エドが尊敬する人物
朝七時。エドがリクを起こしに来た。机の上のチャンスは既に居ない。
エドの話だと六時台に一度キースがリクの様子を見に来た。でもぐっすり眠っていたのでチャンスだけ回収し、キースはチャンスを連れて朝食を作りに一階に下りて行った。
「ごめんキース、朝食作るの手伝えなくて」
着替えたリクはバタバタと階段を下りた。
「事情はチャンスから聞いている、大丈夫か?」
テーブルに食事を並べながらキースはそう尋ねた。
「出掛けられそうか?」
エドが心配そうに聞いていた。リクは朝食を食べながら大丈夫と言う。
「先生、今日はチャンスを使うのは止めておきます」
「その方が良さそうだな」
そうエドとキースに勝手に決められて、結果リクは暇な一日を過ごさねばならなくなった。
眠れなかったのは夢の所為ではない。夏休みの高校生なんてこの程度の夜更かしは皆やっている。リクとしてはもう体調も悪くはない。それなのにチャンスは使用禁止の上にローテーブル上でリクを見張っているし、リクは社長室のソファに寝かされている。今日も、勉強もゲームもスマホも禁止。只管暇だった。
エドは午前中は出掛ける用事があり、社長室にはキースが居た。キースはパソコンを持ち込んでテーブルの上に置き、リクの寝ているソファの横にある一人掛けのソファに座り仕事をしている。午後にエドが帰って来ればキースは仕事部屋に戻る予定だ。
はっきり言ってリクは退屈だった。眠くもないし、疲れてもいないし、ゲーム位やらせて欲しい。何か暇潰しはないものかと考えて、例のトーチの移動の練習を思い付いた。
額から腕、腕から肩まで戻して足へ、また額に戻す。動かさずに腹部や胸部に留めてみる。回数を重ねてくると段々慣れてきた。最初の頃程疲れないしスピードも上がっていく。結構面白くなってきた。トーチを額から左腕に移動させた瞬間。
「うわっ!」
リクの体に掛けられていた膝掛がいきなり燃えた。燃えたと言っても左手の真上、直径十センチ位だけ。
「リク?」
「リク様!」
隣に座っていたキースが即座にリクに近寄った。それから周囲を警戒して窺っている。キースの行動はこれをリクがやったとは思っていないと表していた。
「ごめん、キース。俺がやった」
「ええ? リク?」
炎が大きかったのでリクはもっと燃え上がったと思っていた。他に被害がなくてよかった。
「トーチのコントロールが利かなくなって」
いきなり炎の上がった左手を見詰める。今トーチはまた額に戻っている。
昼近くなってエドが戻って来た。膝掛に開いた穴を見て驚いている。
「リックがやったのか?」
「ごめんなさい、俺にもよくわからなくて」
「謝ることは無い。最初の内は何度かそうなる。キースにも怪我は無いんだな?」
「俺は大丈夫です」
「しかし驚いたな。もうここまで動かせるとは」
エドは膝掛を広げると、開いた穴を覗き込んでいた。
「火力が発生するまで、まだまだ時間が掛かると思っていたんだ。かなりのスピードでトーチを左の手の平に向けて移動させなかったか?」
「移動に慣れてきたから」
「手の平で止めるつもりで移動させないと、スピードが付けられたトーチは攻撃と勘違いして前にある物を燃やすぞ」
知らなかった。リクは勝手に練習したのを反省した。
「守護者は誰でも何回かやらかす。トーチも練習を始めたばかりの今は攻撃範囲が狭いから、周りまで燃やすことはまずない。そのうちお前も慣れて来るしトーチも状況判断力が付いてくるから、勘違いしなくなるだろう。ただ人にぶつけて怪我をさせるなよ」
「わかった」
「しかしリックは凄いな。二日で火力を発生させるとは。普通、一週間は掛かる」
「え、そうなの?」
「トーチとの相性がいいのだろう」
エドの言葉がリクには何だか嬉しい。周囲に気を付けて午後も練習しようと思った時。
「ただリック、今日は大人しく寝ている約束だろう?」
急にエドに睨まれた。リクは今日寝不足で、そういう約束だった。
「午後は大人しくするよ」
穴の開いた膝掛に包まりエドに背を向ける。エドに怒られた。
「それより昼食だ。和食の弁当を手に入れた」
「本当?」
飛び起きて弁当を受け取る。蓋を開けると御飯と一緒に、塩鮭・卵焼き・つくねその他諸々日本人が好みそうな料理が入っていて、凄く嬉しい。キースも一つ受け取って食べ始めた。エドは和食は苦手というだけあり、洋食のデリバリーを食べている。箸で美味しそうに和食弁当頬張っているキースは本当にアメリカ人かと疑いたくなる。
「よく手に入りましたね」
「コネ使い捲った。でもリックの為だからね」
弁当は素晴らしい位日本人向けの味付けと、高そうな食材。リクは夢中で食べる。
「美味しいですね」
「ほんと美味しい」
「だろう?」
エドもニヤニヤしている。
「社長、コネ以外にも何かしました?」
その笑いにキースは何か引っ掛かったようで尋ねる。
「さぁ」
エドは惚けた。
「リックの健康状態を四月の時点に戻したいんだ」
エドがさらりと話題を変える。次期当主になる前の状態。それがエドとポールの目標だそうだ。
「じゃあ、俺は地下の仕事部屋に戻ります」
「ああ、午前中ありがとう」
キースは社長室を出た。
目を覚ますとまだ外は明るくて、時計を見ると四時過ぎだった。弁当を食べ終わると直ぐに寝てしまってどうやら三時間位寝ていた。エドは電話で話をしている。珍しく日本語だった。
「……当分はここを離れることはできないので。日本へは行けるとしても三カ月以上先の話です。はい、わかっています。お任せします」
丁寧な日本語がリクの耳に入ってきた。目上の人のようだがエドが敬語で話す、多分日本人とはどういう人物だろうか。エドは電話を切るとリクの方を向いた。横になってはいるが目を開けているリクと、ばっちり目が合った。
「起きていたのか?」
「うん」
「話は聞いていたか?」
「最後の方だけ」
「そうか。今の電話の人は、日本人の実業家だ。この会社の立ち上げに協力してくれた人だ。その後会社を俺に任せてくれた。その人は会社には共同経営者として名前だけ残っているが、今は主に別の仕事をしている。このところ忙しくて連絡をしていなかったから、向こうから連絡が来た」
エドは恥ずかしそうに困ったように笑っている。リクはこんな表情のエドを今まで見たことがない。
「俺が若い頃からの知り合いだから、未だに子供扱いされてしまうんだ」
こんな立派な会社の社長のエドを子供扱いとはリクには信じられない。エドは年齢だって四十歳を疾っくに過ぎている。
「その人から見れば、幾つになっても頼りなく見えるんだろうな」
今度は懐かしそうに笑った。窓の外に視線を移して遠くを見るエドは若い頃を思い出しているようで、リクはエドの若い頃の仕事の話に興味が出たが。
「もしかして、私の発案者ですか?」
チャンスが尋ねた。
「ああ、そうだ。その人の発案で、チャンスを作る計画を練り始めたんだ。彼程の人物は、滅多にお目に掛かれないぞ」
どこで知り合って、どんなかかわりを持って、どんな風に力になってくれたのかわからないが、きっとその人を尊敬しているのだろうとリクはエドを見ていて思う。リクの思考を破るように、忙しないドアのノックの後エドの返事を待たずに猛烈な勢いでドアが開いて、キースが社長室の中に飛び込んで来た。後ろ手にドアを閉めるとキースは息を吐いた。
「どうした? キース?」
あまりのキースの勢いに呆気にとられながらもエドは質問した。
「廊下も歩けないんですよ」
キースは昼食後社長室を出たところから話し出した。
地下に向かおうと廊下を歩いていると、サイモンや他の社員達に呼び止められ手を引っ張られた。手を振り解くのは簡単だが、怪我人を出したくないので仕方なく連れられて行く。椅子に座らされるとあっという間にフォレスター家ではない社員達が集まって来た。
『今日はリックはどうしたんだ? また具合悪いのか?』
『昨晩良く眠れなかったみたいだ。食欲も落ちるし先日のように高熱を出すから、社長は用心している』
『リックの病気って何?』
『さあ、ただあの体格だから、熱を出したり風邪を引いたりし易いようだ』
『リックの親は? 孤児なの?』
『よく知らない』
このお節介な連中は、社長はやっぱりリクを養子にすべきだとか言って盛り上がっている。一瞬の隙を衝いて地下室に逃げた。キースの部屋のセキュリティーは社内で最も厳しい。社長以外誰も入り込めない。しかし彼らも諦めない。用事を作ってはキースを呼び付けようとした。その用事の為に地下室を出て歩いている廊下でも別の奴に捕まる。いい加減うんざりしてこうして社長室に飛び込んだ。
「リックに興味があるんだね。でもリックももう直ぐ帰国だから、居なくなれば皆落ち着くかな」
「エド様が息子だときちんと説明すればいいのです」
「チャンスは厳しいな。いずれはそうするつもりだ。ただ今はフォレスター家側をあまり刺激したくないんだ。リックをこれ以上危険に晒したくないから。仕方がない、今日キースはここで仕事をするか?」
「そうさせてください」
キースはエドのパソコンを借りて仕事を始めた。
夕食の後、キースがエドに言っていた。
「明日会社でチャンスを分解します」
「あ~っ、そうか。明日は金曜日か」
また暫くリクはチャンスとはお別れだ。月曜日の飛行機で日本へ帰るから、チャンスはもうそろそろそのボディから出なければならない。
「チェスがしたいです!」
チャンスがチェスを要求している。
「日本ではパソコンで対戦できるようにするよ」
キースの言葉にチャンスは喜んでいる。
テレビのニュースでアジアの天気を放送していた。今日の東京は晴れ、最高気温三十三度、最低気温二十四度。そこへ帰るのか。リクは想像しただけでうんざりしてきた。こんな暑い中、雨宮と田端と川原は部活。笹本は予備校の夏季講習。部活入ればよかったと今となっては思う。でも四月当初は興味がなかったし、六月頃の体調じゃ活動日の多い部は無理だったろう。リクの頭の中は早くも友人や学校で一杯だ。
「チャンス、でもチェスの前にリクの家庭教師をしないと」
チェスをパソコンでできるようすると言われてから機嫌のよさそうなチャンスは、家庭教師もやる気満々、リクを扱く気満々だ。
その日の授業は英語、エドの要望で英会話の授業になった。これにはエドまで参加してくる。エド・キース・チャンス三人掛かりで二時間みっちり英語のみ。日本語は一切なし。日本に居た時も週一この授業があったが、毎週授業後はぐったりした。
二時間が終わりやっと解放されたリクは、テーブルに突っ伏している。三人が何か話し合いをしている声が聞こえてくる。内容は英語だが、リクの英語の授業についての相談だとは言われなくてもリクにはわかった。話し合いが終わったのか、キースがチェス盤を運んできた。そしてリクに、
「先生から来月から英会話の時間を増やし、もっと厳しくするように頼まれた」
そう言った。
「リク様、頑張りましょう」
更に張り切るチャンス。リクにとってはもう既に十分厳しい。勘弁して欲しい。
翌朝チャンスに暫しのお別れを言い、夕方サイモン達にもお礼とお別れを言った。社内の皆はまた来いよと言ってくれた。リクもまた来ると答えた。夕方家に向かう車の中、もうチャンスはいない。日本ではまたチャンスはあの赤いラインのボディに戻るのだ。夕食を終えてキースに勉強を見てもらい終わると九時近かった。エドがソファで本を読んでいる。キースは本棚の前に立つと、いつものページ捲りを始める。丁度眠くなって来たリクはシャワーを浴びて寝ることにした。
読んでくださってありがとうございました。




