01/16 Sun.-7
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カイトは、上着を掴んだ。
彼は、それですべての答えを教えているつもりだったけれども、メイの方は、きょとんとそこに立ちつくしているだけで。
仕方なく、苦手な言葉を使わなければならないのだ。
「出かけるぞ」、と。
「え? 出かけるって、どこに?」
こんな時間から。
「あの…せめて、夕ご飯を食べてからにしません? すぐ作りますから」
言葉に、カイトは眉を寄せた。
どうして、まだ彼女は分からないのか。いままでの話の流れを考えれば、カイトがどこに出かけようとしているか、想像がつきそうなものなのに。
そのメシを食いに行くっつってんだ!
彼は、短気な怒鳴りを心の外には出さなかった。
内側のカマの中でイライラと一緒に煮詰まってはいるけれども、吹きこぼさなかったのである。
いままで、この怒鳴りグセのせいで、何度彼女をおびえさせたか。
それくらいは、カイトだって学習をしているのだ。
代わりに、余計に無口になってしまった。
どんな言葉を彼女に使ったらいいか、未だによく分からないでいる。
この世の中には、自分をあまりにみっともなくしてしまうものが多かった。
彼女には、何でも出来るスーパーマンに見て欲しいのに、それを覆す項目が多すぎるのだ。
第一。
いまカイトは、自分の妻を夕食に誘う言葉さえ、ロクに選べなかった。
「メシ…食いに行くぞ」
ぼそっ。
ほら。
精一杯の言葉が―― この程度なのだ。
そんな言葉さえ、カイトは勇気をふりしぼったというのに。
メイは、一瞬驚いた顔をした後、慌てたように両手を左右に振った。
「あっ、そんな、別に…私は」
また。
せっかく人が、忍耐を重ねて怒鳴りまで抑えているというのに、彼女はそれを台無しにしようとするのである。
家事をしなくていい外食に出かけるのだから、素直に喜べばいいのだ。
そうすれば、カイトだってもっと嬉しいのに。
「でも…でも、別に、カイトは外食じゃなくてもいいでしょう?」
ソウマさんに言われても、気にしないで。
彼がイラついたオーラでも発してしまったのだろうか。
彼女は、小さくなりながらも、そう主張した。
あん?
カイトは、片方の眉を思い切り引き上げた。
また、うまく気持ちと言葉が、噛み合っていない気がしたのだ。
どうやら、彼女は今夜の外食が人に言われたことから生まれた、義務感か何かだと思っているらしい。
確かに、ソウマに言われなければ今夜、外食にしようなんて思いつきもしなかっただろう。
そう。
とことん、思いつきもしない男なのだ。
彼女を家事から少しでも解放してやりたいと本気で思っているなら、思いついてもいいはずの答えなのに、ちっともカイトはそれをつかめなかったのである。
義務感なんかじゃない。
そうしたかっただけだ。
そして、カイトは短気モノだった。
そうしたいと思ったら、今すぐ―― とつながっただけなのである。
何とかその気持ちを、言葉にまとめようと努力していたのに、メイの方が先に話を切り出してしまった。
「それに…結婚式も……」
何だと?
ここで、式の話題が蒸し返されるとは思っていなかったカイトは、意識の切り替えをうまくできなかった。
ただ、彼女をじっと見つめてしまう。
「本当は…イヤでしょう?」
ぱっと見つめてきた茶色い目は。
すごく不安そうだった。
なっ、なにー!?
かなり核心をつかれた内容ではあった。
それを、ソウマなんかに聞かれたら、きっと「イヤに決まってんだろー!」と即答するようなことである。
しかし、言ったのはメイだ。
そして―― カイトは答えなければならなかった。
イヤな汗が、背中を流れた。
「そういうの、嫌いでしょう? 打ち合わせの間、ずっと口きいてくれなかったし……無理しないで。式…挙げなくても、大丈夫だから」
ねっ?
身体中のあちこちから、全部かき集めてきたみたいな笑顔を浮かべて、カイトにとって忌まわしいこの話を、ナシにしようとする。
いつもならば、きっとその笑顔にはズガンと打ち抜かれるのだが、今回ばかりはショックが大きかった。
まさか、彼女がこんなことを言い出すとは、思ってもみなかったせいだ。
口をきかなかったのは、式のせいじゃない。
ソウマたちがいたからだ。
本当は、今日の午後は二人きりで。
そりゃあ、得意ではないかもしれないけれども、わずかの言葉くらいは彼だって何とかひねり出したかもしれないのに。
確かに、式はイヤだ。
自分の価値観からいけば、とんでもない話である。
でも。
「式は、やる」
はっきり―― 言った。
その言葉が信じられなかったのだろう。
手放しにびっくりした顔になった。
「式は挙げる…何だって誓ってやるし、今からメシも食いに行く」
ぷいと、顔をそむけそうになるが、ぐっとそれを押さえる。
そうして、彼女をじっと見つめながら、はっきりした口調でそれを突きつけた。
これが、彼の決意だったからだ。
いや、結婚式と夕食を同列で並べてしまうところが、甘いささやきにはほど遠かったけれども。
メイの。
瞳が、ゆらっとゆらめいた。
「イヤじゃない?」
彼の心の中に、まるで指を入れて探るような瞳だ。
あの細い指で。
「イヤじゃねぇ」
探る必要などないと、どうやったら彼女に教えることが出来るだろうか。
「本当に?」
「あぁ」
本当に?
繰り返される、最後のその問いかけは、言葉にはならならかった。
彼女の唇だけが、まだ信じられないかのように空気をかすめただけだ。
カイトは、その空気の言葉には答えなかった。
「用意しろ」
そうして、掴んだままだった上着に片腕を通すのだ。
すべての決意をまるごと、その上着の中に押し込めようとした。
「……はい」
夕食は、普通のレストランになった。
メイのお願いの目と唇に負けたせいである。
カイトにとっては理不尽な結果だった。




