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Chance!  作者: 我堂 由果
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佐久間邸

 八月最後の土曜日。リクとキースとチャンスは都心へと向かっていた。佐久間の家の住所はキースが知っていた。リクと暮らす前のキースは、日本に来るとそこが宿だからだ。蝉の声が聞こえる、都心にしては緑が多い住宅街を只管歩くと、立派な門構えの家の前に着いた。門から延びている塀と、塀の向こうに見える庭木から推察するに、中は広そうだった。

 庭木の向こうには東京タワーが大きく見えていて、この場所にこの規模の家って、この家の住人はどれだけの金持なのかと、リクはインターホンを押すのを躊躇う。

「何やっているんだ? 押さないのか?」

 インターホンを睨みつけそのボタンに指だけ乗せているリクに、キースが急かすように尋ねた。

「だって、ここどう考えたって金持ちの家だろう。俺、場違いな気がする」

「フォレスター家本家の知り合いは、大抵このレベル以上の資産家だ。慣れろ」

 リクの手を退けると、代わりにキースがインターホンを押した。

「はい」

 落ち着いた成人男性の声。

「キースです。リクとチャンスを連れて来ました」

「門の鍵は開いている。入ってきていいよ」

 リク達は木目の大きな門扉を押し開けて中へ入った。木や花が綺麗に整理され植えられている庭園に、古そうだが二階建ての大きな洋館。一見するとヨーロッパ人が住んでいそうだ。庭を突っ切っていると、男性がリク達に向かって建物の方角からやって来る。中年の日本人男性。ポロシャツにチノパンツという、仕事に行くキースと似たような服装。キースが言っていた通り身長はリクと同じ位、体は細身だった。

「初めまして。佐久間だ」

「初めまして、エドワード=フォレスターの息子の桜井リチャードです。リクと呼んでください」

 佐久間が握手を求めてきたので、リクはそれに応じた。体格の割に手が大きい。

「どうぞ、中へ入って」

 リク達は家の中へ通された。


 佐久間は洋菓子が苦手で和菓子が好きだとエドが教えてくれていたので、キースがインターネットで調べた有名店で和菓子を買うと、それをお土産に持って来た。佐久間に手渡すと顔が非常に喜んでいる。「俺は菓子も茶もいりませんよ」

 キースはすかさず言う。

「そう言うと思った。リクは抹茶は飲めるか?」

「わかりません。飲んだことがないので。キースからは苦いと聞きました」

「じゃあ試しに飲んでみるといい。キースには普通の冷茶を出そう。でもキースももう十七歳だろう、その年になれば七年前と違って抹茶は飲めるんじゃないか? ああ、エドのあれは食わず嫌いだ」


「佐久間先生の外見は七年前と殆ど変わらない。少し白髪が増えた位。あれから七年経ったようには見えない。一体この人何歳なんだろう? エド先生よりは年上だと思うが、年齢不詳だ」

 佐久間がお茶を煎れてくれる為に席を外した間に、キースがリクに囁いた。

 確かにリクから見ても佐久間年齢は予想できない。五十代、六十代、わからない。リク達は床が白い天然石、その他の内装も白を基調とした広い洋室に通されている。置かれている調度品も、ローテーブルやソファも、ヨーロッパ調の物ばかり。家の中はとてもどこかに和室があるとは思えないし、そぐわない。用意を終えて戻って来た佐久間は抹茶を和菓子と一緒にリクの前に置いた。キースには冷茶と和菓子。茶碗の中を覗き込んだり匂いを嗅いだりしてリクが茶をいただいている横で、キースは冷茶と和菓子を脇に退けてチャンスをバックパックから取り出し、スリープモードを解除し始めた。


「チャンスか?」

 お土産の和菓子を美味しそうに食べながら、佐久間がキースの手元を覗き込む。

「はい、今動かします」

 チャンスの目の青い光が大きくなり、首を動かしてキースと佐久間を何度か見比べた。

「佐久間先生だ。彼の前では、低能力のふりをしなくて大丈夫だ」

 キースがそう言ってやると、チャンスは佐久間の方へ首を固定した。

「初めまして。チャンスです」

 小さく頭を下げる。

「製作をキースに任せて良かったよ。エドからの報告では、賢くて非常に役に立つと、チャンスをベタ褒めだ。」

 佐久間はチャンスの頭を撫でている。チャンスは嫌がっている様子はない。佐久間と握手までしている。

「このお茶美味しいです。キース、これそんなに苦くはないぞ」

「キース、リクは美味しいと言っているぞ」

「九歳の俺にはトラウマです」

 佐久間は笑っている。今度はリクにも冷茶を出した。お菓子も追加して出してくれた。

「エドとは昔からの知り合いだし、日本に子供がいるのは知っていた」

 佐久間は棚からチェス盤を下ろしてローテーブルの上に乗せた。チャンスにやろうと誘っている。チャンスは目の青い光を一際明るくし、やる気満々だ。駒を動かしてくれとキースに頼んだ。

「俺も日本国内に留まっていることはあまりないから役に立てるかわからなかったが、君とエドの為に高校の保証人を引き受けた。今エドは日本へは来られそうもないから、担任には俺が会おう」

「ありがとうございます」

「日本に居る日を後でメールで送るから、その日を担任に伝えて選んでもらってくれ」

 キースの膝の上のチャンスは身を乗り出して盤を必死に見ている。初めての相手に、しかも多分かなりの格上に、頭をフル回転させているのが見て取れた。

「佐久間先生もお強いですね」

「エドやキースとも対戦したんだろう?」

「はい、佐久間先生が三人目です」

 チャンスの目の光がまた一段と強くなった。夢中になり過ぎている。バッテリーが切れるまで何度でも挑みそうだ。窓を閉めて緩くエアコンをかけているので外の音は聞こえてこない。チャンスが駒の動かし方を命令する小さな声と、駒が盤に置かれたり擦れたりする音がしているだけの静かな空間だ。


「あれだけここに入るのに気後れしていたくせに、居眠りできる余裕があるんですね。最近昼間は滅多に寝なくなったのですが、昨日友人達と映画を見に行って、疲れているのかもしれない。連日の外出は避けるべきでした」

「ベッドのある部屋でゆっくり寝てもらってもいいんだが。動かすと起きてしまいそうだから、目を覚ますまでこのままにしておくか」

 ぼんやりしていたリクの耳に、そんな会話が飛び込んできた。目の前が暗い。何かおかしいと思ったが、やがて、ドサッというような音がしたと同時に体に衝撃があった。ソファの背凭れに寄り掛かっていたリクの上半身が、背凭れを伝って滑り落ちたのだった。体が横倒しになって流石に自分の置かれている状況に気付いて、狼狽える。

「す、すみません、俺」

 リクはいつの間にか居眠りをしていた。自分では起きている気がしていた。でも冷静に考えてみれば、二人の会話の内容はリクが起きている状況ではおかしい内容だった。


「君の体調はエドから聞いている。気にしなくていい。客用のベッドルームがある。そこへ案内しよう」

「いえ、大丈夫です」

「でも暫く寝た方がいい。キース、ソファを空けてあげてくれ」

 三人掛けのソファにはキースとリクが座っていた。佐久間は一人掛け用のソファ二つを部屋の隅に置いてある小さなローテーブルの周りに対面に置いた。

「チェスはこっちでやろう。リクは暫くそこで寝ていなさい」

 佐久間とキースはチェス盤を小さなローテーブルの上に移動させる。このところリクの眠気はかなりマシになっていた。昨日も問題なく映画に行けた。しかし今日のリクはやっぱり眠い。素直に三人掛けのソファに横になった。その体に佐久間がタオルケットを掛けてくれた。

「ありがとうございます」

 リクは礼を言う。

「別の日にすれば良かったですね」

 キースがそう言いながらチャンスを抱えて移動させたソファに座った。

「彼にとってこの四カ月は大変だっただろう。ここで眠れるのなら、好きなだけ睡眠を取るといい」

 この四月以来のリクの情報が、佐久間の耳には入っている。

「リクの通っている学校は、校内の安全は確認されているんだよね」

「はい。次期当主の高校です。今も目を光らせています」

「丁度いい。ちょっと、様子を探ってくる」

 様子を探るって学校に何があるというのか。そう考えている内にいつの間にかリクは眠ってしまった。


 日が大分傾いた頃やっとリクは目を覚ました。数時間ぐっすり眠っていたがあまりすっきりしていない。寝足りない。佐久間は夕飯に誘ってくれたが、どうもリクは調子が良くない。申し訳ないが帰って休みたいと言って断った。佐久間はタクシーを呼んでくれた。そしてキースにタクシー代を渡す。その時一緒に鍵の束も渡した。

「これは?」

「この屋敷の鍵だ。門の鍵、家の鍵、各部屋の鍵を纏めて束にしてある。俺が居ても居なくても、キースとリクはどの部屋も自由に入ってくれて構わないよ」

「何で」

「庭はこれだけの広さがあるから、訓練ができる。家の中のあちこちの部屋に本棚があるから、好きな本を好きなだけ借りていってくれていい」

 佐久間の言いたいことは直ぐにわかった。庭はリクとトーチの訓練の為。本はチャンスの読書の為。先程のチェスといいアメリカでのリク達の様子も、エドから筒抜けのようだ。

「ありがとうございます」

 名残惜しそうにチェスを終了したチャンスをスリープモードにし、鍵の束と共にキースはバックパックにしまう。インターホンが押された音がした。タクシーが到着したようだ。

「今日はすみませんでした。挨拶に来たのに」

 タクシーに乗り込む時、リクが今日のことを詫びた。

「気にしなくていいよ。また遊びにおいで」

 タクシーの中でリクは直ぐに眠ってしまった。そして家に着くと夕飯も食べずに布団に横になる。夕飯についてキースに話し掛けられたが、リクはもうこれ以上起きてはいられなかった。


 朝六時半。すっきりと目覚めた。よく寝た気がする。リクはそこで初めて、初対面の佐久間に対しての自分の行動が、叫びたくなる程恥ずかしくなった。でも昨日は眠くて何も考えられなかったのだ。今朝すっきりした頭で考えると、佐久間に申し訳なかったし夜エドに報告のメールもできなかったし、佐久間にお礼とお詫びの連絡もできなかった。昨晩は眠くてパジャマに着替えるのがやっと。今朝は昨日一日の汗で体が気持ち悪い。部屋を出るとまずはシャワーを浴びた。それから朝食の支度を始める。一食抜いたリクは今滅茶苦茶お腹が空いている。昨日の夜キースは夕食を独りで食べたのか、キッチンに調理や食事の跡が一切ないのでわからない。キースの部屋のドアが開いた。

「おはよう。調子はどうだ?」

「おはよう。昨日はごめん。でも今朝はすっきりしている。大丈夫」

 逆にキースがまだ眠そうだ。

「昨晩、佐久間先生に電話とエド先生にメールをしておいた。二人ともリクを心配していた」

「俺も後でお父さんにメールしておく。佐久間さんは……」

「佐久間先生は今日から海外へ行かれるそうだ。電話をくれても出れないかもしれないから、連絡はメールがいいらしい」

「じゃあ、お詫びとお礼をメールするよ」

「佐久間先生が日本に滞在している日程は俺のアドレスに送られてきた。後で印刷して渡す」

「ありがとう。学校が始まったら担任へ持って行く」

 アメリカから帰国して以来、リクとキースの会話は格段と増えた。日常会話的な話をするようになった。朝食を食べ終わると、キースはチャンスと仕事。リクは掃除と洗濯をすることにした。

読んでくださってありがとうございました。

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