噂
目を覚ますと午前九時だった。昨晩寝たのは確か十時。リクはまた十時間以上眠ってしまった。でもトーチの夢も見ないし体調も悪くない。
吹き抜けから一階を見下ろすと、ソファにキースとチャンスがいた。また二人は読書だ。チャンスの最近のお気に入りが読書だとキースは言っていた。ここには本が沢山ある。一階に下りて二人に話し掛けると、エドはまだ起きてきていないという。仕方ないのでキースと二人で朝食を食べた。エドが起きて来たのはそれから三十分後で、起きて来たというよりは仕事部屋から出て来た。エドはまたあの部屋に籠っていた。休みは取ったが忙しいのかもしれないと思った。リクは食卓でチャンスと宿題、キースは本棚の前で例の本捲りをしていた。
「実は昨晩遅く、メールがきたんだ」
エドはリクとキースにそう話し掛けた。
「セシリアから、リックとできれば二人きりで話がしたいと」
思わぬ人物の名前が出てリクは戸惑う。エドは考え込んでいる。キースは眉間に皺を寄せていた。
「言葉が通じないから二人きりは無理で誰かが立ち会うことにはなると思うし、何の話か予想はついているんだが、ちょっとな」
エドはリクとセシリアを会わせるのを渋っている。
「セシリア様は何を考えているんですか? 先日の一件からまだ二日ですよ」
「セシリアの御両親とセシリアは、明日の昼にサンフランシスコを発ってラスベガスに行く予定だ。それで、今日話す時間を作って欲しいらしい」
「リクには聞かせたくない話ですか?」
「俺としてはできれば今は。セシリアは話したいのかもしれないけど……このところリックの体調がいいから、刺激するような話は避けたい」
「俺は大丈夫だから」
そう言う理由で聞かせたくない話なら問題ないとリクは思った。
「お父さんが、奥さんと俺が会うのが嫌でないなら」
リクはエドの目を見て言った。どんな話を聞かされたって受け止められる自信がある。
「お前とセシリアが会って、話をしても構わないと思っている。ただ彼女から見れば、俺はかなりの悪者だ」
キースが顔をリクとエドから背けた。リクの方を向いているエドから見えない背後に居ると思って、多分声を出さずに笑っている。体が小刻みに震えていた。
「彼女に連絡をするよ。リックが会って話をする気があるって。通訳はチャンスにするか。俺やキースじゃない方がいいだろう」
エドは仕事部屋へ戻って行った。エドはセシリアの話は予想がついていると言っていた。アメリカに来るなと言われるのだろうか、ウィルにトーチを渡せとか、遺産は渡さないとか。でもエドは自分が悪者と言っていた。ではセシリアの話はエドについてなのだろうか。リクは宿題を再開せずに、そんなことを考え続けていた。
その日の午後、セシリアが一人でやって来た。エドとキースは一階に残り、リクとセシリアがリクの部屋で話すことになった。リクはチャンスを抱いてベッドに腰掛け、セシリアはリクの真正面に置かれた机用の椅子をベッドの方に向けて座っている。リクの言葉を英語に、セシリアの言葉を日本語に、チャンスが順繰りに訳していくこととなった。
リクはまずは先週末の看病のお礼を言った。セシリアと話すに当たって、息子でもないリクにしてくれた親切に対して、まずお礼を言っておきたかった。セシリアは驚いた顔をした後数回瞬きをしてから軽く息を吐き、気にしなくていいと答えた。それから暫くリクの顔をじっと見ていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「『あなたはエドに似ていないのね』」
確かにリクの外見はエドには全く似ていない。ウィルがエドに似過ぎなのだとリクは思う。
「『昨日の夜エドにメールした時、あの話ならまだしないでくれと言われたの。エドはあなたがまた具合が悪くなるのではと、心配していたみたいだった。でもあなたが大丈夫そうだと連絡がきたから今日話しに来たの。私の話は、意外かもしれないけれど、あなたのお母さんのことよ』」
リクの母親。思わぬ人物が告げられた。リクはセシリアの口から母の話が出るとは、少しも考えていなかった。
「『あなたのお母さんがどうして亡くなったかは、聞いている?』」
母が亡くなったのはリクが一歳の時。リクを産んでからずっと体調が悪かったらしい。その日、リクを祖母に預け母は病院へ、その帰りに急に具合が悪くなって、階段からの転落事故で亡くなったと聞いた記憶がある。
「『事故だと聞かされたでしょう?』」
リクに対して日本の祖父母はそう言っていた。
「『でもこの一族相手では、本当は事故かどうかわからないでしょう?』」
今まで考えもしなかった。言われてみればそうだった。ロバート・リリーだってリクを殺したがっている。ウィルもそのうちリクを殺す気でいる。この一族は誰にもばれずに人が殺せる。
「『でもね、最も疑われているのは、実は私なの』」
セシリアが何故疑われるのかリクは直ぐには思い付かない。
「『あなたのお母さんが亡くなったのは、ウィルが生まれて直ぐだった。だから、ウィルが生まれたのにエドがあなたのお母さんに未練があるのが気に入らなくて、私が人を雇ったと思われたのよ。今日どうしても私からあなたに話しておきたかったのは、あなたがこのまま一族とかかわり続ければ、そう時間も掛からずに私の疑惑があなたの耳に入ると思ったから』」
セシリアは淡々と話し続けている。
「『あなたはどう思うかわからないけれど、あなたのお母さんを殺したのは私じゃない。私はあの頭のおかしい一族とは違う。そう簡単に人なんて殺さない。あなたのお母さんの死は、純粋に事故か一族の誰かがやったのよ』」
リクは一言も発することなく、チャンスの訳すセシリアの話を聞いていた。母の死が事故じゃないかもしれないことが頭から離れない。
「『あなたのお母さんを殺す動機のある人は、私以外にも沢山いるでしょう? エドも、ロバートやリリーも、その他の身内達も』」
「『お父さんも? どうして?』」
セシリアはうっすらと笑っている。その笑みは何故わからないのと言っていた。
「『エドはあなたが考えている程、真面な人間じゃない。自分の為、一族の為、何だってする。もうあなたのお母さんを愛していないのに、復縁を迫られたのかもしれない。認知を迫られたのかもしれない。収入で賄えない程の養育費を要求されたのかもしれない。ただ邪魔だったのかもしれない。ロバートやリリーだって、あなたのお母さんが一族に少しでもかかわろうとすれば、容赦しないでしょうね。他の身内も身内で、傲慢で過激で我儘な人間の吹き溜まりよ』」
確かにその言動を思い出すとエドはかなり自分勝手ではある。
「『ずっと放り出していたあなたを突然構い出したのだって、あなたがトーチを守る次期当主になったからでしょう。でなければ彼はあなたになんて微塵の興味も示さない。それに彼の話は嘘と隠し事だらけ。私もフォレスター家の秘密を知らされたのは、ウィルが生まれてから。ウィルが生まれて、私がフォレスター家から逃げ出せなくなってからよ』」
昨日のエドの話の中に嘘があるというのか。隠し事は確かにある。でもそれはリクがこのまま次期守護者であり続けるかわからないし、リクにまだ話すべき時ではないからとそう納得していた。
「『とにかく、私はあなたのお母さんを殺していない。それだけはあなたに私の口から直接伝えたかった』」
何が真実で何が嘘なのか。リクには見分けられない。Tシャツの上から胸元の袋をギュッと握り締める。
「『それからもう一つだけ、あなたはキースと仲良さそうだから一族内の噂を教えてあげる』」
セシリアの目にはリクとキースが仲良く見えている。キースはエドからリクの世話を頼まれているだけと考えているリクには、セシリアがそう認識する理由がわからなかった。
「『キースの両親を殺したのは、エドではないかと言われているわ』」
「え?」
リクは思わずチャンスを見下ろした。チャンスもリクを見上げる。
「チャンス、訳し間違えてないか?」
「いいえ、私が間違える筈ありません」
チャンスはセシリアと直接話を始めた。確認をしている。
「やはり間違いはありません。キースの両親を殺したのは」
「チャンス、もういい、言わなくて」
リクはチャンスの言葉を途中で遮った。
「『キースはその噂を知っている?』」
チャンスからセシリアに聞いてもらう。
「『知っていると思う。わざわざそういう噂を本人の前で話す親切な人が一族の中には山ほど居るから』」
「『どうしてそんな噂が?』」
「『わからない。キースの両親を殺す時にエドに手を貸した人がいたらしいから、そこから漏れたのかもしれない。噂ではキースの頭脳をエドが手に入れたかったからと言われている。キースを自分の手元で直接育てたかったのではと。それにエドならやりかねない』」
エドとキースの関係は見たところ至って普通だ。先生と生徒、社長と部下。確かにエドは性格に問題はあるかもしれない。リクはまだ数週間しかエドと一緒に過ごしていないが、それでもそこまでする人間には見えなかった。
「『噂を聞いてキースがどう思ったのか、何を考えて相も変わらずエドの側で言うことを聞いているのか。私にとっては二人共気味が悪い。ロバートもリリーもウィルも、どういう性格か知っているでしょう? エドもキースも同じ穴の狢。あなたの傍に居る人間は、何を狙っているのかわかったものじゃない危険な人達よ。あなたも心に留めておいた方がいい』」
エドとキースは心の奥底でとんでもないことを考えているとセシリアは思っている。リクは下を向いた。丁度抱えたチャンスの頭部が見える。今までの話と、今の話と、頭の中がおかしくなりそうだ。もう一人にして欲しい。
「『顔色が悪いわよ? 大丈夫?』」
「『大丈夫です』」
「『やっぱりあなたはエドに似ていないわね。十代のエドなら、こんな話聞いたって顔色一つ変えやしなかったでしょう』」
セシリアはまたうっすら笑っている。
「『時間を作ってくれてありがとう。私の話はおしまい。帰るわ。最後にもう一度言うけれど、エドの嘘と隠し事には気を付けなさい。それ以外の一族にも決して気を許しては駄目よ』」
セシリアは椅子から立ち上がる。ぼんやりとしていたリクは片手でチャンスを抱えると、ドアを開ける為に急いで立ち上がった。
ドアが開くとまずはセシリアが出て、その後からリクが出た。リクはドアを閉めると、片手で抱えていたチャンスを両手で持ち直す。吹き抜けから一階を見下ろすと、食卓の上にチェスの盤が置かれていた。まだ駒は置かれていないので、これからエドとキースで暇潰しに対戦しようと思っていたのだろう。ヒールが高めのパンプスを履いたセシリアは足元に気を付けながら階段を下りて行った。一階に下りて来たセシリアはエドと一言二言会話を交わし、エドがセシリアを抱き締める。玄関に向かう途中でキスをして、エドはセシリアと外に出た。その一連の流れを見ながら、リクはゆっくり階段を下りた。
「表情も顔色も悪いぞ。セシリア様からされた話は相当ショックだったのか?」
キースに話し掛けられた。リクは首を振った。
「そういう訳ではないよ。ただ頭の中が纏まらなくて」
外から戻って来たエドがキースをチェスに誘う。リクは部屋に戻ることにした。
「先生と俺はセシリア様にぼろくそに言われましたよ、きっと」
「キースはそこまで酷く言われないだろう。まぁ彼女から見れば、俺達は異常でリックは真面に思えるんだろうけど。彼女にも言いたいこと言わせないと不公平だし」
「俺達って、一般人にはそれ程おかしく見えるんですか?」
「らしいな。キースも気を付けた方がいいぞ」
「どこをどう気を付けたらいいんだかわかりません。一般人の社員から苦情はきていませんし、真面な人間に分類されているリクからも、何も指摘されません」
「もっと親密になるとなのかな。一般人と感覚がずれているのがばれるんじゃないか? これから一緒に生活していて、もしリックから指摘されたら素直に聞いとけ」
駒を動かしていたキースは突然手を止めて顔を上げる。
「え? あの、ということは、俺は日本へ……」
「集中しろ。俺は気も漫ろで勝てる程、弱くないぞ」
「あ、はい」
キースはチラリとだけリクを見る。さり気無く言われたエドの言葉に隠されているものは、リクにもわかった。二人がチェスを続けるのを見ながら、リクは階段を上って行った。
読んでくださってありがとうございました。




