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Chance!  作者: 我堂 由果
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思い出の品

 夕方になるとポールがやって来た。昨日の話をするとポールは笑っていた。

「俺も佐久間先生は知っている。俺もあの人から日本語を教わった時期がある。そんなこと気にする人じゃないから大丈夫だ」

 ポールも佐久間に日本語を教わっていた。佐久間に日本語教わった者達は三人共、日本語が非常に上手い。ポールはリクの頭の上に手を置いた。

「昨日寝ていたって聞いたから心配したんだけど、驚く位良くなっている。体が楽だろう?」

「はい」

「佐久間先生のお宅はトーチや君の体が休まる場所なのかな」

 そう言ってポールは再び笑っている。

「体重は?」

「それが体重は四月の時点まで後数キロまで戻ったのですけど、身長が六センチ伸びたのでどうなんだろうと」

「そうか。身長が伸びたのか」

「あまり周りからは気付かれませんが」

 リクの周囲に背の高い者が多過ぎる。気付いてくれたのは身長の近い笹本位。

「とにかく、体重はまだまだ増やしていいから、このまま食事と睡眠に気を付けて」

「はい。今週から学校が始まるんですけど、体育の授業は参加してもいいですか?」

 うーん、と唸ってポールは考え込む。

「最初の体育の授業はいつ?」

「明日からの週はないです。多分その次の週から」

「じゃあまた次の日曜日に見に来るから、それで決めよう。現状は凄くいい状態だけど、昨日寝ていたって聞いたから、今日はまだ許可できない」

「わかりました。ありがとうございました」

 ポールは帰って行った。食欲が出てきたので夕食を沢山作る。もっと背を伸ばして、笹本を追い抜き水野も見下ろせるようになってやるとリクは意気込んだ。


 夏休みが終わった。食欲もあるし、体重も増えてきたし、昼間の眠気もない。ポールから体育の授業の許可も出た。このところリクは調子がいい。

 担任との話し合いの結果九月下旬に期末テストがあるので、その前に面談をしようということになった。佐久間に日付と時間をメールしたらOKと返ってきた。しかしリクと佐久間は一度しか会ったことがない。面談で色々聞かれて佐久間もリクも答えられるかリクは不安だった。


 リクと佐久間は校門の前で待ち合わせた。担任に指定された時間の十五分前に校門へ行くと、佐久間が先日とは違いスーツ姿で立っていた。当たり前だがスーツ姿にキースのような違和感はない。リクは内心笑った。挨拶と礼を言うと体調の心配をされた。ポールからも大丈夫と言われていると説明すると、安心したようだった。

 二人で教室へ向かう。放課後で校内は殆ど生徒が居ない。運動部の生徒が部活に行く為に多少急ぎ足で歩いている位だ。教室の前で二人で立っていると、担任は約束の時間ギリギリに廊下を早足でやって来た。リクと佐久間に詫びてから挨拶をし、教室の電気を点けた。


 担任からの話は簡単だった。まずはリクの成績。これは佐久間に見られるのは恥ずかしい。決して良い成績ではないからだ。ただ担任は、入学時よりも成績が上がっているのを褒めてくれた。次は文系理系どちらに進むか。二年生になると文理に分かれて授業を受けるので、最遅でも年末までに決めて欲しいと言われた。十一月頃に希望を書いて提出するプリントを配るそうだ。今の段階でどちらに進みたいか聞かれたので理系と答えた。理由はチャンスの為だが、これは言えない。理工学部希望とだけ答えておいた。次にリクの体調のこと。夏休み前に体育をずっと見学していたので、担任もずっと心配してくれていたらしい。九月から体育の授業に参加しているが、無理をしないように、何かあったら保健室で相談するように言われた。最後に体調がいいなら部活に入ってみないかと勧められた。友達も増える等、利点を話された。

 二十分位で終了。佐久間はリクの父親に今日の話を伝えると教師に話していた。リクは佐久間を校門まで見送る。礼を言うと気にするなと言って、佐久間は駅の方向へ立ち去った。


 期末テストが終わった。今回は凄く出来が良かった。数学と英語は能力別クラス内で一番。また一つ能力別のクラスが上がる。笹本も何とか英語はクラス内で五番以内に入り、リクと一緒に一つ上のクラスに上がれた。キースとチャンスにあまり頼れない現代国語も結構点が取れた。国語だけは塾に行こうかという話が出ていたが、これなら何とかなりそうだ。


 九月末に学校の前期と後期の間に二日間の休みがあった。その休みの一日目を利用して、リクとキースはあの日以来初めて佐久間の家に向かった。リクは練習の為。キースは本を借りる為。

 家に着いてインターホンを押したが佐久間は出ない。仕事で不在と思われた。塀沿いに植えられている金木犀が数輪開き甘い香りを微かに漂わせている中、鍵を開けて門の中へ入る。門の脇にはまだ彼岸花の残る赤色の一角があった。これだけ広い敷地に佐久間は一人で住んでいる。奥さんとか、子供とか、向こうから話してくれない限り家族の話は聞き辛い。キースも田端も家族の話は地雷だった。何となくだが、佐久間も過去に何かあったのではないかという気がリクにはしていた。

 キースは家の鍵を開けてどんどん中へ入って行く。リクは庭に残り、まずは蚊取り線香に指で火を付けた。それを蚊取り線香のケースに入れ腰から下げる。それから木の枝を一本拾うと、それを一瞬で炭にした。


 リクはまず庭の水道の蛇口から、バケツに水を入れた。火事を出してはまずいからだ。木の枝を拾ってはトーチと協力して燃やす。トーチは喜んでリクの思い通りに燃やしてくれた。そしてできた灰や炭にバケツの水を手で掬って掛ける。ジュッと水の蒸発する音がした。何だか花火をする時に似ている。子供の頃祖父母と暮らす狭い家の庭先で、家庭用の花火をしたのを思い出した。

 窓から家の中を覗いてみるとキースの姿が見える。数冊の本を持っている。廊下を進んでどこかの部屋に入って行った。リクは落ちている木の枝を拾って燃やしながら家の裏手へと回って行く。広い裏庭がありそうだった。

 しかしリクは裏に回ると直ぐに立ち止まった。思わぬ物が目に入ったからだ。それは離れだった。母屋に似合うデザインの小振りな洋風建築物。ピンクの外壁に茶色の屋根。近付いて窓から中を覗いてみたが、窓には白いレースのカーテンとベージュの厚手のカーテンが二重に付けられていて全く見えない。周囲をぐるりと一回りしてみたが、男の一人暮らしの離れにしては随分と可愛らしい。女の子の喜びそうな建物だ。リクはバケツを地面に置くと、離れのドアの前のポールの天辺に付けられている、薄汚れた風見鶏を手で回した。今日は風がないから止まっていたが、矢羽の部分を手で押すとクルクルよく回る。


「リク! どこだ!」

 キースの焦った大声が聞こえた。

「キース、こっち、こっち。家の裏だよ」

 母屋の陰からキースが現れた。

「窓から姿が見えなくなったから、何かあったのではと心配したぞ」

「こんな建物あったの知ってた?」

 リクは風見鶏を回していない方の手、左手で離れを指差す。

「いや。ここに滞在させてもらった時に入ったことがあるのは、母屋のリビングとキッチンと風呂とトイレ、後は寝る為のベッドのある客用の部屋位。母屋の中の他の部屋も今日初めて見た。裏に離れがあるなんて知らなかった」

 キースも離れに近付いて来た。リクは相変わらず風見鶏を回している。

「枝を燃やしながら歩いて来たらここに辿り着いたんだ」

 キースは預かった鍵の束を一つずつ、どこの部屋の鍵か確認していく。

「この離れのドアの鍵はこの中にはないな。ということはどうやら……ここは入って欲しくないようだ」

「え? じゃあここは大事な物が置いてあるのかな。気を付けよう」

 リクは風見鶏を回す手を止めた。地面に置いたバケツを持ち上げると、表の庭へ向かって歩き始めた。キースもリクと一緒に歩き始めたが、突然母屋の陰からこの家の主、佐久間が現れた。

「今帰って来たところなのだが、裏から人の声が聞こえると思ったらやはり君達が来ていたのか」

 佐久間はスーツ姿だった。今日リクは学校が休みでもカレンダーは平日だ。佐久間は今日は仕事で、たった今仕事から戻ったという雰囲気だった。「こんにちは、お邪魔してます」と、ほぼ同時にリクとキースが挨拶をした。佐久間は挨拶を返し、二人に歩み寄る。


「この離れを見付けられてしまったか。外観がちょっと恥ずかしいんで、見られたくなかったんだが」

 佐久間は恥ずかしそうに笑っている。ここは佐久間の家で、リクとキースは佐久間から見れば他人。リクは、敷地には好意で入らせてもらっているのだからもう裏庭には来ない方がいいと思った。キースも同じように考えたのだろう、裏庭を離れようとリクを促した。

「この離れはとある女性の為に用意したんだ」

 女性という佐久間の口から出た思わぬ単語に、リクは足を止めた。キースも同様に立ち止まる。キースもきっとそうだろう、リクは好奇心を擽られる。

「正確には女性の為というか、いや、俺の為に作ったというべきかな。彼女との思い出をしまっておく為に」

 佐久間はリクとキースの横を通り過ぎて離れの真正面まで歩いて来ると、その壁を大切そうに手で触れた。

「大分前のことだが、恋人がいたんだ。でも俺が仕事で傍に居ない間に彼女は亡くなった。この離れには彼女との思い出の品が置いてある。だから中に人を入れたくない。それでキースに鍵を渡さなかった。ちゃんと説明しておけばよかったな」

 リクもキースも何の言葉も返せない。

「一生忘れられないし、あれ程素晴らしい女性に巡り合えるとは思えない。だからもう長いこと、一人暮らしだ」

 壁に手を触れている佐久間の後ろ姿が、寂しそうに見えた。ここまで引き摺る程愛した女性を失った佐久間の悲しみは、若いリクにはまだ想像もつかない。佐久間は壁に触れていた手を離すと、母屋に向かって歩き出した。


「裏庭には入ってくれて構わないよ。ただあの離れの中にだけは入らないでくれ」

 歩きながらリクとキースに言う。その女性はいつ頃どうして亡くなったのか。リクは、エドは知っている気がしていた。

「湿っぽい話をして悪かった。話は終わりだ」

 秋は日没が早く感じると言われる。辺りがあっという間に薄暗くなってきた。

「折角だ、一緒に夕食を食べないか?」

 佐久間は「着替えて来るから待っていてくれ」と言って、家の中へ消えて行った。リクは蚊取り線香を消したり、バケツの水を庭に撒いたり、訓練の後片付けをする。キースはチャンスと本を取りに家の中へ戻った。


 先にキースが庭に出て来て、それから暫くして、佐久間が先日のようなポロシャツにチノパンツの姿で出て来た。

「二人に寿司を奢ろう。リクは寿司が好きらしいね。君を太らせるようにエドから頼まれているんだ」

 三人で駅へ向かう。

「え? でも寿司って高いんじゃ……」

 遠慮するリクに佐久間は、若者はそんなこと気にするなと言って笑っていた。

読んでくださってありがとうございました。

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