母と佐久間
一体、今の夢は何だったのだろう。思い返すと昨晩、佐久間に母の夢について聞きそびれた。それが頭の隅に残っていて見た、ただの意味のない夢なのかもしれない。それとも何か意味のある夢なのだろうか。
「おはようございます、リク様。大丈夫ですか?」
チャンスの声がした。どこに居るのだろうと見回すと、ベッド脇の床の上にチャンスが居た。
「おはよう。昨晩はキースの所に居たんじゃないのか?」
「仕事が一段落ついた後、エド様にここに運んでもらいました。やはり夜中はリク様のお傍に居たいので。今朝、飛び起きられましたが、また夢を見られたのですか?」
「うっ」
チャンスにばれてしまった。チャンスは絶対黙っていないだろう。この後エドや佐久間にチャンスから報告される。この妙な夢の内容の報告なんて、夢に出て来た二人には特にしたくないのに。リクはどう話そうかと頭を抱えた。
「リク様、ドアを開けてください」
リクが頭を抱えて唸っている間に、チャンスは部屋のドアまで自力で移動していた。仕方なくベッドから立ち上がってドアを開けた。開いたドアの隙間からチャンスは廊下へ出る。そしてチャンスのペースで悠々と廊下を歩いて行った。
朝食を食べに部屋から出るのが憂鬱だ。時計を見ると時刻は七時半。もうここでこれ以上粘れない。ドアが開いていたから勝手に離れの中を覗いた夢なんて、何て言ったらいいのか。夢とはいえ、言いつけを守れない小学生みたいではないか。高校生にもなって恥ずかしい。ベッドに座り溜息を吐いて頭を抱えていると、ドアがノックされた。
「リック、話はチャンスから聞いたぞ。大丈夫か?」
ドアの外に居るのはエドだ。リクを心配してくれている。もう隠れている訳にはいかない。
「大丈夫だよ。着替えたら朝御飯を食べに行くから」
リクは鞄から着替えを取り出した。着替えてベッドを整えるとそっとドアを開ける。廊下に顔だけ出して左右を見ると、廊下には誰も居なかった。外に出るとドアの音が響かないように気を付けてそっと閉める。途中トイレに寄ってから、足音を立てないように静かにゆっくりと廊下を、皆が集まる部屋に向かった。
部屋にはローテーブルの上にチャンス居るだけだったが、隣の部屋になるキッチン脇の食卓には三人が揃っていて、三人は先に座って食事を始めていた。食卓の上には昨日買ったパンと野菜スープと焼いたベーコンとイチゴをのせたヨーグルトが置かれている。佐久間とエドにはコーヒー、リクとキースにはカフェオレが用意されていた。
「おはようございます」
リクは気まずく思いながらも挨拶だけはした。三人も挨拶を返してくれた。食事中だからか、まだ特に何も聞かれない。食欲がない訳ではないので朝食は普通に食べる。だが折角の高級パンも、これからのエドと佐久間からの追及を思うと味がしない。何て言おう、何て説明しよう、いや、何て言い訳しようと、食事中そればかり考えていた。食事を終え、食器の片付けも終え、歯磨きや洗面も終え、予想通りリクは一人掛けのソファに座らされ、三人に囲まれた。ローテーブルの上にはリクを見上げるチャンス。リクは観念して全てを話すしかなかった。
まずは年末に見た母の夢。あの時リクはキースに、『母の夢を見た。夢の中の季節が真夏で。ただそれだけなんだけど』とだけ告げた。エドにもそう報告されているだろう。でも誰にも母が佐久間邸に居る夢だとは教えていなかった。そこから話し始めた。それから今朝見た夢。最後にエドと佐久間が出て来たことまで全て話した。エドと佐久間は顔を見合わせている。リクは佐久間がリクの夢の中の行動を、不快に思うのではないかと気になっていた。しかし佐久間にそのような様子はない。寧ろ顔を見合わせている二人は困惑している表情だ。リクは二人が何故そんな顔をするのかわからなかった。
「困ったな」
まずそう言ったのは佐久間だった。正に表情と言葉が一致していた。
「困りましたね」
次はエド。こちらも佐久間と一緒だ。
「どうするかなぁ」
佐久間は天井を見て溜息を吐く。
「話したくはないのだが、話すしかないか。エドはどう思う?」
「これに関しては一生話す気は無かったですし、どうしても必要なら成人してからと思っていました。でも今後の影響を考えると仕方ないですね」
「厄介だな。どうやら、リクは夢で過去を見る能力に目覚めてしまったようだな」
エドはリクの正面の一人掛けソファに座った。佐久間はリクの隣の三人掛けのソファの真ん中に座る。キースはチャンスを抱えるとリクの方を向いて、少し離れた椅子に座った。エドは一生話すつもりのなかった話だと言っている。本当は聞かない方がいい話なのだろうと思うと、リクは不安を覚えた。
「由香里が二十歳から二十七歳頃までの話を、詳しくリクに話さなければならなそうだ。一つ言っておくが、楽しい話ではない」
佐久間はそう言うとソファの背凭れに体を預けた。由香里とはリクの母の名前だった。
「だから夏に母親の話は大まかにしか話さなかったんだ。詳しい話はできればリックには聞かせたくなかった」
エドはそう言って両手で頭を抱えた。
「俺が初めて由香里と知り合ったのは、由香里が二十歳位の頃だった。この家は見ての通り広い。手入れが大変だ。俺は仕事が忙しいし、家には殆ど居ない。それで知り合いに頼んで家政婦を紹介してもらったんだ。それが由香里だった。彼女には俺が不在中の家の掃除や、俺が客を連れて来た時のお茶や食事の支度を頼んでいた。リクが夢で見たのは家の掃除に来た彼女だろう。彼女には離れの掃除も頼んでいたし、庭に咲く季節の花を室内のあちこちによく生けてくれた。久し振りに海外から帰って来て、掃除された部屋の中に花が生けられているのを見ると、当時彼女を雇って本当によかったと思ったよ。彼女は賢かったし、よく働いてくれたから、俺はこの家の全てを彼女に任せた」
リクは部屋の中を見回した。ここを母が掃除していたのだ。
「キース、この家には何冊くらい本があるか知っているか?」
佐久間は急にキースに話をふった。
「まだ全てを見てはいないのでわかりません」
「地下室には行ってみたか?」
「はい、俺が今まで確認した部屋の中で一番、本の数が多かったです。本棚のみならず床にまで本が山積みにされてて、俺はまだ殆ど手を付けていません」
「コンピューターで管理している訳ではないし、集めている俺も全く本の数も場所も把握しきっていない。由香里はこの家の中の本を全部把握していた。彼女に聞けばその本がある場所を教えてくれた。由香里が知らない外国語で書かれた本のタイトルも、紙に書いて見せればその本のある場所に連れて行ってくれた。部屋の掃除をしているだけで、全て覚えてしまったそうだ。素晴らしい記憶力だった。読書も大好きで、私が構わないと言ったら本を何冊も借りて帰った」
佐久間は背凭れに寄り掛かったまま目を閉じた。リクは佐久間が当時の母を思い出している気がした。
「夏の話の補足をするよ。お母さんを気に入ったアメリカ在住の日本人夫婦というのは佐久間邸の本に関心があって来日した人達で、ここで彼女の記憶力に驚いて彼女と話をして、是非養女にと欲しがった。お母さんを俺に紹介してくれた、日本人夫婦と親しい仕事関係の知り合いとは佐久間先生だ。あの時は話さなかったが実はお母さんは佐久間先生に雇われていて、以前から日本に素晴らしい女性がいると、俺は佐久間先生から彼女の話だけは聞いていた」
エドは頭を抱えるのを止めリクの方を見ると、そう付け加えた。
「次はリクが生まれる少し前頃の話をしよう」
佐久間が再び話し始めた。
「由香里が君を身籠った時、君の日本のお祖父さんお祖母さんは産むのを反対し、常識的な人生を選ばなかった娘を非難した。同じ頃にフォレスター家からもロバートとリリーから遣いが来て、彼女の説得を始めた。精神的に参ったのであろう彼女は俺の所に相談に来た。それで俺はあの離れに彼女を匿うことにしたんだ。離れの中の荷物を母屋に移し、あの中で彼女が生活できるようにした。彼女にとっては仕事に来ていた場所だ。敷地内はよくわかっている。自由に過ごしていいと言ったら彼女はお礼だと言って、大きなお腹になっても屋敷の掃除をしてくれた。俺は日本に居ない時もあるし仕事もあるから、常に彼女に付いていてあげられない。俺の不在時に誰かが押し掛けて来て彼女を責めたりされたくないから、ここに彼女が居るとは誰にも話さなかった。彼女の両親にも、フォレスター家にも、エドにすら彼女がここに居ると連絡できなかった。そこまであの時の彼女は追い詰められていた」
佐久間の話に、エドは辛そうに再び頭を抱えたまま項垂れている。
「しかしその結果、アメリカのエドを孤立させてしまった。当時の当主ロバートに意見できる者はいない。エドは両親の要求を飲まざるを得なくなっていた」
エドはセシリアと結婚した。リクを守る為。フォレスター家の正式な跡取りを作る為に。
「俺がエドに由香里について連絡したのは、リクが生まれた直後だった。由香里が無事に男の子を産んだことだけは、父親のエドに伝えようと思っていた。その時、痣がないのも確認して伝えた。エドはもし可能ならその男の子に、自分に優しかった大好きな祖父の名前を付けて欲しいと頼んできた。由香里に伝えると、由香里は赤ん坊にリチャードと名前を付けた」
リクはエドを見た。エドは両手の指を祈るように組み合わせて両肘を膝の上にのせ、その手に額を付けた。過去を悔いているのか、悲しんでいるのか、目を瞑って一言も発しなかった。
読んでくださってありがとうございました。




