001
連続投稿ここまで……!
「──リオ、起きなさい。朝ごはんよ」
その日の目覚めは、いつもと変わらず穏やかだった。
優しい声、揺さぶられる感覚。鼻先をくすぐる、鍋の煮えるいい匂い。
まだ少し眠いけれど、起きなきゃ。そう思ったとたんに、ぐうとお腹が鳴る。笑い声。
目をこすりながら、僕は体をゆっくりと起こした。
「もう、リオったら。お腹の虫のほうが先に起きるのね」
「……おはよう、母さん」
「ほら、早く起きて顔でも洗ってらっしゃい。今日は村まで行くんだから」
母さんは笑いながら、僕から布団をはぎ取った。冷えた空気が肌を刺す。
僕はぶるりと体を震わせて、毛皮の上着をシャツの上から羽織り、囲炉裏に向かう。
炉の端に溜まった灰を手のひらに掬い、扉を開けて外に出た。木々の間から覗く空はまだ暗い。
この家は村から離れた森の中にあるため、往復を考えるとこの時間に起きないといけないのだが、やはり寒い。
白い息を吐きながら、家の外に積んである薪を拾い、灰を擦り付ける。
集中。先ほど灰を擦り付けた部分に手をかざしながら呟く。
「──《アッシュファイア》」
瞬間、ぼう、っと薪が燃え上がり、火がともった。あたりが明るくなり、温かくなる。
魔術はやはり便利だ。触媒と魔力。この二つさえあれば、こうして火を起こせる。
即席の松明をかざし、裏手の小川に向かう。流れは緩やかで、覗き込んだ僕の顔を映していた。
今は亡き父さんによく似たのだという顔と、母さん譲りの栗色の髪。そして深い、青色の瞳。
いつもと変わらないその瞳の色を見て、僕は軽くため息をつく。
──青い瞳は魔を映す。けして目を合わせるな。
そういう古い言い伝えがある。僕ら親子が二人きりで、こんな村から離れた場所に住んでいるのもそのせいだった。
自分の目を見るたびに、母さんと同じ琥珀色の目だったなら、少しは生きやすくなっていたのだろうか? ……そう考える。
考えても仕方のないことだ。軽く頭を振って余計な考えを振り落とすと、流れる小川に手を差し入れて顔を洗い、まだ少し余っていた灰で歯を磨く。
洗い終える頃にはさっぱりと目が覚めていた。家に戻ろうとした、その時。
「……うん?」
何か、森の奥にかすかな違和感を感じた。
そちらの方に目を凝らしても、ただ静かに夜闇が広がっているばかりだ。
小さな不安を感じる。胸の底がうずくような、肌が粟立つような……。
「──リオ? どうしたの? なにかあった?」
家の中から呼びかける母さんの声にハッとした。気が付けばだいぶ体が冷え込んでいる。
先ほど感じた違和感も、すでに消えてしまっていた。……気のせいだったのだろうか?
「リオ―?」
「大丈夫、なんでもないよ」
「そう? 御飯、もうできてるわよー」
「はあい、すぐ行くよ」
家に戻ると、母さんがシチューを皿によそってくれていた。芋と肉が入っている。
思わず歓声を上げ、ぐうっと大きくお腹が鳴った。また母さんが笑っている。
「肉だ! いいの?」
「ええ、今日村で交換して帰ってくる予定だから。ちょっと贅沢しちゃいましょ」
「やった! いただきまーす」
熱いから気をつけなさい、という母さんの声を聞き流しながら、早速さじに肉を載せ、口の中に放り込む。
冷たい空気にさらされていた体に、熱が沁みとおっていく。はふはふと、ゆっくり口の中で冷ましながら、柔らかく煮えた肉を味わう。
火の通った身がほろりとほぐれて、口の中にうま味が広がっていく。美味しい。
「もう、行儀が悪いんだから……。ちゃんと準備はできてるの?」
「うん、大丈夫」
「ノアさんの本は?」
「あー、忘れてた。後で荷物に入れるよ」
ノアさんは村に住んでいる若い魔術師だ。優しい人で、青い瞳の僕にも良くしてくれている。
先ほどの《アッシュファイア》の魔術を教えてくれたのもノアさんだ。その彼から、すっかり本を借りたのを忘れてしまっていた。
「こーら、本はとっても高いんだからね? ノアさんは優しいけど、それに甘えちゃだめでしょう?」
「はーい」
母さんの小言をあしらいつつ、最後の肉をさじですくった。──やっぱり美味しい。名残惜しくて何度も噛みしめる。
まったくもう、とため息をつきながら母さんもシチューを口に運んでいる。その唇には、薄く紅が差してあった。
ノアさんと会う日はいつもこうだ。……かなりわかりやすい、と子供の僕でも思う。
「ごちそうさま。──今日は頑張らないとね? 母さん」
「そうねー、少し荷物は重いけど、リオもいるから助かるわ」
「……うん。今日持っていくのは?」
「ええと、3番と7番、それから11番かしら。収穫祭の時期だから」
返答に軽くため息をつきながらうなづく僕に、母さんは淀みなく答える。
母さんは薬師であり、番号は薬草を調合して作られた薬の名前だ。3番は傷薬で、7番は風邪などに効果のある常備薬。11番は 二日酔いに効く薬である。収穫祭で羽目を外したい大人たちには欠かせない薬のようだった。お酒かあ……美味しいんだろうか?
薬品棚を開けて言われた薬を取り出し、背負子に入れて準備を進めていく。忘れずに借りた本も油紙で包みなおして詰める。
母さんも食器類を片付け、支度を終わらせたみたいだ。囲炉裏の火を消して戸締りをする。
「それじゃあ、出ましょうか。忘れ物は無い?」
「大丈夫。心配いらないって」
背負子を背負う。少し重い。その分だけ母さんの力になっているのだと考えると、苦にはならない。
《アッシュファイア》でランタンに火を入れ、二人で掲げる。まだ暗いが、今から向かえば昼頃には着くだろうか。
「ほんと、便利ねえ、それ。今度母さんも教えてもらおうかな」
「借りてきた本、面倒だからって全然読まなかったじゃないか」
「なによー、その言い方は。母さんだって本気出したらすごいんだから」
「はいはい、分かったって。……まあ、ノアさんなら喜んで教えてくれると思うけど」
そんな軽口をたたきあいながら、僕たちは村へと歩き出した。
ちょっぴり多く、肉がもらえると嬉しいな。ノアさんから、新しい本も借りれるかな。
そんなちょっとした楽しみを考える。さあ、一日の始まりだ。
まだ物語の骨格も見えてきていない段階ですが、ご感想など頂けると励みになります…!
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