8.祝言の席
与兵衛が祝言の膳に加えたのは、湯気を立てるうなぎのかば焼きだった。江戸では流行というが、一昔前は、泥の中にすむこともあって下等な食べ物とみなされ、また、腹をさばいて焼く調理法が割腹を連想させるため、士分では避ける家も多かった。玄順にはなじみの薄い料理である。
「近頃、御城下にもうなぎを出す店ができまして、一度我が家でも取ってみたのですが、これが実に味がよく、精もつくのです」
あっけにとられる一堂に、与兵衛はあくまで穏やかな笑顔で話しかけた。
「もちろん、お武家様の晴れの席にお出しするというので、この魚は背から開かせました。背を見せ逃げる敵を打ちもらさぬというのは、お武家の誉れにございましょう」
「なるほど然り。そうであれば、我々が食うても差し支えぬな」
家老の広野は相好を崩した。厳めしいようでいて実は新しいもの好きのこの家老は、評判の魚料理についてあらかじめ聞き及んでいたようであった。
「この、しょうゆとみりんにあわさって、魚の脂が焦げる香りはたまらんのう。山椒もかぐわしい」
「お目が高うございます。うなぎの旬はまさに今、秋の終わりなのだそうです。冬ごもりのために多く餌を食べて身に脂を蓄え、滋養が増すのだとか。この魚を食することで、夜目がよくきくようになると、お江戸では評判なのだそうですよ。よめによい、というのは、御城下を守るお武家の皆様にも、祝言の席にもふさわしいと存じました」
「うまく言ったな。なに、祝言の定番、鯛もよいが、たまには目先のかわった膳もよいではないか。のう」
広野が言えば、傍らに控えたお内儀も口元を袖で隠して微笑む。この老夫妻が、お忍びで少々くだけた町方の楽しみを好んでいることも、与兵衛はあらかじめ調べ尽くしていたようだった。
「しかし、まだ湯気が立っておるな。ここの七輪で焼かせたのか? 堅物の高階の家にしては、粋じゃの」
不審がる広野に、与兵衛は平伏して答えた。
「うなぎは、ぬるぬると捉えどころがなく、骨の多いわりに身のやわらかい魚にございます。さばくのにも、焼くのにも、いささかの修練が要りますゆえ、本日は御城下の店に作らせました」
「こんなに熱いままで持ってこられるものかね。冷めるとうまくないと聞いたが、店に大っぴらに足を運ぶのも気が引けたゆえ、某はまだ試していなかったのだが」
好奇心をくすぐられたように、広野が膝を進める。
心得たように、与兵衛の斜め後ろに控えていた耕太郎が、与兵衛の手もとに風呂敷包みを差し出すのが、玄順の目に止まった。
与兵衛は小さくうなずいた。
「御前、失礼いたします。こちらを」
風呂敷包みを広野の前に持って行き、開いて見せた。
「こうして、熱くしたおからを敷き詰めた重箱に詰めて持って参るのです。蓋を開けねば、かなりの間、焼き立てのように熱いままで持ち運ぶことができます」
「ほう」
「上方の商家では、おからのことを『きらず』と申すのですよ。倉や勘定箱がからでは格好がつきませぬゆえ、験を担いで言うのです。ですから、熱い心持ちを、縁を切らずに詰めて持って参るというのもまた、ご祝言にはもってこいかと」
「やるな、平松屋」
「恐れ入ります」
とんち話に相好を崩した広野に、平松屋は深く頭を下げてから言った。
「お褒めのお言葉にあずかりまして、今しばらく、ご祝言に験のよいお話をしても差し支えありませんか」
「許そう。熱いうちがよい、うなぎで一杯やりながら聞こうではないか」
この席では、広野がもっとも格上である。彼がこう言ってしまえば、三々九度が先ではないのかと咎められるものは誰もいない。唯一、広野の妻女だけが居心地悪そうに辺りを見回したが、諦めたように座り直した。
「このほど、平松屋では、お宇乃を嫁に出すにあたりまして、別に長崎に預けておった娘を改めて引き取ったのでございます。その娘が聞いた話でございます」
「ほう?」
「とある娘が、料理茶屋に女中奉公しておりました。名は、そうですね、仮に、七重といたしましょう。この娘は、もとはある藩の藩士の娘、由緒正しい武家の家柄でしたが、御家騒動に巻き込まれ、通らぬ横やりを通された結果、忠義の両親を失って借金まで背負わされ、女中奉公に身を落としてしまったのでございます」
ごくり、と、玄順の斜め後ろで、清順が息をのむ気配が感じられた。
「七重は両親の教えをよく守る忠義者の娘でございました。住むところと仕事を与えてくれた奉公先に報いようと、人の嫌がる仕事も努めて行い、店のお内儀の覚えもよく大層かわいがられておったそうです」
「まあ」
読本のような与兵衛の語り口に、思わずといったように、広野の妻が相づちを打った。このご内儀も、城下で大流行りの江戸下りの物語に夢中になっている手合いの一人らしい。
「こうした立派な心ばえのお女中には、やがて、深く思い合うお相手ができたのだとか。長崎に遊学に来られていた、さる藩の医家のご子息です。ご子息はほどなく、遊学の年季が明けて藩に戻られる運びになりました。ですが、このお二人はどうやら、神仏のお引き合わせたご縁であったのでございましょう――」
座敷の中が、水を打ったように静かになった。与兵衛の言葉に、何事かを感じ始めたのだ。