矢上グループ
帰宅すると直ぐに部屋に入った。長い一日だった。やっと夕方になった。
あの後、落ち着いたリクをポールが診察してくれた。体に特に問題はなかった。リクの見た犯人の顔。それを聞いたエドは考え込んでいた。エドの予想と同じなのか違うのか、エドは教えてはくれない。黒い癖毛にグリーンの瞳に対しては誰も突っ込まなかった。考えてみれば別に白人なら珍しい外見ではない。ただ言わなかったけれど、あいつもキースもその瞳が妖しい位美しいところがそっくりだった。
今日学校は休んだ方がとポールに勧められたが、却って家に居たくなかった。学校へ行けば気が紛れる。ポールは午前五時半に帰宅し、リクはそのまま学校へ行く支度を始めた。
鏡で顔を見ると瞼が腫れていた。かなり泣いたのがはっきりわかる。学校では笹本が気の毒そうにリクを見ていた。リクが複雑な家庭環境の所為で夜中に泣いたと思ったのかもしれない。昼休みに何も言わずにジュースを奢ってくれた。笹本は本当にいい奴だった。
外が薄暗くなっているのに電気も点けず、机に座って頭を抱える。トーチの夢のようにこれから繰り返しあの殺戮シーンの夢を見るのだろうか。週に何度もあんな夢を見させられたら身が持たない。キースはいつもと変わりなく接してくれている。リクが言った犯人の特徴、嫌な気分じゃないのか気になる。でも聞ける訳もない。
リクがベランダから転落しそうになった時、キースはあっという間にリクを部屋に引っ張り戻してくれた。キースが間に合わなかったら夜中に救急車騒ぎになり、リクは今頃病院だったかもしれない。常にリクをサポートしてくれるキース。あいつとキースは違う。わかっている。リクは立ち上がり部屋から出ると、夕食の支度をする為にキッチンへ向かった。
その晩、リクはチャンスを枕元に置いて寝た。今後も、もし夜遅くまでキースが仕事でチャンスを使っても、仕事が終わったらキースがチャンスを枕元に置きに来てくれる。キースはエドからそう頼まれた。もしリクが夜中に夢を見てパニック状態になっても、チャンスが傍に居れば少しはましだろうとの配慮だった。枕元でリクを見張るように立っているチャンスにおやすみと言って眠りについた。
無音の世界の満開の桜の下、少女の母が居た。桜を見上げてから次にリクの方に振り向く。そしてあの心からの嬉しそうな顔。リクは笑い掛けられた人物の視線で少女を見ている。一体誰の視線で少女を見ているのか。少女が笑い掛けているのは誰なのか。年齢から考えて、エドではない。二人はもっと年がいってから出会った筈だ。でもこの母は少女だ。十代の。母は誰に対して微笑んでいるのか凄く幸せそうだ。
母が微笑んでいるのは嬉しいけれど、幸せそうなのは嬉しいけれど。春の柔らかい太陽光を反射する黒髪、桜に溶け込む色彩の着物。夢の中で母が居る場所は、地球上のどこかに存在しているとは思えない、幻想的な世界だった。
目を覚ますと自分の部屋。枕元にチャンスが居た。時計を見ると六時。じきに起きる時間だ。
「Good morning, Chance.」
「Good morning , Master. How are you?」
「I’m fine, thank you.」
英語で言えば英語で返す。いつものチャンスだ。リクはチャンスを抱えると部屋を出た。上手く言い表せないけれど、リクにはわかる。きっともう二度と殺戮の夢は見ない。悪夢を終わらせる、あの夢を見たから。
「実はさ、桜井」
笹本は用心深そうに周囲を見回した。リクと笹本は学食で昼食を食べている。
「教室だと水野が居るからさ、ここなら話せそうだ」
「水野? 何?」
「昨日あいつに駅までの途中で待ち伏せされてさ、あいつ、お前の周辺嗅ぎ回っているぞ」
「ええっ?」
「『あんたや桜井みたいな冴えないのと成績上位イケメン三人が何で仲良いの? 関係を聞かせて』って言ってきたんだ。何気に失礼だろ? 一応仲良い理由を説明した後『お前相変わらずキースを狙っているのかよ』って聞いたら、『呼び捨てにできる位あんたもキース君と親しいんだ』って言うんだ、あいつ。その後いきなりさ、こう言うんだぜ。『この五カ月お父様にお願いして、キース君について調べてもらったの』って」
「え?」
水野が父親まで使ってキースを調べている。水野がそんな行動をするとはリクは思いもしなかった。何をどこまで調べられたのか。リクとエドの関係、フォレスター家の秘密、人工知能チャンス、その辺はばれていないと思いたい。
「『キース君って凄いね。世界トップクラスを目指せる人材として名前が挙がっているの。フォレスト社の社長が小さい頃から育てていて、自分の手足として使っているんだって。キース君を雇いたい他の会社の役員達は、フォレスト社の社長はいい物手に入れて育てたって、羨ましがっているらしいよ』って言ってやがった」
水野が興味があるのはキースという人間だ。フォレスター家内部までは調べなかったのなら有り難いが、リクは笹本の話の続きを待つ。
「それで俺は無視してやったんだけどさ、次にあいつこう言うんだよ。『あんた達、以前社長のエドワード=フォレスターを検索していたよね』」
リクはドキリとした。エドはリクの父だ。
「俺が『桜井お前とかかわるの嫌がってるだろ? 放っといてやれよ』って言ったら、『私はどうしてもキース君と付き合いたいの』って。あいつ凄くしつこくてさ、『私のお父様は顔が広くてかなり詳しい関係までわかるのにどうやってもわからないことがあって、桜井って何者?』とか、『キース君は桜井のお父さんの紹介の家庭教師って聞いたんだけど、桜井のお父さんってどうしても見付からない』とか、『あらゆるコネを使ってフォレスト社とフォレスターグループを探ったんだけど、桜井という名字の日本人はいない』とか、『この夏フォレスト社内で社長が東洋人の養子を欲しがっているって噂があったって』とか」
笹本は立て続けに言い捲った。リクは驚いた。凄い。水野はそこまで調べていた。
「『あんた興味ないの?』って言うから『お前とは違う』って言い返してやった。いい加減腹が立って今度こそあいつ無視して駅に向かおうとしたらさ、『お父様がキース君を気に入っている。私、絶対諦めない』って不敵に笑って捨て台詞残して、学校の方角へ戻って行った」
六月のあの日以来水野からのキース絡みの接触はない。でも水野はただ大人しくしている訳ではなかった。リクはすっかり油断していた。父親を使ってキースやフォレスト社を調べていた。
「もう大人しくしている気はないつもりだな。あいつ、何が何でもキースと付き合いたいみたいだ。きっともっと、あからさまにしつこくなってくるぞ」
キースはともかく、リクのことなんて嗅ぎ回って欲しくない。リクとエドとの関係を水野やその親には知られたくない。フォレスター家も調べられたら困る。一族の秘密を守る為のガードは固いけれど、それ故にしつこく探りにくるだろう。帰ったら早くエドとキースに相談しないといけない。
「教えてくれてありがとう。水野には気を付ける」
「あの女はそう簡単にはめげないぞ。感じ悪い位はっきり言ってやるのが丁度いい」
学食に雨宮と川原と田端が入って来た。大体いつも、リクと笹本が食べ終わる頃に三人はやって来る。
「あいつ等にも話しておこう」
笹本は立ち上がると、三人に手を振った。
「はーっ。相手は君に夢中だねぇ、キース」
その晩、エドにスカイプで話をした。エドはニヤニヤしながら大袈裟に溜息を吐き、キースをからかう。キースは仏頂面だ。
「ここ五カ月もの間フォレスト社やキースを調べている日本企業があったなんて、気が付かなかった。笹本君に教えてもらえて良かったよ。フォレスター家内部まで行き着かなかったけれど、一族には全員、用心するように伝えよう。確か水野家は日本の企業グループ・矢上(やがみ)グループの親族だった筈。キースに興味を持っているその子は、おそらく水野会長の孫だろう。こちらからもちょっと、いや、大いに矢上グループを探ってやろう」
「一方的にやられているなんて、我慢できません。私も手伝いたいです」
エドもチャンスも何か楽しそうだ。隣を見るとキースも目が輝いている。
「是非、俺とチャンスにやらせてください!」
リクはまたこの三人の性格をはっきりと見せられた。リクは溜息を吐いた。
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