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01/17 Mon.-4

「すごく嬉しそうじゃないか」


 玄関のドアを開けた瞬間、ソウマは『ただいま』よりも先にそんな風に声をかけてきた。


 どうやら、何も言わなくても身体の外まで嬉しさがこぼれだしていたらしい。


 ハルコは、あら、と少し恥ずかしくなった。


 小娘のように浮かれている自覚が、いまやっと出来たのと、それを彼に先に見つかってしまったせいである。


 おかえりなさいの意味も込めて、軽く唇を触れ合わせた後、ハルコは先にダイニングの方へと歩いた。


 あまりこのウキウキの顔を見られたくない、と思ってしまったせいだ。


 しかし。


 話さずにはいられない衝動が、身体の中に渦を巻く。


 いかに、あの二人のおかげで幸せな時間を持てたかということを、ソウマに伝えたくてしょうがなかった。


「やれやれ、オレなんかは…あいつと電話をちょっとした程度なのに」


 ずるいぞ、という言葉が言外に含まれているのが分かる。


 確かに、家政婦という仕事がなくなったハルコは、カイトと接触する機会は最近めっきり減ってしまった。


 その代わりに、メイとは、会おうと思えばいつでも会える状態だったのだ。


 結婚式の打ち合わせ、という口実をカサに、これから足繁く通えること間違いナシである。


 うっかり、病院の検診の日を忘れないようにしておかないといけない、と自分を軽く戒めなければならないほどだった。


「それでも、電話したんでしょう? 私がかけた時、カイトくん、うんざりした声だったわよ」


『またか』


 本日二人目のイチハラだったのが、その一言で分かったのだ。


「いやいや、オレは大事な話があったんだ」


 しょうがないと主張をするが、最初から最後まで、その大事な話だけで終始していないのは、よく分かっていた。


 どうせ、途中で彼を怒らせるようなことを言って電話を切られたに違いない。


 そうでなければ、ハルコが電話をした時、もうちょっとは態度がよかっただろうから。


「それで、今日は何を聞けたんだ?」


 二人とも、ダイニングの席についた時―― 口火を切ったのはソウマだった。


 ※


 メイの話の中には、彼らの知らないカイトが山盛りで詰め込んである。


 いままで、彼らが見ていたカイトという存在は何だったのかと、驚くほどの珍しい品物ばかりが、荷馬車から降ろされるのだ。


 原石からは見違えるほどに、見事にカットされた宝石を見せられた気分。


 何度も何度も角度を変えて眺めては、感嘆の声を出したくてしょうがないのである。


「ウェディングドレスの話になった時よ……」


 ハルコは、記憶の糸をちょいとたぐった。


 それで十分すぐに思い出せるのだ。


 いきなりメイが、悲鳴をあげたところからだ。


 ハルコは、びっくりした。


 きっと、おなかの子もびっくりした。


「ど、ど、どうしよう……」


 途方に暮れた声。


 約束の時間に間に合わないくらい寝坊してしまった声と、それはとてもよく似ていた。


「どうしたの?」


 デザイナーズ・ブランドのドレスの話をしていたところだった。


 そんな時に、悲鳴でさえぎられたのだ。


 一体、彼女の頭には何がよぎったのだろうか。


「ど、どうしよう…すっかり忘れてた」


 気が動転したままのメイから、詳しい話を聞き出すまで、ハルコは何度も根気よく質問を続けなければならなかった。


 彼女の話は、こうだった。


 去年のクリスマスのために服を探していた時、たまたまとても綺麗なドレスを見つけて、取り置きをお願いしたというのだ。


 その時にお金がなかったので、後で払いに行こうと思っていたらしい。


 しかし、その直後に、いろいろとゴタゴタが続き、メイはあの家を出ていってしまった。


 それからいままで―― 約1ヶ月の間、そのことをすっかり忘れきっていたのだ。


 思い出すために必要だったキーワードは。


『トウセイ』


 ハルコは、その名前を知っている。


 そのブティックで買い物をしたことが何度かある、程度の知っているだが。


 そんな、トウセイについてのわずかな記憶を掘り起こそうとした彼女だったが、メイの方が、はぁっと大きなため息をついて、先にあきらめてしまった。


「もう、あるわけないですし…それに、クリスマスも終わってしまったんですから…」


 だから、そのドレスの意味は、もう何もないのだと言いたいのだろうか。


 クリスマスのために、綺麗なドレスを買うよう勧めたのはハルコ自身だ。


 しかし、クリスマスなどただの口実だった。


 要は、彼女をカイトの手によって着飾らせて、それを彼に見せつけてやりたかったのだ。


 この世の中には、こんなにも彼の心を奪える相手がいるということを気づかせ、その様子を見て、ハルコも幸せになりたかったのである。


 だから。


 遅いなんてことは、全然ないと思っていた。


 たとえ、その目的のドレスが売れてしまっていたとしても、別にもっと気に入るのがあるかもしれない。


 どうせ結婚式には、二次会だの何だのがあるものなのだ。


 その時の衣装にすればいいのである。


 もしも望むなら、ハルコが結婚前祝いのパーティを開いてもいいくらいだ。


 失敗したことのやり直しなら、いくらでもこの世の中には用意できるのである。


 少なくとも、ハルコはそう思っていた。


「それじゃあ、行きましょうか?」


 椅子から立ち上がりながら、ハルコは彼女を促した。


「え?」


 不思議そうな顔に向かって、微笑みかける。


「私はまだ、あなたから預かっているドレス代を、カイト君には返していないのよ」


 しかし、説得にあと15分、余計にかかった。


 ※


「もう、あるわけないだろう?」


 デザイナーのトウセイ自身としゃべるのは、これが最初であることをハルコは知った。


 きっと一度でもしゃべっていたら、忘れない記憶として、焼き付いていたに違いないからだ。


 端正な外見と―― 針つきの舌を持つ男、それがトウセイ。


「いま、君に説明されるまですっかり忘れていたよ…そういえば、去年そういう話があったかもしれないね。ネギ臭い記憶だったけど」


 トウセイは、マネキンの衣装を着替えさせていた。


 普通、デザイナーがそんな作業をするものなのだろうか。


 そうハルコは思ったが、口には出さなかった。


 風変わりな人間であることは、すぐに分かったからだ。


「ええ、その点につきましてはお詫びいたしますわ…ですから」


「お詫び?」


 ハルコが、別のドレスの話を。


 あわよくば、ウェディングドレスの話を、と思っていたので、すかさず秘書時代に築き上げた話術で、話を切り替えようとしたけれども、その言葉の裾は、トウセイの足に踏み止められた。


「君が僕に詫びなければならないことなんて一つもないさ。第一、取り置きの期限を守らない人間なんて、そこの人以外にも山ほどいるしね」


 そこの人。


 要するに、メイのことだ。


 彼女は、しゅんと小さくなってしまっている。


「大体、詫びるとしたら君じゃないだろう? まあ、エプロンの影に隠れて、代わりに母親に頭を下げさせる人間の方が、取り置きを守らない人間よりは、圧倒的に数が多いと思うけど」


 メイとハルコが、親子であると思っているワケではないだろうが、そう揶揄する言葉は好意的ではなかった。


「あ、あの…その節は、本当に済みませんでした」


 慌てて、メイが頭を下げる。


 彼女が止めるより先に。


 カイトがここにいなくて、本当によかったとほっとした。


 もし、あのドレスの話を彼にしたら、きっとカイトが間違いなく彼女をここに連れてきたに違いない。


 そうして、こんな姿なんかを見てしまったら。


 修羅場は間違いなかっただろう。


 こんなに逆なでるのが上手そうな相手なら、尚更だ。


 メイが謝ったことにはノーコメントで、トウセイは彼女をジロジロと見た。


「ところで」


 もう、謝られたことなんてわずかも覚えていないかのように、話を切り替えるのだ。


「ところで、あのネギはどうなったんだい?」


 場所はブティック。


 周囲には、麗しい衣装。


 そして、トウセイというデザイナーはネギの話をし始めた。


『あのネギ』というキーワードを、ハルコは知らない。


 視線はメイに向けられていたので、前に店に来たという時と関係があるのだろう。


「あっ、あのネギは…その、お鍋に………」


「鍋?」


 何て、ありきたりなものに化けてしまったのか―― みたいな反応を、トウセイはしかけた。


「お鍋に…しようと思っていたんですけど……どうなったか、分からないんです」


 話は見えないけれども、メイの反応はどうやら彼が予測したものとは外れてしまったようだ。


 バウンドした瞬間に、思いも寄らぬ方向に跳ね返るボールと同じだった。


「分からないって、自分が食べたものの行方も忘れてしまったのかい? 1ヶ月という時間は、緑の植物の行方を忘れるには十分だいうわけか」


 すっかり、つまらなくなってしまったかのように、トウセイは、これ以上付き合いきれないという風に、その場を立ち去ろうとした。


 マネキンの服を、脱がせたまま放り出して。


「いえ、そうじゃなくて…白菜と一緒に交番の床に叩きつけられて…それっきりあのネギには会ってないんです」


 メイの続けた言葉は、ハルコに3度連続のまばたきをさせ、トウセイの背中の動きを止めさせた。


 クックック。


 彼の背中が、耐えられないように上下した。


 ハルコは、それを唖然と見てしまう。


「あぁ…それきり君は、鏡の国でも旅して、ようやくその冒険から帰ってきた、とでも言いたいんだね。ネギと生き別れたまま…随分と、詩人だな」


 おかしくてたまらない。


 トウセイという男は、バカ笑いしそうなタイプには見えなかった。


 それを考えると、いまの笑いでも十分過ぎるほどおかしくてしょうがないのだろう。


 ハルコには、計り知れない相手だった。


 一体、今の話の何がおもしろかったのか―― 確かに、ちょっと要領を得ない話で、深く聞きたくはなるが。


「随分面白い話をどうも……それじゃあ意地悪しないでドレスを、と言いたいところだけど、生憎僕は、魔法使いじゃない。シンデレラのドレスは、君が取り置き期間を破ったその日に、ゴミ箱の中さ」


 トウセイは指先を空で踊らせて、指揮者のような柔らかい動きで、『END』の文字をつづった。


 はいさようなら、とでも言いたかったのだろう。


 そんな場面に。


「あの、トウセイ先生……」


 言いにくそうに、マヌカンの一人が声をかけてきた。


 そして、ついにメイが焦がれたというドレスを手に入れることが出来たのだ。


 ゴミ箱のコヤシにするには、余りに勿体ないと思ってくれた人間がいたのである。


 彼女が機転を効かせてくれなければ、ドレスはいまごろ本物のシンデレラ(灰かぶり)―― いや、灰そのものだっただろう。


 これが、今日のドレス物語の全て。


 ハルコが分かったことと言えば、カイトとトウセイの相性は最悪で、もしも彼にドレスをお願いしようものなら、修羅場を見ることは間違いないだろうということだった。



 別を当たりましょう。

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