真夜中の父と子
リクは飛び起きた。息が苦しい。こんな熱のある時にまでどうしてと胸元にあるトーチの入った袋を、Tシャツの上から汗だくの手の平で握り締めた。時間を確かめると夜十二時半。起きた序でに熱を測ってみたら三十七度八分。また上がってきた。
「リク様」
チャンスの声がした。チャンスは午後キースが置いてからずっとリクの机の上に居る。あのまま立て籠もり中だ。リクの動きに反応してチャンスの目の光が明るくなった。
「夢を見ただけだ。何でもないよ」
「でもリク様の夢は」
「いつものことだ。心配ない」
ベッドから出てドアを開けると階下はまだ電気が点いていた。吹き抜けから覗いてみるとソファにエドが寝そべっている。テレビが点いていてそれをじっと見ていた。セシリアは居ない。リクは部屋へ戻ってチャンスを抱えると階段を下りて行った。
「リック? チャンスを連れてどうしたんだ? 眠れないのか?」
「うん」
「一緒にテレビを見るか?」
エドが見ているのはバスケの試合だった。録画を再生していた。
「お父さん、バスケが好きなの?」
「高校時代バスケ部だった。もう十五センチ身長があったら、バスケの選手になりたかったな」
リクは頭だけでなく運動神経もいいエドが羨ましかった。エドはソファから起き上がって座るとリクが座る場所を空けてくれた。そこに腰掛けるが正直座っているのがしんどい。できれば横になりたいが、社長室でのようにまたエドを枕にするつもりもなかった。エドは収納から毛布を一枚取り出すと、それをリクの頭から体をすっぽり包むように掛けた。そしてリクを自分の体に寄り掛からせる。社長室でエドの膝に頭を乗せた時、物凄い安心感だった。そして今も恥ずかしいがこうしてエドに体を預けていると安心する。
バスケの試合は英語で放送されていて言っていることはさっぱりわからないが、背が高くて手足の長い黒人選手たちが豪快にゴールを決めていた。バスケの試合をぼんやり見ながら、リクはできれば眠りたかった。でもきっともう朝まで眠れないのだと悲観した。
明日は寝不足で食事も碌に取れず一日を過ごすのはもうわかっている。エドはこの試合が終わったら部屋へ行って寝るだろうから、リクはチャンスと二人で明日の朝まで自分の部屋で過ごすしかない。でも今、リクはエドに寄り掛かっているのが気持ちいい。バスケの試合は後何分残っているかわからないが、それまででもいいからこのままでいたかった。
体が目を覚ました時よりも熱くなってきた。吐き出す息も熱い。熱が高い上に眠れないなんて初めてだから、弱気になっているのかもしれない。いつもはチャンスと二人で朝まで過ごしても大丈夫なのに、これから過ごす長い夜を思うと涙が出てきた。いい年をして何を甘ったれているのかと自分を呆れる。
「リック?」
エドの声がした。涙を見られたくなくてリクは顔を伏せる。頬を伝った涙が白いTシャツに落ちて灰色のシミを作った。
「ちょっと待っていろ」
エドはバスケの試合を一時停止にすると、キッチンの方へ歩いて行った。一人ソファに残されたリクは、しっかりとチャンスを抱き締める。腕の中のチャンスのみがリクに独りではないと感じさせてくれた。
「熱を測ろう」
エドは体温計を取って来た。リクは一体家の中にいくつ体温計があるのか不思議に思った。リクの部屋にも一つある。家以外に会社にもあって、社長室のペン立てに突っ込まれていたのを見た記憶がある。強引に熱を測られたら三十八度五分。リクは熱い訳だと納得した。エドは再びキッチンの方へ戻ると、水と薬を持って戻って来た。
「ダニーが置いていってくれた。解熱剤だ。どの位効くかわからないとは言っていたが」
リクは水と共に薬を飲まされた。水が冷たくて美味しくて、薬を飲み終わっても水を飲み続けた。エドは再びソファに座るとリクを自分に寄り掛からせてバスケの試合の続きを見始めた。リクは目を瞑ってみるが眠れそうもない。バスケの実況が興奮していて喧しいが、眠れない身にはどうでもいいことだった。
「ちょっと、試してみるかな」
「え?」
エドはリクの膝からチャンスを持ちあげるとローテーブルの上に置いた。
「ちょっとそこに居てくれ、チャンス」
そう言うとエドはリクの体を自分の方に向け、リクの首から下がっているトーチの入った袋をTシャツの下から引っ張り出すとそれを手に取った。そして袋を見ながら何かをじっと考える。やがて眼を瞑ると袋をギュッと握った。五分位経った頃、エドは目を開けると長い息を一つ吐いた。
「何をしていたの?」
「株分けされたトーチは、現在の状況に怒り狂っているんだと思う。大元のトーチに会わせて株分けされたトーチを宥めてもらっていた。小さなトーチは落ち着いたみたいだな。今晩は眠れるかもしれないぞ」
エドはテレビの音を消すと社長室と同じようにリクをソファに寝かせて、頭を自分の膝の上にのせた。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
本当に眠れるのかわからないけれど、この体勢は心の中が落ち着いた。エドの大きな手がリクの頭を優しく撫でてくれた。ここなら無防備に眠っても安全だとわかる。
「眠い」
リクが思わずそう言うとエドがリクの額にキスをした。一瞬驚いたが、この国では日本にはないキスの文化があると聞いたのを思い出した。暫くしてリクはうとうとし始めた。そのままどんどんと意識が遠のいて行く。
「Sorry, Rick.」
完全に眠りに落ちる直前に、悲しそうなエドの謝罪の声が聞こえた気がした。
体の周りに何かが巻き付けられているような感触がして目が覚めた。どうやら夜中に汗をびっしょり掻いたようで、髪の毛が洗った直後の様に濡れている。体に巻き付けられていると感じたのはタオルだった。エドはリクのTシャツと体の間にタオルを挟んで、それに汗を吸わせてタオルのみ交換していたのではないかと思われた。お蔭でリクのTシャツの腹と背中部分は殆ど濡れていない。代わりに汗を吸って濡れたタオルが数枚とまだ使われていないタオル数枚が、ローテーブルの上に積まれていた。それ以外にもエドの手元にはタオルがあって、多分それで顔や首の汗を拭いてくれていたのか、リクの体には余り汗で気持ち悪いという感触が無かった。
エドはソファに座ったまま、ソファの腕にのせたクッションにだらしなく寄り掛かって眠っている。リクの頭の汗の所為で、エドのズボンの膝はびしょ濡れだった。今の状況から考えてきっとエドは汗を掻くリクの面倒を、一晩中この体勢のまま見ていたに違いない。汗をたっぷり吸ったエドのズボンは気持ち悪そうで、エドは夜中にリクからかなりの迷惑を掛けられていた。でも一方のリク本人は凄く良く眠れた気がする。体も熱くないし怠さも大分取れていた。もぞもぞ動きだしたリクに起こされたのか、エドが目を覚ました。
「おはよう、お父さん」
「おはよう、体はどうだ?」
エドは伸びをしている。
「昨日よりも凄く楽だよ」
エドはリクの額に手を当てた。
「お、熱が下がった」
エドは嬉しそうに言う。リクとエドが起きた為、ローテーブル上のチャンスの目の光が明るくなった。
「おはよう、チャンス」
リクはチャンスに笑い掛けた。
「おはようございます、リク様エド様」
「おはよう」
エドも挨拶を返す。
「あの女性も多少は役に立ちますね」
「え?」
チャンスの上から目線のおかしな発言がリクは気になった。チャンスがあの女性と呼ぶのはセシリアだ。夜中にリクの知らない何かがあったのだと直ぐに気付いた。リクはチャンスの言葉の意味を知りたくてエドの顔を見る。
「夜中にセシリアが起きて来たんだよ」
エドはリクの視線に仕方なさそうに説明を始めた。
「俺が夜中になっても二階の寝室に上がって来ないから、一階で何をしているんだろうと彼女は様子を見に来た。リックが寝付いて三十分後位かな。テレビを点けっぱなしで俺が寝ていたら声を掛けようとかそのつもりで下りて来たんだろうけど、リックが俺の膝枕で寝ているのを見て何があったのかと驚いていた」
リクはセシリアが下りて来たことに全く気付かなかった。ぐっすり寝ていた。
「熱が上がってきた上に泣いていたと言ったら彼女は黙り込んでしまい、複雑な表情でリックを見ていた」
やはり泣いていたのはエドにばれていた。リクは恥ずかしい。無駄だとはわかっているが、赤くなっているであろう顔を毛布でさり気無くエドの視線から隠す。
「彼女にバスルームからタオルを持って来てもらって、リックのシャツの下に挟むのを手伝ってもらったんだ。彼女はそこの一人掛けのソファで俺と一緒にバスケの試合を見ていて、三時頃までタオル交換を手伝ってくれた。その後彼女一人だけ寝室に戻ったな」
エドは普通に話している。思わぬ爆弾が落ちてきて、リクは一層毛布から顔を出せなくなった。セシリアはエドにとっては奥さんでもリクにとっては赤の他人。エドはその人にリクの世話を手伝わせた。平気な顔で話すエドの神経がリクは理解できない。穴があれば入りたいとは正にこのことだった。今日からどんな顔でセシリアに会えばいいのだと考えるとリクは頭が痛い。
「お父さん、奥さんに何やらせてんの……」
リクは小声で抗議した。
「俺まだ眠い。もう暫く寝る」
エドは話を終わらせ寝てしまった。リクはリビングの壁に掛けられている時計を見上げる。時刻は五時十五分を指していた。
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