離れの夢
「心を入れ替えて食生活を見直しているとは思えないチョイスだな」
佐久間はエドの買ってきた大量の肉をキースが袋から出して、キッチンカウンターに並べているのを見て呆れていた。
「日本に来たら和牛のステーキが食べたいでしょう」
エドはチェスをする佐久間とチャンスの隣に立って、チェス盤を見ながらニヤついていた。キースは冷蔵庫に高級和牛をしまわせてもらっている。リクは野菜のストックは何があるか佐久間に相談した。それで今晩のステーキの付け合わせを考えねばならない。佐久間は冷蔵庫やキッチンの棚の中の食料は勝手に使っていいと言ってくれた。
「先程、トオル・ミズノとその娘に偶然会いました」
「ほう」
佐久間はチャンスと対戦しているチェスの手を止めると、エドを見た。
「確かに娘は俺の母の好みですね。自己主張が激しそうな帰国子女の日本女性」
エドが立つ位置からはキッチン内が少し見える。エドは冷蔵庫内の食材を確認するキースにチラリと目を向けた。エドと目の合ったキースはムッとした表情をすると、キッチン内の、エドから見えない場所に移動する。
「トオル・ミズノとは普通の会話をしましたよ。まぁ、お互い探り合っている間柄ですが」
「フォレスト社が矢上グループを調べていたのは、ばれていないと思います。俺もチャンスもそんなヘマはしません」
再びエドから見える場所に移動したキースは、カッティングボードの上に買ってきたパンを置いて、ブレッドナイフで切り始めた。
「気付かぬうちにフォレスターグループを探られたことをまだ根に持っているのか、キースは」
佐久間は笑う。キースはまだ少し熱の残っている焼き立てパンを皿に並べると、佐久間の隣にもう一つ小さなテーブルを持って来て、その上にそれを置いた。リクはケトルで沸かしたお湯で紅茶を入れる。見るからに値段の高そうな豪華なティーセットをトレーに乗せると慎重に運んで、丁寧に部屋の真ん中にあるローテーブルの上に置いて一息吐いた。
「リク、そんなに青い顔して運ばなくたって、落として割れても怒らないよ」
佐久間はまた笑う。エドはパンを一つ手で取り齧りながらチャンスを膝にのせると、チェスの駒を代わりに動かしてやった。
割れても怒らないと言われてもやはり手が震える。リクはポットからティーカップに紅茶を入れると、全員に配った。無事配り終わるとホッとして、息を吐きながら三人掛けソファの真ん中に脱力して座る。でもまだこれから飲み終わった後の片付けがあるのだ。食器棚にティーセットを洗ってしまい終わるまで気を抜けないと思いながら、リクは高級紅茶に口を付けた。
「行儀が悪いぞ、エド。パンのかすを、チェス盤の上に落とすな」
「あー、後で片付けます」
「全く、相変わらず生活全般がいい加減だな。リクやキースの方が、躾が行き届いている」
「それはよかったです」
リクはエドと佐久間を見ていて面白いなと思う。エドは佐久間の前でリラックスしているというか、いい大人のくせに子供のように振舞っている。佐久間もエドを子供のように扱っている。思い出してみれば、エドは佐久間がエドを子供扱いするとアメリカで言っていた。
「あ、そうだ、キース。一つ仕事を頼みたいので、アメリカに戻る前に計画を詰めておきたいんだ。仕事はチャンスにも手伝ってもらえると有り難い」
「わかりました」
「早速今晩から開始しよう」
エドはチャンスの取った駒を右手の平の上で転がしながらチェス盤を見ている。リクはエドがその仕事の為に頭を働かせているのだと直感した。
夕食後、エド、キース、チャンスは仕事をすると言って佐久間の書斎へ移動して行った。リクと佐久間はいつもの部屋に二人で残された。佐久間と二人きりになったリクは、佐久間に聞きたいことがあった。ただ、佐久間は日頃世話になっている人物である。失礼な聞き方はできない。どう尋ねたらいいのかリクは迷っていた。
「早速明日から痣の使い方の練習を始めたい。でもその前に、リクは全く痣を感じていないのだよね?」
「はい」
「ここには今、丁度エドが居る。まずはエドにやってもらうかな」
「お父さん?」
「一族の中に偶にいるんだよ。折角痣があるのに上手くトーチの力を引っ張り込めない子供が。その時、当主がその子供に会って直接トーチの力を感じさせて、痣からトーチへの通路のようなものが存在しているのをわからせるんだ。まずはその方法を試してみよう。当主のエドならできる」
やはり佐久間はリクに親切だ。親戚の伯父さんって、こんな感じなのかもしれない。リクは意味なく笑顔になった。
「急に笑って、どうした?」
「あ、いえ、クラスメートとかから、親戚の伯父さんの家に遊びに行ったとか、お祖母ちゃんの家に行ったら伯父さんが来ていたとか、そんな話を聞くんです。俺、親戚が全然いないから、伯父さんって佐久間さんのような感じなのかなって想像していたんです」
「リクから伯父さんと思ってもらえるのは嬉しいよ。俺も子供の頃はおじさんと呼べる親戚はいなかったな。ただ俺には姉が一人いた。優しい姉だったが、もうこの世にはいない」
佐久間の姉ならまだそんなに高齢ではない筈だ。でももう亡くなっている。こんなにお金持なのに佐久間の人生は、恋人とも姉とも死に別れねばならなかった。この広い家の中で佐久間はたった一人だ。
「どうも俺の身の上話は湿っぽくなるな。そんな気の毒そうな顔をしないでくれ」
そう言って笑う佐久間の表情はでも寂しそうだ。この空気にリクは聞きたかったことが聞き辛くなってしまった。今日はもう聞くのは止めようと思った。またの機会にしようと今日は諦める。リクが佐久間に聞いてみたかったのは、佐久間邸に居た母の夢についてだった。
その晩リクは夢を見た。リクはよくある週末の訓練の時のように佐久間邸の庭にいた。空は薄曇り。いつも見る佐久間邸の景色なのに、何故か今日のリクにはその景色に違和感があった。最初何が違和感なのかわからなかったが、よく観察しているうちに気が付いた。それは離れだった。リクの立っている位置から少し遠いが離れが見えた。そしていつもは閉まっているその離れの入り口のドアが完全に開いていた。違和感はそれであった。何故今日はドアが開いているのか。リクはじっと離れのドアを見詰める。
「キース! 佐久間さん!」
誰か居ないかと、誰かから返事がないかと大声で叫んでみた。しかし誰の返事もない。今、佐久間邸にいるのはリク一人なのかもしれない。リクはいけないと思いつつもふらふらと離れへ向かって歩いて行った。リクの母は夢の中であのドアの向こうへ少しも躊躇わず入って行った。佐久間にあの中へ入るのを許されていた。しかしリクは入らないでくれと言われている。果たしてリクがあのドアの向こうを見てもいいものか。でも今、離れのドアは全開だ。近寄れば間違いなく中が覗ける。リクは一度、風見鶏の前で足を止めた。どこから飛んできたのか風見鶏にはボロ布が絡み付いていた。このまま風見鶏を回り込み、離れの正面に回れば中が覗ける。中には佐久間の恋人の思い出がしまわれていると言われた。中を無断で見てはいけない、でも気になる。暫くその場で葛藤したが、リクは一歩を踏み出してしまった。そのまま開かれたドアの中の部屋を覗き込んだ。
「え……」
リクは小さな声でそう言った。
リクはその前で立ち尽くす。離れの中には何もなかった。何も置かれていないただの空き部屋だった。 急に風が吹き始めた。風見鶏が風でカラカラと音を立てて回り、ボロ布は風見鶏に巻き付いたり解けたりを繰り返す。部屋の中の物はどこに行ったのだろう。佐久間の思い出の品はどこにあるのだろう。リクは見なければよかったと後悔した。がらんどうのこの部屋はあまりにも寂し過ぎる。そして何故かこの空っぽの光景が悲しかった。この部屋をこれ以上見ていたくなくて、リクはゆっくりと後退る。そして離れに背を向けた時、門の方からやって来る二人の人影が見えた。離れに向かって歩いて来る。遠くて誰だかよくわからない。リクは急いで離れの裏に回り身を潜めた。
「この家では暫く暮らしたくないな。思い出があり過ぎる」
「西海岸に来ますか? 滞在先探しを手伝いますよ」
佐久間とエドの声だ。ということは、あの人影はこの二人だったのだ。リクは見付からないようにと祈った。しかし離れの裏手に回って来る二人の足音が聞こえた。これは見付かる。
――まずい!
そこでリクは飛び起きた。
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