第一章 灰の街
強さとは
灰は、雪のように降る。
だがそれは白くない。
冷たくも、やさしくもない。
ただ静かに、すべてを覆い隠す色をしている。
帝国西端――隔離地域スバラザ。
ここでは空さえ、
生きることを許していなかった。
剣戟の音が響く。
乾いた荒地。
崩れた石壁。
見物人のざわめき。
その中心で、一人の青年が立っていた。
黒髪。
細身の体。
だが無駄のない構え。
向かい合うのは、三人の兵士。
帝国正規軍――それも前線帰りの歴戦だ。
「今なら許してやる。
剣を捨てろ、ガキ」
兵士の一人が吐き捨てる。
青年は答えない。
ただ静かに、剣を握り直した。
「……はぁ」
小さなため息。
次の瞬間。
勝負は終わっていた。
風が走る。
遅れて、金属音。
三人の剣が、同時に宙を舞う。
そして。
膝をついたのは――
兵士たちの方だった。
沈黙。
見ていた者たちが、
ようやく息を思い出す。
「……まただ」
「無敗、何連勝だ?」
「四十……いや、五十か?」
ざわめきの中心。
青年は剣を鞘に収める。
まるで何事もなかったかのように。
その名を、誰かが呟いた。
「エド……」
スバラザ最強の戦士。
隔離地域の守り手。
そして――
魔女の血を引く者。
「終わった?」
背後から声。
振り向かなくても分かる。
この声を知らない日はない。
「見てただろ」
「途中から」
「嘘つけ」
エドが振り返る。
そこに立っていたのは、
一人の少女――いや、もう少女とは呼べない年頃の女性。
淡い髪。
静かな瞳。
灰の街に似合わない、壊れそうな透明さ。
エミル。
彼女は地面に倒れた兵士たちを見て、
わずかに眉をひそめた。
「……やりすぎ」
「手は抜いた」
「三人同時に武装解除しておいて?」
「殺してない」
「基準が怖い」
短い会話。
だがそこには、
長い年月が積み重なっている。
二人は並んで歩き出す。
夕方のスバラザ。
灰色の石畳。
沈黙する人々。
だがエドが通ると、
空気が少しだけ変わる。
安堵。
期待。
祈り。
この街にとって彼は――
希望の代わりだった。
「また前線に出るの?」
エミルがぽつりと聞く。
エドは少しだけ黙った。
「……たぶんな」
「嫌」
即答だった。
責める声ではない。
ただ、震えている。
エドは視線を前に向けたまま言う。
「仕方ないだろ」
「仕方なくない」
「ここを守れるのは俺だけだ」
その言葉に、
エミルは何も返せない。
分かっているからだ。
それが事実だと。
だからこそ――怖い。
しばらく歩き、
人気のない路地に入る。
エミルが足を止めた。
「……ねえ」
「ん?」
「もし」
声が詰まる。
それでも、
無理やり続けた。
「もし、
帰ってこなかったら――」
最後まで言えなかった。
エドは少しだけ目を細める。
それから、
昔と同じ声で言った。
「帰るよ」
「……根拠ない」
「約束しただろ」
夕焼けが、
二人の影を長く伸ばす。
幼い日の記憶が、
一瞬だけ重なる。
そのときだった。
遠くで――
鐘が鳴った。
低く、重い音。
警鐘。
街の空気が凍る。
エドの表情が変わった。
「……来たか」
「何が?」
答えは、
すぐに現れた。
城壁の向こう。
灰の地平線の先。
立ち上る――
黒煙。
そして。
遅れて届く、
地鳴りのような振動。
エミルの顔から血の気が引く。
「……嘘」
エドは静かに剣に手をかけた。
その目は、
もう迷っていない。
「戦争だ」
短い言葉。
だがそれは、
すべての始まりを告げていた。
空から灰が降る。
まるで。
これから流れる血を、
先に隠そうとするかのように。




