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春来たりなば梅雨遠からじ

作者: ふぉりす

 4月下旬、朝からカラっとした良い天気の金曜日。

 春眠暁を覚えずとはよく言うが、今年社会人になったばかりの天木(あまぎ)(まこと)にそんなゆるい気持ちはまだ芽生えず、朝から緊張した面持ちでいつも通り出勤していた。

 天気が良くとも平日である。せいぜい通勤途中に雨が降らなくて良かったと思う程度である。

 暦の上では明日から大型連休(ゴールデンウイーク)。誠が勤務する会社は製造業が中心のグループ会社のため連休の合間の平日も全社休業となる。

 そのくせ誠が入社したグループの一社は事務が主体なので休日の作業はないため、きちんと週休二日制のカレンダー通りという、なんとも(ゆる)い会社だった。

(と思っていた頃が俺にもありました……)

 他の友人の話を聞けば確かに誠の会社は休日が多い。しかし入社してひと月も経たないうちに毎日残業させられるというのは珍しい。

 ブラックじゃないかと友人に疑われたりもしたが、きちんと残業代は支給されるし、休日まで働かされることはないと職場の先輩達が教えてくれた。

(とはいえ、こう毎日終電近くまで残業続きだとキツイなぁ)

 最初の2週間の研修の間はきちんと定時に終了していた。しかし研修が終われば手のひらを返したように毎日帰りが遅く、あっという間に身も心もヘトヘトになっていった。

 あまりにも仕事が忙しく、家には帰ってもシャワーを浴びて寝るだけの毎日。

 明日から連休が始まるというのに何も予定は立てられていなかった。

()()に帰って顔くらい見せた方が良いかな)

 誠は()()という言葉に多少の引っ掛かりを覚えつつも、いつも優しく時には厳しく接してくれた優しい家族の顔を思い浮かべ、帰るなら何日(いつ)がいいだろうかと考えていた。


 すでにいくつかの店がローテーションとなりつつある中で、今日は駅前にある24時間営業のファーストフード店で牛丼を食べた。

 そこから人気の少なくなった街をただひたすら歩いて自宅としている賃貸マンションにたどり着く。

 マンションからの最寄り駅は東西に2路線あるが、どちらも片道徒歩20分から30分と遠い。

 ここからだと自転車を使う人も多く、マンションの駐輪場はスポーツタイプから子供を乗せられるタイプまで様々な形の自転車が停まっている。

 誠も引っ越してきてすぐに自転車の購入を考えたが、基本的に事務仕事が多いので運動不足を解消するために歩くと決めていた。

 そうしてわずかに残った気力と有り余る体力で家に着く頃には、日付が変わるギリギリ手前というのがいつものパターンだった。

 このマンションは全室が賃貸だが、低層階は主に独身向けの1DK。高層階は部屋数の多い家族向けで構成されている。

 そしてマンションのベランダ側は一方通行だが、そこそこ車通りの多い道路に面しているため1階にコンビニがあり、マンションの周囲は常に明るかった。

 時折(ときお)()()()()そうな学生がたむろしていることもあるが、住民の入り口はコンビニとは反対側の裏手になっているので気にすることもない。

 入り口のオートロックに無線式の鍵を近づけて開くと、テーブルとソファーが申し訳程度に設置された小さなエントランスホールを抜けエレベーターで5階に上がる。

 さすがにこの時間は誰とも顔を合わすこともなく、誠は自分の部屋の前に辿り着いた。

「へ?」

 まるでアニメか漫画かと思うような声が誠の口から洩れた。

 驚きすぎると変な声が出るもんだなと、誠の頭の冷静な部分がまるで他人事のように考える。

 マンションの廊下には同じデザインの扉が5つ並んでいて、手前から501、502と並んでいる。

 誠の部屋はその奥から2番目、504号室なのだが……。

 なぜか504号室の玄関扉の前にクリーム色の丸っこいスーツケースが置いてあり、スーツケースの向こう側に白いロングコートを着た誰かが丸まって座り込んでいた。

(5階で合ってるよな、部屋もあってるよな。そんなアニメみたいな展開あるか?)

 ひとつ手前の部屋のプレートを見ると503号室と書いてある。であれば誰かが座り込んでる部屋は間違いなく誠が借りている504号室だ。

 今日誰かが訪ねてくるという予定も入っていない。そもそもこっちに来てからそんな知り合いはいないしな。

 家出少女が家の前で待っていたという、最近通勤電車の中で読んだWEB小説を思い出したりしたが、そんなこと現実に起こるはずないと頭を振って妄想を追い出す。

「あの、ここ俺の家なんですけど」

 どちらにせよ玄関扉の前に座り込まれていたら家に入れない。

 誠は意を決して座り込む女性(近づいてみると綺麗な艶の長い黒髪だった)に声をかけた。

「うぅぅん、まあくん?」

「えっ、千夜(ちや)(ねえ)?」

 ひと月ほど前まで毎日聞いていた声が耳に届き、その女性(ひと)の顔と仕草を強烈に記憶に蘇る。

 コートの女性はもぞもぞと顔をあげると、とろんと呆けた表情で見下ろす誠の顔を見上げた。

「やっと帰ってきたぁ。待ちくたびれちゃったよ」

 共働きの両親に代わって、学生の頃からいつも朝早く起きて家族全員の弁当を作ってくれていた優しい姉がそこにいた。

 とはいえ、こんなに緩んだ顔の姉は記憶の中にもあまりなかったが。

「ど、どうしたの千夜姉!?」

 千夜が来るという連絡は受けていないはず。というより、実家を出てから忙しさにかまけて、あまり家族と連絡を取っていなかった事を思い出す。

「まあ君がぜんっぜん連絡くれないから、会いに来ちゃった」

 ()()()と笑う千夜の様子に、千夜姉ってこんな感じだったっけ、と疑問を浮かべる。

「いつからそこにいたの? とにかく入ってよ。って、手めっちゃ冷たいよ」

 千夜を立たせようと手を取ると驚くほど冷たくなっていた。

 4月も下旬とはいえ夜になればそこそこ冷える。

 薄いコートを羽織っているだけでは、大した防寒機能もなかっただろう。

「ごめんね」

「謝ることじゃないけど」

 慌てて玄関の鍵を開けて押し込むように千夜を先に中へ通すと、脇にあったスーツケースも忘れずに引き込んだ。

「上がって上がって、すぐに暖房付けるから」

 玄関口で立ちすくんでいる千夜を追い立てるように部屋に入ると、千夜は物珍しそうにきょろきょろと部屋を見渡している。

「へぇ、けっこう綺麗にしてるんだね」

「あはは、何もないっていうのが正解かな」

 誠は苦笑しながら千夜のお褒めの言葉に答えた。

 低層階の1DKは玄関を入ると手前にダイニングキッチン、奥にフローリングの洋室がある。誠はその洋室にシングルのベッドと衣装棚を置いて寝室として使っていた。

 ダイニングキッチンには小さな一人掛けのテーブルセットを置いてみたが、今のところこれを使う機会は少なかった。

 日頃から片付けていたと言えば聞こえはいいが、実際には忙しくて散らかす時間もあまりなかったというのが正直なところだ。

 食事は外食だし、休日となれば掃除に洗濯。

 洗濯は隣のマンションの1階にあるコインランドリーを利用するので洗濯機もまだ買っていなかった。

 買い物も必要最小限しかできず、家財道具もほとんど揃えていない。

 誠の家で唯一出番が多いのは電子レンジとほとんど飲み物ばかりの冷蔵庫くらいだ。

 なかなかハードなひと月だったと改めて思い返し、上京してきたのに結局仕事しかしていなかったと少々物悲しくなった。

 誠はいつものようにキッチンの小さなテーブルに置いてあったエアコンのリモコンを操作して暖房モードのスイッチを入れる。

 備え付けのエアコンは少々古く、すぐには暖かい風を出してはくれない。

 二人ともコートを着たまま立ったままで、改めてお互いの顔を確認しあった。

「千夜姉、急にどうしたの?」

「だって、まあ君がぜんぜん連絡くれないんだもん。お姉ちゃんは心配で来ちゃいました」

 千夜は漫画だったら『えっへん』といった効果音が付きそうなくらいのドヤ顔でふんわりと笑う。

 その仕草にやっぱり千夜姉だという安心感と、俺はまだ子ども扱いなのかという無力感の両方を味わいながら誠は改めて苦笑する。

 誠が千夜の弟になったあの日から、ずっと優しい笑顔と思いもよらぬ行動力に驚かされて助けられてきた。

「ちゃんと義父(とお)さんと義母(かあ)さんには言って出てきたの?」

「もちろん! (とお)さんも(かあ)さんも(こころよ)く送り出してくれたわよ」

「ほんとかなぁ……」

 両親は共働きのために普段は子供達の面倒を見る時間が限られている。その分、休日ともなればあっちへ出かけたり、こっちへ買い物に行ったりと週末はいつも忙しく連れまわされたものだ。

 子供達は大学生になっても社会人になっても変わっていなかったので、そんな両親が大型連休に千夜を手放すというのは(にわ)かに信じがたいものがあった。

「ほんとほんと。だからね、ゴールデンウイークの間ここに泊めてね」

「え、ずっといるの?」

「まあ君が実家に帰るって言うなら、一緒に帰るけど?」

「いやまぁ、顔を見せに帰った方が良いかなとは思ってたけど……」

 誠が愛想笑いにも似た苦笑を浮かべていると、千夜は急にしょぼんとした表情で上目遣いに誠を見つめる。

「迷惑だった? 彼女とか、呼ぶ予定だった?」

 弟という立場の誠からしても、昔から千夜は美人で可愛いと認識している。

 特にこういう仕草をされると彼女のお願いを断れる男はいなかった。

 千夜はこれ狙ってではなく素で、しかも男女構わずにやってしまうものだから、男子のみならず女子からも可愛がられていたのだ。

(かず)(にい)なら容赦なく断りそうだけど)

 誠はもう一人の兄、一夜(かずや)の顔を思い浮かべて苦笑する。

 一夜は背が高く中高とバスケットボール部で活躍していて、スポーツも勉強もできる二枚目だ。

 二人の姉兄(きょうだい)が進んだ高校は県内でも上から数えた方が早いほうの進学校で、誠の成績では正直厳しいレベルだった。

 それでもせめて同じ高校に入って両親を安心させなければ、という使命感だけで何とか同じ高校に進学することができたのだが。

 とは言っても、姉兄(きょうだい)とはコースが違うので成績の差は大きかったのだが。

 そんな高校生活で一番大変だったのは、男子からは千夜のことを、女子からは一夜のことをいつも聞かれていたことだった。

 そんな二人に比べられてしまう日々に、正直やめておけば良かったと思う時期もあったが。それも今となっては懐かしい思い出だった。

「そんな女性(ひと)いないよ! 毎日忙しくてヘトヘトで、そんな時間もなかったし」

「ふぅーん、そうなんだ……」

 誠の言葉に疑うような表情を見せつつも、なんだか嬉しそうな千夜。

 なぜか誠は心拍数を上げながら、なんでこんな慌てているんだと頭の冷静な部分がツッコミを入れる。

 職場では皆仕事が終わるとさっさと帰宅してしまう。最初に新人歓迎会を開いてもらった以外は誰かと飲みに行ったりということもなく、同期で一緒に昼食や夕飯を食べに出かけるくらいしか付き合いはない。

 改めて考えると十人並みの見た目で気の利いた会話もできない自分に、彼女なんてものができることはあるのだろうかと少々落ち込む誠だった。

 そんな誠が千夜の探るような目から逃げるように視線を彷徨わせていると、天井近くのエアコンからぶわっと暖かい空気が吐き出された。

「あ、暖房効いてきたみたい」

「コートこっちのハンガーに掛けてよ」

「うん、ありがと」

 助かったという気持ちを抱きつつ、羽織っていた薄手のコートを脱いでハンガーに掛ける。

 千夜もシンプルなデザインの白い春物のコートを脱ぐと、下は白のブラウスに淡いピンクのワンピースだった。

 春の妖精という言葉が思い浮かばせながら、誠がやっぱり千夜姉は美人だなと思ってぼんやり見ていると、その視線に気づいたのか千夜はくるりと回ってワンピースの裾を翻した。

「どう、可愛い?」

「うん、可愛い」

「えへへ」

 千夜は昔から弟二人に可愛いを強要していた。

 実際に可愛いのだからと誠はいつも自然に返していたが、一夜は照れが先に立つのかいつもそっけなく『別に』というのがお決まりだった。

「もう可愛いっていう歳でもないけどねー」

「そんなことないよ!」

 千夜は誠より2つ歳上で、いわゆる『アラサー』と言われる年齢になっている。

 そうは言っても誠だってあと2年もすればその仲間入りなのだが。

「ほんとに?」

「ほんとほんと」

 誠はうんうんと頷いて真剣みを伝えようとする。

「そっか、良かった」

 どうやらそれで機嫌が良くなったのか、千夜は満面の笑みを浮かべた。

「千夜姉、夕飯はどうしたの?」

「下のコンビニで買って食べたよ。まあ君は?」

 コンビニのある物件で良かったと、改めて誠は感謝する。

「僕は駅前で牛丼食べた」

「そっか。もうこんな時間だし、お風呂に入って寝ちゃいたい」

 千夜の言葉にドキドキする部分を一気に削除して頭から追いやった誠は、風呂場の扉を開けて酷い汚れはないか中を確認する。

「お風呂はシャワーしかないけど大丈夫?」

「うん大丈夫だよ。あ、でも、まあ君が先に入ってね。私荷物開かないと着替えもないから」

「あ、そっか」

 姉弟とはいえ今日は千夜が客である。先に風呂に入ってもらうのが礼儀だろうかと戸惑っていると千夜が誠を見つめている。

「ん、寂しい? 一緒に入る?」

「いやいやいやいや、そんなことしたことないでしょ!」

 やたらと嬉しそうに満面の笑みで聞いてくる千夜に、誠は突然何を言い出すんだと全否定する。

「ちぇー、まあ君と一緒にお風呂入るの。私の夢なのになぁ」

「冗談やめてよ」

 ぷくっと可愛らしく頬を膨らませる千夜に、落ち着いたはずの動悸がまた激しくなる誠だった。


「それじゃ千夜姉はベット使ってね」

 シャワーを済ませて髪もしっかりと乾かした千夜が洋室をのぞき込むと、誠が床に毛布らしきものを敷いていた。

「まあ君はそこで寝るの?」

 暖房をつけておけば寒さは(しの)げるとはいえ、硬いフローリングに毛布一枚ではいくら何でも寝づらそうだ。

 しかも今日だけのことではない、下手をするとゴールデンウイークの間ずっとそうして寝ることになる。

 千夜はそこまで考えて、グッと眉間に皺を寄せる。

「ちゃんと新しいシーツと枕カバーに変えたよ。毛布も洗ってあったものを出してきたし。……綺麗だと思うけど」

 何か機嫌を損ねることがあったかと心配になった誠は、しどろもどろになりながら千夜がシャワーを浴びている間に準備した内容を伝える。

「ダメ」

「え?」

「まあ君もベッドで一緒に寝るの」

 誠は一瞬何を言っているのだろうと呆けたように千夜の顔を見返したが、言葉の意味を理解すると両手を振りながら慌てて拒否する。

「いくら何でも無理だよ、このベットシングルサイズだし」

「私そんなに太くないよ」

「そうじゃなくて」

「まあ君が一緒に寝てくれないから、ずっと起きてる」

 ぷっくりと膨らんだほほと真剣な眼差し。どうやら冗談で言ってるのではないと分かったものの、誠もそう簡単に受け入れることはできない。

「ずっとって……、明日も?」

「明日も」

「明後日も?」

「明後日も」

「そんなぁ……」

 姉弟とはいえ二人の間にある血のつながりは薄い。『姉』と『弟』の文字の上には『義』がつく関係だ。

 今まではそのことをなるべく考えないようにしていたし、千夜のことは『姉』として慕うように心掛けてきた。

 幼いころならまだしも、お互いにもう二十歳を過ぎた大人で、しかも千夜は女性としての魅力もハイスペックだ。

 就職して都会に出てきてひと月、誠はそのことを改めて思い知ったばかりだ。千夜ほど美人で魅力的な女性はめったにいないと。

 けれどこうなった千夜は兄の一夜でも止められないというのを、過去の経験からよく知っている。

 姉弟の中で普段は主導権を握っている一夜も、千夜が(かたく)なな意思を見せたときは絶対に曲げることができなかった。

(千夜姉は姉、千夜姉は姉、千夜姉は姉)

 誠はグッと目を閉じて念仏のように心の中で三度唱えると、最後に長い溜息をついて首肯する。

「わかったよ。でも千夜姉が壁側だよ。落ちちゃうかもしれないから」

「抱っこしてれば大丈……」

「絶対ダメ!」

(そんなことされたら理性の抑えが効かなくなりそうで怖い!)

 まるで恐怖に(おのの)くような誠と、食い気味に否定されて少々不満顔の千夜は数舜にらみ合ったが。これ以上は我儘が過ぎると考えたのか、珍しく千夜が折れて先に布団へと潜り込んだ。

「それじゃ電気消すからね」

 思いのほか精神的ダメージを受けた誠が何気なくテーブルの上のスマホを操作すると、時刻は午前3時になろうとしていた。


 千夜が布団に入ったことを確認すると、誠は電気を消してスマホがロックされるまでの明かりを頼りに布団へ潜り込む。

 千夜は誠の指示通り壁側によって仰向けに寝ていたので、誠はそちらに背を向けるようにして横になった。

 どれくらい時間が経ったのか。わずかな時間だったようにも思えるし、長い時間そうしていたようにも思える。

 誠は目を(つむ)ってはいるものの眠気が吹き飛んでしまい、とにかく背中の存在を意識しないようにじっとしていることだけに集中していた。

 それが逆に千夜の吐息すら聞こえるくらいの集中力になってしまい、ピクリとも動けないほど緊張していた。

 ふと千夜が寝がえりを打つ気配を感じた直後、誠は背中に千夜の両手がそっと添えられたのを感じて身を固くする。

「まあ君、起きてる?」

「……うん」

 寝たふりをした方が良かったかと思いつつも、起きていることはバレているだろうと思って返事をする。

「怒ってる?」

「え……。な、なんで?」

「急に来て、迷惑だったよね」

「そんなことないよ、久しぶりに千夜姉の顔が見られて嬉しかった」

 誠が中学に上がってすぐ両親が交通事故で亡くなり、少ない親戚の中で千夜達の家に引き取られ養子となった。

 激変する環境に塞ぎ込む誠に、義父(ちち)義母(はは)だけでなく千夜は姉として優しく接してくれた。

 少々とっつきにくい所のある兄の一夜も、心の中ではいつも誠のことを気にかけてくれていて、誠が一番最初に進学の相談をしたのも一夜だった。

 そんな優しい姉が都会で一人就職した誠を心配して訪ねてきてくれたのだから、迷惑だなんて思ったら罰が当たるというものだ。

「ほんと?」

「うん」

「良かった。それじゃ、こっち向いてほしいな」

「いや、それはちょっと……」

「どうして?」

「いろいろ問題があります」

「ふぅん……」

 思わず敬語になってしまった誠の耳に千夜のなんだか冷たい返事が聞こえたかと思うと、そっと片方の手が背中から遠のいた。

 暖かな感触が消えて背中の半分が冷たくなったような感覚。

(?)

 誠がどうしたのだろうと疑問を浮かべた瞬間、すっと誠の男の子の部分を後ろから伸びてきた千夜の手が掴んだ。

「ち、千夜姉!?」

 慌てて千夜の手を払いのけると布団を飛び出そうとしたが、そうはさせじと今度は誠を後ろから抱きしめる。

 二人の薄いパジャマを通して千夜の柔らかな胸の感触を背中に感じた誠は、びくっと身を固くして再び動けなくなった。

「どうしてそんな事になっているのかな?」

「……言いたくありません」

 誠はどうにかそれだけ答えると、股間を守るようにした手が緊張のあまり震えるのを抑えきれない。

「まあ君は、私のことが嫌いなのかな……」

「そんなことないです!」

 寂しそうに、つぶやくように聞こえた千夜の言葉を誠はすぐに否定する。

「それじゃ、どうしてこっちを向いてくれないの?」

「う……」

「嘘なんだ」

 誠はぷるぷると頭を振って否定するが、千夜の追及はやみそうもない。

「帰ったら、まあ君に襲われて手籠めにされちゃったって、言っちゃおうかな」

「なっ!?」

 義理の息子をここまで育ててくれた両親に、それはあまりにも酷い仕打ちに思えた。

「それじゃ、こっち向いて?」

 誠は渋々後ろに寝返りを打つと、窓のカーテンの隙間から漏れ出た僅かな光に照らされて、千夜の柔らかそうな豊かな胸の膨らみが視界に飛び込んできた。

「ちちち!?」

「まあ君たら、喜んじゃって♪」

 くすくすと笑う千夜を無視して、誠はグリンと顔を上に反らせる。

 一瞬しか見えなかったが千夜のパジャマはボタンが全て外され、はだけた合わせ目から片側の乳房が完全に露出していた。

(小さくて綺麗なピンク色だった……)

 誠はそこまで考えて邪な想いを消し去ろうと頭を振るう。

「千夜姉! ちゃんとパジャマ……」

「まあ君は私の事どう思ってるの?」

 誠が必死で抗議の声を上げるが、途中で(さえぎ)られてしまう。

「ど、どうって! 優しくて、美人で……」

「そうじゃなくて」

 誠は固く目を閉じて上を向いたまま答えたが、千夜はそんな答えでは許してくれないらしい。

「私はまあ君の事が好き。義弟(おとうと)じゃなくて、一人の男性として好きなの」

「そ、そんな事言ったって姉弟なんだよ」

「義理だもん」

 そう言うと千夜は誠の胸に身を寄せる。

 千夜の頭が誠のあごの下に入り、普段は意識することのない良い香りが誠の鼻を刺激する。

 いつだったか一度だけ、千夜をこうして胸に抱いたことがあった。

 雷の苦手な千夜が、夕立の雷鳴に驚いて思わず誠に飛びついたときだ。

 千夜の髪から匂う香りが、誠にそんな懐かしい記憶を呼び起こした。

「千夜姉、聞いてもいい?」

「ん?」

「いつから?」

 千夜の頭しか見えない状態になって、少し落ち着きを取り戻した誠は真っ先に浮かんだ疑問を訊ねてみた。

「初めてまあ君が(うち)に来た時から」

「そんな前から?」

 それは誠が中学1年、千夜もまだ中学3年の頃のことだ。

「こういうの、一目惚れって言うのかな。最初はわからなくて。ちゃんとお姉ちゃんしなきゃって、ずっと思ってたんだけど……。この気持ちは理屈じゃないなって、抑えられないの」

 学生時代は他の男子に目を奪われることもなく、社会人なっての付き合いの中でも誠以上に想いを募らせる相手は現れなかった。

 周りからも不思議がられるほど身持ちの固い千夜が、そうして本当の気持ちを抑え込んで隠しているうちに、誠が就職を機に実家を離れて働き始めた。

 たったひと月で千夜の心にはぽっかりと穴が開いたように寂しさが募っていった。

「でも義父(とお)さんと義母(かあ)さんが何て言うか」

()いって」

「え?」

 満面の笑顔で上を向いた千夜の向こうに柔らかそうな胸の膨らみが見えてしまい、誠は再び神速の勢いで顔をそむける。

「ここへ来る前に告白したの、まあ君のことが好きって。そしたら知らない男を連れてくるより安心できるって」

「軽いなぁ……。じゃぁ(かず)(にい)は?」

 いい加減ではないが、子供達の希望を常に叶えようとする両親に苦笑しつつ、少し頭の固い所のある兄の顔を思い浮かべる。

(かず)君には『やっと踏ん切りがついたのか、鬱陶しいから早く行ってこい』って言われちゃった。ずっと前からバレてたみたい」

「さすが(かず)(にい)……」

「まあ君は、どう……?」

 千夜の不安そうな声に視線を下げると、いつも優しい笑顔の姉がめったに見せないような不安な顔で見上げてくる。

(ついさっきまで義姉(ねえ)さんだと思ってた女性(ひと)を、いきなり恋人にって言われてもなぁ。エロ漫画じゃないんだから……)

 誠はここで適当なことを言って誤魔化すのはダメだと理解して、自分の中で千夜がどういう存在かを改めて考える。

「やっぱり、そういう風には見れないよね。私が変なんだよね……」

 俯く千夜がなんだか小さくなって消えて行ってしまいそうな錯覚にとらわれて、誠は思わず千夜を抱きしめた。

「言っとくけど、後から返品はできないよ」

「しないよ! ずっと一緒に暮らしてきたんだもん。まあ君のこと、誰よりも知ってるもん。おしめだって替えたことあるんだから」

「それはない」

 クスクスと笑う千夜に意外と余裕があるなと感心しつつ、思わず抱きしめた腕を離せなくなっている自分に気が付いた。

(こんな素敵な女性(ひと)を逃したら、もう一生出会えないだろうな。ましてや他の男に千夜姉を取られるなんてまっぴらごめんだ)

「それじゃ千夜姉、僕と結婚してくれる?」

「え?」

(ん?)

 千夜の驚いた顔に、何か間違えたかと誠は戸惑う。

「うん。する、結婚する!」

「え、うん。ありがと?」

 千夜が誠の体に腕を回して、痛いくらいにぎゅっと抱きしめる。

「えへへ。まあ君もいきなりで困るだろうから、恋人からお願いしますって思ってたんだけど。結婚してもらえるなんて嬉しいな♪」

「あ……」

 いくら一緒に暮らしていたとはいえ、それは姉弟としての関係だった。それをいきなり結婚は、確かに一足飛びに飛びすぎたかもしれない。

 誠は思わず訂正しようとしたが、一足先に千夜が声を上げる。

「返品はできないよ!」

「……はい」

 そうして見つめ合った二人は、思わず同時に噴き出した。

「よろしくね、私の旦那様」

「うん。……千夜」

 目が名前で呼べと脅迫していたなんてことは、思っていても口に出してはいけない禁句。

「えへへ」

 それでも千夜が喜んでくれているなら良いかと、誠は千夜を抱きしめる力を少しだけ強くした。


(了)

この続きはセンシティブになりそうなのでここでは書きません。

評判が良ければXの方で書こうかな……。

続編はあるんだけど、主人公は変わります。

誰になるかは……、文章が書けたらのお楽しみ?

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