タイムリミット
十二月に入った。制服のジャケットの下にセーターを着込んで通学する。このまま三月まで乗り切るかそれともPコートを買うか、リクは迷っていた。
先週日曜日、とうとう制服のズボンを作りに、学校の指定デパートへ行った。雨宮から譲ってもらったズボンも短くなってきたからだ。チャンスに測ってもらうと、身長は百七十六・七センチ。四月から随分と伸びた。ただ細いのは改善されず、制服のズボンのウエストも一般高校生よりもかなり細い。偶に佐久間に行き合うと、寿司とか焼き肉とか連れて行ってくれた。リクを太らせる計画は未だ進行中なのだそうだ。もっと寒くなったら河豚料理を食べようと誘いを受けたが、家に帰ってネットで河豚の値段を見て目が点になった。た、高い。
あれからキースとチャンスは――どうやったのかわからないし、絶対に知りたくない――矢上グループと水野家について調べ上げた。
水野の父親は水野会長の息子であった。会長は厳格な人物で、息子だからといって簡単に後継ぎにはしなかった。水野の父親は若いうちはアメリカの企業で働き、実績を積み上げてから日本に帰国し、その経歴からグループ内の会社の社長に抜擢された。実力で社長に就任している。水野の母親も海外で経験を積んだ優秀な女性で、グループ内の会社の一つで社長をしている。娘の水野も多分、親と同じ道を歩くつもりなのだろう。その為に、フォレスターグループの会社への就職に興味があるのではないかと思われた。水野の父親の水野亨(みずの とおる)はアメリカ生活が長く、アメリカ国内で顔が広い。それを伝手にフォレスト社の情報を手に入れたのだろうと予想された。フォレスト社の社員は一族ばかりではない。一族ならキースを探られたら警戒する。口を閉ざす筈だ。一族ではない社員に水野亨に近い者が見付かった。噂話としてあれこれ口を滑らせた可能性が高い。他にもフォレスターグループ系列の企業内での人脈も、素晴らしい程作り上げていた。エドは、Mizunoは有能なやり手だと感嘆していた。
ある日の学食。とうとうリク以外の全員に水野は接触した。雨宮は一週間前笹本同様、駅に向かう途中。田端は五日前、校門の側。川原は昨日バス停で。ほぼ質問内容は笹本と同じで、更にキースを紹介して欲しがった。三人共相手にしなかったそうだが、実際この中で雨宮だけは家出騒動の時キースの携帯の番号とアドレスを教わっていて、キースに直接連絡が取れるのをリクは覚えていた。
「皆、ごめんな」
リクは謝るしかない。四人は気にするなと言ってくれた。そんな五人の席に水野が近付いて来た。水野が学食に居るなんて珍しい。
「五人でつるんでいるのね」
水野は立ったままで、リク達を見下ろしながら話し掛けた。
「しつこいな、何の用だ」
雨宮が睨む。
「話すことなんて無い。あっち行け」
田端が手を振って追い払う仕草をする。
「桜井に用があるのよ」
「いい加減にしろよ!」
笹本が声を荒げる。しかし水野は完全に無視だ。
「キース君はあなたの家庭教師よね」
リクは答えなかった。リクの態度も水野は気にしている様子はない。
「キース君程の天才が、何で日本で家庭教師なんてやっているの? フォレスト社の社長の命令でしょ? キース君はあの社長に育てられて、恩があるから逆らえないのよ。大学を卒業してもう二年になるのに大学院にも行けず、会社に縛り付けられて社長にいいように使われている。気の毒だと思わない?」
「そんなこと俺に言われても」
「酷い事をしているってことよ、社長も、あなたも」
リクは俯く。確かに水野の言う通り、天才と呼ばれるキースは大学院に行くべきだろう。それにはキースを帰国させてあげなければならない。キースが日本に居るのはチャンスの傍に居たいからだ。チャンスの教育もメンテも、全て自分でやりたいから。リクがキースと一緒にアメリカに住めれば本当はそれが一番いい。でも英語の話せないリクの現状では海外留学は無理だし、リクはこの高校に通いたい。リクがチャンスのマスターでなくなればキースもチャンスもアメリカに戻れるのだろうけれど、それは大変な仕事らしいしエドもキースも今のところそのつもりはない。
予鈴が鳴った。その音に反応したリクは顔を上げて水野を見る。水野はリクと目を合わせたあと四人を一睨みすると、教室の方へ戻って行った。
「ムカつく女だな。あいつの言うことなんて気にすんな、桜井。俺達も教室戻ろうぜ」
笹本の言葉に全員ゾロゾロと立ち上がる。来週から中間考査だ。リクは今晩キースに話してエドにメールしておこうと考えていた。
その週の土曜日の夜、エドからメールの返信がきた。返信は簡単な内容で、リクのテストが終わったらまた連絡をするとだけ書かれていた。
何事もなく、五日間のテストが終わった。三日間はテスト休みだ。五人はどこかへ出掛けようと話し合ったが、川原は三日間とも部活でどこにも出掛けられない。吹奏楽部はクリスマスに演奏会を予定していて、その為の練習が暫く詰まっている。それ以外の四人も部活の都合で、上手く日にちの調整ができない。仕方なく五人で出掛けるのは、冬休みに入ってからにした。
テスト休み一日目の昼、エドからメールが来ていることに気付いた。例によって、平仮名だらけのメール。でもそのメールの内容はキースについてであり、平仮名だらけなのに心にずっしりと重かった。リクはまた読み難い文を読み易く直した。
『リックへ。テストはどうだった? また成績が上がっているといいな。今日はキースについて少し話しておこう。俺もキースは大学院に進むべきだと思っている。夏に会った時もそれを勧めた。しかしキースは断った。キースはチャンスの教育に専念したいそうだ。チャンスはお前の傍に居たいと言っているからキースは日本に居るしかないが、チャンスとともにアメリカに強制帰国させてもキースは大学院には行かないだろう。その気になれば日本に居ながら大学院に在籍することもできるが、それも断った。キースがチャンスにそこまで執着するのには理由がある。詳しく説明はまだできないが、キースは自分が非常に高いIQを維持できる期間は短いと思っている。そうはならない可能性もあるのだが、キースはそれは考えていない。チャンスが天才キースの作る最初で最後の人工知能になるかもしれないから、自分の全てをチャンスに注ぎ込みたいのだろう。だからチャンスの傍を離れたがらないし、大学院に行って将来を考えようともしない。夏に言っていたキースは危なっかしい力になってやって欲しいとは、キースにはそういう事情があるからだ。俺はキースを今も将来も自分の手足として使おうなんて思っていない。Mizunoの娘の言ったことなど、気にする必要はない。また連絡する。父より』
リクは思いもしなかった。天才キースにはタイムリミットがあるかもしれないなんて。チャンスはそれを知らないだろう。それよりも、キースはどんな思いで毎日を過ごしているのかと考えると心がずっしり重くなった。今の、天才の自分がこのまま続かないかもしれないのだ。いつ来るかわからないタイムリミットに怯えながら、自分の頭脳が唯一残せるチャンスを教育し仕事をする日々。リクはそれが自分だったらと想像すると、その辛さと怖さに身震いがした。日頃のキースはそんな影を微塵も見せない。何でもない顔をして、リクの家庭教師からボディガードまで、全てを熟してくれている。
そしてキースはそれだけではなく、自分の両親の死に関する何かで傷付いている。キースはリクより余程大変な人生歩んでいる気がした。キースはリクをどう思っているかわからないが、リクはキースを友達だと思い続けようと固く決心した。
心の中でキースに呼び掛ける、キースの傍に必ず一人は友達が居る。
読んでくださってありがとうございました。




