リクとチャンスの休日
チャンスがやって来て、六日が過ぎた。チャンスは本当に色々役に立った。宿題を手伝ってくれるだけではなく、冷蔵庫の食材を言えばその材料でできる料理を直ぐに答えてくれるし、午後から雨が降るから傘持っていけだとか、財布を机の上に忘れているだとか、何かとリクの世話を焼いてくれた。
先日はリクがテレビの歌番組を見ていたら、チャンスが女性アイドル達のダンスの振り付けを真似て踊ろうとしていた。ロボットのちょっとぎこちない動きが妙におかしくて、リクは久々に腹を抱えて笑った。
「明日は日曜日で休みだから、外に行ってみようか」
「外?」
冷蔵庫の豚バラと残り野菜を使って、チャンスの指示通り作り上げた回鍋肉を頬張りながら、リクはチャンスに外出してみないかと誘っていた。ロボットとはいえ留守番で、家の中に籠らせっぱなしは可哀想と思ったのだ。
「明日はいいお天気ですから、きっと気持ちいいでしょう」
チャンスはこういう時直ぐに、天気やら時間やら細かい情報を率先して調べてくれる。
「じゃあ洗濯干してから行こう」
ここ一週間の洗濯物が溜まっているしいいお天気ならそれを片付けたいので、リクは洗濯機に洗濯物を入れると、あすの朝洗い終わるように終了時間予約をしてスイッチを入れた。
「そういえば日本は、洗濯物を外に干せるのですね」
チャンスはリクが翌朝洗濯物をどうやって干すのか、録画すると言っている。見たことがないので興味があるのだと。
布団に横になったリクはしかし明日どこへ行こうと考えた。小さい子ではないから公園はないだろうし、ペットではないから散歩も意味ないだろう。繁華街は人が沢山いる。なんとなくチャンスは目立ってはいけない気がするから、声も出せなくなる場所もNGだ。広くて目立たなくて気持ちのいい場所。リクはそんなことを考えながらいつの間にか眠っていた。
翌日、リクはチャンスをバックパックに詰めると、近くを流れる川の河川敷の方角へ歩いて行った。リクとしては学校へ行く時に使う、毎日通っている道だ。
「着いたら出してやるから、ちょっと我慢してくれ」
バックパックに詰められるのを嫌がるでもなく、チャンスは大人しく収まっていた。口もきかず静かにしている。ただ時々電子音が聞こえてくるのが、チャンスが起動している証拠だった。
学校へ行く時はこの先の交差点を右折だが、今日はチャンスを背負ったまま河川敷への一本道を歩き続ける。この季節は晴れると結構暑い。リクはできるだけ道の日陰の部分に沿いながら歩くが日向に差し掛かると手の平で日光を遮り、帽子を持ってくればよかったと悔やんだ。ジーンズの後ろのポケットに無理矢理突っ込んだペットボトルのお茶を取り出して口に含む。まだ冷蔵庫内の冷たさが残っていて美味しかった。ふと、暑さでチャンスが故障しないかとバックパックの中が気になったが、日陰を選びそのまま歩き続けた。
「ちょっと待ってて。今、見せてやるから」
偶々通りかかった景色をチャンスに見せてやりたくてリクは立ち止まった。リクはチャンスをバックパックから取り出す。そして胸元に抱えた。
「これは……」
リクとチャンスの目の前にはピンクの花を重そうに付けた二本の木が並んでいた。緑と茶色の混ざったような葉の新芽と、華やかなピンクの毬のような花の塊の、独特なコントラストが通行人の目を引く。
「八重桜」
リクは昔祖母に教わったその名前を口に出した。以前祖父母と三人で暮らしていた家の近所には八重桜の並木があって、花の季節になると祖母は幼いリクの手を引いてよくその並木に散歩に出掛けた。去年は中学校へ行く途中毎日そこを通ったけれど、中学校を卒業した今年からもうその近くへは行かない。あの並木の八重桜も今頃満開を迎えているだろうと、リクはピンク色が連なる並木を懐かしく思い浮かべた。
今リクとチャンスがいるのは、河川敷の土手から伸びる坂を少し登った所にある私立大学の裏門。その裏門の脇に二本の八重桜がひっそりと並んで佇んでいた。
「綺麗ですね」
チャンスは静かな声でそう言った。
「折角の日本の春だから、本当は満開のソメイヨシノ見せてあげたいんだけどもう今年は終わっているんだ。ソメイヨシノは来年」
「ソメイヨシノは写真で見たことがありますが、まだ実物は見たことがありません。来年が楽しみです。でもこの桜もとても綺麗です」
チャンスの目の中のブルーの光が一際明るく灯り、それが右へ左へと目の中を移動していた。
「キースにも見せてあげたい」
チャンスはぽつりとそう言った。独り言のようなそれは、でも確りとリクの耳に届いていた。
「キース?」
「はい。リク様のもとに来る前に私を教育してくれた、私の製作者です」
「この花をキースにも見せてあげたいんだ」
「はい。人間は綺麗な物が好きだと教わりました」
「チャンスはいい奴だな。いつか見られるといいな」
「はい!」
チャンスの声は嬉しそうだった。リクはチャンスの声を聞いていて、キースはチャンスが喜怒哀楽を声で使い分け出来るように作っていると感心した。そしてそれはキースのチャンスに対する優しさの気がした。チャンスとの会話はまるで感情のある人間と会話しているようだった。
チャンスを抱えたまま歩き始めると、道が段々と急な下り坂になる。河川敷までは後二百メートル位だ。
到着すると土手に登って、対岸を見渡せる斜面に陣取った。頭上には花梗と赤い萼のみを残して花びらが地面に落ち、若々しい緑の葉をつけ始めたソメイヨシノの木が枝を垂らしている。この場所は二週間前には、こんな風に座れない位に花見客で溢れていただろうと思われた。
「これがソメイヨシノの木ですね。よく見るとまだ少し花が残っていますよ」
確かによく見るとチャンスの言う通り、枝の先端や太い幹にへばり付くようにほんの少しだが花が咲いている。
「満開の時はもっと綺麗なんだ」
リクはそう言って川に向かって垂れた枝を見上げた。チャンスも見上げる。それからチャンスは首を盛んに動かし、対岸やら川の上流やら下流やらを興味深そうに見渡していた。
週が明けまた学校生活が始まった。授業に出て、笹本達と話し、放課後家路につく。家ではチャンスが出迎えてくれる。リクにとっては中学時代よりも遥かにましな生活が続いた。
今日は水曜日。学校帰りにスーパーで買い物を終えるとリクは真っ直ぐ家に向かった。スーパーでの買い物は毎朝チャンスから指示される。リクが朝食を食べている間にその横でチャンスはスーパーのWEBチラシをチェックしていて、食材のストックと照らし合わせて無駄がなくかつ安い買い物を導き出してくれた。チャンスは本当に便利で素晴らしかった。リクは父の誕生日プレゼントを選ぶセンスを見直した。
「ただいま」
「お帰りなさい」
チャンスの首が玄関の方を向いた。意外と首が器用に動く。一回転させて見せてくれたがちょっと不気味で、その場でリクは止めさせた。
夕飯の後チャンスが見せたい物があると言う。夕飯の食器を片付け風呂の湯張りスイッチを入れると、リクはチャンスの前に座った。
「これです」
チャンスの腹の一部が名刺位のサイズにぼんやりと白く光り始めた。
「これ何? もしかして画面になるの?」
「はい」
そしてウィーンと表現したくなるような音をさせると、突然一つの画像を映し出す。画像は大量のピンクとその向こうの青い空。八重桜だ。
「これって日曜日の」
画像はスライドショーを始めた。キラキラと光る川面と対岸の街並み、上流の鉄橋を渡る電車、河川敷の広場でボール遊びをする子供達。ソメイヨシノの花数輪の度アップ。ついでに葉桜を見上げるリクのボーっとした顔も。
「いいショットだな。写真撮ってたのか?」
リクに写真の良し悪しがわかる筈がない。ただチャンスを親が小さい子供にするように、褒めて上げた。
「はい。本当は自撮りもしたかったです。でも自撮り機能はなくて」
「あの時言ってたキースって人ならその機能付けられるのか?」
「多分」
「今度付けてもらおうぜ」
のんびりした休日の河川敷の風景を見ていた所為で、画像を見ながら「キースってどんな人? いくつ位?」等と言いながらウトウトし始めたリクの頭を、何かがポコポコと叩いた。うっすらと開けた目の向こうには、チャンスの腕。痛くはないがこの衝撃では寝てはいられない。
「リク様、宿題とお風呂」
「わかっている」
リクは鞄から教科書とノートを取り出した。
今日も昼はリクと笹本は学食。野菜不足をチャンスに指摘されたリクは、野菜入りのラーメンを食べていた。
「予備校とかは?」
「予備校?」
「だって大学受験は考えているだろう?」
部活は入らないと言ったリクに、笹本は今度は予備校の話をふって来た。
「俺まだ全く考えていなかった。だって、俺は高校受験終わったばっかりだぞ?」
中学からの内部進学組の殆どは、もう将来を決めているようだと笹本は話した。二年になれば理系文系授業が分かれるし、推薦狙うなら運動部有利等リクには初めて聞く話ばかりだった。リクは特別得意な科目がある訳ではない。
「突然文系か理系かと言われても困る」
リクは運動神経も良くないしスポーツも未経験だから、運動部もあり得ない。
「笹本は医学部だから、理系だろ?」
愚問だがリクは聞いてみた。
「うん、一応第一希望は。それでまずは不得意な英語だけ予備校行こうと思って。俺が電車乗り換える駅に沢山予備校あるぞ。パンフだけでも貰ってみたら?」
リクには周りに相談できる大人がいない。周囲の大人は偶に様子を見に来る弁護士位。
その上祖母と暮らしていた頃は塾なんて全く行っていなかった。
「突然学校以外の勉強のこと言われても。父親ともっと頻繁に連絡できればいいんだけど」
携帯番号さえリクは知らない。連絡は一方的に弁護士経由で寄越すだけだ。
「桜井、ラーメン伸びるぞ~」
リクがラーメン丼を前にぐったり脱力していると、自分のラーメンを既に食べ終えた笹本がリクのラーメンを覗き込んだ。
「ただいま」
今日のリクはいつもより少し遅めの帰宅だった。笹本と一緒に学校に近い駅前と、電車通学の笹本の乗換駅にある予備校のパンフレットを貰ってから帰って来たからだ。予備校の大量のパンフレット、その重みでリクは玄関先にへたり込んだ。
「あれ?」
リクは部屋の中の異変に気付いた。チャンスのお帰りなさいの声がない。それから、部屋が真っ暗だ。いつもは部屋の照明が点いてなくても、チャンスの目の中の光で部屋中がほんのり青く染まっている。それがない。
「チャンス!」
リクはそう叫ぶと、照明のスイッチを押した。すぐさま部屋はパッと明るくなった。しかし朝机の上に置いていったチャンスは微動だにせず、目の光も消えている。
「チャンス?」
リクは恐る恐るチャンスに近付いた。
もう一度声を掛けてみる。
「チャンス」
チャンスは喋らない、動かない、光も音も出さない。まるで置物のようにそこに立っていた。
故障。リクは反応の一切ないチャンスを見てそう考えた。
「でもどうしたらいいんだろう」
取説は捨ててしまった。父は連絡方法がない。
床に落っことした所為、休日の散歩の所為、自分がやった何かが悪かったのかもと、リクはオロオロするばかりだ。
「チャンス、何か言ってくれよ」
リクは何度もチャンスにそう話し掛けた。
その日の学校の宿題は、日付が変わる頃まで終わらなかった。
翌朝何とか寝坊せずに起きられたリクは、パジャマのまま無反応なチャンスの前に座った。朝食を食べて制服に着替えて、もう学校へ行かなければならない。
今日はおはようも、いってらっしゃいもなく部屋を出る。先月まではそうやって暮らしていた。それが当たり前だったのだから。でも会話をする楽しさを知ってしまった今、話し相手のいない生活はリクには妙に寂しかった。リクは足元を見ながらトボトボと学校への道を歩いて行った。
読んでくださってありがとうございました。




