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僕らの猫  作者: みー
26/28

病室にて

病室には消毒薬の匂いが漂っている。

律先輩は中央のベッドで横たわっていた。眠っているようで凛に気付かないが、その腕に刺さる点滴の針が痛々しい。


凛は来客用よ傍の小さなパイプ椅子に腰を下ろした。

先輩の額には汗で髪が張り付いていて、その髪をのけようと手を伸ばした。

額から伝わる体温からすると、もう熱は下がったようだった。

しかし最後にあった時よりも、ほっそりとして、顎のラインがくっきりとして見えた。


やせたなぁ……


ここ数週間でやつれたことは疑いない。朝河さんに、先輩が忙しく食事を取り損ねてしまい、家に帰っても疲れてそのまま寝てしまっていたと聞いた。


先輩は一人暮らしをしている。稽古から帰っても、家事をする体力が残っていなかったのだろう。

そばにいて、誰かが面倒を見てあげられれば、こんなことには……


凛はその時はっと気が付いた。

先輩といる時間、話している時、彼が私生活について何一つ語らなかったこと。

彼の芝居の話が楽しくて、ついそればかり聞きたがっていた。


実際彼についてよく知っていると、胸を張って言えはしないのだ。


あたし、今まで先輩の隣で何をしてたんだろう?


自分の不甲斐なさに嫌気がする。それを紛らわすために、今はやるべきことをしようと席を立ち上がった。


すると、凛の腕が掴まれ、その場に引きとめられた。


目を覚ました先輩が点滴の刺さったままの腕で、凛を掴んでいる。その目はまるですがるような目で、初めてこんなに弱く必死な先輩を見た。


小さく口を開いて、掠れた声で先輩が言う。


「帰るの……?」


身体を起こそうとするので、凛は慌ててそれを押し留めた。


「起きちゃだめ!……帰りません、今来た所です」


先輩は安堵の表情になると、おとなしく再び横になった。


その後凛は看護師さんを呼びに行き、先輩は点滴を抜いてもらった。退院までは安静にするように諭された。


凛が心配そうにその姿を見守るので、先輩は顔を背け、窓の外に目をやった。


「こんな姿、凛ちゃんに見られたくなかったな」


いつもと違い弱々しいけれど先輩の声が聞けて、凛は長く感じていた不安が和らいでいくのを感じた。

拗ねてそっぽ向く先輩のその背中に、凛は宥めるように言った。


「先輩、変な意地張るのやめて寝ていてくださいね。あたし稽古が忙しい間、しばらく家事も手伝いますから」


先輩は驚いたのか反射的に振り返り、顔を強張らせてまくし立てるように言った。


「そんなのだめだ。ただの寝不足なのに、入院したのは大げさだったんだ。本当はそんな大したことないんだよ」


その必死さにはどこか凛に対する遠慮が感じられた。しかしそのことは逆に、凛の気持ちを掻き立てた。


どうして、頼ってくれないの?

あたしがそばにいるとき、先輩はかけがえのない時間をくれた。お芝居の楽しさも、他でもない先輩に教えてもらったのに……


どうしてあたしには何もさせてくれないの?


肩を震わし俯く凛を見て、先輩は狼狽える。その大きな瞳が潤み、今にも涙が零れ出しそうに揺れていたからだ。


「り、凛ちゃん……」


「あたしだって、先輩のチカラになりたいんです」


「な、泣かないで。お願いだから。ね?」


「それなのに先輩は、ちっとも頼ってくれない……うっ……」


ついに溢れ出してしまった涙が頬を伝い、顎から凛のスカートに零れ落ちた。


その時、凛を見ていた律先輩がゆっくりと身体を起こした。

その目はさっきまでと、決定的に何かが違う。差し迫った焦りと、燃えるような強い感情を秘めていた。

一瞬にしてまるで違う人間として立ち現れた先輩に、凛は泣くのも忘れ目を奪われていた。


「先輩……?また、演技ですか」


凛がかすかな声でそう尋ねると、どこか苛々しているような棘のある口調で、返事が返って来た。


「演技じゃない」


その言葉とともに先輩は凛の腕を再び掴むと、強い力で自分の方に引き寄せた。バランスを失った凛の身体は前へよろめく。

そして気付けば先輩の両腕の中に、凛の小さな身体は収まっていた。


力強く抱きすくめられ、耳元で律先輩の声がした。


「もう……限界だよ」

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