盗聴
「リック、ちょっといいか?」
服に着替えてきたエドはリクの前の席に座った。リクは英単語の本から顔を上げてエドの顔を見る。エドは食卓の上のチャンスをリクの正面に置き直した。
「四日前の夜の話を聞かせないといけないと思って。チャンス」
「準備できています」
リクはキースが水曜日の朝、後でと言っていたのを思い出した。リクはまだ何故セシリアが出て行ったのか聞いていない。
「あの夜の会話は全部チャンスが盗聴器で録音してくれてあるんで、同時通訳で聞かせてくれる」
「は?」
リクの耳に聞き違いではと思うとんでもない単語が飛び込んできた。トウチョウ、ロクオン……。話を聞く前にどうしても聞いておかなければならない。
「ちょっと待って、お父さん!」
「何だ?」
「盗聴器ってどういうこと?」
「盗聴器は盗聴器だが?」
エドの言葉と態度はそれが何か問題かと言っている。そういえば、キースも水曜の朝『聞かせる』という表現を使った。そして今エドも『聞かせないと』と言った。二人共『話す』と言わなかったのを不自然と感じなくてはいけなかったのを、リクは聞き流していた。
「この家の中はどの部屋もいつでも盗聴できるようにしてある。フォレスター家の秘密を守り抜く為には細心の注意が必要だ。俺は盗撮もしたいと先生に頼んでいる。ああ、ただ安心しろ。日頃はスイッチを切っている。四日前は客が来たから俺がスイッチを入れた」
本棚の前に居るキースも当然のように語る。
「リク様どうかしましたか? 盗聴器での録音はリク様を守る為には最良の選択の一つと思います」
チャンスの言葉にも盗聴は悪事であるという感覚は微塵も窺えない。リクは何も言う気が起きなくなった。三人共何かがリクの常識とずれている。キースと暮らす日本のマンションの部屋も、何か細工をしてあるのではないかと怖くなってきた。
「ではリク様、始めます」
チャンスの声は得意げで明るかった。
「『狭い家なので、こんな席ですみません』」
録音再生とチャンスの同時通訳はエドのその言葉から始まった。セシリアと客を食卓の椅子に案内した時の声だとエドは言った。
「『お茶を淹れましょうか?』」
次はキースの声。エドはそれに対して『頼む』と返していた。
「『キースは見違えたわ』」
セシリアではない女性の声。エドがセシリアの母親だと教えてくれた。
「『暫く見ないうちに大きくなったわね。最後に会ったのは何歳の時だったかしら』『十四歳位の頃じゃない?』」
そこで女性二人の会話は一旦途切れた。
「『今日の昼に友人とランチを食べていたら、両親から今サンフランシスコに居ると連絡があったの。夜、私は複数の友人達と食事をする約束だったけれど、両親も友人達も顔見知りで久し振りに会いたいから皆で食事しようということになって、その席で酔った友人の一人が私に養子の話を振ってきたの。噂話は伝わるのが早くて、今エドが東洋人の子供の面倒を見ているという話はもうニューヨークの友人達にも伝わっているし、西海岸の友人達は疾っくに知っている。友人達は私とエドがその子を養子にすると思っているみたい。私の両親は初めて聞く話で是非その子供に会いたいと強引にここへやって来たのよ』」
セシリアが話し出した。客とはセシリアの両親だった。ケトルのお湯が沸いた音がした。ここでキースがお茶を出す。その後大人の話に首を突っ込む気のない振りをしてチャンスを連れて二階の自分の部屋へ引っ込んだが、リビングの集音マイクの拾う音を二人は二階で隠れて聞いていたとキースが説明した。
「『養子を取るというのは本当なのか? もうここに居ると聞いたぞ。セシリアに詳細を尋ねてもよく知らないと言うし、夫婦が話し合って決める問題だろう? どうなっているんだ?』」
少し怒気を含んだこの声はセシリアの父親だとエドは言った。
「『二人が納得して養子にするならいいけれど、ウィルは何て言っているの? 嫌がっていないの?』」
セシリアの母親はウィルの心配をする。
「『御二人はセシリアからまだ何も聞いていないのですか?』『両親は何も知らないわ。ウィルが家出したことも』『何だと!』」
セシリアの父親の怒鳴り声とセシリアの母親の悲鳴のような声が同時にした。
「『家出したと言っても今は私の両親と一緒に居ます。心配はいりません』『ウィルが家出した原因は何だ? その養子の所為か!』『その子はどんな子なの? 今ここに居るんでしょう? 会わせてもらえないの?』『アジアの子供だそうだな。ならさっさと国へ返せ! ウィルが可愛くないのか!』」
ドンという音が響いた。セシリアの父親が拳でテーブルを叩いた音だとエドが言った。元からの性格か年齢の所為か酒の所為か、セシリアの父親は高圧的で気が短そうだ。
「『一つずつきちんと説明します。まず今はその子には会えません』『ここに居るんだろう!』『寝ています。週末に高熱を出したので休ませています。まだ十代の少年です。彼自身に落ち度は全くありません。体調が良くないので今は騒ぎに巻き込みたくはないんです。静かにしてもらえませんか』」
一瞬だが静かになった。
「『どこで知り合った少年で、どうしてここに連れてきたの? 本当に養子にしたいなら、私達にとっては孫になるのよ。説明が欲しいわ』」
声の雰囲気から比較的セシリアの母親の方が落ち着いている。まず彼女が口を開いた。
「『まずその少年ですが、養子にするつもりはありません』『夏の間ここで預かるだけなのか?』『それも違います。あの少年は……俺の血の繋がった子供です』」
再び静かになった。でもそれは一瞬のことで、次に物凄い音がした。セシリアの父親が立ち上がった拍子に椅子が倒れて床を転がった音で、椅子が壊れなくてよかったと言って、エドは呑気に笑っている。
「『貴様!』」
予想通りの人物の頭に血が上った。セシリアの父親がこの時エドに殴り掛かったが、寸でのところでセシリアが止めに入り殴られずに済んだとエドは説明した。痛い思いしなくてよかったと言って、またエドは馬鹿にしたように笑っている。一方のリクはこの騒ぎの中、自分が何も気付かずにぐっすり眠っていたのが信じられなかった。
「『乱暴はしないで! 知ってて結婚したのよ!』『子供は十六歳です。セシリアと知り合う前に日本人女性との間にできた子供です。結婚するつもりはありましたが、彼女との関係は上手くいきませんでした。認知はしていませんが、養育費は渡しています』『その子の母親はどうしているの?』」
セシリアの母親が静かな声で尋ねた。セシリアの父親が椅子を戻して座ったのかバックでガタガタ音がしている。
「『大分前に亡くなりました。認知は母親が望まなかったのでしませんでした。彼女が亡くなって以降は日本の祖父母がどうしても孫を育てたいと切望していたので、二人に任せました。でもその二人も亡くなりました。日本国内に親戚もいないので、もうあの子が頼れる血縁は私しか残っていません。セシリアと出会った頃は子供はまだ生まれていなくて、セシリアには正直に全てを話しました。その上で結婚を受け入れてくれました』『ロバートやリリーからその子の話は聞いてないわ。二人はその子の存在を知っているのよね』『知っていますが子供はずっと日本に居ましたし、養育費を渡していればセシリアや御両親に迷惑は掛からないだろうと、黙っていたのだと思います』『それで、その子をここで引き取るのか?』『本人の希望を確認したいのですが、体調が戻るまでは静かに過ごさせてやりたいので、まだ今後について話はしていません』」
「『ウィルはだらしない父親に失望して家出したのか?』」
セシリアの両親の一番の心配は孫のウィルである筈だ。話はそちらに変わった。
「『違うわ。ウィルが家出したのはフォレスター家の跡継ぎが、その子になる可能性が高くなったからよ。フォレスター家では跡継ぎとして選ばれた男の子が全てを受け継ぐと聞いたわ』」
セシリアの言っている内容ははっきり口にしていないだけで、フォレスター家の秘密を知る者にはそれについてだろうとわかる話だった。しかしエドはリクに、セシリアの両親はセシリアと違いフォレスター家の秘密を知らないと付け足して言った。
「『跡継ぎ? フォレスター家の遺産の話か? 全額その子に残したいと言うのか?』『私の両親は高齢ですが元気ですし、遺産相続の話はまだ出ていません』『君の御両親の子供は君だけだ。御二人の遺産は君が受け継ぐことになるだろう。その後は今まではウィルが相続すると思っていたが、その子に全て渡すつもりなのか?』『息子が二人いるのなら、遺産を分けることになっても仕方ないわ。でもその子を跡継ぎとして全部譲るのは極端ではないの?』『遺産の話などまだ全く出ていませんよ。急に兄が現れて、ウィルは困惑しているのでしょう。二人共私にとっては息子です。どちらかを取りどちらかを捨てるなんてしない』」
フォレスター家が今、一族中を巻き込んで揉めている遺産はお金に価値を置き換えられる物ではない。そしてそれに関してはどちらか片方の息子にしか与えることができない。セシリアの両親はフォレスター家の秘密を知らないから、当然ウィルが最も手に入れたがっている物など知らない。
「『明日の朝、ロバートとリリーを探して連絡する。そこにウィルもいるのなら、話をする必要がありそうだ』」
椅子を動かしているのかガタガタと音がした。
「『セシリア、お前も私達と一緒に来なさい。ここに居てよその女の子供の世話など、お前が手伝う必要はない』『車で送ります。ホテルはどこですか?』」
エドはサンフランシスコ中心部のホテルまで三人を送ることになった。
「『キースにリックを頼んできます』」
キースの部屋に向かう為階段を上るエドの足音が、段々と遠退いて行く。
「『その子はリックというのね』」
セシリアの母親の呟き声で、再生は終わった。こうしてセシリアが出て行ったのかとリクは納得した。
「チャンス、リックが聞き終えたからもうその録音は削除していいぞ。酔っ払いは何を言い出すかわからないから用心の為に録音しておいたけど、録音が役に立たなくてよかったよ」
「念の為に保存しておかなくて大丈夫ですか?」
「大丈夫だろう」
エドとキースがまたリクには訳のわからない会話を始めた。『役に立たなくて』『念の為に保存』とは何なのか。
「エド様、キース、リク様は話が見えていません」
チャンスの言葉に、エドとキースが一斉にリクを見た。
「そうか、キース、説明してやってくれ」
キースは手にしていた本を本棚に戻した。
「録音をしたのはセシリア様の御両親が、万が一、一族の秘密を知ってしまったら記憶操作が必要になるかもしれないからだ。時間がない時は話の前後が合うように適当に記憶の挿げ替えをして、多少の矛盾点等は本人の勘違いと思わせて放っておくが、セシリア様の御両親ではそうもいかない。親密さと長い付き合いを考えると細部まで徹底的に合わせるべきだから、会話を録音しておかしな点が生じてないか確認できるようにしておきたかったんだ」
「記憶操作って、そんなことできるのか?」
「記憶操作は俺もエド先生も得意だ」
この二人にそんな能力があってもおかしくはない。しかし人の頭の中を勝手に弄る話をこの二人は平気な顔でしている。大変なことをしているとは微塵も思っていなさそうだ。リクにはこの二人の思考回路が理解できない。
「あの晩、俺は本当に疲れた」
「俺は楽しかったです」
「言うなぁ。ただでさえ眠かったのに煩い話されて、サンフランまでドライブさせられて。俺を困らせてセシリアも楽しかったみたいだな。彼女も俺の所為でストレスが溜まっているし、ウィルの件では俺に相当腹を立てているから仕方ないのかもしれないけど」
「私は彼女が出てってくれて清々しました」
「チャンス!」
「チャンスはそこまで彼女が嫌いか」
エドはチャンスの非礼を気にせず笑っている。リクは三人の会話を聞いていて、目眩がしてきた。エドはかなり自分勝手な人間だ。キースは盗聴を楽しんでいる。チャンスは言いたいことをズケズケ言う。
「それで、まだ話があるんだ」
エドが話を続けていく。
「木曜日の昼間、連絡を受けた俺の両親とセシリアの両親がサンフランシスコで会ったらしい。セシリアとウィルも交えて。俺の両親とウィルはずっとアメリカ国内に居たようだ。セシリアの両親は簡単に二人に連絡が付いたし、二人はウィルを連れて直ぐにサンフランシスコにやって来た。六人は今サンフランシスコで一緒に居る。元から仲がいいし観光を楽しんでいるよ」
「その連絡は誰から来たのですか?」
キースが食卓へやって来て、リクの横に座りながら尋ねた。
「セシリア」
エドはかったるそうに椅子の背凭れに背中を預けて天井を見る。
「それでなぁリック、この週末辺りここに現れそうなんだ。俺の両親とウィルが」
リクは息を呑んだ。心臓がドキドキしてきた。隣のキースを見ると緊張しているようだ。表情が硬く顔色が悪かった。
「俺の両親はキースを傷付けたりしないさ。安心しろ。ウィルは何をするかわからんが。怖ければチャンスを連れて逃げていい」
「でも先生とリクは」
「何か起きたら俺が何とかする」
「私はリク様のお傍がいいです。キースと逃げません」
キースは目を伏せて辛そうな顔をした。日頃のキースを見ているリクにはわかる。キースはチャンスだけは守りたいと考えている筈だ。キースはチャンスに恨まれてでも、安全な場所へチャンスを無理矢理連れて行くだろう。
読んでくださってありがとうございました。




