第二章 黒き門
迫る魔女の気配
鐘の音は、なかなか止まなかった。
まるで街そのものが、
終わりを悟って震えているように。
スバラザの通りに、
人の気配が一気に溢れ出す。
戸を閉める者。
祈る者。
ただ立ち尽くす者。
誰もが知っていた。
この鐘が鳴るとき――
それは小競り合いでは終わらない。
エドはゆっくりと息を吐いた。
胸の奥に沈んでいた感覚が、
静かに浮かび上がってくる。
恐怖ではない。
高揚でもない。
ただの――覚悟。
「城壁へ行く」
短く言う。
エミルは何も答えない。
代わりに、
彼の袖を強く掴んだ。
震えているのは、
指先だけじゃない。
「……すぐ戻る」
エドは振り向かないまま言った。
その言葉が、
どれほど頼りないかを知りながら。
「嘘」
かすれた声。
「今度は……
本当に帰ってこない気がする」
沈黙。
遠くで、
もう一度地鳴りが響いた。
石畳の隙間の灰が、
微かに跳ねる。
エドはゆっくりと、
エミルの手に自分の手を重ねた。
温かい。
この灰の街で、
数少ない現実の温度。
「――帰るよ」
さっきと同じ言葉。
だが今度は、
少しだけ低かった。
エミルは顔を上げる。
何かを言おうとして、
結局――何も言えなかった。
手が離れる。
それだけで、
世界が遠くなる。
エドは振り返らない。
振り返れば、
足が止まると分かっているから。
灰の降る通りを、
ただ前へ進む。
城壁の上には、
すでに兵たちが集まっていた。
だが――
その数は少ない。
前線に取られ、
この街に残ったのは
年若い者と、傷を抱えた者ばかり。
誰もが不安を隠せない。
その空気が、
エドの姿を見た瞬間――変わる。
「エドだ……」
「来てくれた……」
小さなざわめき。
だがそれは確かに、
希望の音だった。
エドは何も言わず、
城壁の外へ視線を向ける。
灰の地平線。
その向こうで――
何かが動いている。
最初は、
黒煙にしか見えなかった。
だが違う。
煙ではない。
群れだ。
無数の影が、
ゆっくりとこちらへ進んでくる。
人ではない歩き方。
揃いすぎた動き。
そして。
風に乗って届く――
腐った匂い。
兵の一人が震える声で呟く。
「……魔獣?」
誰も答えない。
エドだけが、
わずかに目を細めた。
違う。
これは――
統率されている。
その瞬間。
影の群れが、
ぴたりと止まった。
距離はまだ遠い。
だがはっきり分かる。
こちらを――
見ている。
次の瞬間。
地面が割れるような咆哮。
空気が震え、
灰が一斉に舞い上がる。
兵たちの顔が凍りつく。
その群れの奥から、
ゆっくりと現れた。
巨大な影。
城壁よりも高い、
漆黒の異形。
そして――
その額に刻まれた紋章を見て、
エドの鼓動が初めて乱れた。
「……帝国軍?」
ありえない。
魔獣の王に、
帝国の印があるなど。
静寂。
世界が、息を止める。
やがて。
黒き巨影の口が、
人の言葉を形作った。
「――見つけた」
低く、濁った声。
だが確かに、
こちらへ向けて。
「魔女の血を継ぐ者よ」
城壁の上の空気が、
凍りつく。
すべての視線が――
エドへ集まった。
灰が降る。
静かに。
絶え間なく。
まるで。
逃げ場など最初から
存在しないと告げるように。
エドは剣を抜く。
その音だけが、
世界に残った。
魔女の血の強さとは・・・




