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Chance!  作者: 我堂 由果
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九歳のキース

「九歳の四月、エド先生に連れて行かれたのはロサンゼルス郊外の大邸宅だった。『ここは日本人の佐久間先生という方のお宅だ。日本語と日本の文化を教えてくれる。佐久間先生は俺の日本語の先生でもあるし、一族の者ではないが一族を理解してくれている。安心していい』とエド先生から言われた。一族ではないのに一族を理解なんて、一族の配偶者でもない限り珍しい。当時佐久間先生は英国の田舎風の庭のある洋館に一人で住んでいらした。佐久間先生は身長百七十センチ位の東洋系の中年男性。洋館なのに玄関で靴を脱ぐように言われたのが当時印象に残った。客間に通されると、そこもソファやローテーブルの置かれた洋室。『畳の部屋はあるよ。床の間もある。後で行ってみるといい。和室の造りを説明しよう。君がキースだね。私が佐久間だ。これから三カ月、君はここで暮らすんだ。最初は戸惑うしきついこともあると思うが、直ぐに慣れる』きょろきょろと辺りを見回す俺に、佐久間先生はそう言った。エド先生は直ぐに俺を一人残し帰って行った。広い洋館の中には俺と佐久間先生だけ。当時俺は、日本語の日常会話は日本人の先生に付いて既に教わっていた。『エドから頼まれているのは、君を日本での生活で困らないようにすることだ』佐久間先生にそう言われて、その時俺はエド先生は何を考えているんだろうと思った。フランス語やドイツ語や、日本語以外の言語を勉強した時は、ここまで手の込んだ文化学習はしなかった。日本語学習だけ何故こんなに特別なのか理解できなかった。『エドはいつか君に、日本で仕事をして欲しいらしい。ここでの生活は全て日本語だ。どうしてもわからない時だけ、英語で聞いていい』佐久間先生はそう言った」


 リクは驚いた。キースは佐久間と一緒に生活して日本語を学習していた。しかも『ここでの生活は全て日本語』って、九歳の時点でキースはほぼ日本語をマスターしていたということになる。更にフランス語とかドイツ語とかキースは一体何カ国語話せるのか、考えると気が遠くなってくる。

「佐久間先生は、昼間は殆ど書斎で仕事をなさっていた。俺は自分の部屋で日本語と高校の勉強」

「きゅ、九歳で、高校の勉強?」

 九歳で既に高校の勉強。恐ろしいキースの頭脳。

「だから一人で勉強していた」

 キースは淡々と話す。

「食事は日に一度は和食が出た。生まれて初めて食べる味に最初は驚いた。しかし文句を言わずに食べるしかない。本当に日本人は毎日これを食べているのか? 本当にこれに慣れるのか? 三食これで過ごせるようになるのか? 和食を食べる度に頭の中をそんな疑問がグルグル回った」

 キースの言葉が最後の疑問形が続く部分から急に早口になった。リクにとっては食べ慣れた和食も、アメリカ人のキースにとっては驚愕の食べ物だったのだろう。


「邸宅の中に畳の部屋は二部屋あった。流石にそこには日本の調度品が飾られていた。しかし残りの部屋は普通に洋室として使われている。庭だって以前日本語教師が写真で見せてくれた日本庭園とは全く違う。佐久間先生は、今の都市部の日本人の家には畳の部屋は殆どないし、庭も和風に拘る日本人は殆どいないと教えてくれた」

 リクにとっては常識だが、アメリカ人のキースには不思議だったのかもしれない。

「食料の買い物には時々日本人用のスーパーに連れて行かれた。見たことも聞いたこともない食材や調味料に戸惑った。店員への質問も日本語でするようにと言われ、それも勉強の一つだった。食後の休憩時や週末には佐久間先生から日本語の文章の読み書きを教わった。喋れても読み書きができないと日本で生活するのに困るからだそうだ。一度覚えた物は忘れない。漢字の形と音読み訓読み、熟語やことわざ・慣用句、をどんどん頭にインプットしていった」

 リクは突っ込みを入れたくなる。一度覚えた物は忘れないって――それ普通じゃない。それにキースはエドと違って、日本語の文章がしっかり書けている。メッセージの漢字変換も間違いなくできている。


「三週間が過ぎた頃エド先生が現れた。どこで調達して来たのか、お土産は柔らかくて色の綺麗な和菓子。今思えば練りきり。佐久間先生は和菓子がお好きなのだそうだ。セシリア様はウィル様と俺に、ジャンクフードと砂糖を滅多に与えてくれなかったので菓子を食べていいのは嬉しかったが、菓子とは名ばかりで和菓子はあまり美味しいとは感じなかった。エド先生はお忙しいらしく、土産だけ置いてその日は直ぐに帰って行った。佐久間先生と暮らし始めてから一カ月半が過ぎた頃から俺の日本語を完璧に近くするのと日本の常識をとことん教える為に、佐久間先生は昼間も俺に付きっきりになってきた。御自分の仕事もかなり減らしてくれていたようだった。佐久間先生は教えるのが上手だったし、知識も非常に豊富な方だった。話題も多方面に渡っていて、俺は佐久間先生から話を聞くのが好きだった。俺の質問や意見も聞いてくれて、それに対してわかり易い説明をし、感想を述べてくれた。様々な問題の議論もした。俺は佐久間先生と過ごす時間が本当に楽しかった」

 リクは自分が九歳の頃は何をしていただろうかと思い返してみる。九歳というと小学校三年生。朝学校へ行き、帰宅すると公園で遊んだり部屋でゲームをしたり。キースとは全く違う生活だ。  


「その頃またエド先生が妙なお菓子を持ってやって来た。砂糖の塊みたいな硬めの代物。落雁。佐久間先生は喜んでいるが、俺はげんなりした。和菓子が手に入ると佐久間先生は抹茶を用意する。口が広い茶碗に粉とお湯を入れて、竹でできた泡立て器みたいのでかき回して混ぜる。佐久間先生が飲むのは別にいいのだが、この頃からこの茶を俺にも勧めるようになった。舐めると半端なく苦い。後で聞いた話だが、日本人でもあのお茶は苦手な人がいるという。あんな苦い物を子供の俺に飲ませた佐久間先生はどういうつもりだったのか。エド先生はいつも菓子もその茶も断っていた。佐久間先生はもっと濃いのも飲めるという。あり得ない。リクも佐久間先生の家に行ったら和菓子も出るが絶対抹茶も飲まされるぞ」

 リクもスーパーで売っている抹茶の入ったお菓子は良く食べるが、粉の抹茶を点てたものを飲んだ経験はない。和菓子は好きだし一度位飲んでみたいとは思うが、そんなに苦いなら遠慮したい。


「エド先生はまた日本のお菓子を探して持ってくると言って、帰って行った。俺はそれもういらないと思った」

「キースは和菓子が苦手?」

「食べられなくはないが、お菓子を食べさせてもらえるなら洋菓子がいい」

「俺は和菓子も洋菓子も好きだけどな。まぁいいや。で?」


「それから更に一カ月が過ぎた。佐久間先生との日本文化暮らしも慣れてきた。醤油ダレで焼いた薄切り肉で御飯や野菜を食べるのが好きだと言ったら、頻繁に作ってくれた。声を荒げることなんて決してない物静かで優しい方だったし、俺を随分と可愛がってくれた。でも佐久間先生は教えることも無くなってきたし、俺が日本で生活できる位日本人の生活に馴染んで来たので、エド先生に迎えに来てもらうことになった。そんな頃のある朝起きると俺は頭が痛かった。佐久間先生は具合が悪いのかと聞いてきたが、その時は違うと答えてしまった。時間が過ぎ昼近くなったが頭痛は良くならず、寧ろどんどん酷くなっていく。とうとう頭が痛いと訴えると佐久間先生は俺の額に手を当てて『熱があるみたいだ。朝の時点でもっと気にしておけばよかった』と言って、俺を布団に寝かせた。一族の医者を紹介してもらおうと佐久間先生はエド先生に連絡してくれたんだが、しかしその日エド先生には何故か全く連絡がつかなかった。携帯には出ないし、留守電に対して返事も寄越してこない。会社に連絡したが、急な出張で海外に行ったとしか教えてもらえなかった。佐久間先生は仕方なく俺を一般の病院へ連れて行った。そこで風邪であろうと診断され、家に帰された。しかしその晩も熱は下がらず、佐久間先生は必死にエド先生を探してくれていた。翌朝、熱も下がらず更に殆ど食事も取れず、やっと口にした食べ物を直ぐに嘔吐した俺を見て、佐久間先生もまずいと思い始めたのだろう。『ちょっと待っていろ』そう言って、佐久間先生は俺の部屋から居なくなった」

読んでくださってありがとうございました。

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