第三話 妻との夜と心の隙間
戦は北斉の圧倒的勝利に終わり、蘭陵王一行は都・鄴へと凱旋した。都の雅やかな宮廷の空気は、長恭に再び「蘭陵王」としての冷徹な仮面を被らせる。長恭は、戦場での熱情が嘘であったかのように、蕭淵との秘密の逢瀬を心の最奥に封じ込めた。
長恭は、妻・鄭氏の待つ屋敷へ帰った。鄭氏は、彼の帰還を心から喜び、優雅な笑顔で夫を迎えた。彼女の姿は、まるで乱世の濁流の中に咲く、一輪の清らかな白蓮のようだった。彼女の穏やかで落ち着いた雰囲気は、長恭にとって絶対的な安寧の場所だった。
「旦那様、お帰りなさいませ。ご無事で何よりです。戦場では、さぞお寂しかったことでしょう。これからはわたくしがお傍におりますゆえ」
鄭氏は、夫の甲冑を解き、戦場での穢れを清めるように、優しく湯浴みを勧めた。彼女の愛は、静かで包み込むような献身に満ちていた。長恭は、妻の温もりの中で安堵を覚えたが、その肌は、戦場で蕭淵と交わした激しい熱情の残滓を覚えていた。
その夜。
鄭氏は、夫の戦場での疲れを癒やすように、優しく寄り添った。長恭は、妻の愛を受け入れながらも、心の奥底で、満たされない虚無感を感じていた。
(妻の愛は、私を安息させる。だが、蕭淵の愛は、私を生かした。その違いは、あまりにも大きい)
長恭は、妻の穏やかな寝顔を見つめながら、心の奥底で満たされない虚無感を感じていた。彼は、知っていた。自分を生きた人間に戻してくれるのは、遠く離れたあの副官の、命懸けの情愛だけだと。そして、その禁断の愛が、彼にとって唯一の真実となりつつあることを、妻への罪悪感と共に、深く自覚し始めていた。




