父と母
「俺が彼女に出会ったのは、十八年前だ」
十八年前。リクの生まれる二年前だ。
「お母さんは決して頭の悪い人ではなかったが、日本の裕福ではない家庭の出身だったので、大学には行かず高校を卒業して働いていた。俺と彼女の出会う更に三年前彼女の職場に、アメリカ在住の日本人夫婦がやって来た。その夫婦が彼女の頭の良さを気に入って、アメリカの大学へ行ってはどうかと提案してくれた。そして彼女のアメリカでの生活を援助する代わりに、彼女を養女に欲しがった。しかし彼女の両親は反対した。娘に学歴は必要ない。娘を手離すつもりもない。寧ろ早く結婚してもらって孫が見たい。娘もこれから海外で苦労するよりはその方が幸せだ、と。結局両親を説得できず、彼女もこれまで育ててくれた両親を悲しませてまで養女に行く気になれず、この話はなかったことになった。それでも親しくなったその夫婦と彼女は、機会を見付けては会うようになっていた。夏季休暇でアメリカに遊びに来ていた彼女を、俺はその日本人夫婦と親しい仕事関係の知り合いから紹介された。それが十八年前。初めて会った時のお母さんは、小柄で、細くて、長い黒髪の綺麗な大人しい女性だった。英会話は教室に通い始めたばかりで勉強中と言ってて、あまり得意ではなかった。俺は日本語が話せたので直ぐに彼女と仲良くなれた。話すうちに彼女を気に入って交際を申し込んだのだが、旅行でアメリカに来ているだけで,一週間で日本に帰るから交際はできないと断られた。俺はその頃、副社長と一緒に会社を成長させるのに躍起になっていた時期で、彼女を追い掛けて日本へ行けない。でもどうしても諦めたくなくて、当時彼女は個人のメールアドレスを持っていなかったから、電話番号や日本の住所や、とにかく彼女に連絡を取り続けられる方法を教えてもらった。彼女が帰国しても毎週手紙を送ったし、頻繁に電話も掛けた。纏まった休みが取れれば彼女に会いに日本へ行った。それが一年続いた。次の夏また彼女がアメリカに遊びに来た。できるだけ早く夏休みを取ったと、七月の終わり頃、俺に会いに来てくれた。その時も一週間アメリカで過ごして、彼女は日本へ帰った。それから二カ月近くたったある日、電話で彼女から子供ができたと告げられた。それがお前だ」
リクにとっては初めて聞く両親の出会い。でも二人は別れた。
「俺は彼女と結婚するつもりだった。それを両親に報告すると、彼女はフォレスター本家の嫁に相応しくないと両親は激怒した。直ぐに彼女の元へ人を送り、当時俺の父はフォレスター家の当主だったから、俺の会社を潰すことも含めて、フォレスター家の社会的地位や財力を総動員して彼女に脅しを掛けた。両親は彼女に、お金を渡すので子供を諦め俺と別れるように申し入れた。しかし彼女はお金を拒否し、俺と別れることは受け入れたが、子供を諦めることは受け入れなかった。彼女から俺への手紙には、結婚はできない、子供は一人で育てる、と書かれていた。それきり電話に出てくれなくなった。俺は何通も手紙を出して俺の思いを伝えたが、彼女から返事はこなかった。本当は彼女と直接話をしたいのだが、立場上仕事を放り出して日本へは行けない。ある日両親が俺の元へやって来て言った。彼女と連絡が取れなくなった。最後の話し合いでは結婚は諦めてくれたが、子供は諦めてくれない。本家としてはこの事態を放ってはおけない。一族達に示しがつかない。最悪、生まれた子供を捜し出し始末するしかないだろうと。俺は子供を救う為にどんな条件でも受け入れると両親を説得した。両親から出された条件は俺が両親の選んだ女性と結婚し、その女性との間にフォレスター家の跡取りを作る、だった。その女性がウィルの母親セシリアだ。俺は両親に、日本に居る彼女に生活費と養育費だけは払い続けたいと頼んだ。そして子供にはフォレスター家にかかわりを持たせないと約束した。幸運なことに、生まれたリックには一族特有の痣がなかった。それで両親も少し安心したようだった。情けない話だが、当時の俺はまだトーチの守護者ではなかった。株分けされたトーチを持たされた、今のリックと同じ次期守護者だ。一族は父に睨まれたくないから、全員見て見ぬふりだ。相談に乗ってくれたのは例の副社長と一族内の友人達位だった。ウィルが生まれて暫くして、父はやっと俺に当主の座を譲った。本家の正式な流れができたと思ったんだろう。彼女はお前を産んで一年で亡くなり、彼女の両親がお前を引き取った」
リクの生まれた頃の両親の状況はわかった。しかし何故エドは今頃になって、リクにフォレスター家と関係を持たせようとしたのかわからない。
「お父さんはお祖父さんと、俺をフォレスター家とかかわらせないと約束したんだろう? 何故今頃、俺を次期守護者になんてしたの?」
「それは……何故かと言われても困るがトーチは株分けされたら、それとお前を会わせたがっているような気がした。だからトーチを株分けしてお前に引き合わせようと、チャンスと共に日本へ行ったんだ。でもその時は時間がなくて届けるだけになってしまった。でもチャンスに電源が入り、結果お前が次期守護者となった」
リクはあの日を思い出す。チャンスに電源が入った日を。あの日からリクの人生は変わった。
「俺は若い頃は父親に反抗的だった。父は俺にフォレスターグループの既存の会社を守り続けることを期待していたのに、俺は勝手に外に会社を作った。結婚相手も子供を作って勝手に決めようとした。父を幾度となく激怒させ、父はその度に俺から次期守護者の権利を取り上げようとした。しかし全く上手くいかなかった。知っての通り、次期守護者はトーチが認めた者一人だけだ。俺から株分けされたトーチを無理矢理取り上げようとした者達は、先日お前を襲った奴のように全員火傷をさせられた。父も一度トーチと俺を力尽くで引き離そうとしたが、家を一軒燃やしそうな大騒ぎになった。同様にもしトーチがお前を守護者にしたいのなら、他の人間を宛がうことは無理だ。株分けされたトーチはお前を気に入り、大元のトーチにも認められた。もし俺の勘違いなら、お前はフォレスター家とはかかわりなく今まで通り過ごせばいい、ウィルを次期当主にすればいいと考えていたが、どうやら勘違いではなかったようだ」
エドはパソコンに付けられていたUSBメモリーを外しリクに渡した。
「誕生日カードと取扱説明書の内容だ。今更の部分もあるが、日本語の文章を書くのは結構大変だったんだ。捨てられたと聞いた時はがっくりきた。あまりに時間が掛かって、手紙は英語のままになってしまった位だから」
アメリカ人のエドの苦労を思うと、もっとちゃんと中身を確認しておけばよかったとリクはエドを気の毒に思った。でもあの時のリクにとっては名ばかりの父親のエドからの贈り物など、興味も無ければ嬉しくもなかったのだった。
「リック。リックはこのまま日本で暮らしたいか?」
「え?」
「俺としてはここで一緒に暮らしたい」
予想していなかったエドの願いにリクは面喰った。でもこの家にはセシリアやウィルや祖父母や、リクが顔を合わしたくないエドの身内が昨日のように訪ねて来る。それに、一番は今の高校を離れたくない。やっと友達ができたのだ。
「そんな困った顔をするな。忘れてくれ。日本がいいんだろう?」
リクが黙っているとエドの方から言った。エドは笑っているが笑顔が寂しそうだ。
「頻繁には会えないし、傍で守ってやることもできない。大丈夫か?」
そう言われてしまうと怖いし自信はないが、でも日本に居たい。友人達と時間を過ごしたい。リクはそう望んでいた。
「でも今は、やっぱり日本で生活したい」
「そうか。じゃあ、キースとチャンスを頼む」
「キースとチャンス?」
チャンスはまだわかるが、キースとはどういう意味だろうと考えたがリクは何も思い付かない。キースはリクの家庭教師とチャンスの世話が仕事だ。そして最近はリクの日常生活の手助けとボディーガードという、本来の仕事以外のこともしてくれている。逆にリクをキースに頼むならリクも頷けるのだが。
「昨日の夜リックが寝た後キースと話をしたんだ。キースの今後について。キースは大学の研究室でも、うち以外の企業でも、どこに行っても引く手数多の人材だ。でもこのまま日本に居続ければ、リックの高校卒業までの三年間もしかしたらそれ以上、キースに日本で不自由な時間を過ごさせてしまう。折角の若くて優秀な頭脳が勿体ない。リックの家庭教師や護衛、チャンスのメンテや教育係は別の者を手配できるから、俺はキースはここに残るべきだと言ったんだが頑なに断ってきた。どうしてもチャンスと離れたくないと。それならリックは今チャンスと常に一緒に居る必要はないから、二人でここに残れと言ったらリックと離されたら心配で気が狂うとチャンスが喚き散らした」
エドは盛大に溜息を吐く。
「更にキースはリックの傍に置くのに自分以上の適任者はいない筈と力説を始めるし、それで、じゃあリックに聞いてみると言って俺は二人を黙らせた。リックにだって言い分はあるだろうし、キースやチャンスと今まで通り暮らしたいかわからないだろうと。キースはかなり自信がないらしい。青褪めていた」
エドは笑った。
「多分、リックの首を絞めてしまう事故もあったし、昨日もあれだけリックはキースに怯えていたし、同居を断られると思っているのかもな」
リクはそれを理由にキースとの同居を断るつもりはない。気を付ければいいだけだ。でもキースの人生の為にアメリカに残った方がいいのなら、そうして欲しいとも心から思う。
「キースが何を考えているかなんて、大人はわかっているんだ。ポールもキースの様子を見て心配していた。どうしてキースはそんなに早く人生諦めちゃっているのか、悲観的になるなとあれ程言っているのに」
エドの声は少し苛ついていた。それはキースに対してなのかキースを説得しきれない自分も含まれているのかリクには判別は付かないが。
「一番キースの為になるようにしてあげて欲しい」
リクはそう言った。
「やっぱりリックに頼むしかないな。キースは年齢の割に重い物を背負っているの、気付いているか?」
「え? あっ」
両親について尋ねた時、キースの反応はおかしかった。両親の死は乗り越えたと言っていたがそうは見えなかった。幼い頃のキースに何があったのかは聞けないし話してもくれない。
背も高いし、顔もいいし、スタイルもいいし、十五歳で大学を卒業する程頭もいいし、ウィルを取り押さえた時の力も強かった。これだけ恵まれたキースはこれから誰もが羨むような素晴らしい人生を歩いて行ける。それなのに人生諦めるとか悲観するとかそんな考えが浮かぶ程、一体何がキースをそこまで追い詰めているのか。日頃のキースからは想像できない何かを誰にも頼らずに心の内に秘めて、たった一人で抱え込んでいる。両親の死が関係していることなのか別のことなのか。今のリクには何もしてあげられない。
「ああ見えて、でも俺から見ればキースは危なっかしい。だから、リックはキースと友人になってくれないか? キースには同年代の友達がいない」
「友達って、キースには俺じゃあ物足りないんじゃない? キースは頭がいいし」
「それはどうかな。二人は上手く共同生活しているみたいだけど?」
「それはキースがお父さんに頼まれているから、我慢や遠慮をしているのかも」
「キースはそんなに大人しくはないぞ。言いたいことがあればはっきり言う」
そう言ってエドはキースの何かを思い浮かべているのか、リクから少し目を逸らして笑っている。
「キースは今まで通り、お前の力になってくれるだろう。だからお前もキースの力になってやってくれ」
「キースには感謝している。俺にできることはしてあげたい」
「じゃあ、お前に頼むよ。話は終わりだ。何か、聞いておきたいことはあるか?」
聞いておきたいことはあった。
「その、俺はお父さんに直接連絡を取っては駄目なの? キースとか、弁護士とか通さないで。俺は、お父さんの住所も電話番号もメールアドレスも何も知らないから」
「そうだったな。リックが次期守護者でなかったら、フォレスター家とは寧ろ無縁な方がいいかと思っていたんだ。でもこれからはそうもいかない。お前のパソコンにデータを送るようにキースに頼んでおくよ」
リクはエドの仕事部屋を出た。階下を見下ろすとキースとチャンスがいた。ソファに座って二人で本を見ている。祖父母がリクを殺せない理由は? あの桜と少女の夢は? キースは小さい頃何があった? 本当は聞きたいけれど、エドが話さないのならまだリクが聞くべき時ではないのだろう。
時刻は十二時を過ぎていた。リクは吹き抜けから、昼食を作ろうとキースに声を掛けた。
読んでくださってありがとうございました。




