プロローグ
地獄、と聞いて何を思い浮かべるだろうか。35度を超える真夏日に行う部活。一年前の私なら悩んだ末にそう答えただろう。
かつて図書館だった石造りの建物に身を潜めながら、私は小隊長の指示を待っていた。
元いた世界の戦争と違って銃や大砲が使われないためか建物の損壊というのは結構少ない。今はそれに救われている。
しかし、私も含め周りの兵士たちはすでにボロボロだ。
私は壁にもたれたまま崩れた壁の隙間からわずかに見える外の景色を見た。
弓兵と魔術師あわせて20人ほど、両者とも武器を構えてじっと待っている。出てきたところを射るつもりなのだろう。
あの小隊長はこの状況をどう処理するんだろうか、そう思いながら私は壁を背にしたままその場に座り込んだ。
そんな私の目の前にある一つの魔奏譜が落ちていた。
「5つの魔奏曲 基礎編」
今となっては懐かしいものだ。と、言ってもまだ半年前のことか。そんなことを思いながら私は目の前の楽譜に手を伸ばそうとした。そのとき、小隊長の声が建物内に響いた。
「現在我々はファナス軍により包囲されている。よって補給部隊による魔力支援は不可能であるため転送魔法による撤退は不可能だ。しかし、幸いなことに東側の包囲網は薄い。我々はそこを突破し撤退する。奏者の演奏が終了し次第ここをでるぞ。」
私はその言葉を聞き、私はケースからトランペットと撤退用と書かれた魔譜を取り出した。
「組曲 ネズミ」
残り二枚しかも原譜。第一楽章と第二楽章。なんとまあ運のいいことか。どうせ最後だ、一気に二枚使ってしまおう。
魔奏譜を構えて呪文を唱え魔力を充填する。この動作もなれたものだ。
「準備完了しました。」
私が分隊長にそう告げると、彼はこちらを向いて軽くうなずく。
それを見て私は演奏を始めた。
マウスピースに口を当て息を入れ込む。
この曲はねずみがチョロチョロと動く様子を表すような細かい16分音符の連符から始まる。
それをアレグロで演奏しろという指示だ。
難易度は高いが恩恵は大きいだろう。ただ失敗すればそこで私たちは終わりだ。
緊張感を抱きながらも楽譜の指示を正確に読み取り演奏を続ける。
無事に演奏を終え、小隊長が私に拍手を送る。
その後ドアの前に立ち兵士たちへ叫んだ。
「お前ら!準備はいいか!行くぞ!」
小隊長がドアを蹴破り、そこからおよそ通常の三倍以上の走力を得た兵士たちが雄叫びを上げ次々と建物を飛び出していった。
私も兵士たちに続き外へと飛び出した。
しかしそれと同時にある異変に気がついた。
なぜ誰も攻撃をしてこない?
さっき構えていた弓兵たちは?
それどころか魔術師に至っては見当違いな方向に杖を構えていた。
これは千載一遇のチャンスではないか。私は全力で走り続けた。
一心不乱に走り続け敵との接触まで残り半分の距離になった。
その瞬間だった。まばゆい閃光が走る。
皆が足を止め目をつむった。
目を開けると、頭上には大きな白色の魔方陣が出現していた。
「大型召喚魔法...]
誰かがつぶやいたのが聞こえた。しかし今更大型魔獣一体で私たちを止めることはできない。完全に愚策だ。
私たちは再び走り始めた。
だがその歩みはすぐに止まった。空から無数の矢が降ってきたからだ。
なるほど。考えたな。
自軍の兵士たちが悲鳴と血しぶきをあげながらバタバタと倒れていく。
私も両肩に矢が刺さりその場に倒れ込んだ。
もう一度聞こう、地獄と聞いて何を思い浮かべるだろうか。今の私ならばすぐに答えられる。
ここだ、と。
「報告いたします。エイス前線にてニマル隊長率いる第一小隊壊滅。兵士24名そして、魔奏者一人を失ってしまいました。」