近く遠い他人
黒淵家は古くから商人として生業を立ててきた由緒正しき家だ。古くは奈良時代から大きな門を構えて、貴族や武士を取引相手としてきた。その子孫である我々は、阿呆な、馬鹿であってはならない。しっかりと正しき道を進まんがために歴史ある学校へ、誠実なる学校へ、高位なる学校へと向かわねばならないのだ。
「旦那様、旦那様」
素早くコンコンとノック音が鳴り渡る。この強さは家政婦の恵美か。俺が書斎に入っている時はノックをするなとあれほど言ったはずだが。
「なんだ」
扉越しに言葉を刺す。
「美香様の通っておられます学校から電話が」
「内容だけ伝えろ」
「は、はい。美香様が先程学校から逃げ出したそうです。携帯も鞄も全部置いてあるそうです」
なんだそんなことか。と私は面倒だが本に栞を挟んで扉を開けた。
「あの阿呆のことはもう話すな。どうせ碌な大学にも行けん、碌な頭も持ち合わせてない愚図のことだ。きっとどこかで野垂れ死ぬだろう。それよりも千恵と香澄の方はどうだ。両方とも進学する程度には教えているんだろうな?」
「え、えぇ。そちらは問題はございません。今も勉学に励んでおります」
「そうかそうか。分かった。それと、今後高校からの連絡は取りあうな。阿呆についてのことは全て、そちらで処理しろ」
言って俺は耳に残るようにわざと大きな音を立てて扉を閉じた。
まったく、どうして家族以外の奴らは俺を苛立たせるのが上手いんだ。恵美も美香も……あの取引先も愚図……あゝ、いや今仕事のことを考えるのは止めよう。
しかし、千恵も香澄もしっかりとしている。あれなら有名企業との鎖として役立つやもしれない。これからが楽しみだ。
ゆうが失踪した。その一報を受けた私は案外と冷静でいられなかった。
昔からため込み癖がある弟のことだから、喧嘩した時はこうして逃げ出すこともあるにはあった。中学生時代も、一度だけそういうことがあった。けれど、それが長く続かないことも、胸中では理解していた。寂しがりなゆうのことだから、結局は腹が減った、とか適当に理由を付けて帰ってきてくれていた。帰ってこなかった夜も、探せば簡単に見つかるような場所で縮こまってるからすぐ見つけられた。
「どうしよう、ゆうが帰ってこない」
手を戦慄かせて母に伝える。
「今までの喧嘩とは違うの?」
「ち、違うと思う。不安だよ……」
さっきからゆうにメールを送っているけれども一向に既読が付かない。電話もかけてみたけど駄目だ。
けど、ここまでは今までもたまにあった。でも、今回は何かが違う。
胸の中を得体の知れない不安が獣のように爪を立てて駆け回る。
「うーん、でもねぇ。ゆうって夜が苦手でしょう?帰ってくると思うんだけどねぇ」
「そ、それもそう、だね……うん、でも……」
「そうだねぇ。明日の朝までに帰ってこなかったら、警察に届けましょう。それよりも今はご飯。カレー作ったよ」
「あ、カレー。うん、そうだね」
母の言葉はどこか表面をなぞっているだけのような気がするけれども、だけれど心はそれを欲していたように落ち着いた。獣もさっきほどは煩くない。
その日のカレーは全くと言っていいほど味がしなかった。
ゆうは何を食べているんだろうか。暗い夜道で一人怯えてはいまいか。もしかして誰かに連れ去られてはいまいか。事件に遭っていないだろうか。ひき逃げされて一人痛みに悶え苦しんでいるのではないか。
また別の獣が、わらわらと不安がる心に嚙みついてくる。
ここまで読んで頂き、誠にありがとうございます。それと、大変遅ればせながら、あけましておめでとうございます。今は第五派とも呼ばれますオミクロン株が流行しておりますが、何卒お体には気を付けて。
三か月も更新していなかったのには幾つかの事情がありまして、一人暮らしとアルバイトを始めたものですから、如何せん長編を更新する時間と、執筆する時間が執れずにおりました。ですが、アルバイト先で本を自費出版されている方をお見受けし、言葉を交わす機会がございましたので、その仕方も教えていただきました。
財力に余裕が出来たら、という遠い未来のような話にはなってしまうかもしれませんが、いつか私も出版をしてみたいものです。夢を見るのは大事ですが、如何せん未来を見るのが下手くそな私ですから、いつになるか、そもそも出せるのか、それすら分かりませんが、気長に書いていこうかと思います。
次回につきましては、来月のうちには投稿しようと思っております。この二人の家族と、そしてゆうとみかの行く末を、どうか見守っていてください。
では、また会えることを望んでおります。また、二千文字程度の短編を連ねた「口十短編集」にも、是非目を通していって下さると幸いです。そちらは一話完結ですので、こちらより更新頻度が高いやもしれません。