フォレスター一族の守り火
狭いワンルームの玄関を、深緑色の大型のトランクが塞いでいた。
机の上のチャンスは白い外装を剥がされて、中の配線やパーツを剥き出しにされて、更に大量のコードを取り付けられて、その先はパソコンに繋げられている。チャンスの中ってそんなになっているのかと、パソコンのキーボードを忙しなく叩いている人物の後ろからリクはそっと覗き込んだ。クルクル回っていた首のパーツなんてよく見てみたいが、リクにとってこれ以上近付くのはその人物がちょっと、いや、かなり怖い。
今から三十分前。玄関を開けると、黒髪の身長百八十センチ位の細身の青年が立っていた。レモンイエローのパーカーにジーンズといったラフな服装。耳より少し長めのウェーブのかかった髪。神秘的で印象的で引き込まれそうなエメラルドグリーンの瞳。しかしその瞳はリクに対しての敵意を剥き出しにしていた。
『君が桜井リチャード?』
静かだが得体のしれない威圧の込められた声でそう言うと、キースと名乗った人物はリクを上から睨み付けた。その迫力にリクは棒立ちでただ頷く。
『チャンスは?』
『机の上に』
キースはリクの体を軽く押しのけるとズカズカと部屋の中に入って来たが、チャンスを抱き上げるとその頭を包み込むように撫で始めた。リクの位置からはキースの顔は横顔しか見えないが、それでも表情が和らいでいくのがわかる。チャンスを見る時のキースの目は、リクを見る時とは別人のように優しい目だった。
『チャンスがここに届いたのは二週間近く前だったよな。そのあとここで何があったのか、詳しく話してくれないか』
相変わらず、リクに対する時の声は威圧的なままである。リクは今までのことを一つ一つ思い出しながら、時系列に沿って話した。一通り話し終わると、キースは何やらブツブツ独り言を言っていた。先程からキースはリクとの会話は日本語だが、いきなり小声の英語になったので、これは会話ではなく独り言なのだろうと、リクは再びキースが日本語で話してくれるのを待っていた。キースは目を瞑ると、何かを考え込むように顎に手を当てた。それから数十秒後、ようやく考えがまとまったのかキースは目を開けた。
『とにかく、まずはチャンスを再起動させる』
キースの言葉に再び日本語が戻って来た。
そして現在に至る。日曜日にチャンスが八重桜の下で言っていたキースがリクの前に現れた。
リクはもっと年配の人物を想像していただけに、自分と大差なさそうなキースの外見には驚いていた。こんなに若いのにこれだけのロボットが作れるなんて一体どんな脳味噌をしているのだろうと、リクはキースの後ろ姿を感心して眺めていた。キーボードを叩き始めてからキースは一言も喋らない。リクからも話し掛けられない。キースの背中が思いっきりリクを拒絶しているからだ。この部屋のドアが開いてリクの顔を見た時から、キースはリクを睨んでいた。チャンスが取り返しのつかない状態になっていたら、殴られるとか殺されるとかそんな想像をさせられる位怖い眼だった。チャンスが無事で少し軟化したように見えたが、リクが気に入らないという態度は全く変わらない。
暫くするとキースはズボンのポケットからスマホを取り出した。そしてスマホに何かを打ち込み始めたが、すぐにスマホをパソコンの隣に置いてキーボードの作業に戻った。またキーボードを叩き続ける。
「時間が掛かるんだ。待ってなくていい。他のことでもしててくれ。必要があれば声を掛ける」
キースはリクに背中を向けたままそう言った。狭い部屋の中を、キーボードを叩く音だけが流れていく。
「わかった」
勉強机はチャンスの修理の為にキースが使っているので、食卓の上に教科書とノートを広げる。リクは宿題を始めた。
「君に話がある」
それから一時間位経った頃、スマホを片手にキースがリクに話し掛けてきた。リクはノートに書き込んでいた手を止めると、勉強机の椅子に座っていたキースの方を見る。キースは真剣な顔でパソコンではなくスマホの画面をじっと見詰めていた。机の上のチャンスはコードが全部外され、外装もはめられ、元のロボットの姿に戻っている。ただまだ起動していない。動かないし、目に光がなかった。キースはスマホに視線を向けたままリクの方へ歩いてくると、リクの真正面の食卓の椅子に腰掛けた。
「チャンスは後はスイッチを入れればいいだけだ。また動き出す」
スマホをズボンのポケットにしまいながら、キースはそう告げた。
「よかった」
リクはホッとした。元に戻らなかったらどうしようと、ずっと心配していたのだ。
「だが問題はこれからだ」
そう言ったキースの表情は硬かった。僅かに顔を下に向けて、目はテーブルの上に置かれているリクの手元を見ている。その顔がゆっくりと上げられ、リクと視線を合わせた。もう睨んではいないが、好意的な視線ともいえない。
「来週から日本は連休だろう。学校も休みだろうから君のお父さんが日本に来て、その時にチャンスについて君と話し合う筈だった」
「え?」
「君が捨ててしまったと言っていた取扱説明書とバースデーカード、君にはそちらを読んでおいて欲しかった。そうしていれば、こんな混乱は起きなかったんだ」
確かにチャンスは動かなくなってしまった。でも混乱なんて言葉が使われる程の事態になっているようにはリクには思えない。
「さっきチャンスを点検しながら、君のお父さん――エド先生って呼ばせてもらうけど――に指示を仰ぐ為にメールをした。現地時間が夜中なのでエド先生には申し訳ないとは思ったが、俺達の為にまだ起きていてくださった。そして今返事が来た」
リクはキースが父を先生と呼ぶ理由を聞きたかったが、今はそれどころではなさそうだった。
「エド先生は来週来日した時に、君に全てを話すつもりだった。でも当分アメリカを離れられそうもなくなった。それで、簡単な説明を君にするように俺に指示された。俺が話していいと言われたのはメールの内容だけで、それ以上の詳しい話は直接先生に聞いてもらうしかない。伝えなくていいと書かれているから」
キースはちらりとズボンのポケットの中のスマホに目をやったが、すぐにまたリクに視線を戻す。
「そのロボットの中に入っているチャンスという人工知能が作られた目的は、フォレスター一族の次期当主をサポートする為だった。本来チャンスのマスターとは、フォレスター一族の次期当主だ」
「へ?」
フォレスター一族。次期当主。リクは先日のスマホの検索結果を思い出す。
「フォレスター一族の現当主はエド先生だ。今までは代々長男世襲で問題なかったが、今フォレスター家側では悪いが君を長男とは認めていない。しかし今回、君はチャンスに登録されてしまった」
リクが話に追い付いていないのに、キースはどんどん話を進める。
「ちょっと待ってくれ。フォレスターって、俺の父親の実家だよな?」
「そうだ」
「チャンスはその一族当主の跡継ぎの為に作られたんだよな?」
「そうだ」
「それが何でここに送られてきたんだ?」
キースは突然押し黙った。一瞬悔しそうな表情を浮かべたが、だがそれは直ぐに消えた。
「キース?」
「俺はそれについて詳しくは聞いていないし、俺にはエド先生のお考えは理解できない。来週先生はフォレスター前当主に会わねばならなくなったそうだ。それで連休に来日できなくなった。だから君には当分会えない。前当主とは、先生のお父上、つまり君の祖父だ。君とチャンスの今後についての話し合いと先生はおっしゃっているが……前当主は間違いなく、かなりご立腹だ」
父親の父親と聞いて、リクは初めて父方の祖父が生きていると知らされた。しかし今までの父方からの扱いから祖父がリクを嫌っているのは言われなくてもわかるし、そんな人間とは寧ろ関わり合いたくない。
「俺はフォレスター家には興味はないし当主になる気もない。チャンスのマスターをやめてチャンスを返せというならそうするし、解決方法が何かないのか?」
「今のところはない」
キースは即答した。チャンスに登録される時にマスター変更なんて簡単に出来るだろうと高を括っていた自分を、リクは罵りたくなってきた。
「そもそもチャンスのマスターを、そう簡単に変えられては困る。そう簡単に変えられないように徹底したプログラミングがなされているし、ここを弄るとなると大仕事になる。しかもそれだけじゃなく、内蔵できる火の問題も複雑に絡んでくる」
「火? あのケースに入った火? あれは何?」
「あれは」
キースから火という言葉が出た。リクがチャンスについて誰にも話さなかった理由の一つがあの正体不明の火だった。
「口外してないよな?」
キースはまずそれを確認した。
「してない」
「してたら、事態はもっと大変なことになる。わかっているか?」
「何が言いたいのかわからないけど、誰にも話してないよ」
「あれは、一族に伝わる『トーチ』と呼ばれる火の一部で、大元のトーチから分けられた、植物で言う株分けされた物だ。トーチには守護者が必要で、守護者はこれまでずっと一族の当主がなっている。当然現在の守護者、一族の当主はエド先生だ。トーチの大元は今エド先生が持っている。そしてエド先生は息子の君に次期当主として株分けされたトーチを渡した。次期当主は常に現当主の長男がなり、長男が十六歳になるとトーチは株分けされて与えられる」
「あ」
リクは宅配が十六歳の誕生日の前日に届いたのを思い出した。
「大元のトーチと株分けされたトーチは意思疎通していて、守護者として相応しくない人物を拒否する。だが、どちらのトーチも何故か君を守護者として認めたようだ。これでトーチが君を見限るまで、フォレスター一族の次期当主は君という事になる」
「ちょっと待ってくれ。あの火はただの映像か何かだろう? 何、意思があるって」
「先程チャンスの中を調べたところでは、チャンスの中のトーチは君を守護者と認め、大元のトーチもそれを認めているという結果が出た。チャンスはマスターである君を通して株分けされたトーチの力も大元のトーチの力も利用できるように作られているし、今利用できる状態になっている」
「トーチの力? それって何?」
「一族達を守り抜くのに必要な力だ。それがなければ今の一族の繁栄はなかった。信じられないかもしれないが、そのうち信じられるようになるさ。これから不思議な現象を、沢山目の当たりにするからね」
キースは話は終わりだと言わんばかりに食卓の椅子から立ち上がると、勉強机の椅子に戻った。
「本来はエド先生が直接君に会って話すべきなのだが、それができなくなり俺が頼まれた。これは一族の存亡にかかわる重大な話だからな。今からチャンスのスイッチを入れる」
キースはチャンスを仰向けに寝かせて足の裏に付いている小さな蓋を開けると、コードを射してパソコンと繋いだ。パソコンの画面を確認しながらキーボードを叩く。
「今迄チャンスのスイッチを切っていたのは、俺の話した内容から、フォレスター一族が君を疎ましく思っていると、チャンスに聞かれたくなかったからだ。チャンスはマスターが決まって喜んでいるだろう? そんな話を聞かせたら可哀想だ。やたらな話をチャンスに聞かせるな。納得いく説明を求められるし、納得できなければ自分で調べる。調べた結果から、予想もたてる。そういう風に作られている。鋭いし、手強いし、しつこいぞ」
チャンスの体からパソコンにスイッチを入れたみたいな機械音がし始めた。それから目の中に青い光が灯る。十秒後、青い光が目の中を左右に動き始めた。
「チャンス!」
リクは机に駆け寄り、チャンスの顔を覗き込んだ。キースが仰向けになっていたチャンスを立たせる。チャンスは顔をリクの顔の方へ上向けた。
「おはようございます、リク様」
「よかった~」
チャンスがまた起動して、リクは安堵の息を吐いた。チャンスは左右上下と首をクルクルと動かした後、目の前に座る人物キースで首の動きを止めた。
「キース! キース!」
チャンスの声はいつも以上に嬉しそうだった。チャンスにとってキースは、製作者であり、教育者であり、親代わり。甘えた声のチャンスを見ていて、リクはチャンスとキースを離れ離れにさせるのは可哀想な気がした。
「日本に来ていたのですか?」
「チャンスに連絡が取れなくなったからだよ」
「そういえばここ数日のデータがありません。バッテリー切れだったようですね」
キースからリクに、冷たい視線がチラリとだけ向けられた。取扱説明書に書いてあったのかもしれないチャンスに可哀想なことをしたと、リクは心の中で詫びた。
「当分俺が日本に居るからこういう事態にはもうならないよ」
「そうですか。じゃあ、リク様のお役に存分に立てますね」
チャンスは嬉しそうに言う。早速チャンスの中で何やら作業を始める機械音がし始めた。
「WEBチラシのチェックが始められます。食材は何が残っていますか? 洗剤などが足りないようでしたら、薬局のチラシのチェックもしておきますが」
チャンスが停止する前の、リクとの当たり前の日常会話が戻って来た。が、今ここにはキースがいる。チャンスを作った、大天才の。
キースの顔が引き攣る。リクの顔もきっと引き攣っているだろうと思った。お互い顔の引き攣る理由は間違いなく違う。
「君はチャンスを何に使っていたんだ? チャンスの頭脳は世界トップクラスだぞ」
この部屋に入って来た時に近い威圧感のある声が、キースの口から発せられた。
「日常生活を少し、ちょっと、協力してもらってて……」
リクの声は少し怯えていた。語尾も段々と小さくなっていく。
「どうかしましたか?」
リクとキースの間にある空気が変わった所為で、作業中のチャンスが不安そうに尋ねてくる。
「いや、何でもないよ」
キースが穏やかな声で間髪を入れずに返答した。リクに対する時とチャンスに対する時と、キースの声は全く違う。
キースは修理を始める時にかけたメガネを外してケースに入れると、パソコンと一緒に鞄にしまった。コード類も一本一本丁寧に丸めて片付けている。
「それから、このゴールデンウィークは引っ越しになるから、明日から準備を始めてくれ」
キースは手を止めず、淡々と話した。
「引っ越し? 何で?」
「先生が俺を日本に寄越したのは、チャンスの世話と君のおもに英語の家庭教師をさせる為だ。その為には一緒に生活する方がいいから、俺達は同居することになった。とはいえここは単身用で狭いから、近くの2LDKを先生が契約してくれた」
「ちょ……ちょっと待って! 一緒に生活するって俺とキースが?」
「そうだ。俺も先生のご命令なら従うしかない」
キースは他にも日本でやる仕事があると言って、玄関のトランクを持ってさっさと引き揚げて行った。その時キースは玄関先でリクの手に携帯の番号を書いた紙を押し付け、チャンスに何かあったら夜中でも連絡をくれと言い残した。リクの携帯番号とメールアドレスはリクの父から聞いているので、後日そのメールアドレスにキースが引っ越しの日時と新住所を送ってくれるという。
父はリクへ、ロボットチャンスの次は家庭教師キースを寄越した。キースは主に英語を教えると言っている。もはやリクは、英語は嫌いだ苦手だと逃れられそうもない。これからあの威圧感の塊のようなアメリカ人と暮らすのかと思うと憂鬱だった。
キースが出て行ってドアが閉まると、リクは食卓の椅子にどっかりと腰を下して前のめりになり、溜息を吐いた。
「お疲れのようですね。買い物は止めておきますか?」
「いや、大丈夫。冷蔵庫の中がほぼ空っぽなんだ。買い物は行かないと」
「任せてください!」
チャンスが嬉々としてWEBチラシのチェックを始めた。
読んでくださってありがとうございました。




