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使用人と婚約させられましたが、その方は潜入捜査中の王太子殿下です

作者: 秋名はる
掲載日:2026/02/20

「エリザ、残念だが君との婚約は破棄させてもらう。悪く思わないでくれ。」


私の婚約者だったはずの相手――ライズ伯爵家の嫡男、エヴァンス様はそう冷たく言い放った。


わたしの生家であるルーク伯爵邸内。

普段は使わない来客用の一室に呼び出されていた。部屋の中には両親と妹のクラリス、そしてエヴァンス様が揃い踏みになっている。


彼の衝撃的な一言に、室内には重苦しい沈黙が流れた。

エヴァンス様の隣には――本来なら私がいるべきはずの場所に――妹のクラリスが寄り添うように立っている。その様子から、私は状況を察する。


すると妹は、勝ち誇った笑みを浮かべて私にこう言った。


「お姉様、残念ですがライズ伯爵家のエヴァンス様との縁談は、私がお受けすることになりましたの。悪く思わないでくださいまし。」


そのあまりに尊大な態度に、思わず辟易する。


「これは、どういうことなのですか_。

私はエヴァンス様に何か失礼に当たることをいたしましたでしょうか。」


私は弁明したが、しかしエヴァンス様は冷ややかな態度を崩さない。


「君に落ち度はない。しかし、私にとって君は退屈なのだ。

ここにいるクラリスを見習って、君も少しは愛嬌というものを身につけたらどうだ?」


そう言い切られてしまえば、もう返す言葉はない。


「わかりました。そうおっしゃるなら仕方がありません。クラリス、どうぞ末永くお幸せに。」


そう言って部屋を後にしようとする。

しかし、それを見計らったように、後ろからクラリスが引き止めた。


「でも、このままお姉様に貰い手がないままでは、あまりにも不憫ですわ。

 そこである提案がありますの。」


思わぬ一言に、私は訝しんで妹の方を振り返った。

すると彼女は、何か企んでいるような悪辣な笑みをこちらに向けて、こう告げた。


「お姉様には、この屋敷の"使用人であるユーリ"と婚約していただくことになりましたわ。」


「ユーリと?」


思わず聞き返す。


「そうですわ。行き遅れのお姉様には願ってもない相手ではなくて?」


「それは――」


それは私自身も想定外のことだった。私は同じ部屋にいた両親の方を見た。

しかし、二人とも口を噤んだまま何も言わない。つまり、これは両親も公認の決定事項ということだ。


「――わかりました。あなたがそうおっしゃるなら、ユーリとの婚約の話、お受けします。」


私がそう答えると、妹は一層勝ち誇った顔になった。


「ふふ。快諾していただけて嬉しいですわ。

これで、晴れてルーク伯爵家は、姉妹ふたりとも縁談がまとまり安泰ですわね。」


妹は、悪びれもなくそう言ってのける。


(しかし、"本当に”それで良いのだろうか?)


彼らの真意をはかりかねた私は念のため、同じ部屋にいた全員を見回す。

しかし、当然誰からも異議の声が上がることはない。


誰もこの婚約を止める気がないことを確かめると、私はそのまま部屋を後にした。


___


自室に戻ると、私に使える使用人であり、たった今私の婚約者となった"使用人のユーリ"が、私を出迎えてくれた。


「ユーリ、これは一体どういうことなのです?」


開口一番、私は彼に問いかけた。


「お嬢様、婚約の話をお聞きになったのですね。」


ユーリは冷静にそう答えた。

その言いぶりから、ユーリは既に今回の話を知っていることがうかがえた。


私は念のため、先ほど別室で起こった一部始終を彼に聞かせた。


「――私と、あなたが婚約することになりましたよ。本当に、よろしいのですか?」


「もちろん、これも計画のうちですから。」


そう言って、ユーリは涼しい顔をしている。


「――ではやはり、これもあなたが仕組んだことだったのですね。」


言われて、ユーリは振り返ってこちらに向き直った。


ユーリと名乗るこの青年は、深いグレイアッシュの髪に、神秘的な瑪瑙色(アゲート)の瞳をした端正な顔立ちの持ち主だった。使用人としてこの屋敷に仕えている身でありながら、その身のこなしや立ち居振る舞いはどこか使用人には似つかわしくない。


むしろ貴族階級の人間であれば、彼の漂わせる使用人には似つかわしくない、高貴な気品を感じ取らずにはいられないだろう。


(彼の考えていることは、どうにも読めない……。)


そう言って私は静かにため息を落とす。

しかし、そんな彼の言うことに逆らえない理由が私にはあった。

彼が予告した通り、数日後に再び屋敷内に動きがあった。


___


数日後。

ユーリは、いつものように私に付き添っていた。婚約が決まる前と変わらず、彼は私や屋敷内の世話を任されている。


家族が揃って屋敷のテラスで午後の茶を楽しんでいると、ユーリはおもむろにこんなことを言い出した。


「実は、エリザお嬢様との婚約について、私から国王陛下に直々にご報告を申し上げたいのです。」


貴族社会では、国王陛下に謁見して婚約を報告する慣習がある。エリザもまた伯爵令嬢であるため、然るべき時に陛下への報告を行うのが通例だった。

しかし今回、私の相手は貴族の嫡男などではなく、ただの使用人だ。


当然、父であるルーク伯爵が鼻を鳴らして言い捨てる。


「国王陛下に? 使用人のお前がか?」


「はい、何か問題でも?」


「確かに、由緒ある伯爵家のエリザの婚約であれば、陛下への報告は必要だ。しかし、お前のような者に国王陛下が謁見をなさるとは思えんな。」


ルーク伯爵はそう言って、ユーリを一瞥した。


「ご心配なさらず。既に陛下に謁見の場を取り付けてございますから。」


「なに? 国王陛下にだと?」


「はい。ですので皆様には、明朝に王城までお越しくださるようお願いいたします。」


言われて父と母は顔を見合わせた。

しかし、ユーリは二人の動揺など意に介さず、さらにこう付け加える。


「明日は是非、妹のクラリス様とその婚約者のエヴァンス様にもお越しいただきたく存じます。」


そう言い置くと、ユーリは返答を待たずに部屋を後にする。その所作は完璧な使用人のそれでありながら、どこか余裕に満ちていた。


___


次の日。

ユーリに言われて、ルーク伯爵夫妻と妹のクラリス、そして彼女の婚約者のエヴァンスが王城へ集まった。


あの後、両親に飛びつけられて王城に呼び出されていたクラリスは首をかしげている。


(使用人であるユーリが、国王陛下への謁見を取り付けるなんて――。一体どういうことなのかしら。)


通常、国王陛下が一使用人と謁見するなどありえない。

それが伯爵家の令嬢であるエリザとの婚約報告のためであっても。しかし、クラリスはこのときはまだ深く考えていなかった。


(それにしても、エリザお姉様ったら面目丸つぶれね。伯爵令嬢たるお姉様が、まさか使用人と婚約させられるなんて――。社交界でもきっと笑いものでしょう。)


クラリスはほくそ笑んだ。

貴族の令嬢が自分の屋敷の使用人と婚約するなど前代未聞だ。それをあっさり受け入れてしまったエリザもどうかしている。クラリスは笑いを堪えきれないでいた。


___


一同は王城の一角にある謁見の間に入り、陛下の到着を待っていた。

しばらくして姿を現したのは、国王陛下ではなく、意外な人物だった。


「ごきげんよう、諸君。」


「お、王太子殿下?」


部屋に入ってきたのは、第一王子のユーレリウス殿下であった。


「残念ながら国王陛下はただいまお忙しい。よって代わりに私が対応をすることになった。」


一同は顔を見合わせたが、ここで誰ともなく異変に気がつく。

眼の前にいる王太子殿下――しかしその顔には、なんだか見覚えがある。


殿下は見事な白銀の髪そして、瑪瑙色の瞳、整った目鼻立ち。それは使用人のユーリと瓜二つだったのである。会場にいた誰もが息を呑んだ。


「王太子殿下、ごきげんよう。って、あれ……?」


「殿下、まさかあなたは……?」



会場内が動揺する中、ただ一人、私だけが冷静に状況を見つめていた。


___


私は、ユーレリウス殿下と初めて出会った日のことを思い出していた。


それは今年の春、王室で催された立太子の式典の日。

王室の庭園には各地から貴族の令嬢たちが一堂に集いっていた。


令嬢たちの目当てはもちろん、この日立太子を迎えたユーレリウス王太子だった。この国の将来の国王となるお方。令嬢たちは彼の気を引こうと、あらん限りの贅を尽くして自身を飾り付けていた。


外でもない私の妹クラリスもその一人だった。


「お父様、お母様、今日の私は他の誰よりも美しくあらねばなりませんわ。ユーレリウス殿下の心を射止めるのは、この私に決まっておりますもの。」


ライズ伯爵家のエヴァンスとの婚約が決まる前まで、クラリスはユーレリウス殿下に見初められて王太子妃となることを夢見ていた。


そのために父と母にねだり、この日のために贅を尽くしたドレスやアクセサリーを新調して張り切っていた。


式典が終わると、殿下は招待客の貴族令嬢たちに謁見をして回っていた。


「ユーレリウス殿下、ごきげんよう。」

「殿下、わたくしはハインツ男爵家の令嬢、ヴィクトリアですわ。お見知り置きを――。」

「殿下、わたくしも是非ご挨拶を――。」


取り巻きの令嬢たちに囲まれて、殿下は彼女たちの相手をしていた。その中には妹のクラリスも混じっている。皆、未来の国王である王太子に取り入ろうと必死だった。


そんなやり取りを、私は一人遠巻きに覚めた目で眺めていた。


そもそも私は、こういう社交的な場には興味がなかった。伯爵令嬢として式典には招待されていたものの、他の令嬢たちと競って自分を着飾ったり、目当ての殿方に取り入るといったことはしなかった。


長々しい式典にも次第に飽いてしまい、裏庭を一人で散策していたときのこと。


突然、後ろから声をかけられた。


「君はもしや、ルーク伯爵家の令嬢、エリザではないか?」


振り返ると、美しい白銀の髪をした青年が立っていた。白い肌に整った目鼻立ち、大きな瑪瑙色の瞳。


見違うはずもない、

彼は先ほどまで式典の中心にいた人物。ユーレリウス王太子殿下だった。


「はい、私がルーク伯爵家のエリザでございます。」


予想打にしないの殿下の登場に、私は慌てて居住まいを正し、恭しくカーテシーを施す。


(――どうして王太子殿下が、私なんかに声をかけてきたのかしら……。)


挨拶もしていない私のもとに、彼がわざわざやってくる理由がわからなかった。

すると、彼はおもむろに一歩踏み出してこう言った。


「――君に、折り入って頼みがあるんだ。」


「頼み? 一体何でしょう?」


畏まって問い返す私に、彼は驚くべきことを口にした。


「実はある事情があって――。

 君の屋敷に、”使用人として潜入させてほしいんだ”」


「せ、潜入?

 それは一体、どういうことですか!?」


私は思わず聞き返す。

すると彼は、さらに驚愕の事実を語り出した。


「実は、君の両親とライズ伯爵家には、ここ数年横領事件の嫌疑がかかっている。」


「横領事件?」


「そう。捜査によれば、彼らは両家で結託して王室の資産を着服しているようなのだ。」


「そんなまさか。」


突然そんなことを言われて、私は事態がなかなか飲み込めない。


「_何かの間違いでは? お父様たちがそんなことをするはずがありませんわ。」


「君には酷なことを言うようだが、これは紛れもない事実だ。

 その確たる証拠を掴むために、私は君の屋敷に潜入したい。」


そう言われても、未だ私は半信半疑だった。

しかし、彼は数日後に本当に私付きの使用人として屋敷にやってきた。


それが、彼が身分を偽って私の屋敷にやってくることになったきっかけの出来事だった。

___



「ユーレリウス様。じゃなかった、ユーリ。

 あの、紅茶くらい自分で淹れられますから……。」


「いえ、お嬢様。これも私の仕事ですから。」


彼は王城にいたときとは服装や髪型などを変えて、変装して私の屋敷にやってきた。


一見すると雰囲気はすっかり一人の使用人のそれに溶け込んでいる。しかし、よくよく見れば彼のその優雅な身のこなしや、漂うオーラから、凡人にはない高貴な雰囲気がにじみ出ている。


見る人が見れば、彼が王太子殿下であることはすぐにバレてしまうだろう。

それでも、今日までの間に彼の素性が暴かれなかったのは、一国の王太子ともあろう方が、まさか使用人として屋敷にいるはずなどありえないという思い込みゆえだろうか。


以来、彼は王太子という立場にありながら、私の屋敷で使用人として働いている。高貴な身分にはそぐわぬ手際の良さで、てきぱきと屋敷内の雑用をこなしていた。


そばで見ている私は、申し訳ないやらハラハラするやらで気が休まらない。最初の数ヶ月は、彼が使用人として振る舞うことにどうしても慣れないでいた。


_________


彼が屋敷に来てまもなくの頃、私は当初から気になっていたある疑問を彼にぶつけてみたことがある。


「ユーリ、一つだけお聞きしてもよろしいでしょうか。」


おもむろにそう問いかけると、彼はこちらに向き直って首を傾げた。


「あなたはどうしてわざわざご自身でこの屋敷に潜入することにしたのですか?

 王家には使用人や家来たちが大勢いらっしゃるはず、あなたがここへ来る必要は無かったのでは?」


わざわざ身分を偽り、リスクを犯してまでここまでする理由とは一体何なのだろう。

すると彼は涼し気な顔をしてこういった。


「一国を背負う立場にあるものこそ。自分自身の手で真実を掴むことが必要だと考えたからですよ。」


「ご自身の手で?」


「そうです。この事件は、以前から王室内の限られた重臣たちの間では周知のことでした。

 しかし、どれだけ調査を進めても事件は一向にに進展しない。

 そこで気がついたのです。重臣たちの中に、この事件が進展することをよく思わない者がいるのだと。」


私は彼の言わんとしていることを理解した。

王室は欲望の渦巻くところだ。表面上、信頼している家臣や側近たちだっていつ裏切るかわからない。権力や欲に溺れれは、彼らは簡単に主を裏切ることだってあるのだ。だから、彼は自分自身でこの事件を解決することに決めた。ということらしかった。


「将来国を背負う立場にあるものとして、時に自分だけで行動できる力が必要だと思ったのです。

 それに国主たるもの、何より”信用にたる人を見定める力”が重要ですから」


ユーリこと、ユーレリウス殿下は、何か深く思案している様子を伺わせてそう呟いた。

___



屋敷で使用人として働きながら、ユーリは両親が関わっているという横領事件の捜査を進めていた。


私は当初、彼の言う"両親の関与"には懐疑的だった。陛下の側近として代々仕えてきた我が父が、まさか陛下を欺くようなことを企てるなど信じられなかった。


しかし、ユーリとともに捜査を続けるうちに、それは確信に変わっていった。

ユーリとの生活にも少しずつ慣れてきたある日、彼が突然こう切り出した。


「君の両親が国庫の資金を横領していた証拠がいくつか出てきた。」


そう言って彼は、何通かの手紙の束を差し出してきた。

手紙には、私の父と、ライズ伯爵家とのやり取りが記されていた。


「どうやら君のお父上は、北部領主のライズ伯爵家と結託して横領を企てていたらしい。」


差し出された手紙を読めば、確かに両家で結託して国庫から資金を引き出したと取れる内容が記されていた。


「……では、やはり嫌疑は本当だったのですね。」


実の父親が犯罪を企てていた事実を目の当たりにして、複雑な心境だった。


正直に言えば、元々私は両親や妹とは反りが合わなかった。両親は私よりも妹の方を贔屓にする節があった。妹が無条件に可愛がられる横で、私は姉として我慢や辛抱を強いられることが多かった。


とはいえ、そんな家族がまさか自分の知らないところで犯罪を侵しているとは、この時はまだ信じられないでいた。


「君には酷なことをさせている自覚はある。

 自分の身内の罪を暴くことに協力させていることは、私としても心が痛い。」


彼の瞳には、本心からの申し訳なさがにじんでいるように見えた。


「いいえ、私のことはお気になさらないでください。

 たとえそれが肉親だとしても、罪を犯した以上、それは裁かれるべきです。」


私は本心からそう言った。


「ただ、一つだけ、お願いがあるのです。」


私は改めてユーリの方に向き直る。


「この事件の捜査に、私も加わらせていただけませんか?

事情を聞いた以上、私も次元の真相を自分の目で確かめたいのです。」


そう答えると、ユーリは瑪瑙色の瞳をわずかに見開き、何か深く考え込むような目で私を見つめた。

やがてその瞳が柔らかく細められる。


「いいだろう。君が私に協力してくれるのなら、それほど心強いことはない。」



___


またある時のこと。この日は遠方からライズ伯爵家の嫡男、エヴァンス様が訪れていた。

表向きは私たち姉妹との縁談のため、数日間この屋敷に滞在することになっていた。


ある晩、ユーリと私は屋敷内にある秘密の通路を抜けて、密かに父の書斎へとたどり着いていた。通路から室内を覗けば、誰にも気づかれずに書斎の中の様子をうかがうことができる。私たちは以前からこの通路を使い、父の横領事件に関する動向を探っていたのだった。


室内には父と母、妹のクラリス、そしてエヴァンス様の四人が揃っていた。

屋敷内の主要人物が一堂に会しているというのに、私だけが呼ばれていない。それは室内に漂ういかがわしけな雰囲気から考えれば、良いことだったのかも知れないが。一方で私は複雑な心境だった。


「先日の金は、見つからないように管理しているのだろうな。」


「もちろんです、ルーク伯。金は我が屋敷で厳重に管理しております。

 間違っても見つかることはありませんよ。」


父であるルーク伯爵が意味深に問いかければ、エヴァンスは余裕の笑みを浮かべてそう答えた。


「これだけの資金があれば、社交界での我々の影響力はさらに強まることでしょう。」


彼らのやり取りを聞いていると、それは先日ユーリが見つけた手紙の内容と符合する。

ルーク伯爵家とライズ伯爵家の共謀は、もはや疑いようがなかった。


さらにエヴァンスは、クラリスに向かってこんなことを言った。


「クラリス、この目論見が成功すれば、我が家は社交界でもさらに影響力を伸ばせるだろう。

 君のためになんだって贅沢をしてやれるんだ。」


そう言って懐から小さな箱を取り出すと、蓋を開いてクラリスに差し出した。箱の中には、大粒のダイヤが輝く指輪が納められていた。


「まあ、素敵。これを私に?」


クラリスが目を輝かせる。


「でもよろしいのですか。

 姉であるエリザを差し置いて、私がこのようなものをいただいてしまっても?」


「いいんだ。彼女は所詮、平凡でつまらない女だ。君の方がこのダイヤを身につけるにふさわしい。」


そう言われて、クラリスは紅潮した頬でエヴァンスに身を寄せた。


エヴァンスが手にしたダイヤを見て、私はハッと息を呑んだ。そして、数日前におこったあるやり取りを思い出していた。


___


それは彼が屋敷にやってきて間もなくのこと、エヴァンスと二人きりで話す機会があった。

その際、彼は私にもそのダイヤを見せびらかしていた。


「このダイヤにふさわしい者を、自分の伴侶に選ぼうと思う。」


エヴァンスはダイヤをちらつかせ、自惚れた様子でそう言った。


「そうですか。しかし、これは私には不相応なものだと思います。」


私は冷たくそう突き放した。

ユーリから事前に横領事件について聞かされていた私は、このダイヤも横領した金で購入したものではないかと疑っていたのだ。そんなものを受け取るわけにはいかない。


すると彼はあからさまに不機嫌になり、私の前から去ってしまった。

あの指輪は、そのときのものと全く同じだった。


___


(やっぱり、あれは横領した金で手に入れたものだったのね。)


あのとき受け取らなくてよかったと、ほっと胸を撫で下ろす。

すると、私のそばで一部始終を見ていたユーリが言った。


「やはり、エヴァンスと君の両親は、国庫からかなりの額を盗み出しているらしいな。ライズ伯爵家は、最近は資金繰りが厳しく没落寸前だった。彼があんなものを持てるはずがない。」


「そのようですね……。」


「それにしても、この様子だと、この事件は君のお父上だけではなく、伯爵夫人や妹のクラリスも関与しているらしい。」


部屋にはエヴァンスと私以外の家族全員が集められていた。彼らのやり取りを聞く限り、母と妹のクラリスも周知の事実なのだろう。


「私は以前から家族とはあまりうまくいっていなかったので、この件には関わらせてもらえなかったようですね。」


いつもなら爪弾きにされたことを気に病んでいたかもしれないが、今回ばかりは巻き込まれなくて幸いだった。


「そのようだな。君が犯罪の片棒を担ぐことにならなくて安心したよ。」


そう言ってユーリは、ほっとしたように暗がりの中で微笑んだ。


このとき私たちは狭い秘密通路に二人で潜んでいた。いつもなら気にならない彼との距離が、ふいに近く感じられて、心臓が跳ねる。


暗がりの中でふと頭上を見上げれば、ユーリの整った横顔がすぐそばにあった。

彼もまたこちらを見下ろしていて、私は慌てて視線を前に戻した。


___

これまでの経緯を回想していた私は、父であるルーク伯爵の動揺した声に、一気に現実に引き戻された。


「ユーレリウス殿下、どうしてあなたがここに?」


周囲を見やれば、私以外の全員が、目の前の異様な事態に戸惑い、顔を見合わせている。


「殿下は……ユーリだったのですか。

 まさかそんなはずは…彼は我が家の使用人だったはず……なのにどうして。」


ユーレリウス王太子は、堂々とこう宣言した。


「ええ、私はあなたの屋敷に仕えていた使用人のユーリです。実はこれまで身分を隠し、あなたの屋敷に潜入しておりました。」


「潜入? どうしてそのようなことを?

 殿下、何がなんやらさっぱり状況が掴めませんが……。」


父がそう困惑するのも無理はない。

ユーレリウス殿下はさらにこう説明した。


「実は今日ここにあなた方を呼び出したのには理由がございます。

 あなた方には以前から、国庫の資金を横領した嫌疑がかけられています。」


そう言うと、殿下は私の方に視線を向けた。私は静かに頷く。

そして殿下は、王室の資産を横領していた証拠を突きつけた。


殿下が手にしていたのは、先日屋敷で押収した手紙の束だった。見覚えのある伯爵家の文様と筆跡に、その場にいた全員の顔が一様に青ざめる。


「これはあなた方が国庫の資金を横領していたという動かぬ証拠です。この事件を調査するために、私は自らあなた方の屋敷に潜入し、捜査を行ったのです。」


「そんな…。殿下、これは誤解なのです。私たちは決してあなたや陛下を裏切るようなことは――。」


「ええそうですよ。何かの間違いに違いありません、信じてください。」


彼らは必死に取り繕ったが、もはや手遅れだった。

殿下の合図とともに、戸口から衛兵たちが入ってきた。


「お待ちくださいまし!」


すると、今まで怯えた様子で黙っていたクラリスが突然声を上げた。


「わたくしは、この件には関係ありませんわ。父やエヴァンス様がこんな事件を企てていたなど知りませんでした。私は無実です、どうか信じてください!」


嘘だった。先日の書斎での密談を、私たちは目の前で見ていたのだから。

しかしクラリスは衛兵の制止を振り切ると、同情を求めるようにユーレリウス殿下にすがりついた。


「いや、私にはこの横領事件の他にも、君を捕らえる理由がある。」


「えっ?

 それは一体何だというのです――。」


クラリスが抗議の声を上げると、ユーレリウス殿下はさらにこう続けた。


「君は、昔から姉のエリザを陥れることに余念がないようだな。

 私は使用人として、日頃から君の動向も観察していた。」


「……どういうことですの?」


「例えば、エリザが幼い頃から大事にしていた陶器のオルゴール。君はわざとではないとエリザに泣きついていたが、私は君がそれを床に叩きつける場面を見ていた。


 他にもある。エリザが親友だと思っていた友人に嘘の噂を流して絶縁させたり、エリザのことを気にかけていた使用人を事実無根の罪で追い出したり。私が屋敷にいた間だけでも、君は数え切れないほどの迷惑行為を働いた。」


「そ、それは――。」


言われたことの大半は図星だった。自分ではなんのことは無いと思っていたことだった。


姉は自分にとっては目障りなだけ。

これまでであれば、クラリスが姉にどれだけの非道な扱いをしたとしても、両親は自分を攻めようとはしなかったし、常に姉ではなく私の味方をしてくれた。


しかし、今は違う。眼の前にいる彼はユーリの顔をしているけれど、うちの使用人ではない。

一国の王太子である、ユーレリウス殿下その人に冷酷に追求されて、クラリスは反論する言葉を失った。


「他でもない"私の婚約者"を侮辱することは許さない。

 君も同罪だ。連れて行け。」


殿下が合図を送ると、衛兵たちがクラリスを取り囲み、連行していった。


___


すべてが終わった後。

室内には、私とユーレリウス殿下だけが残された。

一部始終を見守っていた私は、ようやく深いため息をつく。


「……無事に終わりましたね。」


「はい、これもすべてあなたのおかげです。」


ユーリは、かつて屋敷でそうだったように、恭しく私の前に来てお辞儀をして見せる。

ここでは似つかわしくない彼の所作に、私は思わず顔をほころばせてしまう。


「いいえ、これは殿下のご采配の賜物でございます。」


そう言って改めてカーテシーを施す。屋敷で使用人として潜入していた頃には、こうした畏まった態度を取ることはほとんどなかった。


「これで、もう屋敷で使用人をなさらなくて済みますね。」


それはユーリ様とのお別れを意味していた。

事件が解決したとはいえ、私以外の家族が揃って捕らえられてしまった事実は変わらない。自分がこれから天涯孤独の身になるという現実が、重くのしかかる。


けれど、不思議と不安や悲しみといった感情は湧かなかった。

すこし寂しさはある。でも、あの家で感じていた息苦しさを思えば、むしろ肩の荷が下りたような軽さがあった。


「無事に事件が解決できて、私も安堵いたしました。

 では、私はこれで失礼させていただきますわ。」


改めてカーテシーを施し、部屋を去ろうとする。

しかし、背後から殿下の声がそれを引き止めた。


「待ってください。」


振り返ると、殿下は真剣な眼差しでこちらを見つめていた。


「まだ、あなたとの婚約は残っているはずです。」


「え……?」


「私は、エリザ嬢、あなたと婚約を決めました。その事実はこれからも変わりません。」


そう言うと、殿下は私の前まで歩み寄り、その場に片膝をついて、そっと手を取った。


「あなたの正義感と優しさは、そばでずっと見ていました。どんな状況でも揺るがない芯の強さも。――これからも、そばにいて支えてほしいのです。」


殿下は瑪瑙色の瞳を真っ直ぐに私に向けて、見上げてくる。


「……殿下」


「ユーリとお呼びください。

 これからも、あなたのために仕え、誠心誠意尽くすのが私の幸せですから」


真正面からそんな風に言われて、私は思わず赤面してしまう。


「_どうして、私にそこまでしてくださるのですか?」


かねてから疑問に思っていたことだった。

最初に私に声をかけてきたとき、そして共に事件の捜査をしていたとき。どうして彼はそもそも私に協力を依頼してきたのだろう。嫌疑のかかった伯爵家の家柄である自分を疑うことも出来たはずだった。


「国主たるもの、何より"人を見定める力"が重要ですから」


こうして私は彼のプロポーズを受け、正式な婚約者として王城に入ることとなった。


読んでいただきありがとうございました‼︎

少しでも気に入っていただけましたら、⭐︎評価、ブクマ感想などお待ちしております‼︎


新作や他作品も執筆してますので、

そちらも是非よろしくお願いします‼︎

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