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1.星に誓った日の話

※初手胸糞、暴力微グロ注意※


早速のブックマークありがとうございます!

とても励みになります!

 醒めない夢が見たかった。


 夢、といっても睡眠中に見るあの夢のことではない。

 将来はこんな事がしたいなぁ、なんて考えるあの夢のことである。


 夢を見る事なんてとうの昔に諦めた筈の私がこんな事を言い出したのは、正しく夢の様だと言える星空を目にしたからだろう。


 兎にも角にも、私は夢が見たかった。


 永遠に続く幸せな夢を、醒めることの無い美しい夢を。

 私は見たいと願ってしまったのだ。


 感情というのは不思議なもので、それまで問題なく封じ込められていたと言うのに、一度蓋が外れてしまうと抑えが全く効かなくなってしまう。

 これまで中で増幅してきたのか、封じていた箱ごと壊す勢いで思い切り外に出て誰にも止められなくなってしまうのだ。

 私は今日、それを初めて知った。

 十年以上生きてきて、今日それを初めて知ることが出来たのだ。


 時は数時間前に遡る。




 ♯♯♯




 とある国のとある街、ありふれた家のリビングで少女───ヴィオラ・オーデンスは力無く床に座り込んでいた。

 目の前には冷たい目をしたいつも通りの義母が居る。遠巻きに哀れみを視線を送る義理の兄妹までいつも通りだ。

 さて、この床に座り込む少女ことヴィオラもありふれた生い立ちの人間だった。


 ここはオーデンス男爵家。両親共に実家を頼れない中、幼い頃に実父を亡くした為、母の妹が嫁いだこの家で暮らしているのだ。

 だが我が身を守ってくれる筈の実母は数年前に他界し、今では義母もとい叔母からのストレスの捌け口とされている。

 義理の兄妹は義母の目の無い場所では手を差し伸べてくれるが、今の様な場面では遠巻きに哀れまれるだけだ。

 それでも、裏で助けてくれるだけマシなのだろうが。

 そして義父は───成長するにつれ、性的な目で私を見るようになった。

 それまでは興味無さげに偶に一瞬視線を向けるだけだったのに、成長して胸が出てきた頃だろうか。近頃視線が増えたなと感じる頃には、さり気ないボディタッチまで加わっていた。

 今では如何わしい行為に及んでいないものの、際どい場所への接触が多い。多過ぎる。

 未成年、それもまだ成人まで何年もあるような女子にそんな事をする気が知れない。

 しかもそれを見てしまった叔母が更にストレスを募らせて私にぶつけてくるのだから最悪だ。悪循環にも程がある。


 ………まぁ、それはさておき。


 そんな家族は実はこの国にはそれなりの数が居て、人間関係が上手くいっていない家だってまぁまぁの数がある。

 ヴィオラはそんな中の一人。

 特別不幸な訳でもなく、特別幸運な訳でもない。こういう家庭では極ありふれた少女の内の一人であった。

 ただ、他よりも暴力が目立つ家庭だった。



「その目が気に入らないと何度言ったらわかるの?」

「………すみません」

「謝罪は聞き飽きたわ。もっと他の芸は無いのかしら」

「………申し訳ありません」

「はぁ…。その頭には一体何が詰まっているの? どうせ脳なんて大層なものは詰まっていないんでしょうけど」

「………すみません」



 私だってお前のそのクソみたいな目が大嫌いだ、と心の中で悪態を付きながら口では機械の様に謝罪の言葉だけを口にする。

 長年のこの不毛なやり取りで得た、なるべく早く終わらせる術だ。


 この叔母は私の目が気に入らないそうなので、謝る時は俯きながらというのを忘れない。

 床に視線を固定しながら、まだヒリヒリとする頬の痛みを考えないようにして右から左に叔母の言葉を聞き流す。


 いつもならこうしていれば最後に平手打ちを一発程度食らって終わっているのだが、今日は虫の居所が悪かったのだろうか。それとも、私が座り込んだままの姿勢なのが悪かったのだろうか。

 叔母は唐突に靴の踵で床についている私の手を思い切り踏んだ。



「っっっ!! あ”ぁ”っ……!!」



 これには堪らず私も声を上げる。

 すると、その悲鳴に悦を得たのか更にグリグリと力を込め、おまけに痛みで体勢を崩した私の横腹に渾身の蹴りを入れてくれた。おかげで声にならない悲鳴を上げて蹲るしか出来なかった。

 仮にも相手は女性なので吹っ飛ぶなんて事はなく、精々十数センチ動く程度だったが、それでも鍛えていない腹に蹴りというのはかなら効くもので。私はお得意の謝罪マシーンになる事も出来ずにただ呻いていた。



「クスクスッ……アハハハッ! ねぇ、得意の謝罪はどうしたの? さっきまで気持ち悪いくらい繰り返していたのに……」



 何がおかしいんだ。私が苦しんでいるのがそんなに楽しいか。あぁ、楽しいだろうね。いやいや何よりだ。



 相変わらずそんな悪態を心の中で吐いて心を落ち着かせる。

 そうしてから痛みを訴え咳き込む体を無視し、無理矢理望みの謝罪を口にする。



「も、うし…訳…ゲホッ、ございま、せん……」



 すると叔母は満足したのか、また一言二言罵詈雑言を吐いてさっさと自分の部屋に行ってしまった。


 すると先程まで離れて傍観を決め込んでいた義兄妹が近寄って来て手を差し伸べる。



「……大丈夫か?」



 義兄が気まずそうにそう言う。

 そんな顔をするくらいなら最初から助けてくれ、なんて言えるわけないけど。思わずにはいられない。



「あぁ、また痣が……。冷やす物を取ってくるように言ってあるからもう来る筈だ。立てるか?」



 立てるわけないだろうと心の中で文句を言う。

 一体今まで何を見ていたというんだ。義兄ならともかく私や義妹のような極普通の女子があんな暴力働かれたら五分は動けない。



「少し、難しいです……」

「そうか。でもずっとここに居ると今度は…」



 あぁ、そうだ。今度は義父が帰ってくる。確かにそれはまずい。



「肩を貸す。ゆっくりで良いからお前の部屋に行こう」



 そう言って義兄が私に肩を貸したところで次は義妹が来た。手には濡れタオルを持っている。



「ヴィオラ、大丈夫? ……大丈夫な訳ないわよね。今日のは特に酷いわ」



 心配そうに顔を覗き込む義妹に義兄は、私の自室に連れて行く旨を話す。

 すると義妹は叔母が部屋から出て鉢合わせ無いように見張っていてくれると言う。それは素直にありがたかった。


 自室に戻り、ベッドに腰を下ろす。

 腹の痛みは多少マシになったが、踏まれた手はズキズキしたままだ。落ち着いて見てみると表皮が抉れていた。そりゃズキズキする筈だ。

 それに、何だか腫れている気がする。明日の雑用に響かなければいいのだけれど。仕事が遅いと、また難癖付けられる。



「ヴィオラ、手が……」



 義妹が眉根を寄せて患部を見やる。続いて義兄も同じようにして、それから私の顔を見て言った。



「お前の治癒魔法でどうにかなりそう、か?」

「いえ、どうでしょう……。骨は折れていないと思うのですが、何せ魔力が足りるかどうか……」



 そう、義兄の言う通り私は治癒魔法に適性がある。

 それなりに珍しいらしいが物凄く珍しいという訳でもなく、しかも魔力量が低い。その為去年まで義務として三年間通っていた学校でも特別目を付けられる事もなくそのまま卒業してこの状態だ。

 私の魔力と力量では、精々思い切り机にぶつけた痣だとか軽い擦り傷だとかを、傷痕を残す事無く治すくらいしか出来ない。



「そうなるとやっぱり冷やすしかないわね。ほら、これ」

「いつもありがとう、助かるわ」



 義妹にお礼を言って濡れタオルを受け取る。

 傷口に当てた瞬間つい声が漏れそうになったが何とか抑えた。

 そうして少しして、扉を開けて半身を外に出て叔母の部屋の様子を伺っていた義兄が声を上げた。



「そろそろ母上が部屋から出てくるかもしれない。ヴィオラ、すまないが俺達はこれで……」

「ええ。ありがとうございました」

「ヴィオラ……。あぁ、ほら。見て? 今日は星が特に綺麗だわ。きっと、良い夢が見れる……と、思うわよ。私もヴィオラが穏やかに眠れるように、星に願っておくわ。だから……」

「シャティ、早く」

「あ……じゃあ私達行くわね。おやすみヴィオラ、良い夢を」



 そう言い残して義兄妹は部屋から去っていった。

 とりあえず出来るところまで治癒魔法をかけることにする。手の平を患部にかざし、魔力を込める。

 すると、骨の痛みは引いた。見た目はそこまで変わらなかったが、止血出来たので良しとしよう。腹は……諦めた。もう魔力切れだ。


 暫しそのままの体勢でぼーっとして、それから先程義妹が並べた言葉を反芻する。



 ………良い夢、良い夢ね。それが見れたらどんなに良かったでしょうね。

 シャティはまだ幼いから……私がここ最近、毎晩這い寄る影に怯えている事も知らないのでしょうね。

 見る夢は悪夢。『夢』も、とうの昔に見ることを諦めた。諦めざるを得なかった。だって、そんなの見ても慰めになるどころか虚しいだけだと気付いてしまったから。



 その言葉は罪悪感からか、それとも純粋に心配と慰めからきたものか。真実の程は定かでは無いけれど、何だか無性に泣きたくなった。

 もうずっと生理的な涙以外は流していなかったのに。

 頬を生温い雫が一筋流れていく。


 そのまま窓辺にゆっくり歩み寄る。

 そうして、両開きの窓を静かに開け放った。



 ───………綺麗………。あぁ、あの子の言う通りね。今日は、本当に、星が───



 と、そこでぶわりと何かがせり上がって来て視界がぼやける。星の輝きが視界の中で乱反射して、視界全体が明るくなる。

 次から次から溢れる物を止めることが出来ずに、けれどろくに見えていない星空から目を離すことも出来ないまま私はただ空を見上げていた。

 嗚咽がある訳ではなく、時折鼻をすするだけ。

 それでも、こんな風にまともに泣いたのはいつぶりだったか。ずっと、何年も緊張していたのだろうか。自分から無様な姿は晒すまいという、私に残った僅かな意地が、私を。



 あぁ、星って、こんなに多かったかしら。こんなにも、美しくて、光り輝いてて………。


 ───私は、私は一体何をしているの。こんな家で、ただ生きているだけで。ただ命を繋いでいるだけのこれを、生きているだなんて言わない。言えるわけがない。

 きっと私は、ずっと前から死んでいたのよ。

 死んでいないだけで生きていなかった。そんなの、冷静になればすぐわかる事だったのに。

 あぁ、時間を無駄にしたわ。何年も無駄にしてしまった。

 振り返ってみればお母様が亡くなった時から私は死に始めていて、その少し後には間違いなく完全に死んでいたんだわ。



 グイッと手の甲で目元を拭う。

 上品さなんて欠けらも無い仕草だったけれど、もう気にしない。だって私は死んでいるのだから。


 中身が死んでいるのなら外もそれに伴う様にしなければならない、と思う。

 これ以上放置して中身が腐ってしまう前に終わらせなければ。もう何年もどうでも良かったが、私だって女だ。出来るなら綺麗なままで時を止めたい。


 あぁ、そうだ。出来るだけ汚してやろう。私の部屋は日当たりの悪い端だけど、窓の下が石畳の水場だからわかり易く派手になる筈だ。きっと。



 ………何だか考え始めたらワクワクしてきたわね。ふふ、久しぶりだわ、こんなの。

 あぁ、見た目もなるべく美しくしてからにしようかしら。

 服は一番綺麗な外出着で、髪もしっかり梳かして……軽く綺麗に結ってもいいわね。もうずっと一つにまとめるだけか下ろしたままだったし……。



 何だかこれから遠出するかのようなワクワク感を楽しみつつ、ヴィオラは庶民の娘が着ている様な服が数着だけ入った小さなタンスを開ける。

 いや、最近は街で見る庶民もかなりお洒落だ。こんな服を着ているのは家計が大変な庶民家庭か、一昔前の庶民女性くらいだろう。

 まぁ、古着なので仕方ないのだが。

 そんな中、一着だけあるギリギリ下級貴族が身に付けていてもおかしくないワンピースドレスを取り出す。

 シンプルだが上品な服だ。腰のリボンと、袖部分がヒラヒラしているのが可愛らしくてお気に入りだったのを覚えている。


 服に袖を通し、義妹から譲られたお古の手鏡を机に立てて髪に手櫛を通す。

 濃いグレーの髪はあまり好きではない。実母の髪色とも違うし、地味で老人の様だと馬鹿にされてきたから。

 それにこの藍色の瞳もそこまで好きではない。理由は実母と違う色だから。こうやって見ると、私はわかり易く実母と似た部分が無いように思える。



 おぉ。緩くハーフアップにしてみるとちゃんと貴族女性らしく見える……気がする。

 いや、気にしたら負けよ。外出しても遠目に見られるくらいなら恥ずかしくない見た目じゃない。うん。



 化粧の類はしたくても道具が無いから出来ない。まぁ、あったところで実践した事が無いのだから出来る気がしないのだが。

 そんなこんなで準備は整った。一度部屋の真ん中でくるりとターンをしてみた。

 スカートがふわりと浮いて、ワンテンポ遅れて元の位置に戻る。

 何だかそれだけなのに楽しくなってしまい、二度三度同じ動作を繰り返す。



「ふふっ、ふふふっ……はぁ、何だかおかしくなってきちゃった」



 こんなに楽しいならもっと早く気付いていれば良かったなぁ、なんて考えながら開けっ放しの窓に近付く。

 遺書なんて別に書かなくていいわよね、と思いながら窓枠に手をかけ、足をかけ、そして気付いてしまった。



「あら、この木……いつの間にこんな成長したのかしら」



 これまで木なんて気にする余裕がなかったせいか、何だか初めて気が付いた様な気がする。

 窓から左に三メートル程向こうに立派に葉の生い茂った木が見えたのだ。高さは言わずもがな、二階にあるこの部屋まで十分届いている。



 どうせ今日で終わりだし、ちゃんと見てみようかしら。

 種類は何? 私でもわかる物だといいのだけれど。

 あぁ、そうだ。途中で邪魔されないように鍵でも掛けておいた方がいいかも。



 一旦窓から離れ、昔一度だけ使った事のある内鍵を掛ける。実母が亡くなってすぐの頃、叔母に追い掛けられて怖くて鍵を閉めて閉じ篭ったことがあったのだ。

 まぁ、その後かなり酷い目にあってからは二度と使わなくなったが。結局、ああいうタイプは素直に従った方が早く落ち着くのだと学習したきっかけでもある。



 ………こうやって思い出してみると、改めてろくでもないわね。何かしら。この家の大人はカスしか居ないのかしら。

 あ、そうだったわね。ゴミカスしか居ないんだったわ。

 うふふふ、私ったらうっかりうっかり。



 仮にも貴族家の娘が使うような言葉じゃないのは百も承知だが、酷い悪態をついていないとやってられないというものだ。

 それはそうとして、もう一度窓枠に手を掛けて美しい夜空を見上げた。本当に今日の夜空は美しい。と、いっても夜空を見上げることなんてほとんど無かったからこれが通常なのかもしれないけれど。まぁ、義妹が美しいと言っていたし、きっと今日の星は特に綺麗なのだろう。多分。

 それから足をかけてゆっくり窓枠を越えた。

 私の部屋の窓の下には壁に沿ってちょっとした屋根が着いている。

 一体何の為についているのかよくわからない、あの一階と二階の間についている謎の小屋根のことだ。

 窓枠を掴んでバランスを取りつつ、そこに降り立った。


 こうして部屋の外に出ただけだというのに、驚く程の解放感で感動してしまった。

 窓枠を越えた先はこんなにも自由だったのだ。



「………あぁ、私ったらまた………」



 折角止まった涙がまた溢れてしまい困った。

 今まで我慢した分にしても溢れ過ぎだ。視界が確保出来ないじゃないか。


 一通り泣いたところで、ふと一つの考えが頭をよぎる。



 ………ねぇ。ねぇ、ねぇ、ねぇ………これって………ここから木を伝って、まさか、外に出られるんじゃ………。



 そして、一つの思いが無遠慮に浮上する。



 ───ここから逃げられる───



 気が付いてしまった。今まで気付かなかったのに、ここに来て気付いてしまうなんて。全く、私という人間は。


 いや、無意識に気付かないフリをしていたのかもしれない。逃げられる訳ないと心のどこかで無意識諦めて、最初から選択肢に入れていなかった。


 生きてここから逃げる。逃げられる。

 自由になったら、生き返るかもしれない。生きていない私が、もう一度生きられるように───いや、初めて生きられるかもしれない。

 毎日こんな美しい星空を見上げられるような、そんな心に余裕のある生活が送れたら、私は。


 ドクン、ドクンと心臓が大きく鼓動を打つ。

 期待か、不安か、そのどちらもか。


 そこからの行動は早かったと思う。

 もう一度だけ口を開けたままの息苦しい部屋に戻り、元から少ない荷物を片っ端から掻き集めた。

 それを学生の頃に使っていた大して大きくもない鞄に出来るだけ詰め込む。

 数着だけの薄っぺらい服は更に薄くなるように畳み、下着類はなるべく潰して入れた。

 それ以外の物をこうして見ると、私の持ち物のほとんどが学生の頃の物だ。去年まで学生だったのだから当たり前と言えば当たり前だが、それにしても学生以前の物が少な過ぎて笑ってしまう。

 筆記用具、ハンカチ、水筒、雨具、折り畳みナイフ。植物図鑑と様々な異国について書かれた観光本。

 ずっと隠しておいた、学校の帰りに一目惚れして買った美しい意匠の金属細工のバレッタ。


 ハンカチはまだ傷の塞がらない手に巻いておいた。数日かけて治癒魔法をかけていこうと思う。


 それから、学生の頃ちょっとしたバイトで手に入れた僅かな貯金を大事に仕舞う。これで私の持ち物は全部だ。

 笑ってしまうくらい少ないこれらが、私を飾る全てなのだ。


 そうして窓枠に手を掛けて、一度振り返った。

 備え付けの簡素な家具だけを残して後は何も無い。

 元からこんなだったが、今はもう、少し乱れたベッドシーツ以外は人が住んでいた痕跡を確認出来ない。



「………もう二度と、貴方達の気持ち悪い顔を見たくないの。私も近付かないから、二度と関わらないでね。シャティとお兄様は………まぁ、結局助けてくれたから、許すまでいかなくても恨まないであげる。永遠に会わないでしょうけど。………じゃあね、クソッタレのごみ溜め野郎共」



 グッと足に力を込めて一気に窓枠を越えた。

 さすがいつも雑用しているだけあるというか、自分で自分を褒めるのもどうかと思うけど、そこまで音を立てる事もなく身軽に乗り越えることが出来た。

 それから先程見付けた木に手を掛ける。

 幸い、ここは裏の水場だ。少しくらい木が揺れても、きっと誰も気付かない。この時間なら尚更。


 落ちないように気を付けつつもなるべく早く木を降りる。

 出っ張りに掴まって、足を掛けて、地面が近くなったら飛び降りて。


 そうして地面に降り立ったヴィオラは次に庭の塀を乗り越えると、一切振り返らずに郊外へと駆け出して行った。

 その表情は今までで一番晴れやかで、とても幸せそうな笑みを携えていた。



 ───どこに行こうか。街はきっとすぐに見付かる。郊外の浅い森の中なんてどうだろう。あそこは水もあるし、この時期は木の実が成っているわ。

 大丈夫よ、一度は死のうとしたんだもの。失敗しても予定通り死ぬだけよ。何て事ないわ。

 だって、だって、私は今、間違いなく一度は生きたままあの家から逃げ出しているんだもの。



 走って、走って、走って───目的地である郊外のちょっとした森に辿り着いた時、ヴィオラは堪えきれずに息も絶え絶えに笑い出した。



「はぁっ、はあっ……。ふふっ………ははっ、あは、あははははっ! はぁ、何だ、こんなに簡単だったじゃない! ははははっ……!!」



 笑っている筈なのにやっぱり目からは何か溢れていて、感情がごちゃ混ぜになって自分でもよくわからない。

 一頻り笑って泣いて、少し落ち着いた頃にヴィオラは何度目かになる星空を見上げる動作をした。

 そうして誰にでもなくヴィオラは語り出す。



「ねぇ、私、夢が決まったのよ。いえ、自覚しただけかも。まぁ、兎に角、とっても素敵な夢なのよ! 聞かせてあげる」



 ヴィオラは一度目を瞑り深呼吸をした。

 もう一度目を開いた時には、あの家で常にそうだった死んだ目ではなく、間違いなく生きている強い輝きの双眸を空に向けていた。



「辛い時に助けてくれなかった神様なんかじゃなくて、今日この夜に輝いている星々に………貴方達に誓うわ。私はきっと、夢を叶えてみせる。私の、私だけの、夢を。穏やかに、幸せに暮らすという、素晴らしく素敵な私の為の夢を、絶対に………」



 その強い思いを含む言葉を聞いていたのはヴィオラ自身と、目の前の森の自然と、そして何より無数に輝く満天の星空だけだった。


 こうして私は体だけが生きているヴィオラ・オーデンスではなく、正しく生きているただのヴィオラになったのだ。

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