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3.騙されたぁぁぁ!

「ちょっと頭が重いな」


 寝過ぎたようだ。

 ぼんやりとした頭を振りながらテレビをつけると朝だった。

 ほぼ丸一日寝てしまったらしい。


 寝過ぎたことに苦笑していると、グルルと猛獣の唸り声に似た腹の音が鳴る。

 めちゃくちゃ空腹だ。


 コンビニに行って弁当でも買うか。


「いや、外食するのもいいな」


 今日くらいは贅沢をしても罰は当たるまい。

 カレーの大盛りにトンカツもつけてしまおう。

 デブに揚げ物は必須だ。


「グフフ」


 嬉しくなって変な笑い声が出てしまう。


 さっそく着替えるとしよう。

 異世界ではずっと廻しをつけただけで裸だった。

 廻し姿が普通の格好だと、異世界人に間違った認識を植えつけてしまったかもしれない。


「待てよ」


 金色の廻しを脱ごうとしたところで、俺はあることに気づいた。

 カレーで高揚していた気分が一気に氷のように冷める。


 この金剛布は神仏の加護の象徴だ。

 邪神ジェスターに異世界に攫われた俺を憐れんで、仏様が加護を授けてくださったのだ。

 そうでなければ俺は異世界で野垂れ死んでいた。


 その加護が日本に帰ってもまだ消えていない。


「……そういや、やけに静かだ」


 テレビを消すと恐ろしいほど物音一つしない。

 乱れた息がうるさいほどだ。


 安アパートの壁は薄い。

 右隣に住むはた迷惑な音楽狂いの学生がかき鳴らすギターの音も、左隣に住む母子家庭のお母さんが台所仕事をする音も聞こえない。


 必死に息を殺して耳を澄ませても、外から車の振動音すらしない。

 俺はようやく異常に気づいた。

 我ながら鈍過ぎる。


「もしこの格好で外に出て誰かいても笑い話で済むよな」


 頼む、笑い話で終わらせてくれ。

 金色の廻しをつけた姿を見られても、お相撲さんにしか思われないはずだ。


 恐る恐る扉を開けて外を盗み見すると、コンクリート舗装された駐車場が見えた。

 人の姿はない。


 思い切って外に出ようとすると、足に硬い物が触れた。


「なんでこんなものが?」


 落ちていたのは鍵の束だ。

 反射的に拾おうと腰を屈めたところで外の景色が目に入った。


 ない。何もない。

 家もビルも公園も、ありとあらゆる人の営みが存在した形跡がない。

 広がるのは赤茶けた荒野だけだ。


「何だよこれ、何だよこれ。ちくしょう。ちっくしょおおおぉぉ!」


 アアアアアアアアアアア! 騙されたぁぁぁ!


 俺の激しい感情が金剛の力を呼び覚ます。


 悲痛な叫びは雷鳴となって轟き、悔しさに足を叩きつけると地震と錯覚するような縦揺れが起こった。

 黒雲が吹っ飛んで太陽が顔を出す。


 力を使い果たした金剛布が天界に還っていく。

 フルチンになった俺は絶望して膝から崩れ落ちた。

 耳元で邪神の忌々しい笑い声が聞こえるようだった。


 金剛の力がなければ、俺なんてデブの小男に過ぎない。

 裸になっていることに気づくと、慌てて部屋に逃げ帰って鍵を閉めた。


「どうする、どうする……俺なりに頑張った結果がこれなのかよ。あんまりだ」


 悩んでも加熱した頭ではいい知恵など思い浮かばない。


 俺が呆然として途方に暮れていると、腹が痛いほどに張った。

 猛烈な便意が押し寄せてくる。


 悲しんでいても生理現象は止まらない。

 そのことに泣き笑いになりながらトイレに駆けこんだ。


「うっほおおぉぉ、久しぶりのウォシュレットがきっもちぃぃ!」


 快便の快感でアヘった顔になってしまう。

 いや、これは仕方ないんだ。


 異世界では公衆トイレなんて便利なものはないから本当に苦労した。

 下手な魔物よりよほど手強かった。


 食事に慣れないうちは便が一週間出ないこともあった。

 便が石のようになって肛門が裂けるかと思った。


 すっかり出すものを出し切って便器に座っていると、多少は心が落ち着いてきた。


「とりあえずメシを食おう」


 空腹では気分も落ちこむし頭も回らない。


 やかんに水を入れてコンロに火をつけた。

 どんな理屈かわからないが、今のところ水もガスも電気も問題なく使える。


 生かさず殺さず。

 ジェスターは俺をまだ弄んで楽しむつもりなのだろう。


 買い置きのシーフードヌードルにお湯を入れて二分。蓋を開ける。


「くううぅ、匂いがやべぇ」


 口の中に唾液が溢れてきた。


 俺はやや硬い麺の方が好きだ。

 ブタのようにがっつきたくなるが、ゆっくりと麺を啜り歯ごたえを楽しむ。


 小さなイカの食感が嬉しい。

 異世界では海産物を食べる機会に恵まれなかった。

 日本人なので魚介類に飢えていた。


 濃厚なスープを一滴も残さず平らげる。

 カロリーは無駄にできない。


「……物足りない」


 カップラーメン一つでデブが満足するはずがないが、多少は腹も落ち着いた。

 気持ちは下向きのままだが、さすがに裸では股間が寒いのでパンツを履いた。

 季節的には初秋って感じだ。


「五年ぶりのパンツだ」


 久しぶりにパンツを履いたが、この格好では非常に心もとない。


 金剛布は気軽に呼び出せない。

 ただ白い廻しを締めるだけでもそれなりの金剛力は得られる。


 どんな危険があるかわからないので、長くて丈夫な布の入手は急務だった。

 それに食料も欲しい。


「また太ったのかねぇ。ろくなメシじゃなかったのに」


 服も着ようとしたが肩回りや太ももがパンパンできつい。

 ミシミシと嫌な音がした。

 無理をすると破けてしまいそうだ。


 少しくらい痩せてもいいのに納得いかねぇ。

 結局パンツ一丁で服は諦めた。

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