第六話 国境の危機と危険な再会
皇帝の長恭への警戒心は、もはや隠しようもなかった。北周との戦が再燃し、皇帝は、長恭を再び最前線の死地へと送り込むことを決めた。この遠征は、長恭を戦場で亡き者とするための、皇帝の残酷な策略に他ならなかった。
長恭は、この運命を静かに受け入れ、妻に別れを告げた。彼の顔には、二度と帰らぬかもしれないという悲壮な覚悟が刻まれていた。
「鄭氏。必ず、無事に戻る。貴女と、再び……」
「わたくしは、ただ、貴方の命あらんことを願います。名誉も、地位も、何もいりません」
鄭氏は、夫の甲冑を優しく撫でた。その瞳は、悲壮な覚悟がある。
そして、長恭の副官として、蕭淵が呼び戻された。蕭淵が長恭の前に姿を現した瞬間、長恭は、己の決意の弱さを感じた。蕭淵の存在は、長恭の命への執着を、再び呼び起こした。
国境の砦。
長恭は、出陣を前に、自らの陣幕で蘭陵の面を手に取った。それは、鬼の形相をした鉄製の仮面であり、彼の美しすぎる素顔を隠し、敵の恐怖を煽るための武器だった。
「お前は、私の魂の牢獄だ」
長恭は、仮面に囁いた。
彼は、静かに仮面を装着した。その瞬間、彼の瞳の色は消え、人間としての感情が剥ぎ取られた。そこに立っているのは、もはや高長恭ではなく、血と殺意に満ちた戦神だった。
「全軍、進め! 敵を殲滅せよ!」
蘭陵王の低い号令が響き渡る。敵陣へ突進した蘭陵王は、白馬に跨り、その長槍をまるで死神の鎌のように振るった。鬼の面の下、彼の美貌は冷徹な殺意に染まっていた。
「うああああ――っ!」
蘭陵王の一閃は、敵の喉笛を正確に断ち切る。血飛沫が、彼の白い甲冑を朱に染め上げるが、蘭陵王の動きに微塵の乱れもない。彼は「敵を殺戮せよ」という皇帝の命令を遂行する機械だった。
蕭淵は、その戦神の傍らで、長恭の盾となって戦った。蕭淵の剣は、蘭陵王に近づく全ての敵を容赦なく切り裂く。彼の心は「この鬼の面の下にいる男こそ、私が命を懸けて愛する人だ」という、切ない真実を抱えていた。
蘭陵王の戦闘は、美しくも荒々しい舞踏だった。彼の槍の動きは、一切の無駄がなく、敵の絶望と、鮮血の華を咲かせ続けた。この殺戮の渦中で、蘭陵王の人間性は、完全に仮面の下に閉じ込められていた。
戦いは激しく、夜まで続いた。長恭の甲冑は、血と泥で重く、鬼の面は、敵の断末魔を吸い込んだかのように不気味に輝いていた。




