきらかだった。



「くだんねーこと言ってねーで、とっとと仕事しろ!」



 部屋中に響く大声。


 カイトは、開発の連中の好奇心を満足させてやるサービス精神など、少しも持ち合わせていなかったのだ。


 ガタガタッッ!


 その喝に、弾かれたように全員一斉に、身を乗り出して仕事の続きを始めた。


 最初から、そうしてりゃいいんだ。


 回転椅子をくるっと回そうとしたら、しかし、まだすぐそこにチーフがいるのが分かった。


「まあまあ、社長。みんな興味があるんですよ。もしも、本当に結婚されたんなら、『おめでとうございます』の一言を言わないままでは、寝覚めが悪いですからね。社長は、指輪をされていないので、その噂が本当かウソかで、みんなモメていたんですよ」


 事実になったら教えてください。


 そう笑って、チーフは行ってしまった。


 フン。


 カイトは、キッと椅子を回してディスプレイの方を向いた。


 くだらない話は忘れて、早くこの仕事を終えて帰らなければ――あ?


 いま、カイトは何か引っかかった。


 そうだ。家に電話を入れようと思ったのだ。


 先に食って寝ておけ、と。


 カイトは立ち上がると、ケイタイだけ掴んで開発室を出た。


 廊下の奥の方にハマって。


 ピッ。


 もう短縮一つ押すだけで、家の電話にすぐつながるようにしている。


 いままで、家の電話なんか短縮に登録もしていなかった。


 コール音が続く。


 無意識に、ドキドキしていた。


 そんなにたくさんの回数、彼女と電話でしゃべったことなどないのだ。


 彼女が電話に出て、自分からだと分かったら、どんな風に変わるだろうか。


 嬉しい?


 それとも、寂しがっているか?


 いつも通りかもしれない。


 希望と憶測で心臓をまたたかせながら、彼は受話器が上がるのを待った。


 そうしている内に、呼び出しコールが途切れた。向こう側の世界とつながったのだ。


 ゴクリ。


 生唾を飲み込みながら、カイトは第一声を吐こうとした。


『はい、もしもし…』


 声が聞こえた。



 ガッシャーン!!!!!



 カイトは、心の中で激しくクラッシュした。


 電話を取ったのは―― シュウだったのだ。


『もしもし?』


 ショックの余り、カイトがしばらく無言だったために、シュウが怪訝な声で問いかける。


 そうなのだ。


 あの男は別に開発ではないので、自分の仕事さえ終わればいつでも帰ることが出来るのだ。


 そうして、たまたまメイより電話に近いところにいたのだろう。


 いつものクセで、電話を取ってしまったのだ。


「オレだ…」


 不機嫌をあからさまに表に出して、カイトは言った。


『ああ、カイトですか? 携帯でないとは珍しいですね…会社の方が、どうかしましたか?』


 名乗らなかったけれども、きっと声で分かったのだろう。


 しかし、シュウは怪訝の声を解かずに、続けての質問に入ったのだった。


 珍しい事態のせいだ。


 おめーに用はねーんだよ! とっととあいつと代われ!


 この男に向かって、そうはっきり怒鳴ってやれたら、どんなに気持ちがいいか。


 しかし、言えなかった。


 言うと、自分がいかに彼女が好きで、気になって、挙げ句電話をしているのだということが、シュウにバレてしまうからである。


 いや、全て本当のことなのだが―― それを、メイ以外の人間に知られたくなったのだ。


「おめーにじゃねぇ…」


 しかし、電話というものは、言葉でないと相手に何も伝えることが出来ない。


 視線とか態度とか、そういうもので匂わすのは不可能なのだ。


 だから、絞り出すようにうなり声で言った。


『は?』


 こういう時ばかりは、察しの悪い男だ。


 やはり、怒鳴らなければならないのかと思いかけた時。


『ああ…分かりました。代わります』


 一瞬、何かに気を取られたような反応を見せた。


 シュウにしては珍しかった。


 とにかく、メイのことだと察したようで、あとは彼女を呼んで来てもらうのを待つだけだった。


 のだが。


『もしもし…カイト?』


 ものの2秒とかからなかった。


 気を抜いていた瞬間に、いきなり耳に届いたメイの声に、目玉が飛び出しそうになるほど驚く。


 テレポーテーションでも、使ったのかと思うくらいだった。


 しかし、気づく。


 さっきシュウは、すぐ側まで彼女が来たことに気づいたのだ。


 だから、カイトが用があるのは、自分ではなくメイなのだと察したのだろう。


 しかし、不意打ちで聞くには、余りに心臓に悪い声だった。


 思わず胸を押さえる。


「もうちょっと遅くなる…ちゃんと食って寝とけ」


 ああ。


 言って後悔する。


 もっと、最初に言うものがあるはずだ。


 いきなり、すぐ電話を切りたいかのような、結論を突きつけるような言葉を使わなくても。


『そう…でも、大丈夫…待ってる』


 しゅーん。


 声が沈んだのが分かった。


 カイトが、沈ませてしまったのだ。


 うぅ。


 同じ内容でも、もっとオブラートにくるんだような、柔らかい表現があるはずなのに。


 しかし、カイトの中の薬局では、オブラートは売ってないのである。


「待つな…寝てろ……ぜってー、帰ってくっから」


 どうにも。


 言葉の表現とは難しい。


 絶対帰ってくるから寝てろ、とは妙な表現である。


 普通なら、『帰ってこないかもしれないから、先に寝てろ』とかになるのではなかろうか。


 しかし、カイトには精一杯の言葉だった。


 メイにいつまでも起きていられたら、彼の方が心配してしまうのだ。


 忙しいのは、今日だけではないのだから。


 毎日毎日納期まで、彼女も一緒に弱らせるワケにはいかなかった。


 絶対、帰ってくるというのは―― カイトが帰りたい以外の何物でもない。


 たとえ眠っているメイであったとしても、その身体を抱えて休みたかった。


『でも…あの……』


 納得しきれないような声だ。


「寝てろ…絶対だ」


 出迎えるな。


 そこまで言って、ようやく寂しそうな声のまま、『はい』と答えた。


 そんな声をさせてしまう自分が、やはり呪わしくなってしまう。


 よかれと思って言ってるのだが、うまく伝えることが出来ない。


『それじゃあ、夕食はダイニングの上の置いておくから…食べてね』


 メイからのお願いだった。


 彼女に要求を飲ませたのだ。


 自分だって、飲まなければならないだろう。


 せっかく用意してくれていた夕食だ。


 食べるとも。


「あぁ…」


 分かったと言って、そして電話を切った。


 ふぅ。


 中途半端に、声を聞くものじゃなかった。


 空腹なのを、思い出したのだ。


 いや、何か食べたいという空腹ではない―― メイという存在に対する空腹感に、いま襲われているのである。


「クソッ…」


 しかし、いまのカイトは囚われの身だ。


 魔王を倒さないと、家には帰れないのである。


 その悪人に立ち向かうべく、カイトは開発室に戻った。


 自分の椅子に座る。


 もう一つ。


 何か、ひっかかっていたのだが。


 カイトは、キーボードに指をかけながら眉を寄せた。


 自分は、何に引っかかっているのだろうか。


 脳のシグナルが、ちかっと金色に光った。



 あぁ???



 ―― 思い出した。


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