01/17 Mon.-1
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Black・Mondayとは、よく言ったものだ。
少々使い方は間違っているが、カイトの気持ちもそういうものだった。
「いってらっしゃい」という、残酷な別れを体験して出社したカイトは、週末を邪魔してくれたソウマに、改めて心の中で睨みをきかせると、開発室に乗り込んだ。
あの訪問客さえいなければ、きっともう少しは、いまの気分もマシだったかもしれないのに。
こういう時は、プログラムに向かうのが一番のクスリだった。
既に、週末から家に帰っていないような連中が、何人か見える。
納期が近づいてくるのだ。
これから1ヶ月が正念場だった。
自分のコンピュータの前に、どかっと座りながら、彼は意識を戦闘モードに入れ―― かけた。
「シャチョー! イチハラさんから電話だそうですー! 1番の電話です!」
どがしゃっ。
その声で、バトルモードに入りかけたのが、すべて台無しになる。
こんな朝イチに、しかも会社に、誰が電話だと?
ばんっ、と1番の電話とやらを掴む。
コードレスなので、右手に持ち替えながら、自分のコンピュータの前に戻った。
イチハラ?
その名前は知っていた。
しかし、男のイチハラか、女のイチハラかで、彼の反応は結構変わる。
『今日もいい朝だな、調子はどうだ?』
男のイチハラ―― ソウマの方だった。
ソウマ・イチハラ。
それが彼の名前だった。
「何で、こっちにかけてくんだ…ケータイがあるだろうが」
心底不機嫌な声で対応してやる。
ここには、メイはいないので、彼にタテに取られることはないだろう。
『昨日の夜からかけてるんだが、全然通じないぞ…電源を切ってないか?』
そう言われて、はっとした。
確か、夕食のレストランに入ろうとしたところでケイタイが鳴った。
ソウマからなのは、着信画面ですぐ分かった。
しかし、これからの時間をソウマにまた邪魔されるのも腹が立つので、思い切り無視して電源を切ったのだ。
そして、ケイタイは未だに電源が切れたまま。
すっかり忘れていた。
『もしかして……昨夜は、まずいタイミングで電話したのか? それだったら、悪かったな』
ガキガキッ。
馬で言うなら、カイトはいましっかりとハミを噛みしめてしまった。
どうしてこう、この男は下世話なことしか考えられないのか。
受話器を睨み付けると、まるでそこに笑顔のソウマがいるようにさえ思えて、憎さ倍増だった。
発達した右脳のおかげである。
『おっと、短気は起こすなよ…大事な話で電話をしたんだからな』
慌てて釘を刺してくるのは、彼が本当にいきなり電話を切る男だと知っているからだろう。
そして大事な話と言えば、何もかもがカイト相手にうまくいくと思っているのだ。
毎度、その大事な話がハズレであれば、カイトだってもう電話をたたっ切っているだろう。
しかし、本当に大事な話もする男なので、ぐぐっとこらえた。
ソウマの存在は、確かに腹が立つのだが―― 悔しいけれども、彼女をもっと幸せにするための道があることを示唆する存在でもあるのだ。
「早く言え…忙しいんだ」
それは、きっと相手にも伝わっているだろう。
開発室はザワザワと騒がしく、緊張感あふれる気配は、電話線というフィルターを間に通しても、決して消えてしまわないだろう。
『ちょっと気になることがあってな…おまえ…』
電話の声も神妙になる。
コンピュータの電源を入れながらも、その声に引き込まれる。
『おまえ…ちゃんと、彼女を両親に紹介したのか?』
ピコッ。
コンピュータの電源が入った瞬間に、新たな衝撃が訪れた。
彼女を。
両親に。
紹介?
詳しく翻訳すれば。
メイを。
カイトの親に。
自分の妻になる相手だと―― いや、もうなっている。
またも、カイトの頭の中からは、スコーンと抜け落ちていた。
「別に!」
反射的に出た声は、あまりに大きくて。
次の瞬間に、自分がいま会社の開発室にいるのだと思い出してしまった。
振り返ると、みんなが何事かと彼の方を見ている。
クソッッ。
仕事しろ! という目で睨むと、全員がそそくさと持ち場に戻るが、気配でこっちを気にしているのが分かる。
コードレスであることをいいことに、カイトは開発室から逃げ出した。
「別に…そんなん、しなくてもいーだろ」
メイと結婚するのは自分であり、両親ではないのである。
ここ1年の間に、電話で1回話したかどうかの相手に、どうして彼女を紹介しなければならないのか。
廊下とはいえ、社員が通りかかることもあるし、意外と室内より声が反響する。
カイトは、無意識に奥の方へと歩いていた。
『おいおい…まさかその言葉は、本気じゃないだろうな』
電話の声が苦笑に変わる。
自分の親なんか、今のいままで思い出しもしなかった、薄情な息子なのである。
別に、家を飛び出したワケじゃなかった。
親と取り立てて不仲なワケでもない。
ただ、息子はやりたい放題で生き、両親は堅実に生きているだけだ。
別々に暮らした方が、お互いのストレスにならないのである。
家もそんなに遠いワケじゃなかった。
車で、1時間もかからないくらいで、帰ろうと思えば帰れるし、向こうから来ようと思えば来られる距離。
『親には紹介しておけ。でないと、お前じゃなくて彼女が困るんだぞ。今のままじゃ、お前にもし何かあった時、彼女はどこに連絡していいか分からないだろう?』
真面目なような、ちょっと笑ったような声。
不吉なことを言うな!
とんでもない発言でも―― しかし、世間一般で言えば、確かにもっともなことだった。
シュウが同居しているので、もし何かあった時は、ヤツに聞けば分かるだろうが。
いや、そういう問題ではなかった。
逆のパターンだってありえるのだ。
いまは、めったに向こうの方からも連絡を入れてくることはないが、何かあったら絶対に電話をかけるだろう。
その時に、メイが電話を取る。
以下―― シミュレーション。
メイ「はい、もしもし」
カイト母「あら、あなたはどなた?」
メイ「カイトの妻ですが」
カイト母「はぁ? そんなまさか」
メイ「いえ、本当ですが…あの、あなたは一体」
カイト母「カイトの母です」
メイ「ええー!!!!????」
―― シミュレーション終わり。
なるほど、マズイ。
わずかな時間の隙間で、そこまで考えたカイトは額に汗を浮かべた。
自分はいいのだが、メイが気まずい思いをするのは間違いない。
普通の両親だと自負している分、こういうことは報告しておかないと、後がうるさいのも予測できた。
うー。
どうして、この世の中はこんなに面倒なのか。
お互い思って結婚した。
婚姻届も出した、でいいではないか。
それなのに、結婚した途端、次から次へとカイトに難題が押し寄せてくる。
結婚式だの、親への紹介だの。
この分では、毎日一つずつ何か大きな仕事を片づけている間に、新しい課題がもっとすごいスピードで山積みされそうな予感があった。
きっと、これだけでは終わらないだろう。
『とにかく…ちゃんと紹介するんだぞ……本当は、昨日の夜帰りぎわに言おうと思ったんだがな』
そこから、ソウマは少し言葉を濁した。
言いにくそうに。
「……?」
何に引っかかっているのか分からずに、カイトは横目で受話器を見た。
困ったような苦笑をしているように思えたのだ。
『いや…その…彼女には、親御さんがいないワケだろう? どうにも、その前では…言いだしにくくてなぁ』
ああ。
言われて、初めてその事実も思い出した。
必要なのはメイだけで、そのバックグランドに興味を示しているヒマはなかったので、すかーっと忘れ去っていたのである。
普通なら。
頭をさげて、メイの親からお嫁にもらわなければならなかったのだ。
いまみたいに、勝手に婚姻届など、絶対に出せなかっただろう。
それもあったが。
本当に、ソウマという男が、妙に細かいところにまで気の回る存在だということも、改めて感じさせられた。
ただ、カイトをからかうためだけに現れて、何もかも傍若無人にやりたい放題かと思っていたら。
メイのためを思って、言葉を控えさえしていたのだ。
フン。
ソウマをホメるとなると、途端に身体が落ち着かなくなる。
だから、決してホメない。
ただ、彼の言葉に素直に答えてやることにした。
「分かった…今度の週末にでも行ってくる」
受話器は、その瞬間何もしゃべらなかったが、相手がにこっと笑った感触が伝わってきて―― 彼を、ますます落ち着かなくさせたのだった。




