家出
最近雨宮の様子がおかしい。元気がない。成績もいいし、部活も頑張っているし、問題ないと言えば問題なく見えるのだが、昼休みに一人でボーっとしていたり、話し掛けても返事がなかったり、皆でいる時に話を聞いていなかったり。何か悩みがあるのかと、昼休みに五人で集まった時にリクは聞いてみた。雨宮はボソッと『何でもない』と言ったが、とてもそうは見えない。好きな女子ができたのかとも思って聞いてみたが違うと言うし、彼女なんてそんな面倒な相手は今はいらないと言う。リク達に相談しても仕方がないことなのかもしれないが、リクは日頃と違う雨宮が心配だった。
笹本よりも物静かだし、川原よりも外見は男らしいし、田端ほど好戦的でもない。髪型や服装といった身嗜みもきちんとしていて、剣道好きの礼儀正しい正統派お坊っちゃま、というのがリクの持つ雨宮の人物像だ。
十月のとある休日の朝、洗濯物をベランダに干していると、マンションの前の道路を歩いて来る雨宮が見えた。
「雨宮!」
声を掛けると、雨宮は上を見る。
「桜井、入ってもいいか?」
「いいよ」
雨宮はマンションのエントランスへ向かって行った。三分と掛からず、雨宮はリクの部屋に着いた。何を考えているのか雨宮は、部屋へ入って来るなりリビングに正座している。
「雨宮、いつも通り胡坐でいいんだけど。何で正座?」
「頼みがある」
雨宮はいきなり頭を下げた。
「暫くここに置いてもらえないか?」
「はーっ?」
よく観察すると、雨宮は大荷物だ。友人宅に遊びに来る量の荷物じゃない。
「あのさ、お前、もしかして家出してきたのか?」
「うん」
雨宮は何故家出。突然の申し出に返事をする前に、リクは理由を聞きたかった。
「理由は聞かせてくれるよな?」
雨宮は頷いた。取り敢えず今日は二人だから、椅子に座るように勧める。リクは食卓を挟んで雨宮の対面に座った。
「夏休みにグランパとグランマが遊びに来たって言ったよな」
グランパとグランマ。日本語にするとお祖父さんとお祖母さん。
「八月に聞いた」
「その二人が、未だに日本に居るんだ」
「帰国してないのか?」
「俺がアメリカの高校に転校する手続きをしないと、帰国しないって」
日本刀オタクの雨宮の父親は祖父母の反対を押し切って、日本人の女性と結婚して日本に住み着いた。祖父母は当初息子にかなり腹を立てていたが、雨宮が生まれて少し態度が軟化した。しかし今度は祖父母は、雨宮の両親と雨宮をアメリカに迎えたいと言い出した。毎夏日本へやって来るのは、三人をアメリカへ移住するように説得する為。高齢になるにつれ、祖父母は年々しつこくなっていった。今年はいつも以上に気合いを入れて、日本へ乗り込んできた。アメリカへ行く気のない両親、特に日本大好きの父親は祖父母と揉めた。それならばと祖父母は、孫の雨宮だけはアメリカの高校へ転校させるように要求してきた。
雨宮はそう家庭内の揉め事を説明した。最近の雨宮の様子がおかしかったのも、それが原因だという。
「俺は嫌だって言ったんだ。今通っている高校に居たいって」
でも祖父母は聞く耳を持たず、毎日両親と喧嘩。雨宮がアメリカに来なければ帰国しないと、家に居座っている。家に居たくない雨宮はリクの部屋に逃げて来た。
「でも今頃、御両親は心配しているんじゃないか?」
「俺のこと探しているかもな」
「お前スマホは?」
「電源切ってる」
ドアが開いて、キースが自分の部屋から出て来た。仕事中のキースには話声がうるさかったのかもしれないと、リクは申し訳なく思った。
「人が来た音がしたと思ったら、雨宮?」
キースはリクの友人達の顔と名前を認識してくれている。
「家出して来たんだって」
「え? 家出? 何で?」
キースの反応も驚いている。雨宮から聞いた話を話すとキースは、今手が離せないから仕事が一段落つくまで待ってくれと言って、部屋へ戻って行った。やはりキースは仕事中だった。
「スマホの電源入れてみたら」
「うん。……あ、全メッセージアプリの未読が大変なことになってる」
「ちょっと読んでみろよ。何だって?」
「戻って来いって。話し合おうって。でも話し合うことなんて何も無いんだけどな。俺はただ日本に居たいだけ」
雨宮は返信する気配もないし、既読スルーするつもりのようだ。
「居てもいいけど寝るとこないぞ」
「寝袋持って来た。居間でいい」
「学校は?」
「制服と教科書持って来た。ここから行く」
雨宮はさっさと荷物を鞄から取り出して、リビングの隅に片付けている。こんなに安易に家出の片棒を担いでしまって大丈夫か、リクとキースが雨宮を誘拐したなんて雨宮の両親が警察に届けたらどうしよう、とリクは急に心配になってきた。
「じゃあ、これ」
雨宮は鞄から結構な厚みの物が入った封筒の束を取り出した。リクは何も考えずに受け取ると封筒と中身をたしかめる。それは……。
「ちょっ、雨宮、何これ」
「当面の生活費」
一つの封筒に何十枚かずつ、一万円札の束が入っていた。そしてその封筒が七つ、太い輪ゴムで一つに纏められていた。リクのような庶民には何百万あるのかわからない一万円札の塊。思わずその厚みが何センチかリクは目測してしまう。
「これどうしたんだよ!」
「家の金庫から取ってきた」
「金庫? それ泥棒だろ?」
「だって息子だよ。警察には届けないよ。それにこれはグランパとグランマの為に用意した生活費。ざまあみろ」
「生活費って一年分のか?」
「あの二人は日本に居ても生活のレベルを落とさない。日本人の母は現金主義の変人で、毎夏二人の滞在中は母が大金を金庫に用意する。俺が金庫のセキュリティーを既に突破しているとも知らずに。金庫開けてみたらあったから、貰ってきた。家出するのに金がないと困るから。大丈夫、両親は大した額じゃないと思っているんじゃないかな。だってメールにもラインにも、金返せって一言も書いてないよ」
雨宮はとんでもない奴だった。リクは開いた口が塞がらない。雨宮に言ってやりたいことは一杯ある。一杯あり過ぎてどこから入っていいかわからない。こんなに雨宮がずれている人間だとは思わなかった。今日までの雨宮の言動を思い返す。おかしな点は見当たらない、と思う。思うが、何かを見落としていたのかもしれない。リクは今日この友人からまるで頭を殴られたかのように、彼を見抜けていなかった自分の間抜けさを思い知らされた。
「これは受け取れない」
リクは雨宮に丁寧に封筒を突き返した。
「生活費のことは後で考えよう」
リクは窃盗の容疑なんて掛けられたくない。高額紙幣の束なんて見たくもない。
しかし雨宮の家族はどれだけの金持ちなのか。リクと生活費の桁が違う。リクはキースに早く戻って来て欲しいと願った。雨宮と会話するのに疲れてきた。リクは食卓の上に顎をのせる。リクのアメリカの祖父母とか、佐久間とか――金持ちの相手はキースの方が慣れている筈だ。
ガチャリと音がした。食卓に顎をのせたまま音の方に顔を向けると、ドアが開いてキースが出て来た。リクは縋る思いでキースを見る。キースの視線は直ぐに食卓の上に未だに放り出されている、銀行名の入った封筒の束に向けられた。キースには何があったのか一目で想像がついたようだ。
「雨宮、落ち着かないからその封筒を目に付かない所にしまえ」
キースがそう言うと雨宮は、封筒を鞄の奥に無造作に突っ込んだ。
「リク、昼飯を作るぞ」
「え? もうそんな時間?」
キースの言葉に凄い勢いでテーブルから顔を上げたリクは立ち上がると、キッチンへと入って行った。雨宮は料理は作れないから後片付けをすると言った。
午後になりリクが勉強を始めた。雨宮がいる間はチャンスをキースの部屋の外へは出せない。リクの部屋にも入れられない。しかし雨宮は優秀なだけあって、リクの宿題や勉強を手伝ってくれた。お蔭でキースとチャンスはキースの部屋で、仕事に没頭できているようだ。夕方になって、洗濯物を畳んだり、米を炊いたり、雨宮は教わりながら手伝いを始めた。夕食の片付けも率先してやってくれた。こうして雨宮の居候の初日は終わった。
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