体の中のトーチ
夜、寿司屋から戻ってくると早速リクは眠くなってきた。でもエドが話があるので、もう少し起きていて欲しいという。エドはリクを仕事部屋に連れて行った。仕事部屋に一緒に入ると突然、エドの右の手の平の上に、高さ五十センチ程の火が現れた。何の前触れもなく、エドが手の平を上に向けた瞬間、現れたのだ。
「トーチ?」
リクの眠気は吹っ飛んだ。
「それが、大元の?」
「そうだ」
「そういえば、この間も小さいトーチと引き合わせたとか言ってたよね……え? それって今までどこに在ったの?」
「俺の体の中」
「体の中って……」
『確か他にも持ち歩く方法があったと思います』
日本で最初にチャンスがそんなことを言っていたのをリクは思い出す。エドはいつも体の中に入れて持ち歩いているというのか。トーチはエドの手から離れると、ふわふわと人魂のように空間を漂い始めた。リクはその不思議な光景をただ茫然と見詰める。エドはリクが首から下げている袋の中から小さなトーチの入ったケースを取り出すと、それをリクの右手の平の上に乗せた。ケースの中では小さな火が燃えている。蓋も開け口もないのに火はケースからするりと抜け出すと、空中を漂い始めた。目の前には大きなトーチと小さなトーチの二つが並んで浮いている。暫くふわふわと浮いていたが、タイミングを合わせたように一瞬で二つ共かき消えた。
「え?」
さっきまでトーチ達が浮いていた空間には今は何もない。リクはトーチを探してきょろきょろと辺りを見回した。
「戻ったな」
エドはそう言った。
「戻った?」
「体の中に」
「へ? 大きい方はお父さんの中に戻ったとして、小さい方は?」
「お前の中だ」
「ええっ?」
手の平のケースの中は空だ。リクは自分の体を見下ろす。どこにも変化は無い。体の中のどこにあるのかさっぱりわからない。
「どうなってんの?」
「大元のトーチが守護者の体への出入りの仕方を、株分けされたトーチに教えたんだ。リクの意思での出し入れは慣れればできるようになる。体の中にトーチがあることを感じないか? これに関しては、痣は関係ない筈だが」
「体の中?」
と言われても、どこをどう探せばいいのかわからない。エドは空になったケースをリクの手から取り上げると、リクが首から下げている袋にしまった。
「体の外に出すと、自然とこのケースの中に入ってくれるようにもそのうちなるとは思う。今はリックの体の中が居心地良さそうだ。それに現状では警戒心が強いから、そう簡単には出て来てくれそうもない。リクの周りには今のところ、株分けされたトーチにとって意地悪な人間が多いからな」
そう言ってエドは笑っている。
「額に居る。心臓に近い部分に潜むケースが多いのに、お前の場合は額だな。珍しい。どうしてなんだろう」
エドはリクのおでこをそっと指で突いた。リクはおでこに手を当てて見る。しかし何も感じない。
「目を閉じて額に意識を集中してみろ」
リクは言われた通りやってみる。本当にわかるのだろうかと気を抜かずに続けると、ほんのりと額が暖かくなってきた。暖かさを感じるその中心に、何か異物感。リクは見付け出した。
「わかった。でもどうしたら」
「動かせるか? それを」
「動かす?」
「意識を少しずつ首の方へ移動させるんだ」
首へ移動。そう考え続けると、トーチは動き始めた。リクが行って欲しいと願う方向へ。
「慣れてくればさっき俺がやったように、素早く手へ移動させて外へ出すことができる。ただお前の中のトーチは今、外へ出たがっていないから、まずは素早く体内を移動させる練習だな」
「移動させることに何の意味があるの?」
「トーチを掴んだ社員は、火傷しただろう? 例えば、お前の体を殴ろうとする者がいて、そいつの狙っている部位に素早くトーチを移動させれば、殴られてもダメージは軽減されるし相手の拳を火傷させられる。火を直接利用するのに痣には関係なく、しかも守護者と次期守護者のみができる」
「そんな風に使えるんだ。トーチって凄い」
「ただ、実はまだポールから練習の許可が出ていない。それなりに神経を使うから、聞いたら駄目って言われそうで……怖くて聞けない。でもお前はここには留まらず日本へ帰る方を選んだから、もう当分会えない。だからどうしても夏休みの内にこれを教えておきたかったんだ。ポールには後で連絡しておくから、日本に戻ってポールから練習を止められたら許可が下りるまで止めろ。それだけは守ってくれ」
「わかった」
「話は終わりだ。今日はもう寝た方がいいだろう」
「うん、おやすみなさい」
「おやすみ」
エドの仕事部屋から出ると、リクは一階を見下ろす。キースとチャンスが読書をしていた。読書だチェスだとチャンスの言い成りになってやっているキースは、まるでチャンスの父親みたいに見える。リクは部屋に戻るとベッドの上に寝そべって目を瞑った。明日からまたエドとチャンスとキースは仕事だ。
「リックは社長の養子になるのか?」
翌朝リクが一人で会議室に居ると、サイモンが話し掛けてきた。
「え?」
リクはセシリアも両親にそんな話をしていたのを思い出した。
「そんな話は出てないよ。俺は日本で高校生活を過ごすつもりだし」
「奥様も来たし、社長の休みはその相談だと思った。日本へ帰るのか」
「うん。今は日本でやりたいことがあるから」
サイモンは会議室を出て行った。日本語の話せない他の社員に報告だろうと思うと、『皆、噂話が好きだなぁ』とエドが呟く気持がリクにはわかる気がした。
何とか登校日までにやらなくてはならない宿題は終わった。後は八月末提出分だ。しかしこの学校は宿題が多い。夏休みに活動日が多い運動部員なんてどうしているのだろうと疑問に思う。ふと、成績の良い三人の友人の顔が頭に浮かんだ。うち二人は運動部だし、残り一人も活動日の多い部だ。更に三人共リクの宿題まで手伝う余裕。リクには何とも羨ましい。
勉強の合間に、リクは昨日教わったトーチの移動を練習してみた。額に在るそれを意識して、徐々に首の方へ。そして肩から腕を通して、手の平へ。手の平から先は、やはり出て来ない。エドの言う通り外は嫌いなようだ。リクから引き離したい人間が多いのだから仕方がない。何度かやってみると段々と慣れてくるが、ある程度のところで止めておいた。思ったよりも集中力と体力を使ったようで、うっすらと汗をかき始めたからだ。まだ無理はしない方がいいと考えながら、リクはハンドタオルで汗を拭った。
夕食の後リクはエドと一緒にソファに座りテレビで野球の試合を見ていた――筈だった。
トントンという音の後、チャンスの声がした。英語でキースにページを捲るように頼んでいる。でもリクは眠くて目を開ける気になれない。この声はきっと夢なのだなと、勝手に頭が解釈した。
その後、何やら英語が聞こえる。声はエドとキース。これは込み入った話のようで、二人が何を話しているかはリクにはわからない。珍しく大きめのキースの声がした直後。
「キース」
再びチャンスの声。トントンと何かを叩き続けている。確かあのトントンという音は、いつもチャンスが本のページを捲って欲しい時に本を叩いてたてている音だと、やっとリクの半分眠っている脳が認識した。さっきからスポーツ中継みたいな音声も聞こえる。そしてリクはベッドに寝ているのではなく、何かに寄り掛かり座って寝ているのだと気付いた。目を開けてリクは寄り掛かっている支えを見上げる。
「お……父さん?」
一瞬何が何だかわからなかったが、リクは野球を見ながら寝てしまったのだと思い出した。
「ごめん。寝ちゃった。野球見たかったのに」
「疲れているんだろう。寝てていいぞ」
目を瞑ってみたが眠れそうになかった。何故かさっきの、一瞬だけ声が大きくなったキースの言った言葉が気になる。
「眠らないのか?」
目を開いてぼんやりとテレビを見ていたら、エドが怪訝な顔で言った。
「眠くなくなった」
「あの夢を見たのか?」
「違うよ、見てないよ」
エドは心配そうにリクを見ている。まさかさっきの二人の会話が気になって、眠れなくなったとは言えない。
「本当に、夢は見てないから」
周りに迷惑を掛けるから嘘は吐かないようにしている。エドはこれ以上の追及はせずに、テレビに視線を戻した。
「リックはスポーツはしないのか?」
「全般的に不得意。体小さいし、筋肉ないし、運動神経も今一つだし」
小さい頃は、少年野球とか、サッカーチームとか、スイミングスクールとか、体操教室とか、ミニバスケとか、近所の男の子達が出掛けて行くところに行ってみたかったけれど、祖父母は全く興味も理解もなかった。女の子のリクの母しか育てたことがないからか、古い時代の考えなのか、高齢でかかわるのが面倒だったのか。もう知りようがない。
今でも体育の時間は好きだけど、日頃鍛えている運動部員達には敵わない。そんなことをぼんやり考えながら見ていると、実は試合はかなりの接戦。一点差だ。球場は盛り上がっている。寝起きで寒くて、リクはしっかりと毛布を体に巻き付けた。エドがリクの肩に回した腕の力を強くする。
「昔は、守護者と次期守護者は常に近い距離にいられたのだろうな。現代社会では、それは無理だが」
額のトーチに意識を向けてみる。本当は大元のトーチの傍に居たいだろう、それなのにリクの中に居てリクを守ってくれている。リクはまた明日も移動の練習をしようと思った。それが今、リクがトーチの為にしてあげられる唯一のことだった。
その晩、チャンスはリクの部屋に居た。野球の試合が終わった後リクが寝ようと部屋に入ったら、チャンスを抱えたエドも付いて入って来た。そして「念の為」と言ってチャンスを机の上に置いた。それからチャンスに「何かあったら報告を」と言って部屋を出て行った。
チャンスは机の上からリクを見ている。リクは聞いてみようか迷っていた。先程のエドとキースの会話だ。でも盗み聞きしていたとはちょっと言い難い。でも凄く気になる。
「リク様、大丈夫ですか? 眠れないのですか? エド様を呼びましょうか?」
眠れないのをチャンスに気付かれた。
「大丈夫だよ」
「やはり先程夢を見られたのでは」
光を落していたチャンスの目が段々明るくなっていく。机の周辺が青い光で照らし出された。何らかの手段でエドかキースを呼びそうな雰囲気だ。リクにとってはまずい。
「ちょっと気になってて」
「気になってて?」
もう白状するしかない。エドとキースにばれるかもしれないが、でもリクに悪気は無いのだ。
「さっきリビングで寝ていた時実は寝惚けていて、夢を見ていると勘違いしてお父さんとキースの会話を聞いてしまったんだ。でも英語だったから何言っているかわからなくて。ただ最後にキースの声が大きくなって、日頃キースのあんな焦った声滅多に聞かないから、どうしたんだろうと思って」
チャンスの目の光が少し落ちた。リクはホッととした。先程の光の増加は一瞬リクを怯ませる迫力があった。
「俺キースについて全く何も知らないに等しいだろう? でもキースって小さい頃に両親を亡くしてたりして、ずっと一人なのかと思うと辛いだろうなと思って。それで何の話か気になっちゃって」
リクはエドから頼まれた。キースの友達になってくれ、力になってやってくれと。でも頼まれなくたってそうしてあげたい。だから些細なことが気になっているのかもしれない。キースが話したくない過去を無理に聞き出そうとは思わない。でも、チャンスの為にもキースを気に留めておきたい。
「先程の話?」
チャンスは一字一句正確に全て覚えているに違いない。そして間違いなく全部日本語に訳せる。
「話の内容は、大したことではありません。日本語にしましょうか?」
「いや、いいよ。大したことじゃないなら。盗み聞きしたみたいになっちゃうし」
「でもリク様が眠れないなら」
「いや、大丈夫、大したことないって聞けたから」
とはいえ、今眠くはないのだ。リクは困った。
「エド様はキースを息子同然と思っていらして、将来を心配なさっているみたいでしたよ」
「え?」
チャンスはさらりとそう言った。
「それに対して、物凄くキースは遠慮しているというか。申し訳ないと感じていると言うか」
「そうなんだ」
「二人はそんな話をしていました」
チャンスは二人の話の内容の根底にある、大事なものだけ教えてくれた。セシリアはエドとキースについてあんな風に言っていたが、今のチャンスの言葉の限りではお互いを気遣っている気がする。きっとセシリアが言っていた噂は誰かの心無い嘘だ。エドとキースは真相を知っている。だから二人は――噂を信じる人から見れば気持が悪い位――普通に接している。でもエドは何故か噂を否定しない。
「リク様、どうかしましたか?」
「え? あ、いや、どうしてお父さんは奥さんが言っていたキースの両親の噂を否定しないんだろうと思って」
チャンスは黙った。目の中の青い光が左右に動く。何か考え込んでいる様子だ。
「私の考えなので、正しいかはわかりませんが」
突然、思い付いたように言った。
「うん」
「否定しないことによって、もっと周囲に知られたくない何かから目を逸らさせているのでは?」
「もっと周囲に知られたくない何か?」
チャンスの指摘は有り得ることだった。あの頭の良いエドなら考え付きそうだ。面白そうな話題を敢えて提供しておけば周囲はそれに飛び付いて、本当に知られては困る何かが隠されているのに気付けない。
「そっか、頭いいなぁ」
しみじみと言ってしまった。凡人のリクには考え付かなそうだからだ。チャンスは目の青い光を落していく。リクに寝ろと促しているのだろうがリクは眠れそうもない。目を瞑って眠くなるのを待つしかない。
リビングでの中途半端な居眠りがまずかったのか、リクがやっと寝付けたのは三時近かった。
読んでくださってありがとうございました。




