1話
わけも分からずブラック企業に就職して数か月。夏真っ盛りのこの時期に外回りの営業を命じられ、ノルマが達成できるまで戻ってくるなと言われた真昼間。
俺は死にかけているらしい。
ぼやけた思考。
喉の奥が、焼けた鉄を飲み込んだように熱い。
意識が遠のき光に包まれる中、最後に願ったのは、富でも名声でもなく、ただ「冷えたコップ一杯の水」だった。
* * *
眩い光が収まると、そこは豪奢な玉座の間だった。
目の前には威厳を湛えた王と、困惑する3人の若者、そして――息絶えたはずの俺、サトウがいた。
王の側近が水晶を掲げ、召喚された勇者たちの能力を読み上げていく。
剛力の勇者: 岩を砕く怪力を宿す。
爆炎の勇者: 万物を焼き尽くす焔を操る。
慈愛の聖女: あらゆる傷を即座に癒やす。
そして、俺の番が来た。
「……サトウ。能力名は『一杯の水』。効果は、コップ一杯分の水を生成する……それだけか?」
静寂のあと、王宮は嘲笑に包まれた。
「水だと? 魔法使いですらバケツ一杯は出せるぞ!」「死に際に水を欲したからこれとは、なんとも卑しい男だ」
王はあからさまに失望し、数枚の金貨が入った袋を俺に投げつけた。
「……戦力外だ。その金を持って、この城から、そしてこの街から即座に立ち去るがいい。無能な男に割くパンはない」
* * *
城の裏門から放り出された俺は、人気のない路地裏で足を止めた。
怒りはない。ただ、脳内に直接流れ込んできた「能力の詳細」を確認したかった。
固有スキル:『一杯の水』
指定した空間に、一杯の水を「追加」する。
指定した空間と、一杯の水を「置換」する。
※ 生成場所の制限なし。視認、あるいは座標指定で発動可能。
俺は道端に転がっていた、硬い大きな岩に指を向けた。
「……置換」
シュンッ!
音もなく、岩の一部が「コップ一杯の形」に完璧に削り取られ、代わりにそこに水が満たされた。
削り取られた岩はどこへ行ったのか? それはこの世から消滅したのだ。
「……これ、ヤバすぎるだろ」
俺はさらに、空中に指を立てた。
もし、この「置換」を「敵の脳幹」や「心臓」、あるいは「巨大な門の鍵」に対して行ったら?
あるいは、「追加」によって、密閉された空間に無理やり物質をねじ込んだら、その圧力はどうなる?
水そのものが強いんじゃない。
「水に置き換える」というプロセスが、防御不能の絶対的な分解能力になっているんだ。
嵐の予感を背に、俺は冷や汗を拭った。
あの城の中で、もしも馬鹿にされた勢いで能力を披露していたら、今頃俺は「最強の兵器」として一生地下に監禁されていただろう。
「……さて、どこへ行こうか」
金貨の袋をポケットに押し込み、俺は城下町の喧騒へと歩き出す。
剛力も、爆炎も、治癒も素晴らしいだろう。だが、この「一杯の水」は、神の摂理すら書き換える。
本当の強さを知られないまま追放された幸運に感謝しながら、俺は喉を潤すために、自分自身のための最初のコップ一杯の水を生成した。




