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8.本日は厄日なり

 こっちです! と、元気に先導するディードについて暫く歩いていたヴィオラは、ヒクリと頬を引き攣らせていた。



「ディード…」

「はい!」

「私の勘違いじゃなければ、中央大通りに向かってないかしら…?」

「大丈夫です。数本向こうの道なら大通りほどの人はいませんから。何なら裏通りもありますよ!」

「裏通りは危ないから駄目よ。けど、やっぱりそうなのね……」



 正直予想は出来ていた。森は街の西、対して一般人の主な住居区画は東だ。中央を避けていたんじゃかなりの遠回りになる。



「あとちょっとなので、きっとそんなに目立つことなく家に着きますよ!」

「あとちょっとって、貴方ね…」



 まだ中央に差し掛かった辺りなのに、東にある住居区画まであと少しとは何事だろう。もしかしてこの歳の男の子にとってはこんな距離“あとちょっと”に分類されるのだろうか。元気すぎる。



「着きました!」

「───え?」



 ディードの声で思考が中断される。どういうことだと立ち止まってディードがいる方に視線を向けるが、彼は「ただいま〜」なんて言いながら門を開けているところだった。

 周囲を確認するが、先程と差して風景は変わっていない。人混み特有の騒々しさもそれ程遠のいたようには感じられなかった。



「どうぞ、ヴィオラさん」



 門を開けたまま待つディードと周囲を見比べたヴィオラは………このまま外に居た方が目立つと判断した。聞きたいことを諸々飲み込んで、小さく「お邪魔します」と声にしながら敷地内に足を踏み入れた。




 ♯♯♯




「───それで、森で一人でいる時にヴィオラさんが助けてくれたんだ」

「まぁ……ヴィオラさん、ありがとうございます」

「いえ、私は全然…!」



 キラキラピュアスマイルで森での一連の出来事を語るディードに驚きつつ、私に頭を下げる女性。



「僕からも改めてありがとうございます、ヴィオラさん!」

「こらディード。感謝もいいけれど、迷惑かけてごめんなさいは? したの?」

「うっ……。ご迷惑おかけして、すみませんでした…」

「いいえ! 気にしないでください! …その、お恥ずかしい話ですが、私も森で迷っているところで……彼のおかげで森から出られましたので」

「あらあら…ふふ、そうでしたのね」



 優しく微笑む女性───ディードの母親、テルシャはその直後「あら、お湯が沸いたわ」とキッチンの方へと視線を向ける。



「すぐにお茶を淹れますから、それまでごゆっくりどうぞ」

「あ……お構いなく…」



 姿と共に遠ざかる足音を聞きながら、私は正面に座るディードに視線を戻した。



「ディード………色々と聞きたいことはあるんだけど一つだけ確認させて。貴方もしかして貴族なの?」

「違いますよ?」



 恐る恐るといった質問に対し、間髪入れず否定の言葉を聞けてホッとする。もし爵位持ちだったら、テルシャさんには申し訳ないけど即退散するところだった。けれど変わりに別の疑問が残る。



「貴族じゃないなら、その…」

「はい?」

「いえ……中央にこんな立派なお家を持っているから、貴族じゃないのが不思議で」



 当たり前だが、街の中心部たる中央は土地代が高い。それなのに元々一般人の家にしては大きい方の家を中央に持っていることが不思議でならない。かなり稼ぎの良い男爵家とか、子爵家の短期滞在用の別荘だとかなら納得出来るのだけど。

 つまり気になるのは「親御さんのご職業は?」というところだ。



「ええと、父さんが前に『主要施設や店に近くて便利な場所だろう? それに何より、力を持つ人間は相応の家に住まわないと舐められてやりにくくなる』って言ってました」



 それはつまりやっぱり貴族ですと遠回しに言っているのだろうか。もしやディードが知らないだけでやはりここは爵位持ちの………。



「ディード。そんな説明じゃ答えになっていないし、ヴィオラさんが混乱するでしょう?」

「母さん」

「あっ…の、すみません、お家の事情を聞くような真似して…」

「いいのよ。何の事情も知らなかったら気になるのは当然だもの」



 ふふ、と上品に笑うテルシャさんは、トレイに乗せたティーセットをテキパキとセットしながら話し出した。



「助けてもらったんですもの…本当は初めに名乗るべきでしたね。さぁ、ディード。改めてご挨拶なさい」



 その言葉に嬉しそうに返事をしたディードは椅子から半ば飛び降りるようにして着地すると、背筋を伸ばして私の方に向き直った。



「遅くなってすみません。ディード・レインロードと申します。先程は助けていただき、心より感謝しております!」



 綺麗な動作で左胸に手を当て、腰から頭を下げる姿は完璧な礼だ。それに男の子なのに花弁が舞っているかのような幻覚が見える笑顔は、きっと貴族だったら周りの令嬢から沢山のアプローチがあっただろう。穏やかに微笑む姿はテルシャさんにそっくりだ。そのテルシャさんは「よくできました」と言ってディードの頭を優しく撫でている。


 ………と、いうか。今、()()()()()()って………。



「……………あの、つかぬ事をお伺いしますが。今、家名をレインロードって仰いました……??」

「はい!」

「それは、その、()()レインロード家とは別の………」

「うふふっ。恐らく()()レインロード家で間違いありませんよ」



 それまでの穏やかな微笑みが一転、悪戯が成功したような幼い笑みに変わるテルシャさん。対して私の表情はどんどん青ざめていく。ティーカップを落とさなかった私に拍手を送りたい。

 テルシャさんの反応的にほぼ間違いない。



(レインロード………()()っ……!!)



 リグザント王国で活動する商会の中でも屈指の大商会。たった一代で王室も利用する商会にのし上がったことで有名な商会………それがレインロード商会だ。

 その実力に対する賛辞、尊敬、畏敬の念。はたまた嫌味。周囲の人間からは様々な意味を含めて「レインロード()商会」と称されるその商会は、我が国の貿易のそれなりに大きな一部を担っている。その為、他国にも顔が利く。

 下手に手を出すと、男爵位程度ではむしろ潰されかねない。子爵家も力が弱い場合は無闇な手出しは危険とされる程らしい。貴族でさえも表向き敬意を払う。一応は爵位を持たぬ庶民なのにだ。

 そして、本来なら爵位を授かっていてもおかしくないのにも関わらず庶民を貫き続ける変わり者の商会長と聞く。



「あなた方は、レインロード大商会の、奥様と、ご子息…という……」

「ええ」

「っ! しっ、失礼しました! まさかレインロード商会長のご家族とは知らずにっ」



 自分の行動に非礼は無かっただろうか。というか今までのディードに対しての態度がまずい気がする。 いや間違いなくまずい。



「そ、そんなに畏まらないでください。ごめんなさい、そんな風にさせたかった訳じゃないんです。ただ少し驚かせたくて……」



 私の様子に今度はテルシャさんが慌てて宥めてくる。そうは言っても「少し驚かせる」の内容が私には刺激が強すぎた。

 ディードも慌てて「ヴィオラさん! 頭を上げてください!」と声を上げる。これ以上言うことに従わず頭を下げ続けても失礼かなと思い、腰から折って下げていた頭をそろりと上げた。

 あわあわと慌てる様子から私が頭を上げてホッとする様子までそっくりだ。改めてちゃんと顔を見てみれば作りもよく似ていて、髪の色も同じ落ち着いた暗めのブロンド。違うところといえばそれぞれ色味の違う碧眼くらいだろうか。テルシャさんは濃紺の瞳、対するディードは空色の瞳だ。



「レインロード家と言っても、私たちは貴族じゃありません。それにヴィオラさんは息子の恩人です。もし夜まで見つからなかったら……獣に襲われていたかもしれません」

「母さんの言う通りです!」

「けど……」



 残念ながらそう言われてすぐに切り替えが出来るほど面の皮は厚くない。どうしても色々と考えてしまう。

 調子に乗って元の接し方をしたら後で何か言われるんじゃないか。この人たちが何も言ってこなくても運悪くレインロード商会長が帰ってきたら? けど逆にこのままなのも失礼かもしれない。どれが正解なのかわからない。帰りたい。一人で心穏やかに過ごせる森に帰りたい…。

 そういえば物を全部置きっぱなしにしてきたんだった。そろそろ帰らないと全て盗まれているかもしれない。駄目だ余計に帰りたくなってきた。帰りたい。帰りたい帰りたい帰りたい………。



「ヴィオラさん? 何だか顔色が……」

「っいえ、気にしないでください…! あの、私、申し訳ないんですけどそろそろ行かなければならないので……」

「え? ヴィオラさ」

「本当にすみませんっ! お茶、ご馳走でした!」



 呆気に取られる二人を横目に私はレインロード家から飛び出した。少し後から聞こえてくる制止の声にも振り向けない。フードを深く被っていたからテルシャさんには顔は見えてないだろうけど、ディードには思い切り見られてる……後で面倒なことになるかもしれない。それでも今止まる訳にはいかない。今止まったら厄介な難癖付けられるかもしれないんだから。


 ヴィオラは入り組んだ裏道を迷うことなく走り抜ける。とにかく今は森へ、という気持ちだけで走り続けた。

 レインロード家の人間から逃げた、という行為自体が厄介なことを引き付ける事態になりかねないということに未だ気が付かぬまま……。



 ♯♯♯



「ハァッ…はァッ……ハ、ぁ…ハッ……」



 ぶっ通しで森の入口まで走り続けたヴィオラは次第に速度を落とし、けれど止まることなく歩きながら呼吸を整えようと必死だった。上手く息が吸えずに時々咳き込む。その度に酸素が足りなくなって肺が苦しい。

 息を吐きたくない。ずっと吸っていたい。酸素が足りない。呼吸の「吸」だけでいいじゃない。人間はもっと進化すべきだわ。あ、でもそれだと世界中の空気は一瞬で無くなってしまうわね……。

 酸素が回らない脳では、そんな至極どうでもいい考えが勝手に脳を満たす。もしくは無意識の現実逃避か。

 それでも今度こそは迷うまいと、道順だけはしっかりと辿って拠点に向かう。やはり酸素が足りていないのか数度どちらの方向か迷ったが、目印になる木や岩を見分けることでどうにか到着した。その時には肩でしていた呼吸も、多少荒いだけに収まっていた。



「よ、かった……全部、無事ね……」



 出発前と全く同じ状態の拠点を確認し、漸く一息つく。人に盗みを働かれなくとも、獣に荒らさらていたらどうしようかと思っていたのだ。

 とりあえず休みたい。葉などを追加した焚火に火を灯す。

 心を落ち着けるために何かしらのお茶が飲みたい。生憎と茶葉なんてものはないが、数日前から乾燥させていた薬草がある。まだ若干乾燥が足りないが、炒ってしまえばいいだろう。多少味が落ちようと、今は心を落ち着けることが先決だ。

 吊るしておいたコルデを細かくし、焦げないように混ぜながら焙る。そうしている内に混乱していた脳内を通常の動きを取り戻し、心も落ち着いてくる。これならお茶は要らないかもしれない。



「レインロード大商会……まさかディードがそこの息子だったなんて……」



 ぽつりとそう口にすれば、今まで頭が回らなかった部分にも思考の光が当たる。

 大商会を運営する……つまり富豪のレインロード家の息子となれば当然狙われやすいだろう。いくら友人と遊んでいたといっても、こんなところまで来るのは危険すぎる。貧民街だってそう遠くはないのだ。

 そういえば、はぐれたというディードの友人たちは今もディードを探しているのだろうか。


 そんなことを考えている内に即席薬草茶葉が完成する。それを沸かしたお湯に入れて漉せばコルデ茶の完成だ。

 一口啜ってホッと一息つく。我ながらかなりこの生活を満喫しているな、と思う。


 ………今思い出したが、レインロード商会はここら辺一帯の店を仕切っているんじゃなかっただろうか。それに、勿論商業ギルドとも深い繋がりがある。

 あんな風にディードたちを置いて無理やり引き上げて来た以上、合わせる顔がない。今更ながらあれはないと思う。

 真っ当な商売の噂しか聞かないレインロード商会の人間から逃げるなんて、やましい事がありますと言っているようなものじゃないか。



(あ、あれ? もしかして私、この先、この街を顔を晒せないんじゃ……)



 最悪だ。もう髪を剃って仮面をして街に出るしかない。いや待て余計に悪目立ちする。けれど素顔で街に出る度胸はない。もし怪しまれて兵士に通報されていたら…。



「……や………厄日………」



 やはり今日は厄日だ。今迄問題なく森で生活出来ていた代償だ。そうでなきゃ説明がつかない。

 半ば現実逃避の様にそう考え込む。両手で薬草茶を包みながら頭を項垂れる姿は、もし朝から共にいる人間がいたら「今日それ何回目?」と呆れられたことだろう。


 そんな風にある意味自分の思考に沈むヴィオラには、少し遠くで鳴った人為的な葉擦れの音が届くことはなかった。

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