【短編】バベル・エレベーター
56……55……54……53……52……51……50……49……48……
「おい、どうしてエレベーターが下降するんだ?」
「知らねぇよ!」
「どうして安全装置が作動しないんだ?」
「だからおれにはわかんないって!」
「おい、落ちるスピードが上がってないか?」
「気のせい……じゃないな」
「そうだ、そこの緊急停止ボタンを押せば……」
「わかった。あれ?!」
「どうした?」
「押しても全然手ごたえがない」
「どけ!おれが押す……本当だ。このボタンはただの飾りだ」
「きっと手抜きしやがったんだ」
「もう何回も工事のやり直しをしてるのに……肝心なところの予算をケチりやがって!」
「あぁ〜もう駄目だ」
15……14……13……12……11……10……9……8……7……6……5……4……3……2……1……
「……おい、停まったのか?」
「ああ、そうみたいだ」
「見てみろ、ちょうど1階辺りで停まったぞ」
「助かった……」
「自分達が造っているエレベーターで事故って死ぬなんて洒落にならねぇ」
「本当だ」
「おまえしゃがんでなにしてんだ……ハハハ」
「落下加速度に耐えれなかったんだよ」
「おれは踏ん張ることができたぞ」
「お見事」
「早く降りようぜ」
「ああ」
「扉は開くかな……やった!開いたぞ」
「おぉ〜開いた、開いた。助かったぁ〜」
「1階を少し通り過ぎたところだな。手を伸ばせばよじ登れる」
「ラッキー」
「それよりこんな簡単に扉が開くものなのか?もっとメンテナンスも含めて根本から考え直さないといけないな」
「外観は立派なのに中の構造はめちゃくちゃだ」
「まるでおれたちの国みたいだな」
「おれたちはこのエレベーターを建設するだけしか脳がないと周りの国から言われているのに……」
「エレベーターの階数を増やしては故障を繰り返しているうちに、国の予算を圧迫して生活が苦しくなってしまった」
「もともとこの国にエレベーターを造る技術なんてあるのか?」
「さぁね。おれたち下っ端は重い鉄を運べばいいのさ」
「今回の事故を報告しないといけないな」
「また完成が伸びるな」
「このエレベーターを目玉に観光立国を目指すなんて、夢のまた夢だな」
「そうかもしれねぇな……おい、降りるぞ」
「でも、どこまでが完成なんだろう?」
「馬鹿だなぁ〜、このエレベーターに完成なんてないんだよ。造り続けることに意味があるんだ」
「それだと一生貧乏なままだ」
「みんな平等に貧乏なんだから文句言うなよ。他の国はもっとひどいらしいぞ」
「そうなのか?」
「あまり深く考えるな」
「そうだな」
「おれから先に行くぞ。よいっしょ……おい、ケツを押してくれ!」
「わかった」
ガタッ……ガタ、ガタ……。
「やばい、エレベーターが動きはじめた!」
「早く押してくれ!いや、足を引っ張ってエレベーターの中に戻してくれ!」
グシャ……。
「ギャァァァ〜」
肉が押し潰される音と断末魔の叫びが交差したあと、エレベーターに残ったのは静けさだけだった。
★
★
★
一ヶ月後
★
★
★
B5……B4……B3……B2……B1……1……
チンという乾いた音が鳴るとエレベーターは地上1階で停止した。
扉が開き、50代後半と思われる男が入ってきた。よほどいい生地で仕立てているのか乗り込む動作だけでスーツの裾がフワッと舞った。
その男は扉脇の操作パネルに触れようとしたが、一瞬ボタンを押すのをためらう。
「そうか、このエレベーターには地下と最上階のボタンしかないのか」
誰に話しかけるでもなく、男は人差し指で“最上階”のボタンを押す。
1……2……3……4……5……6……7……
貧弱な蛍光灯だけが照らすゲージ内は薄暗いが、男の目に怪しい光が差し込んでいるような気がした。
「なぁ、知ってるか。このエレベーターに乗ったら……最期らしいぞ」
男が後頭部をおれ様に見せたまま馴れ馴れしく話しかけてくる。
「一ヶ月前にエレベーターに体を切断された男が這いつくばって追いかけてきて、どこかへ連れ去ってしまうらしい」
おれ様は男の無礼な態度に構うことなく、無視をする。
「失った下半身を探しに夜な夜な“出る”らしいんだよ。そして自分の下半身がないことがわかるとエレベーターに乗っている奴から体を奪おうとするみたいだ」
男は“出る”という部分だけ若干声を震わせて“幽霊”という荒唐無稽な存在をにおわせる。
「“上半身だけの男”に出会ったら覚悟したほうがいいぞ」
なんだ、コイツ?と思いながらおれ様は男の後頭部を見詰めた。
14……15……16……17……18……19……20……
「なにも反応がないということはビビってるのか?時間はたっぷりあるんだからじっくり追求してやる!」
男は顔をやや斜め上に傾けておれ様を見た。目は充血している。
「このエレベーターを建設するためにいったいどれだけの犠牲を払ってきたことか……なぁ、お前にわかるか?」
男が喋っている間もおれは上昇を続け、階数表示板の数字はどんどん増えていく。
「天空への入口、神との繋がり、宇宙の道しるべとも呼ばれ、大勢の人達がこのエレベーターのために身を粉にして働いてきた」
男は顔の向きを戻し、扉の磨かれた金属部分を鏡にして過去を映し出す。
36……37……38……39……40……41……42……
「国の威信をかけ、完璧な建設計画を立てたのにお約束のように故障する。なぁ、どうしてなんだ?」
おれ様は心の中で“知ったことか!”と毒を吐く。
「世界一の観光立国を目指しているのに、どうしておまえは邪魔をするんだ?」
男はおれ様に問いかけるが、答える義理などない。
「なぜなんだ?アルキメデス?」
男はおれ様の名前のようなものを呼んだ。
「おれはおまえを完成させたいだけなのに……」
59……60……61……62……63……64……65……
『それがおれ様の名前なのか?』
思わず口を利いてしまった。
「やっと口を開いてくれたな」
男が振り向いた。不快なニオイのしない整髪料で固めたオールバック、頑固そうな奥深い目は凛とした威厳が漂う。
「世界で最初のエレベーターを展示している資料博物館が経営難でオークションにかけた部品をセリ落としたものをこのエレベーターに使っている。そして、世界ではじめてエレベーターを造った人物の名はアルキメデス」
『ようやく自分の名前がわかってうれしい、と言いたいところだが、結局はおまえがつけた名前だ』
「由緒正しい名前だぞ」
『おまえごときがつけた名前でおれ様が喜ぶと思うのか?』
「ふふ……」と鼻で笑ってから男が言った。「君はアルキメデスという名前に反応したじゃないか」
『己の存在理由の根源を知りたいと思うのは自然なことだろ。おれ様は何者なのかと長年悩み続けてきたんだ』
「なぜ、自分で自分を傷つけようとする?」
『傷つける?工事を妨害しただけだ』
「だから妨害はやめてくれないか」
『おまえ、このエレベーターが完成したらどうなるか分かってるのか?』
「頼む、このエレベーターが完成しなければこの国は滅びてしまう」
『おれ様には関係ない』
「国家元首としてお願いする」
男は土下座をした。
『国家元首?おまえこの国の主なのか?』
「そうだ」
『国家元首とあろう者がおれ様のことを調べていたのか?』
「ああ、この国はIQテストで一番成績の良い奴が国家元首になるシステムだから、不可解な事故に疑問を抱いたのはおれだけなんだよ」
『このエレベーターが完成したらこの国の奴らは生きがいをなくしてしまうぞ』
「構わない。飢えるよりいい」
『なるほど。国民のことを想うおまえの気持ちはわかった。完成するまでおれ様は手を出さない』
「本当か!」
『ただし、おれ様は人間の血を浴びないと欲求が満たされない。イライラするんだ』
「やっぱりそうか……セリ落としたエレベーターのドア開閉機、ガイドレールなどの部品には血痕が付着していた。エレベーターが開発された当初、事故が起きないようにと生きた人間をケーブルに括りつけてゲージに挟み、神に血を捧げていた」
『いつしかおれ様は意思を持つようになった。最初は命を宿してくれた人間達に感謝もしていたが、おれ様に敬意を払わない奴らが多すぎる。というわけで交換条件といこう』
「というと?」
『完成後も無礼な人間が乗ったらおれ様は容赦しない』
「観光立国を目指してるのに死者が出たら、みんな寄り付かなくなるじゃないか!」
『そんな心配が無用なことはいまにわかる。なにも犠牲を払わないで利益を得るなんて虫の良いことは考えるな』
86……89……90……91……92……93……94……
「わかった……どうせ断っても主導権はおまえにあるんだろ?」
『おまえなど1階まで急降下して簡単に殺せる』
「まるで神だな。旧約聖書にある高い塔を建てると神の怒りを買うというのは本当なんだな」
男はしみじみと語った。
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さらに半年後
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「ねえ、あれに乗るの?」
男の子が母親の腕を引っ張りながら訊く。
「そうよ」
母親がやさしく微笑む。
「雲より高いね」
「そうね」
「どこまでいくの?」
「すっごい良いところまでよ」
「動物園より?」
「そうよ」
「あっ、でもガラスじゃないから外が見えないじゃん」
男の子が素朴な疑問をぶつける。
「お母さんが話し相手になってあげるから退屈しないわよ」
「えぇ、やだぁ〜」
「ほら、ソフトクリーム買ってあげるから中で食べなさい」
母親は通称バベル・エレベーターの1階で観光客目当てに開いている露店に行き、ソフトクリームを息子に買ってあげることにした。
露店といってもビーチパラソルを差し、家庭用のアイスボックスを見張るように座っているおやじが厳つい顔で不味そうにソフトクリームを売っているだけ。
「ひとつください」
母親は露店のおやじにお金を渡した。財布に残ったのは小さなアルミ製のコインが2枚。
おやじは無言のままプラスチックの容器に収まったソフトクリームを母親に渡す。
「ほら、乗るわよ」
「はぁ〜い」
男の子は片手を上げて返事をする。
エレベーターの扉が閉まり、親子を運ぶ。
その姿をただじっと見ていたアイスクリーム屋のおやじに、腰の曲がったおばあさんが近寄ってきて独り言のように話しはじめた。
「清掃作業員を呼んだほうがいいんじゃないのかい?」
一方、エレベーター内では男の子が密閉された透明なプラスチックのフィルムを取るのに悪戦苦闘。
「貸しなさい」
母親はペリペリッとプラスチックのフィルムを剥がして中身を出す。
冷暖房が完備してないエレベーターの中は蒸し暑く、ソフトクリームはすぐに溶け始めた。
「一番上にはなにがあるの?」と尋ねたとき、ソフトクリームが傾き、ボタッと塊が落ちた。
母親は注意することなく、エレベーターの角で息子に見えないように涙に暮れている。
男の子はソフトクリームの残骸を靴の裏でなくそうとするが、余計に染みが広がった。
おれ様の怒りは頂点に達していたが、これから先の親子の運命を考えると我慢することができた。
102……103……104……105……106……107……108
「さぁ、着いたわよ」
エレベーターが最上階に着いて親子が降りていく。
そこには表面が格子状の下が透けて見える床材しかない。
ほどなく歩けば信じられないタイミングで床材は突然途切れている。
下を覗けば雲が流れていて、飛び下りるときはそれほど恐怖感がないという。
しかし、それはある程度覚悟を決めた者の意見だろう。
現実に男の子は寒さに凍え、母親に引っ張られている手を離そうとしている。
「ねぇ、怖いよ。どこまで行くの?」
「もう少しよ。もう少しで楽になれるから……」
それから間もなくして、フッと2つの影が消えた。
おれ様は扉を閉め、新たな客を乗せるために下降をはじめた。
1階に到着すると、作業服を着た数人の男達がグシャグシャになった2つの遺体をビニールシートで覆い隠し、地面に飛び散っている血を高圧洗浄機から噴射した水圧で洗い流し、なにもなかった状態にする。
手際良く清掃作業が終り、男達はおれ様に乗って遺体を運ぶ。
そして、操作パネルの“地下”のボタンを押す。
おれ様は地下が苦手だ。
1……B1……B2……B3……B4……B5
地上から数秒の移動距離しかないが、地下の雰囲気は一変し、 扉を開けれるとムツとするような熱が襲ってくる。
「おい、早くしろ!あと5分で火を落としちまうぞ」
煤で頬を黒くした男が冗談半分で急かす。
火葬場となっている地下で笑うことができるのは、この世でその男だけだった。
自殺者が他国からも押し寄せるようになったこの国で彼の仕事が絶えることはない。
<了>