5.七重とお宇乃
しっかり膳の物を平らげたのもさることながら、何よりも、憂いの種を耕太郎にひとまず預けた格好になったので、肩の荷がおりたらしい。お宇乃は、見違えるように顔色もよくなった。そうなれば、生来のぴんしゃんした気丈な性質が顔をのぞかせる。
もちろん、まだまだ全快とはいかないが、少しの時間くらい用を任せても問題ないだろうと、耕太郎は判断した。
「ええっ、清兄様の意中の方が? うちにいらっしゃるの?」
耕太郎が、高階家でのできごとをざっと説くと、お宇乃はきらきらと目を輝かせた。
「どんな方? 清兄様、器量望みのところがおありですもの。さぞやおきれいな方でしょうねえ。大人っぽくて、おしとやかで品のある方がお好きなのよね。わあ、お目にかかってみたいわ」
完全に野次馬根性である。父の心、子知らずとはよく言ったものだ、と内心苦笑しつつ、耕太郎は話を進めた。
「お宇乃さんには、七重さんを力づけてやってほしいのです。お腹の赤子のこともこれからのことも案じていらっしゃるでしょうが、心配しすぎるのはお子にもよくありませんからね。それから、できるだけ細かく、七重さんの身の上を聞き出してください」
「どうして?」
「七重さんを頭から疑うわけではありませんが、長崎は遠すぎる。本当に清順様のおっしゃる通りの方かどうか、簡単に鵜呑みにするわけには参りません」
「うーん。清兄様だもの、おきれいな方に優しくされたらぽうっとしちゃうかもね。そしたら、お相手のお話を兄様の思いたいように合点してしまうことはあるかも」
「そうですね」
耕太郎は吹き出しかかって、必死でこらえた。友人も、この娘に掛かっては形無しだ。
「ですから、清順様を通さず、七重さんの口から直に聞いて、それを、別の方面から確かめたいのです。長崎の知り合いに文を送って、少し尋ね歩いてもらえば、わかると思います」
「わかった。七重さんが、ご自分が疑われてるなんていらぬ心配をしないように、さりげなく聞き出せばいいのね?」
「お宇乃さんは察しが早くて助かります。それから、薬種問屋のお仕事を色々、お話ししてさしあげてください。気がまぎれるでしょうから」
「わかったわ。あたし、七重さんのいいお友達になれるようにがんばる! 長崎って、すごーくすごく、遠いのでしょ。そんなところから、身重の身体でわざわざ清兄様を追ってこられるなんてすごいことだわ。実のある方でなくては、おいそれとできないんじゃないかしら」
うっとりと目をうるませている。
江戸で流行りの貸本屋は、近頃、この城下でも引っ張りだこの人気商売になっていた。江戸で用済みになった滑稽本や人情本を、本屋が日極で貸して歩くのだ。返す日になると、また次の本を持ってくる。うまい商売で、お宇乃も夢中になって、惚れた腫れたの物語を小遣いで借りては、女中たちと楽しんでいたらしい。そんな恋物語の女主人公に、女だてらに想い人を追って長旅をしてきた七重を重ねているようだった。
いささか方向性がずれているような気もしたが、かえってその方が、七重も構えずに接することができるやもしれぬ、と耕太郎は思い直した。
何といっても、お宇乃には相手の心をなごませ、ほぐして、ぱっと明るくするような、生来の魅力がある。おいそれと出歩くわけにはいかない七重にとって、うってつけの話し相手と言えるだろう。それに、七重の部屋に出入りする女中は最低限にしておきたい。
「こういうことに男は無力です。お宇乃さんが頼りですから、お願いします」
そう言った耕太郎に、お宇乃は久方ぶりの晴れやかな笑顔を見せた。
◇
数日のうちに、お宇乃はすっかり七重と打ち解けてしまった。
追ってきた恋人の許嫁の家に世話になるということに、七重はひどく遠慮して、気がつくなり出ていこうとした。それを引き留めたのはお宇乃だった。
「ダメよ。あたし、本当は旦那様なんかよりお姉様が欲しかったのですもの。神仏のお導きだわ。七重お姉様の身の振りかたが決まるまでは、どうでもこの家にいてくださらなくっちゃ」
無邪気に言って甘えられては、七重もしようがなかったらしい。
怒ると思っていた恋人の許嫁がまるで子どもっぽいことばかり言って慕ってくるのでは、調子も狂うだろう。
べったり張り付かれ、やれ髪を洗うの、旅の汚れを落とすのといって世話を焼かれる。あれこれ着物をあてがっては、お宇乃の着物は子どもっぽくてどれも似合わない、と、お宇乃の母親の形見の着物まで引っ張り出してきて、着せ替え人形よろしく着替えさせられる。挙句の果てに、七重が着てきた着物は首尾よく洗い張りに出されてしまった。
そうなっては、義理堅い七重も、借りて着たものをそのままに去るわけにもいかなくなってしまったようだった。
そうこうして、お宇乃にあれこれよしないことを話しかけられているうちに、初めは重かった七重の口もゆるんできたらしい。
お宇乃は、七重から二親の身元はおろか、主筋のお家騒動に巻き込まれ、両親が失意のうちに命をおとした顛末、借金を返すために女中として料理茶屋に身を寄せざるを得なくなった事情まで、洗いざらい聞き出してしまった。
その借金はと言えば、給金の中からどうにかこつこつと貯めていた分に、清順が渡していった幾ばくかの金子を合わせて、長崎を発つ直前に、半分以上を返すことができたのだという。いささか足りない分は、子ができたという事情を知った奉公先のお内儀が不憫がって肩代わりしてくれ、返済はしばし待つと言ってくれたことで、年季明けを無理やり早め、清順を追って旅立ったらしい。
そんな委細を、お宇乃は娘らしい好奇心と見せかけて聞き集め、その場ではさして細かいことには興味もない素振りをしながら、後で全て書付にして耕太郎の元に持ってきた。
具体的な場所や人の名を漏らさず押さえた、完璧な聞き書きに、耕太郎も舌を巻いた。七重の両親の菩提寺まで書き留めてある。身元を確認するのには大いに役立つだろうと思われた。
「お宇乃さんにかような才がおありとは、全く気づきませんでした。敏腕の女目明しにもなれそうですね」
「あら、大したことじゃないでしょう。聞いたことをきちんと覚えて帳面につけるのは、商家の人間なら誰でもやっていることだわ。あたしもお店のお役に立ちたくて、手習いをたくさんしたもの」
お宇乃はそう言って謙遜しつつも、ほめられて気をよくしたように胸を張ったものである。