08 嘆きのグレース
エヴァンス校長の花嫁学校は再び開校した。だがネオアマリリス花嫁学校という名称は認められなかった。エヴァンス校長に72時間やりこめられた大蔵大臣と家庭庁長官はなにもかもエヴァンスの希望通りになっていくのが我慢ならず、学校名称だけでもエヴァンスに反抗した形になったのだ。
新しい学校名は「王立ユーチャリス花嫁学校」。
長官と大臣には気の毒だが、国名を冠した学校名になって、かえってエヴァンスは上機嫌だ。
エヴァンスは学校警備の軍人配置の予算も勝ち取り、今では敷地の周りに常時10人ほどの兵が配置されている。
再開した授業はやはり実技重視だ。
「押し売り撃退法」「農業体験芋ほり授業」と言うようなまあ普通かな……?と言うようなものから、おなじみ館シリーズ「ゴシック館幽霊退治授業」やいつか来るかな……と予想のあった「因習村殺人事件授業」もあった。グレースたちは入学当初より、日に焼け、筋力もついた。「花嫁学校でお勉強してまいりましたのよ」といった風情とは真逆な雰囲気になっていたが、これはこれで若々しい健康的な美しさだ。日夜努力して入学から2か月半、卒業まではあと半月だ。
今日の授業は刺繍。実戦型、ロールプレイング型の授業の合間には、こういうまともなものもあるにはある。手芸室で優美に刺繍針を動かしながら、3人娘はおしゃべりに花を咲かせていた。
「昨日の火の輪くぐりは怖かったわよね……」
「そうよねえ。サーカス団が来たからてっきり娯楽タイムを設けてくれたのかと思ったわよね。甘かったわ。私たち」
「いつ何時、貴族の身分を隠してサーカス団に身を隠す事態が起こるかかわかりませんなんて……。まずなさそうよね」
「わたくし! 先週の【いろいろ難しい性格の隣の領主夫人との友好的なつきあい方】が大変でございました!いろいろ難しい性格の隣の領主夫人のお役がエヴァンス校長……。もう恐ろしくて恐ろしくて!」
「でも私たちはこれで隣の領主夫人がどんな人でも対応できるわよね!」
「隣がエヴァンス校長じゃなければね!」
「うわあ。やめて~」
「ところで、ジェーン、グレース。ウォーレン卿とチェスター卿にはお手紙のお返事は書いている?」
入学1か月目のあの顔合わせと泥棒騒ぎの日以来、3人とも婚約者には会っていない。手紙での清く正しいお付き合いを続けているのだ。
「もちろんでございます! わたくし最近読んだ小説のことを逐一報告しています! ウォーレン卿は大層興味を持ってくださって! 嬉しい限りでございます!」
「私はこの学校のことを毎日書いているわ。ほら、ここってかなり特殊な授業じゃない?アンドリュー様は私の手紙を読んで毎回すごくびっくりしているみたい。そりゃびっくりするわよねえ……。昨日は火の輪くぐり授業のことを書いたわ!」
「あっ! そう言えば! チェスター卿は大変でしたね!でもお怪我が大したことなくてなによりでした!」
「そうそうワイバーン討伐隊で出られていたのよね。グレース心配だったでしょう」
「え……ワイバーン? 討伐? 怪我……?」
「ええ。北方連隊が行ったでしょ……何匹も人食いワイバーンが出て大変だったみたいよ」
「アンドリュー様は!?怪我は?どんななのっ!?」
「肩を怪我されたみたいだけどそんなにひどくはなかったと昨日軍属の叔父から……。知らなかったの?」
「聞いてないわ……私聞いてないっ! 無事なの?! 本当にご無事なのっ?!」
「ウォーレン様からも軽傷だったと聞いてますよ。もう通常勤務に戻っているとか。警察関係からの情報なので確かです!」
グレースは手芸部屋を飛び出した。
ひどいひどい。
私への手紙には演習だって書いていたじゃない。
それが危険なワイバーン討伐だったなんて!
しかもケガしてたくせにそれも隠して!
なんで教えてくれなかったの?
私は婚約者なのに!
きっと心配かけたくなかったとかいう理由なんだわ。
でもそれは違うじゃない。
家族になるんだから喜びだけじゃなくて心配事や悩みや苦しみや悲しみも共有しなければいけないのではないの……?
グレースはペンを執った。
『アンドリュー様
お怪我をなさったことをセーラとジェーンから聞きました。
軽傷とのことでほっとしています。
アンドリュー様にお願いがあります。
私に貴方のことを教えてください。
良いことだけでなく、お辛いことや心配事や危険なお仕事やケガや病気も教えてください。
軍のお仕事上言えないことはおありでしょう。
でもそれ以外はどうぞ私に教えてください。
ワイバーン討伐のこともケガをしたことも貴方はなにも私に教えてくださいませんでした。
きっと心配をかけたくないとの思いからのことだとは想像できます。
あなたは本当にお優しいもの。
でも逆を考えてください。
私がもし貴方に心配をかけたくないとの理由で辛いこと、悲しいこと、命に関わることを内緒にしていたら、貴方はどんなお気持ちになりますか?
私は先ほどとても寂しく悲しく情けない気持ちになりました。
私は結婚したら夫婦で喜びも心配も苦しみも共有したいのです。
アンドリュー様を心からお慕いしております。
グレースより』
メイドに手紙を出すよう頼むとグレースの目からは涙がこぼれ落ちた。
アンドリュー様……
ワイバーン怖かったでしょうね……
怪我……痛かったでしょうね……
傍にいたかった……労って差し上げたかった……
生きていてくれてよかった……
グレースは声を立てず、静かに泣き続けた。