01/17 Mon.-2
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「はい、ウェディングドレスのカタログ、こっちは披露宴のプラン」
メイは、目を丸くした。
朝からハルコがやってきたかと思うと、昨日よりももっとたくさんのパンフレットを抱えてきたのである。
一体、いつこれだけのものを揃えたのか。
「あら、どうしたの?」
驚いて突っ立ったままの彼女に、逆に椅子を勧められて、すごく妙な気分がした。
この家は、まだ自分よりもハルコの方に従順に思える。
ダイニングの席に隣同士に座りながら、めまぐるしく目の前のパンフレットを差し出されては、頷かされる。
首をちょっとでも横に振ろうものなら、ハルコが『カイトくんが怒るわ』とか、『遠慮しちゃだめよ』などという攻撃で、彼女を屈服させようとするのだ。
メイは、かなりあせりながら、彼女の相手をしなければならなかった。
「お、お茶入れてきますね!」
少し落ち着きたくなって、メイは調理場の方にぴゅーんと消えた。
一息おかないと、何でもかんでもイエスと言ってしまって、後からとんでもないことになりそうだった。
式を挙げることへの不安は、昨日よりもだいぶ薄れた。
カイトがしっかりとした声で、式を挙げると言ってくれたのだ。
あのカイトが、そこまで言ってくれるなんて。
パタパタとお茶の準備をしながらも、心はあのまっすぐに自分を見つめていた瞳を思い出していた。
照れたカイトではない。
そういう時の彼は、視線をそらしてしまうのだ。
結婚して、少し翻訳できるようになったことの一つだった。
しかし、昨日まっすぐに見つめてくれた彼は違う。
メイの不安に気づいているかのように、それをすぱっと斬り捨ててくれたのだ。
まだ、残骸は彼女のスカートの裾に、へばりついているけれども。
けっ、こ、ん、し、き
ウェディングドレスとライスシャワー、祝福の声。
ふぅ。
メイは、ため息をついた。
全然、実感はわかなかった。
それを、本当に自分が手にする日が来ることさえ、想像だにできない。
だから、想像の中の白いウェディングドレスの中身はからっぽだった。
いや、のっぺらぼうではさすがに気持ちが悪いので、無意識に彼女の右脳は、どこかで見たような女優の顔とすげ替えてしまっていた。
もう一度、ふぅと吐息をついて、彼女はダイニングの方へと戻った。
お茶を置くなり。
まだ、いろいろしゃべりたいことが山積みで、それを止められないかのようにハルコが話を続けようとする。
「カイト側の招待客は、シュウに任せておけば大丈夫だけど…あなたの方は、親戚とか、お友達とか呼びたい人がいたら、ピックアップしておいてね」
そういえば、昨日落ち着いたら友人に、はがきを書こうと思っていたことを思い出す。
親戚は。
「親戚は、遠くに離れている人が何人かいますけど、そんなに親しいつきあいはしていないので…」
メイは、当たり障りのない言葉を選んだ。
ハルコは、裏側に含まれているいろんなものをすぐに気づいてくれたのだろう、にこっと笑ってから、「それじゃあ、お友達だけね」と、すぐに話を切り替える。
「ああ! あと、近所の人を数人…その、よければ…ですけど」
ハルコが用紙に何か書き留めているのを見て、慌てて思い出したことを口に出した。
親戚よりも、近所の人たちには、本当に口では表せないほどのお世話になったのだ。
魚屋さんの家族は、元気だろうか。
「勿論よ。仕事柄、カイト側の招待客が多くなるだろうから、来て欲しい人を思いついたら、どんどん言ってちょうだい」
言われて、はたと気づく。
そうなのだ。
カイトは、今をときめくゲーム産業を代表する、鋼南電気の社長なのである。
そりゃあもう、会社関係だけでもとんでもないメンバーが揃いそうだ。
ど、どうしよう。
式は、身内だけの少ない人数だからまだしも―― 披露宴。
ちらりと横目で見ると、やっぱり披露宴会場らしきパンフレットなども置いてあるし、さっきもそういう内容について聞かれたような気がした。
第一、昨日すでにどこかを仮押さえしているとまで言っていた。日付も決定しているらしい。
おそるおそる、何日なのか聞いてみた。
すると、ハルコがよくぞ聞いてくれたとばかりにきらっと目を輝かせたのだ。
「日取りでしょう? それがね、やっぱり急ぎとなると平日くらいしか開いてなくて。でもね、すごく素敵な日なのよ!」
かなり、声が楽しそうで。
メイは、漠然とした不安を隠しきれずに彼女を見ていた。
「2月14日よ、2月14日…月曜日。バレンタインデーね」
バレンが、タインで、デーらしい。
※
「さて、ドレスをどうしましょうか? いいデザイナーも近くにはいるんだけど、1ヶ月と式が迫ってるものねぇ」
ようやく、バレンがタインでデーな衝撃が落ち着いた頃、最初から落ち着き続けていたハルコが、カタログを置きながら切り出した。
デザイナー!?
またも、どうしたらいいのか分からない言葉に噛みつかれる。
結婚式のウェディングドレスなど、普通は貸衣装が相場ではないのか。
買うだなんて考えたこともないし、その上デザイナーなんて言われた日には。
「かっ、貸衣装でいいです!」
とにかく、ハルコから馬鹿げた考えを振り払わなければならない。
そんなドレスなど着たら、絶対に身体が腫れ上がってしまいそうだ。
ハルコは、苦笑していた。
「いいじゃないの…一生に一度なんだし、あなたが綺麗な方が、きっとカイト君も喜ぶと思うわよ」
貸衣装でも十分、馬子にも衣装です!
叫びそうになった言葉を、ぐぐっと飲み込む。
否定の色を見て取ったのか、ハルコが寂しそうな表情をしたのだ。
「あのね、メイ…私にしてみれば、あなたやカイト君は、妹や弟みたいなものなのよ。そんな二人の結婚式なんですもの。出来るだけ華やかにしたかっただけなの…そうね、分かったわ。ウェディングドレスは、私からのプレゼントにするから。ね? そうすれば、カイト君には悪くないでしょう?」
何が。
何が分かったのか。
ハルコが流す言葉の音楽は、ラストに一番とんでもないサビをつけたのだ。
ウェディングドレスをプレゼントするから、着て欲しいというのである。
「そ、そんな! とてもお世話になったのはこっちの方です! お返しをしなきゃいけないとしたら、私の方で…」
何とか彼女を説得しなければならないと、メイは一生懸命言葉を探して頑張った。
そして、気づいてみれば。
それじゃあ、プレゼントという話はなしにして、カイト君にウェディングドレスを作っていいかOKが出たら、そうしましょう―― などという結論に引きずりこまれていたのである。
ああ、どうしよう!
その事実に気づいて、呆然としていたのろまなメイを横目に、さっとハルコはケイタイをかけてしまったのである。
止める暇もなかった。
「あ、イチハラです……あら? ソウマもかけたの? そう…いえ」
一見、ハルコはなごやかなムードでしゃべっているけれども、何となく向こうの反応が剣呑としているように思えた。
時計を見ると、午前中のモロ仕事タイムである。
ウェディングドレスのことで、仕事の邪魔をしているのだ。
しかし、かけているのは自分ではないので、どう止めることも出来ない。
「ああ、はい。それで、ウェディングドレスの件だけど……もしもし?」
長い沈黙は何だったのか。
電話の向こうが、その話題に呆れたせいか。
今日、カイトが帰ってきたら不機嫌なのではないかと、彼女はオロオロしながら、早く電話が終わることを希望していた。
「はい、それじゃあそうします…はい」
ケイタイをピッと切って、ハルコは笑顔で振り返った。
それが答えだ。
「何でも勝手に決めろ、ですって」
にこにこー。
メイは、がっくりと肩を落とした。
きっとカイトのことだから、かなり怖い声で言ったに違いないというのに、どうしてハルコはこんな風にすごく楽しそうにしていられるのだろうか。
しかも、勝手に決めろというのは。
一見、承諾のように見えて、実は不愉快に思っているという現れではないのか。
彼女が混乱したままだと言うのに、ハルコの話は先に進んでいた。
「一応、デザイナーにも当たってみようかしら……近場で言えば、トウセイ・ブランドかしらねぇ…」
さらっと。
何気なく出された言葉は。
メイの記憶の泉の中に。
巨大なマンモスを投げ込んだ。
バッシャーン!!!!
「あ、ああー!!!!!!!」
わ。
忘れてた。




