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Chance!  作者: 我堂 由果
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踊り場

 放課後、笹本は掃除当番で、リクは下駄箱に向かって一人で階段を下りていた。

 昼休みに職員室へ冬休みの宿題を提出しに行ったり、休んでいた間に配られたプリントを受け取りに行ったり、昼休みが慌ただしくて、川原と雨宮と田端には会えずじまいであった。水野の話どころか川原に謝ることもできなかった。放課後急いで川原の教室へ行ってみたが、もう部活へ向かったらしく姿は無い。部活の部屋まで押し掛ける訳にもいかないので、今日はもう諦めるしかなかった。

 階段を下りながら夕食を何にしようか考えていた。買い物は昼間のうちにキースがスーパーへ行っておいてくれると言っていた。栄養のある物を食べろとポールから言われているので、キースとチャンスはまた肉を選ぶ気がするが、リクはいい加減刺身が食べたくなってきた。正月はエドに付き合って食事が肉中心だったし、リクが寝込んでいる間は冷蔵庫にストックした食材での高カロリー食中心だったので、魚料理は少なかった。魚が恋しい。特に刺身が。そんなことを考えながら階段の踊り場で体の方向を変えようとした時、それは突然起きた。


 ぐにゃり、と踊り場から見える階下へ向かう階段が歪んだ。全身から一気に力が抜けていく。危険を感じたリクは、踊り場から上階へ向かう階段の一番下の段の手摺の横にゆっくりと腰を下ろした。これがポールの言っていた発作だと直感した。次にするのは深呼吸だ。マスクを外し、踊り場の床を見ながら深呼吸をした。階段は帰宅する者、部活へ行く者で、上り下りとも結構混み合っている。リクの横を通り過ぎる生徒達が口々に何か言っているのが、リクの耳にも聞こえてきた。踊り場で立ち止まって遠巻きに見ている、数名の生徒の影もチラチラ見える。

「どうしたのかしら」

「先生呼ぶ?」

「通れないけど何やっているんだ?」

「下に具合悪い奴いるみたいだぜ。近くに先生いねぇ?」

 リクは通行の邪魔になっていると思ったが、体が動かせるまで待つしか方法がない。しかしなかなか脱力感が治まらないし、立ち上がったら先程同様目の前が歪みそうだ。思い通りに戻らない体に、何分こうしていればいいのかと段々不安になってきた。甘く見ずにポールの言う通り、最初の二日間は寝て過ごすべきだったと後悔していた。


「大丈夫か?」

 誰かがリクの前に屈んだらしくリクの前の床に影ができ、それからそう話し掛けられた。床を見るリクの目に話し掛けてきた人物の足元が見える。上履きに油性ペンで丁寧に書かれた名前が目に入った。リクはその名前に驚いた。上履きには『広瀬』と書かれていた。まさかとは思ったが確かめたくて顔を上げる。リクの頭の五十センチ位上から、以前笹本から教えてもらって覚えた広瀬の顔がリクを覗き込んでいた。鷺沢学園ハイスクールバスケットボールチームとアルファベットで書かれたスポーツバッグを持っているから、これから部活へ行くのだと思われた。見回すと他にも同じバッグを持ったバスケ部の一年生らしき生徒三人が広瀬と一緒に踊り場にいて、広瀬の後ろからリクを覗き込んでいた。

「保健室行けそうか?」

 初めて聞いた広瀬の声はクールそうな外見とは違い、優しく爽やかな声であった。女子が喜びそうな声だ。

「ありがとう。でも大丈夫だから。暫くこうしていれば治まるから」

 保健室の先生ではこの症状をどうすることもできない。唯一、何とかできそうなのは川原だが、部活に行っているし負担を掛けたくない。とにかく治まるのを待ち、治まったら真っ直ぐ家に帰って横になろうとリクは考えていた。

「汗が酷いよ」

 広瀬に指摘されて初めて、リクは自分が真冬だというのに汗びっしょりで、額や頬にまで汗粒が流れているのに気付いた。

「これ飲める?」

 広瀬は透明の液体の入ったプラスチックのカップを差し出した。

「ありがとう」

 リクは受け取ると水だろうと思い一気に飲んだ。少し甘い。スポーツドリンクを水で薄めた感じだ。見ると広瀬が、カバーを着せた太めの水筒型の容器を手にしている。運動部員がその形の容器に、水分補給用のスポーツドリンクを入れて持っているのを、リクは教室でよく見掛けていた。リクが渡されたプラスチックのカップには、プロテインの商品名と容量の目盛が印刷されている。これはプロテインを溶かす為に持って来たシェイカーのようだ。リクが口を付けている飲み口の辺りに蓋をはめる為の螺旋状の凸凹も付いている。これもよく運動部員が持っていた。汗びっしょりのリクの身には、冷たい飲み物は美味しかった。広瀬が容器から更に注ぎ足してくれて、合計三百ミリリットル位飲んでしまった。


 それから数分経って大分体に力が戻ってきた。何とか立てそうだ。そこでやっと頭が動き始めた。考えてみれば広瀬は部活の時に必要で、飲み物やカップを用意したのではないのか。飲み物は減らしてしまったしカップは汚してしまった。広瀬に申し訳なく思っていると。

「桜井! 大丈夫か!」

 階段の上方から担任の声がした。誰かが担任を呼んでくれたようだ。もう階段にはリクとバスケ部員達しかいない。

「じゃあな、気を付けて帰れよ」

 広瀬はリクからプラスチックのカップを受け取ると、部活仲間と共に立ち去った。どんどん階段を下りて行く。

「広瀬、あの!」

 声を掛けたが広瀬は振り向きもしない。

「ありがとう!」

 リクはできるだけ大きな声で広瀬の後ろ姿に礼を言った。


 帰宅して学校で座り込んでしまったことを話すと、キースに部屋で寝ていろと言われた。

 布団に横になっていると先程の広瀬を思い出す。外見と頭は完璧だとは思っていたが、更に性格もいいとは知らなかった。リクはもっとかかわり難い相手だと思っていた。リクのような地味で目立たない生徒には話し掛けもしないし、今日みたいな場面では無視して素通りするタイプだろうと勝手に思っていた。でもリクにとても親切だった。立ち止まって気に掛けてくれた。外見・成績の上にあれなら、女子から人気が出るのは当然だ。人を外見で判断してはいけないと、リクは広瀬に対する思い込みを反省した。明日、広瀬と他のバスケットボール部の一年生達にも礼を言おう。リクはそう考えながら目を瞑った。


 一時間位眠った頃だろうか、キースがリクを起こしに来た。ポールが来たと言う。時刻を確認すると午後六時半。また仕事を抜け出して来てくれたのかもしれない。リクが起き上がって部屋を出ると、既に食卓の脇にポールが待っていてくれた。

「学校で具合悪くなったんだって?」

「はい。でもその場に座って何とかなりました」

 リクは椅子に腰掛けながら言った。ポールはテーブルの脇に立ったままリクの頭に手を置いた。

「学校では勉強をするのに頭を使うから、痣から力を自然と脳に回そうとして放課後少し疲れたようだ。まぁ、明日になれば大丈夫だろう。でも体育はまだ駄目だ」

 ポールは診察を終えると帰って行った。キッチンカウンターの向こうを見ると、キースが肉と野菜を炒めている。チャンスがキッチンカウンターの上からその様子を眺めていた。

 先程ポールが来た時、リクを起こしに来たのはキースだった。きっとトーチに脅されただろう。キースは何も言わないし気にしている素振りもない。ああして黙々とリクの為に働いている。椅子に座ったままキースをぼんやり見ていると。

「肉野菜炒めを作ったが、納豆も食べるか?」

 キースに尋ねられた。納豆はキースの天敵でリクの好物。キースは気にするなと言っているが、リクは納豆を極力キースの前では食べないようにしていた。キースが食べ終わって片付け始めた頃、リクはお代りした御飯に、こっそりのせて食べたりしていた。

「ああ、それは自分で用意するよ」

 リクは立ち上がると納豆を取りに冷蔵庫へ向かった。小口切りにした長ネギと納豆を取り出すと、最後に食べようとテーブルの隅に置いた。

読んでくださってありがとうございました。

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