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変に安かった中古車

 大学の長い夏休み、真夏の暑さがまだ容赦なく続いているある日曜の午後、俺と小沢は俺の狭いアパートの部屋にこもっていた。

 部屋の中はエアコンの効きが悪く、窓から差し込む陽光が床を灼き、汗が額から滴り落ちるような蒸し暑さだった。

 扇風機の羽根がゆっくりと回る音だけが、静かな部屋に不気味なリズムを刻んでいた。

 小沢は、どうしても車が欲しかった。

 彼にとって車は、大学生活の新たな自由や遠くへの旅、友達との冒険の象徴だった。

 でも、貧乏大学生の小沢には新車を買う余裕などなく、仕方なく中古車を探すことに決めた。

 俺たちはネットや中古車情報誌を読み漁った。

 パソコン画面のブルーライトが顔を照らし、汗でべたつく指でマウスをクリックするたび、情報が次々と現れる。

 しかし、どれも予算オーバーで、小沢の顔には次第に落胆の色が浮かんでいた。

 時間は午後から夕方へと移り、部屋はますます蒸し暑くなり、俺たちの忍耐も限界に近づいていた。

 そんな中、小沢が突然指を止めた。

 彼が見つけたのは、個人経営の小さな中古車販売店のサイトだった。

 そこに、5年落ちの高級ミニバンが車検2年付きで30万円ポッキリで売りに出されているのを見つけたのだ。

「30万なら、貯金でギリ買える!」小沢が目を輝かせ喜びの声を上げた。

 だが、俺は直感的に何かおかしいと思った。

 5年落ちの高級ミニバンが、こんな価格で売られるはずがない。

 サイトの写真には、ボディに軽い擦り傷や内装の汚れが少し映っていたが、全体的に状態は悪くなかった。

 人気車種なのに、なぜこんなに安いのか。

 俺は小沢に言った。

「怪しいから、これはやめておこうぜ。安すぎるよ。こんな値段だと、何か問題があるかもしれない。」

 しかし、小沢は首を振った。

「理由聞かないと分からないから、電話してみる」と言い、即座にスマホを取り出し、販売店の番号をダイヤルした。

 電話はすぐに繋がり、小沢はスマホのスピーカー機能をオンにして、通話内容を俺にも聞こえるようにした。

 中古車屋の店主は、落ち着いた声で、丁寧に答えた。

「はい、もしもし、〇〇中古車店でございます。ご用件をお聞かせください。」

 小沢が早口で質問を始めた。

「あの、サイトで見ました、5年落ちの高級ミニバン、30万円って書いてありますが、在庫まだありますか?それに、なんでこんなに安いんですか?」

 店主は穏やかに答えた。

「はい、在庫はまだございます。価格が安い理由ですが、免許返納した老人が乗っていた車で、走行距離は10万キロ近くあり、ボディに軽い擦り傷や内装に汚れが少しあるため、安く設定しております。ただ、メンテナンスはきちんとされており、老人が乗っていたため、無茶な運転はしていないので、調子は良いですよ。もし興味があれば、ぜひ見に来てください。」

 スピーカーから聞こえる店主の声は、どこか無感情に感じ、俺は背筋が寒くなった。

 小沢の顔がみるみる明るくなり、興奮で声が震えた。

「今すぐ見に行きます!」

 そう叫び電話を切ると、俺に言った。

「やったぜ!こんなチャンス、二度とないかもしれない!」と、彼は叫ぶ。

 俺は慌てて止めに入った。

「それが理由でも、5年落ちの人気の高級ミニバンが30万なんて安すぎる。やめろって!何か裏があるかもしれない!」と再度忠告した。

 だが、小沢は俺の言葉を無視した。

「うるせぇよ!お前は分からないだろうけど、俺にとってはこれが夢なんだ!買っても乗せてやらねぇぞ!!」と不機嫌に怒鳴ると、部屋を飛び出し、原チャリに乗って出かけて行ってしまった。

 ドアが閉まる音が、静かな夕方に不気味な反響を残し、俺はただ呆然と立ち尽くした。

 気まずい空気が部屋に残り、その後二週間、俺たちは会わなかった。

 その二週間、俺は妙な不安に苛まれていた。

 安すぎる車、店主の説明のどこかで引っかかる部分。

 あの電話越しの声には、どこか不自然な滑らかさがあり、まるで何かを隠しているようだった。

 あの車には、俺には分からない何かがある気がした。

 夜になると、俺はベッドで目を閉じても、その車の写真が頭に浮かび、ボディの擦り傷が徐々に広がり、内装の汚れが血のような赤に変わる幻覚を見るようになった。

 汗が冷たくベッドに染み、眠れぬ夜が続いた。

 ある日の夜、突然チャイムが鳴った。

 心臓が跳ね上がり、ドアを開けると、そこには小沢が立っていた。

 手のひらに車の鍵を振りながら、満面の笑みを浮かべていた。

「昨日納車だったんだ、見てくれよ!すげぇぜ!」と、彼は興奮していた。

 仕方なく一緒に車を見に行った。

 高級ミニバンというのはサイトで見たが、実際に見ると、30万円で手に入れたとはとても思えない美しさだった。

 ボディの軽い擦り傷や内装の汚れが、すべてピカピカに修復され、新車のように輝いていた。

 小沢は得意げに言った。「折角買ってくれるんだから、ボディの傷とか内装の汚れとか、全部サービスで綺麗にしました!ってスゲぇサービスしてくれたんだ!店主が『良い車だから、大切にしてね』って笑顔で言ってたんだ。」

 俺は複雑な気持ちだった。

 確かに車は美しかったが、なぜか背筋が寒くなった。

 店のサービスが良すぎる。

 30万円でこれほどの手間をかける理由が分からない。

 あの店主の声が、電話での説明が、頭の片隅で不気味に響いていた。

 車の内装に触れると、革のシートが冷たく、湿った感覚が指先に残り、俺は思わず手を引っ込めた。シートからかすかな、腐敗したような臭いが漂い、俺は吐き気を覚えた。

 それから数日、小沢は新しい車で遊び回っていた。

 俺も乗せようと何度も誘ってきたが、俺は理由をつけて断った。

 車に乗るたび、小沢の顔が少しずつ変わっていくのが分かった。

 最初は興奮していた目が、だんだん疲れ、どこか空虚になっていく。

 笑顔もぎこちなくなった。

 数週間経ったある夜、小沢が突然俺の部屋にやってきた。

 顔色が悪く、目が血走り、髪は汗で濡れ、服は皺だらけだった。

「やっぱりあの車、変だ」と、彼は震えながら言った。

「夜、運転してる時、バックミラーに誰かが映るんだ。けど、振り返っても誰もいない。エンジンも、時々異常にうなるみたいに音がする。俺、怖いよ…。車に乗ってる時、どこかから老人の声が聞こえるみたいで、冷たい手が肩に触れるような感覚がするんだ。」

 俺は驚いたが、冷静に言った。

「ヤバいと思うなら売った方が良いんじゃないか。早く手放さないと、もっとひどいことになるかもしれないぞ。」

 しかし、小沢は首を振った。

「どうにかしようとしたんだよ!最初にその車を買った中古車屋に買い取りを打診しようと思ったんだ。けど、行ってみたら店が無くなってて、誰もいなかった。看板が倒されてて、店舗に使ってたプレハブの中も空っぽだった。仕方なく個人売買の取引で何度か売ろうとしたけど、試乗させようとした奴みんな車を見て触った瞬間に逃げ出しやがる。買いたたかれるの覚悟で何件かの買い取り業者に書類を送って見積もりさせようとしたんだけど、書類の画像送っただけで『申し訳ありませんが、このお車は買い取りできません』って異口同音に言いやがる。なんでだよ…。」

 その日から、小沢の状態は急速に悪化していった。

 彼は夜も眠れなくなり、車から逃れられないと言った。

 車は彼を縛り付け、どこかへ連れ去ろうとしているように思えた。

 俺が忠告したことが頭をよぎり、罪悪感と恐怖で押しつぶされそうになったが、俺自身は車に近づかなかった。

 車を遠くから見るだけでも、ボディが暗闇で不気味に光り、窓ガラスに何かが映っているような錯覚を覚えた。

 ある雨の夜、小沢が消えた。

 俺のスマホに最後のメッセージが届いた。

「車が俺を連れていこうとしている。助けてくれ…。バックミラーに老人がいる。笑ってる…。助けてくれ!連れて行かれる!ヤバい!ここがどこか分からない。助けてくれ!!」

 慌てて電話して、メッセージを送ったが、それ以降小沢と一切連絡が取れなくなった。

 家まで行ったけど、例の車も無く留守のようだった。

 その足で警察署に行き、届いていたメッセージを見せた。

 警察はメッセージの内容から誰かに拉致監禁されている可能性があると判断し、捜索を開始した。

 しかし、小沢も車も見つからなかった。

 警察は郊外の中古車屋の跡地を捜索し、何か手がかりを見つけたようだったが、詳細は伏せられ、俺には一切教えてもらえなかった。

 今も、俺はあの日のことを思い出すたび、寒気がする。

 あの30万円の車は、やはり普通の車ではなかった。

 姿を消した中古車販売店の店主が誰だったのか、なぜそんな価格で車を売ったのか、どんな曰く付きの車だったのか、すべてが謎のままだ。

 小沢はどこかで、車に閉じ込められたまま彷徨っているのかもしれない。

 もし君が、異常に安い中古車を見つけたら、絶対に手を出すな。

 それは、何か特別な事情があって、その価格になっているかも知れないのだから。


VTuberをやらせていただいています、言乃葉 千夜と申します。

この物語は、私のYouTubeチャンネル「言乃葉の館」で朗読用に作ったホラーストーリーです。


YouTubeチャンネル→https://t.co/UBdBrzvOYa

この物語の動画→https://youtu.be/cIKRsFsvZ2U


もし、この物語がお気に召されましたら、是非動画もご覧くださいませ!

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