003
ノアさんの家は、古い本の匂いがする。
そこかしこに本が積み上げられていて、人が住む部屋というよりは書庫といった感じだ。
窓際には文机が置かれていて、金属製の様々な道具が置かれている。ノアさんはそこで作業をしていたようだった。
飛び込んできた僕を見て、彼は何も言わずにお茶と木の実の焼き菓子を出してくれた。ありがたくいただく。
さくりとした軽い歯触りと、ほのかな甘み。美味しい。
この村に来てから張りつめていたものが、ほっと抜けていく感じがした。
作業をして背中を向けているノアさんに声をかける。
「……ごちそうさま」
「どういたしまして。おかわりはいるかな?」
「大丈夫。ああ、そうだ──これ」
油紙で包んだ本を取り出し、差し出す。振り返ったノアさんは本を見て微笑む。
「ありがとう。今は手が離せないから、その辺に置いておいてくれるかい?」
「うん、わかった」
本の虫のノアさんだが、この村にはあまり同士がいないらしい。
そのため借りた本を返すと、必ずと言っていいほど感想を聞かれ、さらに詳しい解説が始まるのだが……。
どうやら今日作っているものはそのことより重要らしい。それに興味がわいた僕は後ろから覗き込む。
「なに作ってるの?」
「うん? ──ああ、ちょっとしたおまじないみたいなものさ」
ノアさんの手にあるのは、綺麗に透き通った若草色をした宝石のようだ。光にかざすときらりと輝く。
不思議な輝きだった。光が宝石の中で幾重にも折りたたまれて、花のように開いて。見る角度を変えるたびに光の花は姿を変える。
僕は思わず見とれてしまった。ノアさんは軽く微笑むと、金色の針のような器具を取り出し、慎重に宝石にあてがった。
次の瞬間、つぷりと水に沈み込むように金の針が宝石に吸い込まれた。
思わず息をのむ僕を傍らに、滑らかに金の針先が踊る。じっと見ている間に、どうやら作業が終わったようだ。
ゆっくりと針が引き上げられる。宝石の外側には何の傷も跡も残っていない。
ただ、宝石を覗き込むと、きらりと金色の模様が輝く。僕はほうっと息を漏らし、つぶやいた。
「……魔術紋の付与?」
「ご名答。リオは初めて見たんだっけ?」
魔術には触媒と、その現象を引き起こすための術式が必要になる。
術式は《アッシュファイア》の魔術のように単純なものなら、記憶してしまえば頭の中でも組み上げられる。でも高度な術になるほど、より複雑になり発動させるのに必要な時間も多くなる。それらを解決する手段として編み出されたのがこの魔術紋だった。
術式を補助具や触媒自体に刻み付けてしまい、組み上げる工程を省く。そうすることで発動は格段に速くなるし、術者の練度が高くなくても使えるようになるのだ。でも、多くの魔術師は人にその術式を見せることを嫌う。こうして刻み付けるところを見せてくれたのは、ノアさんらしい。
出来上がった宝石はペンダントの台座にはめ込まれ、しっかりと固定される。とても綺麗な仕事だった。
「よし、っと。これで完成」
「ノアさん、何の魔術を刻んだの?」
「刻み込んだのは《保護》の術式だよ。……僕の技術だとそんなに強い効果ではないんだけれどね。それでもちょっとくらいの衝撃なんかは防いでくれて、身に着けた人を守るはずさ。必要な魔力量は極力抑えたから、誰にでも使えると思う」
「へえぇ……すごいや。だれに頼まれて作ったの?」
出来上がった《保護》のペンダントを眺めながら僕は尋ねる。でも返事がない。
ふとノアさんの方を見ると、困ったような顔をして頬を掻いている。そらされた若草色の瞳は落ち着きがなくて──『若草色』?
思わず、あっと声がこぼれる。意中の相手に自分の瞳の色の入ったアクセサリーを贈る。この村の習わしだった。
「これ、もしかして母さんに?」
「う、うん。いつもシェルビーには世話になってるし、日ごろの感謝も込めて……」
「それだけ?」
「……リオ、あんまり大人をからかうんじゃないよ」
背中を丸め、ぼそぼそと呟くノアさんの赤くなった顔を見て、僕は思わず笑ってしまった。