自覚のないキース
ポールが戻って来た。
「ポールさん、川原は大丈夫ですか?」
リクは真っ先にそれを聞いた。
「リク君、戻ったのか?」
「今だけです」
「ルカは大丈夫だ。数日安静にしていれば、元気になる」
「良かった」
川原が無事で。
『思った程、面白くねぇ。つまんねー』
隠れていたこいつが戻って来た。もう交代だ。
「ありがとう、笹本。俺はもうタイムリミットみたいだ。あいつがまた悪態吐くかも」
「お前、日頃真面目だから、今、吐きたいだけ吐いとけ。学校で会おう」
「うん」
リクはまた沈黙させられた。インターホンが鳴った。ピザが来た。佐久間が門へ受け取りに向かう。キースがパソコンの電源を切っていた。時計を見ると時刻は九時四十分。ピザを持って戻った佐久間は、ローテーブルの上にピザの箱を置いた。蓋を開けると熱々のピザ。美味しそうだけれど、リクの中のこいつは興味を示さない。笹本とキースとポールは食べ始めている。
「リク。食べないのか?」
佐久間が話し掛けた。
「いらない」
やはりこいつは反抗的。リクと感覚を共有しているなら、腹が空いている筈なのだが。
「食べないと体が持たないぞ」
「じゃ家に帰らせろよ。家で食う」
「その外見で外に出るのか? 随分と目立つが」
「明日の夕方までここでクソ親父を待てというのか? 退屈でやってらんねぇ」
「外見だけではないな。その性格では社会で直ぐに他人とトラブルを起こす。我儘過ぎて我慢なんてものはできないだろう? 強制的にここに居てもらうぞ」
佐久間と目があった次の瞬間、リクの体から力が抜けた。一瞬にして体の自由が完全に佐久間に奪われたこいつは、怒り捲っている。声も出せないので佐久間に文句も言えない。
今までソファに座って悪態を吐いていたリクが急にソファから転がり落ちそうになったのを、キースは食い入るように見ていた。夏休みにアメリカで、リリーがリクに目で暗示を掛けようとした。佐久間にもあれと似た能力があるのかもしれない。佐久間はリクの体を受け止めると再びソファに座らせ、背凭れと肘掛けに体が乗るように寄り掛からせる。
「後でベッドに運ぼう。どうせ明日の朝まで自力では動けない。もう悪態は聞き飽きた」
キースは相変わらず食べる手を止めてリクを見ている。今リクは意識はある。嫌でもキースと目が合った。キースはしつこくリクを見詰め続ける。佐久間がロサンゼルスで、大柄な医者を気絶させ簡単に拉致してきたのを、キースは不思議がっていた。キースは今のリクの状態が気になっているようだ。
「ごちそう様でした」
笹本が皿とコップをキッチンに運ぼうとしていた。
「笹本君、それはそのままでいいよ。それよりも君から話を聞いておきたいんだ。明日リクの父親も聞きたいだろうし、どういう経緯で二人は不良に絡まれたんだ?」
笹本は起きた事件の経緯を詳しく佐久間に語り始めた。商店街でのこと、学校までの道でのこと、体育館裏で起きたこと、彼らの評判や親のこと。
事件の発端は彼らの撮った写真だったと聞いた途端、キースの顔色が変わった。
「すみません。俺の責任です」
笹本の話が終わると直ぐに、キースは誰へともなく謝罪の言葉を口にした。
「俺は全く気付いていませんでした。写真を撮られていたなんて。リクを迎えに行くに当たって、周囲に気を配ってはいました。でもそれはロバート様とリリー様と一族と。一般人のスマホなんて、気に掛けなかった。それ以上に、『外に出たら周囲には気を付けて』というエド先生からの注意の言葉も、下らないと聞き流していました。何も本気で考えなかった。リクが人質を取られ俺を呼びだすように脅されたのも、元はと言えば俺がこの件に関していい加減に対処していた所為です。俺もリクと一緒に川原と笹本を送り買い物に行けばよかった。あの程度の不良なら、適当に追っ払える。そうすればこんな事態には」
佐久間とポールの表情は呆気にとられている。笹本もポカンとした顔。
「キース、自覚ないんだ。天才なのに」
笹本の発したその一言で吹き出す佐久間とポール。
「これに関しては、天才とか、それは関係ないよ」
佐久間はそう言った。
「圭祐君の御両親には、家に来て遊んでいるけど、十一時までには送り届けると連絡してあるんだ。もうそろそろ、ここを出ないと」
ポールが笹本にそう言いながら立ち上がった。
「ルカはどうする? 明日の朝まで預かろうか?」
「もうそろそろ歩けると思いますので、連れて帰ります」
ポールは川原を迎えに行った。直ぐに少し眠そうな顔の川原がやって来た。自力で歩けているようだが顔色が悪い。
「俺達はもう出るが、キースはどうする? ここに残るか? 一旦家に戻るか?」
「リクはここから出す訳にはいかないし、チャンスは預かれるぞ」
佐久間自身がトップクラスのセキュリティーと言える。佐久間はチャンスを預けるのに何ら心配のない人物だ。リクの身もしっかり守り抜ける。
「じゃあ、チャンスをお願いします。俺は今晩は一旦家に戻ります。明日からここでお世話になる為の荷物を持って来たいですし、あす朝一番ここに戻ってもいいですか?」
「わかった。リクは当分動けないし、じきに寝るだろうからから大丈夫だよ。チャンスはチェスや読書が好きだろう? 相手をしてよう」
「まず圭祐君を家に届けて、それからキースをマンションの入り口で降ろします」
「俺は電車で戻りますよ。ここは来慣れた場所ですし」
「もう夜も遅いし、夕方あんなこともあったんだ。キースも未成年だ。今日はポールに送ってもらった方がいい」
四人は玄関へ向かって行った。
自分の体が宙に浮いているのかと思ったが、違う。誰かがリクを抱っこして、運んでいるのだ。ふわふわと運ばれて行く体。どこに運ばれて行くのだろう。でも怖いとは思わない。寧ろ安心した。エドに寄り掛かっている時の、あの安心感と似ていた。
布団かベッドか、体が柔らかい何かの上にそっと下ろされた。今まで感じていた人の体温が無くなってちょっと寒い。でも掛け布団がふわりと体に掛けられた。それから大きな手が頭に触れる感触がして、リクの頭を優しく撫でる。この手はエドの手のような気がする。エドがもう来たのなら顔を見たいけれど、眠くて目が開けられない。
「ちゃんと元の姿に戻れるから、安心して眠りなさい」
佐久間の声だ。ではこの手はエドではなく佐久間の手なのだろう。
「おやすみ、リク」
佐久間の声はこれでもかという程優しかった。ドアの静かに閉まる音がした。
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