佐久間先生
日本に戻って来て二日目。リクは時差ボケで夕方眠くて夜中に目が覚める。今朝ポールが今晩診察に行くと言ってきたが、起きていられるか心配だ。リビングのテーブルの上に側頭部をのせてうつらうつらしていたら、インターホンが鳴った。ドアの方からキースとポールの話声が聞こえてくる。まだ夕方六時だが、ポールは仕事が早く終わったか抜け出したかしてくれたのだろう。キースが冷蔵庫から何かを出す音がしている。頭を持ち上げて、今度は顎をテーブルの上にのせてリクは二人の行動を見物した。キースは冷蔵庫から出した麦茶をキッチンカウンターに置くと、食器棚からコップを取り出しそれに麦茶を注ぎテーブルの上に置いた。麦茶を自然に客に出すアメリカ人と、「外は暑かった」とか言ってそれを自然に飲んでいるアメリカ人。変な光景だ。
「早速明るいうちから眠いのか?」
テーブルから頭部を持ち上げたくない。
「違います。時差ボケです」
ポールの言葉に眠いけれどリクは返答する。
「ならこのまま夜遅くまで起きていた方がいいぞ」
「わかっています。わかっているけど眠いんです」
「この体勢は丁度いい。ちょっと見せてくれ」
ポールはリクの横に立ったまま、リクの額に手を当てる。
「これは……トーチ?」
ポールは直ぐに気付いた。
「わかるんですか?」
「医者にはね。体内に入れたとはエドから聞いていたが、額に留まるとは。珍しい」
リクはエドもそんなことを言っていたのを思い出す。
「エドからの報告だと、あっちではさんざんだったようだな」
「そうでもないです。大丈夫でした」
「トーチは落ち着いているし、悪い状態ではない。この状態がこのまま続くかわからないとエドは言っていたけど、何故か維持できている。不思議だ」
思い返せばあの夢以来、体調がいい気がする。桜と少女の頃のリクの母の夢。
「エドとの生活でトーチも落ち着いたのかもしれないし、安心できる何かがあるのかもしれない。君に無茶なストレスを掛けようとしてない。眠い原因はこの二カ月のトーチからのストレスで、体が疲れている所為のようだ。体重が戻れば良くなっていくと思うけど、今の体重は?」
「さぁ、四月の学校の健康診断以来、量っていません」
「体重計は?」
「ないです」
「じゃあ買うように。確かに今の君の状態は、七月に最後に見た時よりは遥かに良くなっている。エドの下もそう悪くはなかったようだな。三食きちんと食べること、睡眠不足にならないこと、風邪をひかないこと。この三つは気を付けて。何かあったら連絡をして」
「わかりました」
ポールはそう言って帰って行った。キースは部屋に戻る。今チャンスのボディの調整中だからだ。リクは夕食を作ろうと気合いを入れて立ち上がる。焼き肉用の肉があった筈だから、それを使おうと考えていた。
登校日の前日、笹本達がリクの部屋にやって来た。全員登校日提出分までの宿題は終わっている。七月に宿題を手伝ってくれた四人には、チョコレートとキーホルダーのお土産を渡した。
アメリカに居る間も四人とは時々連絡をしていた。ただリクの体調や時差の所為で、連絡内容が生存確認のようになってしまっていた。それで何となく夏休みの話になった。
夏休み前に、川原は軽井沢に行くと聞いていた。軽井沢に別荘があるのでよく家族で出掛けるらしく、今年も五日間家族で過ごしたそうだ。田端は親とどこかになんて行きたくないから、両親だけで出掛けてもらってずっと家で留守番していたと言っている。笹本はお盆に父方の実家に数日行ったが、田舎だからやることなくて暇だったのでずっとゲームをしていたという。確かにアメリカに居るリクに『映えるもんがねぇ』と添えられた、日本のド田舎の写真が送られてきた日があった。雨宮は今、アメリカからお祖父さんとお祖母さんが日本へ来ている。一緒に居るのは鬱陶しいので、今日は逃げて来られて良かったと言っている。親と住んでいないリクから見れば、田端は高校生の時くらい親と旅行にすればいいのにと思うし、雨宮の態度はお祖父さんお祖母さんが気の毒でならない。
「それで桜井はどうだったんだよ。お父さんに会ったんだろう?」
笹本はリクにも話せと言ってくる。
「ああ、会ったよ。一緒に過ごしたし」
「家どうだった? 広かった?」
「日本の家と比べると広いけれど、アメリカの家にしては狭いんだって。本が一杯あった。俺、日本語以外読めないけど」
「どんな人だった?」
「いい人だった。俺のこと心配してくれていた。アメリカで一緒に住みたいって言ってくれたんだけど、日本の学校へ行きたい俺をわかってくれた」
「優しいお父さんじゃん、良かったな」
一族やらトーチやら、ボロを出さずに話すのは気を使う。無難な話を探して答えるしかない。
「ところでさ」
よく喋るし好奇心旺盛な笹本。何かあるようだ。
「お前の家庭教、さっきから一回も部屋から出て来ないよな」
「昼間は別の仕事しているから忙しいんじゃないかな」
「顔見てみたいんだけどな。だってあの水野が気に入っているんだろう? 当然、イケメンだろう?」
「イケメンだよ。背高いし、顔いいし、スタイルいいし、序でに頭もいい。見ない方がいいと思うぞ。落ち込むぞ」
しかし笹本は見たくて仕様がないらしく、チラチラとキースの部屋のドアを見ている。
「止めとけ笹本。相手は欠点がないぞ」
と雨宮。
「あれは俺達が見るもんじゃない。女子達の為のもんだ」
と田端。
話題のキースは日本に戻るなり、直ぐに髪の色を元の黒に戻した。長さは当然まだ戻ってはいない。黒い短髪になっただけだ。ただどんな髪型しようが、イケメンはイケメン。
「そりゃあ田端と雨宮はこの前会ったんだろうけどさ、俺会ったことないんだよな。川原だって会ってみたいだろう?」
「あー? 水野の好みなんてどうでもいいよ。俺あの手のタイプの女、嫌いだし苦手」
その時キースの部屋のドアが開いた。全員一斉に、ドアに視線が釘付けになる。当然部屋から出て来たキースと、リク達五人の視線が合う。リク以外の四人とキースは、「こんにちは」とか「お邪魔してます」とか、月並みな挨拶を交わした。キースはそのままキッチンへ。
「リク、昼食は六人分作ればいいのか?」
「ああ、もう殆どできているよ。後は麺を茹でればいいだけ」
リクもキッチンカウンターの向こうへ回り込み、キースと一緒に準備を始める。
「リク? リクって桜井のこと?」
と疑問を口にしている笹本に、他の三人が説明してやっていた。笹本は感心したような声を出して聞いている。
「そうだよな、桜井の名前リチャードだもんな。すっかり忘れてた」
リクとキースで六人分の冷やし中華を作る。トッピングは朝のうちに作って冷蔵庫へ入れて置いてある。それだけでは足りないだろうと、朝早くおにぎりも作ってラップしておいた。それに一つずつ海苔を巻いていく。コップに入れた麦茶もお盆に載せて床に置いた。キースはテーブルに着いて1人で食べているが、リク達は床に座って円陣組んでワイルドにがつがつと食べている。食器を洗って片付けるのは四人がやると言ってくれた。食事が終わるとキースはまた部屋に戻る。
「やっぱ凄いイケメンだったな。モデルとか俳優とかできそう」
食器を洗い終わってリビングに戻って来た笹本が、またキースの部屋のドアをチラチラ見ながら言った。
「水野を彼女にしたい奴学校中に一杯いるけどさ、桜井の家庭教相手じゃ無理だわ。あれに勝てる自信のある男子、まずいないぞ」
リクは四人が来る途中で買って持って来てくれたクッキーとかスナックとかのお菓子を、ざっと皿に入れて出した。昼食を食べたばかりだというのに流石成長期の男子達、全員手が伸びる。
さっさと夏休みの宿題を終わらせて、月末に映画を見に行こうという話になった。リクもアメリカで結構頑張ったので、早めに宿題を終わらせる自信はある。でも今日の五人はゲームをする為に集まった。ゲームはあまりに盛り上がり声が近所迷惑だったらしく、一度管理人が注意をしに来た。ゲームは夏休み中ずっと熱中していた笹本が一番上手かった。
夕方になり帰る四人をリクは玄関まで見送った。
「桜井、お前背が伸びたんじゃねぇ?」
ふと気付いたように笹本が言った。
「え?」
「俺この夏で五センチ背が伸びたんだよ。百七十二センチになったんだ。これでお前を完全に見下ろせる! とか思っていたら、お前俺と目線変わらないじゃん」
「えぇ? 全く気にしてなかった!」
エドもキースもリクより遥かに大きいし、比較してもわかり難い。雨宮も五センチ、田端も五センチ、川原も三センチ、四月より伸びたと言っている。四人が帰った後制服のズボンを穿いてみた。
「やばい!」
普通に立っていて踝が見える位、夏用ズボンが短い。冬用ズボンもこれじゃあ一緒だろう。どちらも長めに作ったから、春にはズボンの裾は踵よりほんの少し上の位置だったのに。このペースで背が伸び続けたら、もう直ぐ穿けなくなる。
「勿体ない。でもいつの間に俺の身長は伸びたんだ?」
六月七月はズボンが緩過ぎてベルトで固定するのが大変だったから、ズボンの丈がどうだったかなんて記憶にない。冬服のジャケットは今の時点では何とかまだいける。ただこれを着る十一月頃までにあとどれくらい伸びるだろうと考えると、ジャケットも絶望的だった。明日学校の帰りに制服作りに行こうと思っていたら、メッセージがきた。雨宮が背が伸びて制服が小さくなったので、譲ってくれるという。田端は笹本に譲るらしい。雨宮は明日学校へ持って来てくれる。雨宮と田端は部活の先輩から譲り受けた制服が丁度いいサイズになったので、それを着るそうだ。しかし……リクが着られなくなった制服が欲しい生徒はいないだろう。入学した頃リクより背が低い男子は殆どいなかったから。
翌日登校日に学校へ行くと、担任から呼び止められた。担任は四十代の男性の国語の教師だ。
「桜井、登校日までに提出しろと言っていたプリントが、未提出だぞ」
「プリント?」
「家庭訪問、もしくは三者面談だ」
そんなプリントを七月に入ってから貰った気がするが、体調が一番悪い時だったし渡米で慌ただしかったからすっかり忘れていた。
「親御さんには渡したのか?」
「いいえ」
「桜井の家はお母さんが亡くなっていて、お父さんは海外で仕事だよな」
「はい」
「お父さんが学校へ来られる日はないのか?」
『当分はここを離れることはできないので。日本へは行けるとしても三カ月以上先の話です』
電話中のエドの言葉を思い出した。
「夏休み中にアメリカで父に会ったのですけど、三カ月以上先まで日本には来られないと言っていました」
「困ったな。高校から入学した一年生は全員、担任と親御さんが一度会って話をすることになっているんだ。大半の生徒は七月中に親御さんの都合のいい日をプリントに書いて提出してもらってて、殆どこの夏休みのうちにお会いすることができたのだが。仕方がないな。誰か進路や生活について話ができる親戚はいないか? 入学時の書類にある連絡先の、佐久間さんって人は親戚か?」
佐久間さん。初めて聞く名前。全く知らない人物。まさか担任にその人と面識ありませんとは言えない。
「聞いておきます」
リクはその日即行で家に帰った。部屋に入ると雨宮から貰った制服の入った紙袋を放り出してパソコンを開ける。そして教わったばかりのエドのメールアドレスに、担任からの面談話と、佐久間という人物に担任が会いたがっていると、メールを打った。
「何かあったのか?」
バタバタと部屋に飛び込んだリクに、何事かと部屋から出て来たらしきキースが声を掛けた。急いでいたので、部屋のドアが開けっ放しだった。
「あ、その」
もしかしてキースは佐久間を知っているかもしれないと思い、リクは聞いてみようと思った。
「キースは佐久間さんって知っている?」
「え? 佐久間さん? リクはどこでその名前を聞いたんだ?」
キースの知っている人物だった。リクは今日学校で担任に言われたことを話す。しかしキースは困った顔をしていた。
「その人は多分、俺とエド先生は佐久間先生と呼んでいて、俺達の日本語の先生だ。フォレスト社の設立時の協力者でもある。日本国籍の方だが必ず日本に居るとは限らない、お忙しい方だ」
協力者の一人と聞いて、リクには思い当たる人物がいた。
「チャンスの発案者?」
「リク、何故それを」
「お父さんとチャンスが言っていた」
あの電話の相手。あの時エドと話していたのが佐久間だったのだ。じきにエドからメールの返信がくるだろう。でもその前に、ちょっとだけどんな人か聞いておきたい。
「キース、佐久間さんってどんな人か教えてよ。どんな感じの先生だった?」
「どんなって……俺はまだ九歳だったし、教わったのは三カ月だぞ。それ以降は偶に会う位で」
「え、九歳でもう日本語勉強してたんだ。凄い、キースの子供の頃の話聞きたい!」
一人盛り上がるリクに仕方なさそうにキースは溜息を吐いた。
読んでくださってありがとうございました。




