何が起きてるんだ?
翌朝のキースは何もなかったかのように起きてきた。チャンスの様子も変わりはない。リクはあれから十五分後にこっそり歯を磨いて寝直したが、その時もうキースの部屋の電気は消えていた。
朝食を一緒に食べていても予想通りキースからリクへ話はなかった。
キースは食後直ぐに出掛ける準備を始めた。まず自分の部屋からバックパックを持ってきた。それからリビングのテーブルの上にいるチャンスの腹に、画像を映した時に使ったあの白い画面を出させた。その画面をキースは指で触っている。チャンスの目の中の左右に動いていた青い光が真ん中に止まってどんどん小さくなっていった。機械の音も殆どしない。スリープモードにしたとキースは言った。チャンスは緩衝材に丁寧に包まれ発泡スチロールのケースに入れられて、バックパックにしまわれる。
「今日はフォレスト社の日本支社で仕事があるんだ」
とキースは言っているが仕事へ行く服装には見えない。いつも通りのポロシャツとコットンパンツ。それに紫外線避けにサングラスを掛けていた。駅へと向かっていく日本のサラリーマン達を基準にすると、キースの服装は会社へ行く仕事着には見えなかった。大学生にしてはサングラスがちょっと怪しい。駅へ向かう道と学校へ向かう道との分岐点となる交差点でリクとキースとは別れた。
キースと入れ替わるように、駅方向から笹本と雨宮が二人で何か話し込みながら歩いて来た。リクは二人が来るのを待つと声を掛ける。
「おはよー」
二人は顔をリクに向けおはようと応じる。
「昨日はごめん、寝落ちした」
「だと思った。でもちゃんと英語の解答は届いていたぜ。ありがとな」
「笹本お前英語も宿題出てたのか? 昨日の数学の宿題、結構鬼畜だったろ?」
雨宮は驚いた顔をしている。
「そうそう。予備校行って、晩飯食べてから数学の宿題何とか終わらせて、英語の宿題も難しい問題多くてさ、夜遅くなってとうとう桜井に助けてもらった」
「笹本数学のクラスも宿題出てたんだ。雨宮も一緒のクラス?」
笹本の数学のクラスは中学からこの学校に通っている中でも、数学の成績が優秀な生徒を集めたクラスで、勉強をかなり先取りで進ませていた。それについて行けている雨宮も笹本同様数学が得意ということになる。
「雨宮は学年の上位五人に入る頭の持ち主だぞ。ていうか、雨宮・川原・田端で学年二・三・四位をいつも争っているよな。因みに五位があの水野だ。で、一位は他の追随を全く許さず、ダントツでいつも広瀬って一組のバスケ部の奴だ。でも今回、高校から新しく入ってきた奴らがいるから、この不動の五人が動くかもしれないな。五位以内争いに新たなメンバーが加わるかも」
「雨宮達って、実は凄いんだな」
雨宮も川原も田端もイケメンに入る。その上頭もいい。リクは何となく嫌な予感がした。
「広瀬はイケメン高校生だぞ」
リクの考えを読んだかのように、笹本がそう告げてきた。
「隣の校舎の中学生の女子達の中にも、バスケ部が部活の日は広瀬目当てで、高校体育館に見学に来てる奴いるぜ」
笹本が付け足した。
「何人か告った女子もいたみたいだけど、片っ端からふってるって、あいつ。高校卒業したら海外の大学へ行くんじゃないか?」
雨宮も広瀬の噂に詳しかった。それだけ広瀬は目立つ人物だということだ。
頭のいいイケメン。何故か最近リクの周りに多い。リクは更に嫌な予感、もっと増えそうな気がした。
その日リクが帰宅すると直ぐに、キースとチャンスも帰って来た。リクはキースとチャンスの帰宅がもっと遅いと予想していたので、一人で取り組むつもりだった宿題をチャンスに手伝ってもらえてあっという間に終わった。教科書とノートを片付けた後、リクとキースで適当に夕食を作る。メニューはその日に家にある食材から、チャンスが決めてくれる。こういうくだらない作業にチャンスの能力を使っても、チャンスがリクの役に立っていると嬉しそうに話す姿を見てからキースは文句を言わなくなった。チャンスに甘いキースはチャンスの素直な反応に何も言えないのだろう。
食事が終わるとキースの家庭教師が始まる。今日はリクにとっては体力知力をフルに使いきる英会話だ。キースとチャンス二人掛かりで、二時間近くガンガンに英語のみで責められるのだ。終わると精神的にどっと疲れるし、発音が悪いと何度でも言い直しをさせられるので、口周辺の筋肉も疲れる。リクがリスニングに悪戦苦闘していると、キースの携帯が鳴った。
「Excuse me.」
リクとチャンスにそう言うと、キースは立ち上がってリクとチャンスから少し離れ電話に出た。そしていきなり日本語で話し出す。
「キースです。……あ、いえ。………そうですか。もちろん大丈夫です。社長も承知していらっしゃいますので。では、明日もよろしくお願いします」
キースは電話を切ると、チャンスの方へ顔を向けた。
「今回の一件が片付くまで、俺達は毎日、日本支社へ行かねばならなそうだ」
「今日と同じ仕事ですか?」
昨晩の電話といい、今の電話といい、キースとチャンスはことの詳細を知っている。でも昨晩の電話を立ち聞きしていた者がいるとは、キースとチャンスは多分知らない。二人が何か話してくれるまで、リクは気になるが知らぬ振りをしているしかない。
「さぁ、続けるよ」
電話を終えたキースがテーブルを挟んだリクの真正面の席に戻って来た。夏休みまであと二カ月。その前に中間考査がある。少しは成績上がるかなと、リクは電話のことを一旦忘れることにした。
翌日も学校と駅との道の分岐点で、キースと別れた。一人学校へ向かっていると、後ろから肩を叩かれる。
え? と思って振り返ると、田端だった。
「おはよう、桜井」
「おはよう」
笹本、雨宮、田端は駅方向から学校へ向かう。この三人の誰かとは、この駅からの道との合流点辺りでよく出くわした。川原は学校前のバス停を利用するので、校門付近で偶に一緒になることがある。
「あ、水野」
その日はリク達の五メートル位前を、水野が歩いていた。艶のあるストレートロングの黒髪。明らかに制服の標準丈よりスカートを短くしている為、形のいい太ももから膝裏・脹脛・足首までがはっきり見えている。
「あ? 桜井も水野が気になるの? 好み?」
「別にそういう訳じゃ……。ただスカートの長さが……脚が」
田端は噴出してから笑っている。
「田端は水野は好みじゃないの?」
田端と水野。並ぶとお似合いだと思うが。
「へ? 水野?」
田端は大きな薄茶色の瞳の目を少し見開いて間抜けな声を出すと嫌そうな顔をして、右手を顔の前で振った。
「ないない。俺の好みはどちらかというと川原の妹」
「え? 川原って妹いるの?」
「いるよ。川原そっくりの。川原って顔立ちが優しいだろ。あの顔を女の子にした感じ。学園トップクラスの美少女。今、中二だ。同じ学校だから隣の校舎にいる」
「え~、会ってみたいな」
「なかなか会わせてもらえないぞ。こっそり見に行ったのがばれると、あいつ暫く口聞いてくれない。どうやら俺達は妹の害虫らしい」
「残念だな」
「お前が水野の脚ガン見してた上に、妹に会いたがっているなんて川原が知ったら……」
「やめろよ。頼む」
「言わねーよ」
「はぁ~よかった。ところで田端は兄弟いないの?」
笹本、雨宮は一人っ子と先日リクに話してくれた。
「え、あ、俺? ……俺は……、兄弟は……いない」
田端は直ぐに答えられなかった。一言一言の間に妙な間があって、兄弟はいないという言葉はリクに違和感を与えた。その違和感からリクが導き出した答えは、いないんじゃなくて以前はいたのではないか、であった。肉親の話をふるのがまずい人間がこんな短期間にリクの周囲にもう一人増えた。
「そっか」
もう数メートルで校門だ。バス停の方から川原が来た。リクは川原に声をかけ、さり気なく話題を変えた。
あれから一週間。キースとチャンスは毎日日本支社に行っていて、リクの帰宅直後位の時間に揃って帰って来た。キースは少し苛ついているというか、疲れているというか、顔色がすぐれなかった。それでもリクの家庭教師の手を抜こうとしない。
日本支社での仕事がきついのでは働かせ過ぎなのではと、リクは心配になってきた。
キースが風呂に入っている間に、リクはこっそりチャンスに話し掛けてみる。
「最近二人は忙しいの?」
「私とキースですか?」
「うん」
「詳しい事はお話し出来ないのですが、思ったよりも日本支社で梃子摺っていて通常業務にいつ戻れるかわからなくて、社長の命令を受けた支社のメンバー達とキースは困っているみたいです」
「俺が言うのも何だけど、もし大変なら家庭教師の時間を減らしてもらっても」
「それはないと思います。キースの日本での仕事のメインは、リク様の家庭教師ですから」
「そうなの? だってフォレスト社の社員じゃないの?」
「正確には違います。社員にしてしまうとエド様の思い通りに動かせなくなってしまうので。ただフォレスト社の本社内でキースを知らない社員はいないと思います」
「じゃあ俺に出来るのは家事くらいか。俺が家事はやっておくから、キースは仕事に専念してもらって構わないんだけど」
「そう提案してみてはいかがですか?」
「俺からキースに? 無理だよ、何か怖いし」
「怖い? 何故?」
「う~ん、上手く言えないけど、俺はキースより頭が悪いから、俺に口は出されたくなさそう。それにキースは俺を嫌いだろうし」
「キースはリク様を嫌ってはいないと思います」
「え? それこそどうしてそう思うの?」
「キースが今迄嫌ってきた人間と、リク様が全く違うからです」
「え?」
「私が今迄見てきた中で、キースが嫌う身近な人間は大まか二種類です。キースが里子だからと見下す人間と、私を物として扱ったり乱暴な言葉を掛けたりする人間です。キースの周囲の一族にはそういう人間が多いですから」
そんな不快なことをする人間がキースの周りに多かったとは、リクには信じられなかった。チャンスが言うのだから正しいのだろうが、リクはキースにそんな態度を取るつもりはない。寧ろリクの方がキースに見下されてもおかしくないと思っていたし、だから怖いと感じていた。
風呂場の扉の開く音がした。チャンスとの話は終わらせるしかない。
「でもなぁ、やっぱり言い難いよなぁ。あんなにIQ高そうな奴に」
最後にそう一言だけチャンスにこぼした。
しかし直ぐにリクはそれどころではなくなった。中間考査が近くなってきていたからだ。
読んでくださりありがとうございました。




