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6.女神の秘宝

 そんな生活を続けることそれから五日。ヴィオラはこの数日ですっかり慣れた朝の洗濯をしながら「自分で言うのもアレだがよく見付からないな」と考えていた。

 正直、どんなに頑張っても三日目か四日目には見付かってしまうと思っていた。けれどそんな事もなく自分は今日まで生活出来ている。



(もしかして捜索願い自体が出されてないのかしら? それなら納得よね)



 が、貴族の義務とはいえ三年間学園に通わせた娘だ。何とか役立たせる為に捜し出すものだと思う。捜索願いが出されていないとも思えないが、こんな小娘が兵士を出し抜けるとも思っていない。不思議だ。



(それにしても、この数日で冷たい川の水にも慣れたものね。初日ほど冷たく感じないわ)



 そんな事を考えながら、そろそろ戻ろうと荷物を纏めている時だった。

 突然視界が明るくなったように感じた。まだ少し薄暗い早朝だと言うのに、日が昇り始めた頃かのような明るさだった。だが、いつも感じる眩しい日差しはどこにもない。

 不思議に思って周囲に視界を走らせていたヴィオラはそこで気付いた。光っていたのだ。いや、光を纏うという方が正しいだろうか。



「何、これ…なんで……」



 驚愕に両の瞳を最大限まで見開いて、自分の両手を凝視する。その手は、腕は、確かに光のヴェールを纏ったように薄ぼんやりと光っていたのだ。

 こういうおかしな現象が起きた時は、大体魔法のせいだと習った。ということは誰かが自分に魔法をかけたのだろうか。だけど、一体何故。

 そうこう考えている内にも光はどんどん強くなっていき、遂には目を細めても直視が難しいくらいに光り輝いていた。困惑と混乱で思考が纏まらないまま、ギュッと目を強く瞑ったヴィオラだったが───本当に突然、ふと、とある文章が脳裏に浮かんだ。



【この魔術については一切の口外を禁ずる。さもなくばこの知識と魔術は消滅する。】



「ま、じゅつ…? 一体何の…」



 じわり。脳に魔法陣が浮かんでは、染み込むように消えていく。その魔法陣に関する説明や注意書き、その他諸々まで共に浮かんでは消える。凄い勢いでそうして大量の───それこそ、先程の文章にあった『知識』が脳に刻み込まれていくのがわかった。

 強制的なそれは魔法陣だけに留まらない。次々と別の知識が流れ込んでくる。

 詳細すぎる座学の類に、専門的な魔術書にあるような物。庶民に伝わる料理から見た事ないような料理の手順書(レシピ)。何だかよく分からない道具とその使い方。見た事も聞いた事もない何かの見た目と使い方。見た事ある道具の中にはその製造方法もあった。さらには学園の図鑑で見た動植物、その特徴や効能、分布。いつ使うのだというような知識までもあった。

 普通であればすぐに目を回して昏倒してしまうような量だったが、不思議なことにそれは何の違和感もなく自分の中に浸透していった。

 どれくらいの間そうしていただろう。次第に知識の浸透する速度が遅くなり、それに比例して眩しい輝きもなりを潜めていった。そうして完全にそれらが収まった時、その場には数多の知識を詰め込まれた一人の少女だけが在った。

 その少女は、一番最後に入ってきた知識───文章を繰り返し心の中で再生する。



【この魔術は代々『女神の秘宝』として次代の王に受け継がれてきた形を成さない国宝である。取り扱いには重々注意し、民の為、国の為に正しい活用をすること。】



(───本当に、一体…どういうことなの……?)



 知識として入ってきた『女神の秘宝』も、それに関する情報も使い方も、何故だか納得してしまって特に違和感はない。私が混乱しているのはこの一文。



『───次代の王に受け継がれてきた───』



(……どういう、ことなのよ……)



 どうしようもない現実なら、今までだって直面してきた。その度諦めてきた。けれど、これはどう受け止めるのが正解なのかがわからない。

 思い切り頭を抱え込んで唸るヴィオラに、太陽の光が差す。その光を反射してキラキラと輝く髪にヴィオラが気付くのは、それから数分後の話だった。




 ♯♯♯




「なんっ、な…!?」



 先程、余りの事に座り込んでしまい、土で汚れた部分を洗おうと改めて川に顔を向けたヴィオラは水面を覗き込んでいた。流れる水のせいで鏡のように見ることは出来ないが、それでもわかる。



(髪が…!? 色が…!?)



 水面に映るヴィオラの髪は、川面が反射する太陽光の煌めきを抜きにしても、髪そのものが光を孕んでいるかのように輝いている。その色は銀。光のせいで白くも見える。

 元々灰色ではあったが、光を受けても輝くどころか鈍く反射するだけの髪だった。しかも灰は灰でも濃灰色だ。こんな風に白に近い色ではない。

 水に映る自分ばかりを凝視していたが、改めて肩に垂れている自分の髪を恐る恐る手に取る。穴が空くほど見ても、何度目を擦っても、やっぱり銀色───光り輝く白銀の髪だった。



「ど、どうして……というかどうしよう……」



 これでは街中でフードを被っていても、もし何かの拍子に飛び出たらかなり目立つ。市街地にいるような庶民で銀髪なんてそうお目にかからない。居たとしても、もっと鈍い色だ。それこそ、いつもの私の髪みたいな。

 せめて金髪であればまだ……。いや、こんな風に輝く髪じゃ、どっちにしろ目立っていた。

 どうしてこんな事にというのはとりあえず横に置いといて、とにかく問題無く人前に出られるようにならないといけない。


 泥で汚す? 垂れないようにショートにする? 何かで染める?

 泥は擦れて取れたらバレるし、ショートも風でフードが取れたら結局同じだ。染色剤が髪にも使えるのかわからないけど、今のところ最後の案が一番安全だろう。



(って、染色剤を買うのに結局街に出ることになるじゃない! そこでバレたら本末転倒よ!)



 髪の色だけで高貴な身分の者だと思われ、人攫いにでも遭ったらかなわない。そこからあの家との繋がりがバレるかもしれない。それならまだ良い方で、もし悪魔や魔物なんかと思われたら確実に捕らえられて下手したら殺される。



「ど、どうにか……どうにかしなきゃ…!」



 顔を真っ青させたヴィオラは出来る限り高速で脳を回転させる。


 染色剤が街で買えないなら、自分で調達するしかない。でもどうやって? 森に材料はあるの? 材料があっても加工は? その道具は? それも自分で作るの? というか染色剤ってどうやって作るの?

 ………そもそも材料がわからないじゃないのよ!!


 再び頭を抱えていた両拳を地面に叩き付け、ヴィオラはそう心の中で叫んだ。

 今すぐに思考放棄したい。してはいけないとわかっていても放棄したい、現実逃避したい。今こそ逃げたい。



「ハァァァ……」



 盛大な溜息吐き、それから一度深呼吸を挟む。混乱した頭で無理やり考えたってロクな案は出ない。先程横に避けた問題から考えよう。

 何故突然、こんな髪になったのか。先程の現象は何だったのか。


『女神の秘宝』の使い方は、既に脳に刻み込まれている。

 その他の知識とやらは、刻み込まれているというよりは「思い出そうとしたら思い出せる」という風になっていた。極普通の記憶と同様だ。

 思い出そうとしなくても勝手に脳裏に浮かぶのはたった数個。『女神の秘宝』の説明、使用方法、注意事項。これだけだ。


 つまり、使用方法に沿って『女神の秘宝』を使えば、欲しい情報が得られる可能性があるという事だ。



(『女神の秘宝』は、初代女王が作った魔術。次世代へ知識を繋ぐ為の、大規模な魔術……)



 そして記載されている特別な魔術を使えば、自分の知識を『女神の秘宝』に追加することか出来る。そうして王は次代の王たちに数多の知識を繋いできた……らしい。


 まず大前提として「次代の王」とは一体どういうことだろうか。私は母の一人娘として生まれ、親戚の男爵家で暮らしていた普通の女である。

 ()()貴族令嬢だが、肉親も親戚も爵位の低い男爵家。それもほぼ庶民だ。少し良い暮らしの貧民とさして変わらないかもしれない。つまり「王」なんて存在との繋がりは皆無。王国民であることは多少の繋がりと言えるかもしれないけど、本当にそれだけだ。

 きっと何かの間違いだと思う。けれど、間違いでこんな作り話みたいな魔術が発動するとも思えない。ましてや、「王」とやらが継いできたものだ。間違いで発動なんかしてたら、今頃この国は機密事項ダダ漏れだ。

 というか「初代女王」が作った魔術がそんな穴だらけな筈がない。



(………あれ? リグザント王国って、初代は「王」の筈じゃ…?)



 まさか、 ここだけの国家機密なのだろうか。初代が女王なのを一般的には隠してて……というか『女神の秘宝』を継ぐ人以外には秘密で……。



(ああぁっ、もう!! 何でこんな面倒な事に!? 私はただ、静かに穏やかに暮らしたいだけなのにっ……!!)



 何となく痛みを訴え始めた気がする頭を抑え、ついでに愚痴や不満を叫びたい衝動も抑える。

 特に頭が痛む原因は、「髪色が変わった理由がわからない」せいだ。

 他の「薬草の効能」だとか「他国の法律」だとかの知識は出てくる。だけど、「突然髪色が変わった理由」というのはいくら思い出そうとしても出てこない。出てくるのは「国ごとの髪色の特徴」「髪色を変える薬剤」「外見を変化させる魔術」なんていう関連情報だけで、直接的な理由は何もわからなかったのだ。

「外見を変化させる魔術」について詳細を求めたが、本当にただ魔術の手順や、必要な物がわかっただけだった。その手順的にも、この魔術が使われた可能性は低い。

 薬剤に関しては後で材料が集まったらありがたく試してみようと思う。



(今日の仕事、ほぼ期限無しの薬草摘みで助かったわ…。人前に顔を出さないでいられる今日中に解決しなくちゃ)



 とにかく、「髪色を変える薬剤」とやらを作ってみようと思う。失敗したら…まぁ、また何か考えよう。

 必要な薬草はレミィの葉、アルキラの蕾。レミィは森の日当たりの良い場所ならよく生えている。アルキラは岩場にぽつぽつと生えている植物だ。岩場と言っても切り立った崖なんていう激しい場所ではなく、森の大きめの岩が連なっている場所だとか、洞窟の入り口近くといった場所だ。幸い、二十分程度歩いた所に思い当たる場所がある。

 薬草の処理も大した手間じゃない。多少問題があるとすれば魔術紙(スクロール)の作成だ。


 魔術紙(スクロール)は魔道具の一種で、魔力を流すと魔術が発動する便利アイテムである。

 大前提として「魔法」と「魔術」は別物なので、各属性に適性がない者でも魔力さえあれば誰でも使うことができる。ただし決して安価とは言えず、しかもほとんどの魔術紙(スクロール)が一回使い切りタイプなので普段使いには適さない。持ち歩くにも嵩張るので、戦闘職や要人貴人、財布に余裕のある人がお守り代わりとして一、二枚懐に入れておくのが魔術紙(スクロール)に対する一般的な感覚だ。

 回数制限のある物や無制限の物もあるようだが、前は回数が増える事に金貨が重なっていくし、後は下手したら国宝レベルだ。


 その中でも下級、中級、上級、特級と分類されているのだが、その違いはまた機会があれば。

 というか、この大陸では何かとランクをこの四種類で分けたがる気がする。わかりやすいから別のいいのだけれど。


 そんな魔術紙(スクロール)であるけれど、本来であれば魔術士しか作成できない。

 それもその筈。魔術紙(スクロール)を作る為の知識は、魔術士になってからでないと教わることができないのだ。学園で魔法学でも魔道具学でもなく、魔術学を専攻して魔術士に就職した者だけが、そこで初めて職場で学ぶことが出来る───つまり、一般に出回ることのない知識をもってして作られているのが魔術紙(スクロール)

 魔術紙(スクロール)を作れるとしたら、現魔術士か元魔術士かだ。

 魔術紙(スクロール)の生産が魔術士の間だけで秘匿されている理由は「粗悪品による事故を起こさないため」である。仮に一般に作り方が出回ると、ほぼ確実に利益を求めて粗悪品が出回る。それを阻止するために、誇り高い彼等は確実な知識と腕を持つ魔術士の間のみにその知識を止めているのだ。

 ………まぁ、そんな魔術士たちの秘匿の努力虚しく、世の中には学園に通わずとも独自に解読して勝手に魔術紙(スクロール)を作る、闇医者ならぬ()()()()が一定数いるわけだが、


 さて、ここまでの知識は全て『女神の秘宝』から引っ張り出してきたものだ。今までの私はこんなこと知らなかった。

『女神の秘宝』には、魔術士たちが守ってきた魔術紙(スクロール)の作成方法まであった。正直、そんな大切なものを私が知ってしまっていいのかという罪悪感が咎めたけれど、この際仕方ない。絶対に他言しません…と、神と魔術士の方々に誓い、今回だけは作らせてもらおう。


 魔術紙(スクロール)に込められる魔術に制限はない。ただ、下級魔術紙(スクロール)用の紙に上級魔術を込めようとすると上手くいかないとか、そういったことはあるみたいだが。要は魔術の階級に沿った素材さえあれば、理論的にはどんな魔術でも魔術紙(スクロール)にすることが出来るのである。

 下級魔術紙(スクロール)用の紙は、街で売っているような普通の羊皮紙で問題なく───上級となるとそうもいかないようだが───つまり、手持ちの手帳の白紙ページでも破いてそこに必要な魔術文字でも魔法陣でも描いてやればいいわけだ。そうすれば魔力を流せば起動する魔術紙(スクロール)が完成する。

 ただし、その魔術文字と魔法陣の組み合わせが難しく、それ故に基礎からしっかりと学んだ魔術士でないと作成は無理だと言われているのだが───幸いこちらには『女神の秘宝』(カンニングペーパー)がある。描き写すだけだ。()()が許されないので難易度は高いが、許容範囲以上に図形や文字がズレていると発動すらしないので暴発の恐れはない………と、思いたい。



「ハァ………これじゃあ、今日は仕事できないかしらね……」



『女神の秘宝』から知識を引っ張り出し、今日これからの目標を定めたヴィオラは、今度こそ荷物を纏めて一度拠点に戻った。




 ♯♯♯




「レニィの葉は炙ってから粉に………アルキラの蕾は湯通ししてからすり潰す………それから………」



 とある森の中。調理器具と火を前にした少女がブツブツと何かを呟きながら手を動かしていた。その少女とは言わずもがなヴィオラなのだが、もう数年は見たことのない集中力で作業を進めていた。自分の世界に没頭しているとでも言うのだろうか。

 それもその筈。先人たちの「知識」は得られても「経験」を得ることは出来なかった。別の件で似たようなことをしているから多少出来ているだけで、全ての作業が初めてなのだ。包丁を握ったことのない人間が、本を読んだだけで完璧な料理が作れるだろうか。否、ほとんどの人間が最初は失敗するだろう。頭でわかっていても、手が上手く動かないことがほとんどなのだ。それが今のヴィオラの状態である。

 失敗で時間を無駄にはしたくない。しかし初めてなので失敗の可能性が高い。だから、本気で集中せざるを得ないのである。

 二種類の薬草を調合すれば、成否は別としてとりあえず薬剤の完成。今度は魔術紙(スクロール)の作成だ。


 白紙に魔法陣を描き、魔術文字を加筆していく。よくわからないままに描いているが今はそれでいい。とにかく忠実に描き上げることだけに集中する。詳細が気になるなら後で時間のある時にでも『女神の秘宝』に頼ればいい。

 必要な魔術紙(スクロール)は二枚。その内の一枚はかなり精密な物で、知らずペンを握る指に力が入る。

 カリカリカリ、と緊張感を纏ったまま描き続けてどれくらい経っただろう。ついに最後の一文字を記したヴィオラは、それまでの緊張を一気に解すかのように深く息を吐いた。



「で、出来た……! …んーっ……疲れたぁ……」



 ぐぐっ、と思い切り大きな伸びをし、長時間同じ体勢で凝り固まった体を解す。世の中の魔術士はこんなに大変な仕事をしているのだと思うと、魔術紙(スクロール)が高いことにも納得である。



「さて、と……。頼むわよ、魔術紙(スクロール)。私の努力を無駄にしないでよね…!!」



 失敗したらすぐに燃やしてやる。と、半ば脅すような形で祈る。無機物にそんな脅しが効くわけもないのだが、ヴィオラだって必死だ。人間の集中力なんて五分が精々のところ、その何倍もの時間集中し続けたのだ。精神的にも体力的にも今日はもう描けそうにない。


 薬剤の入った皿の上に出来上がった魔術紙(スクロール)をかざし、若干強ばる指先で起動用の魔術文字に触れる。そうして一呼吸置いてから魔力を流した結果──。


「きゃっ…!?」



 キンという張り詰めた音が小さく鳴るのが耳に届いた瞬間、文字や陣を記した面から光が飛び出し、薬剤へと吸い込まれていった。

 その薬剤といえば青白い光を帯びていて、しかもただの下処理した薬草を混ぜただけだった薬剤に水気が追加されている。かとおもえば高速で回転し………そんな光景から目を離せないで見つめている内に、動きも青白い光も収まっていった。後に残るのは黄みがかった深緑色の謎の液体。

 いや、薬剤だろうというのはわかるのだが、如何せん色がヤバい。先程までの優しい若葉色の葉や可愛らしい薄ピンクを纏った蕾はどこにいってしまったのだろう。特にピンク要素が完全に消し飛ばされている。



「一応、成功…かしら…?」



 色は兎も角として、とりあえずそれっぽい物が出来たのだ。恐らく成功だと思う。というかそうだと思いたい。



(───あ。こういう時こそ『女神の秘宝』の使い所じゃない。えーっと、薬剤の見た目は…あぁ、多分大丈夫ね。………これを髪に塗り付けるの? 本当に大丈夫かしら……心配になってきたわ)



 今さらながら、これがもし間違った知識だったらどうしよう…という心配が出てきてしまった。大丈夫だと思いたい。思いたいが…。



「〜〜〜っ、き、気合いよ! 別にこんな目立つ色じゃなければどうなってもいいじゃない! 最悪髪が一本残らず抜け落ちてもお金を貯めて鬘を買うか作ればいいのよ!」



 まるで暗示をかけるようにそう叫んだヴィオラは、意を決して皿を掴んだ。そのままの勢いで薬剤を一掬いし、毛先から順に馴染ませていく。その方が綺麗に仕上がるらしい。

 どうにか根元まで薬剤を塗り込むと、ヴィオラはもう一枚の魔術紙(スクロール)を手にした。そうして同じように起動用の魔術文字に魔力を込める。するとこちらも同じく甲高い音の後に文字などが発光し、ヴィオラの髪を風がふわりと持ち上げた。それは一瞬のものではなく…空に留まるようにして、ふよふよふわふわと浮いている。


 その光景を横目に見ていたヴィオラは「私も風に適性があったらこんな風に物を浮かせられたのかしら……」なんて考えていた。風魔法は何かと便利なので風属性持ちが羨ましいと事ある毎に思っていたのである。

 そんなヴィオラを現実に引き戻すかのように、突然ヴィオラの髪を持ち上げていた微風が止んだ。それに伴ってヴィオラの髪もパサリと落ちてくる。恐る恐る触れた髪は、薬剤が乾燥していてパサパサどころの話じゃなかった。パリパリだ。パリッパリガッサガサだ。



(や、ややややっぱり失敗!? 私、ハゲになってしまうの!? 覚悟してたけど! 覚悟してたけど…!!)



 若干涙目になりながら、ヴィオラは『女神の秘宝』通り川の水で()()()()になった髪を洗う。手櫛で髪を梳きながら大量の水で洗い流すと、案外簡単に髪は元の状態に戻った。───と言っても、戻ったのはあくまで「髪質」だけなのだが。



「髪が……」



 そう呟いたヴィオラの瞳に映るのは、またしても水の中の自分。ただし全く同じでは無い。髪は洗ったせいで濡れているし………何より、その「髪色」が決定的に違った。

 今のヴィオラの髪色は、騒動の原因たる銀髪でもなく、以前の濃灰色の髪でもなく、ましてや先程まで髪を染め上げていた薬剤の色でもない。

 瑠璃色。それも、瑠璃の中に数滴銀を落として混ぜたかのような、光を受けて反射するどころか光を取り込んで更に輝くような髪。

 上手くいった───そんな喜びの感情より先に、ヴィオラは心の赴くままに声を上げた。



「結局っ………目立ってんでしょうがぁっ!!!」



 それはもう渾身の力で、残った体力全てを使い果たす勢いの叫びだった。あんなに頑張ったのに、結局目立っていては何も報われない。

 これが普通の家に暮らす普通の女性であったなら髪の美しさに見惚れ、施術担当の腕を褒め、その日は一日気分が高揚したままであっただろう。しかし、ヴィオラの目的はそこにはない。



「なんでよりにもよってこんな色!? 普通茶色とかせめて金髪じゃないの!?」



 王族の秘宝に書いてあるんだからお忍び用の物なんじゃないの!? と、最後に心の中で盛大にツッコミを入れたのを最後に、ヴィオラは力無くその場にヘタり込んだ。

 そうして暫く唸って………ゆるりと顔を上げると、無言で物を片付け始めた。テキパキと物を片付け、後処理をし、改めて髪を洗う。



(銀髪よりはマシ……そう、銀髪よりはマシだわ。この色ならまだ誤魔化せるもの……。遠い街の孤児院出身ってことにすれば、貴族が捨てた私生児だって勝手に思ってくれるかも……。それなら多少目立つ髪でも……)



 無言の作業中、なんと心の中で誰に向けるでもなくそんな言い訳じみた言葉を並べ、精神統一を測っていたのだった。そうでないと、またやり場のない気持ちそのままに叫んでしまいそうだった。


 当分の間フードを脱がなくてもいい仕事を選ぼう。そう心に決めたヴィオラは、太陽の位置で昼に差し掛かっていることを確認すると、溜息を吐きながら黒パンを一つ取り出した。

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