先入観
夕方になってキースが会議室へやって来た。社長室へ行ってくれと言う。リクはテーブルの上に広げていた勉強道具を纏めると社長室へ向かった。ノックをして中へ入るとエドが机で仕事をしている。そして机の上にはチャンスの姿が。
「チャンス!」
リクは机に駆け寄ろうとした。
「リク様、そいつは私ではありません!」
どこからかそんな言葉が聞こえてきた。リクは机に駆け寄るのを止めて部屋の真ん中で立ち止まる。机の上にはチャンス。でもどこからかリク様と呼ぶチャンスとは違う声。その声は机の上のチャンスはチャンスではないと言う。リクは部屋の真ん中で立ち往生して、動けない。暫く呆気にとられていたエドは、プッと吹き出した。
「チャンスはテーブルの上だ」
エドのその一言で、リクはソファの前に置かれたローテーブルに視線を向けた。ローテーブルの上にはやはり一体のロボット。でもチャンスとデザインが微妙に違う。ボディに入れられているラインも赤ではなく青だ。リクは机の上のロボットとローテーブルの上のロボットを交互に何度も見比べた。外見だけなら間違いなく机の上でエドと作業しているのがチャンスだ。
「外見に惑わされるなんて、リク様、酷いです」
ローテーブル上のロボットが喚く。先程と同じ声だ。イケボではあるがいつものチャンスの声ではない。でもやっとリクはこれがチャンスだと理解した。エドは吹き出すだけではおさまらず苦しそうに笑っている。
「チャンス、リックを許してやってくれ。人間には先入観ってものがあるんだよ」
それだけ言うとエドは再び笑い出した。リクは恐る恐るテーブルの上の青いラインのロボットに近付く。しかしロボットの方はかなり機嫌を損ねているのかそっぽを向いていた。
「チャンスなの?」
返事はない。相変わらずそっぽを向いている。
「ごめん。これからは気を付けるから」
拗ねたチャンスの機嫌はそう簡単に戻らなそうだ。
「ここ六日間、キースは東海岸に移動したり、その他諸々忙しかったんだ。チャンスをボディに入れる時間が無くて、さっきやっとその姿にできた。そうしたら直ぐにリックに会いたがって」
リクはチャンスの頭を撫ででやった。
「そんなに怒らないでくれよ」
「このボディはお嫌いですか?」
「そんなことないよ、そのモデルも格好いいし、それに中身はいつものチャンスだろう? あ、夏休みの宿題手伝ってよ、わからないところが沢山あるんだ。お願い」
「わかりました」
やっとチャンスはリクに顔を向けてくれた。
「リック、チャンスを使う時はここかキースがよく籠っている地下室にしてくれ。チャンスの能力は例え会社の中でも一般人には見せられない。チャンスも人前では実際より能力を低く見せて、開発中の人工知能のふりをしている」
「わかった。家には連れて帰ってもいいの?」
「もちろん。今晩から、またキースとチャンスが家庭教師を再開してくれるそうだ」
「はい!」
チャンスの声が生き生きしてきた。夏休みも手は緩めないつもりだという決意を感じて、リクはちょっと引いた。
「キースの家庭教師はどうだ?」
「どうって?」
「キースは一族の子供達の家庭教師をあちこちでして来たから、慣れているだろう。ウィルの家庭教師だった時期もある」
一族の子供達ってもしかしてウィルやキースみたいな、頭のいい子供達ではと嫌な想像をする。そんなのにばかり教えていたのなら、今リクに教えていてイライラしてあの不機嫌顔なのではと思ってしまう。
「数学や英語は凄くわかりやすいよ。成績も上がったし」
「キースからもリクは脱走も授業妨害もせず協力的で教え易いと連絡が来ているよ。逆に大人し過ぎて心配しているんだ」
「ダッソウ、ジュギョウボウガイ?」
リクは人生で一度として頭に浮かんだ経験のない単語に、思わず棒読みで言い返してしまった。ましてキース相手にそんなことをする気はこれっぽっちも起きない。だってキースが怖いから。それに小さい頃から学校でもそういうタイプではなかった。確かに小中とそういう子供はクラスの中に居た。毎日先生を怒らせていた。でもリクは興味が無かったし、巻き込まれたくもなかった。
「ウィルなんてかなりキースに反抗的だったからね。その他の子供達も大人しいとは言えないのばかりだし」
ウィルならキースを怖がったりしそうもない。他の子供達もキース相手に怯まないなんて、リクには考えられない。
「でもキースの方こそいいの? ここで自分の仕事がしたいんじゃないの?」
「今はチャンスの傍に居たいみたいだ」
チャンスのメンテナンスもキースの仕事だ。キースはチャンスを何よりも大事にしている。リクはローテーブルの上に宿題を広げ、チャンスと問題を解き始めた。
翌日は会議室が使用されるので、リクは社員達の机の並ぶ部屋へ連れて行かれた。一人一人の机が簡単にパーテーションで仕切られていて、その一角にキースの机があった。地下での仕事が多いからか殆ど利用されないという机の上は、置かれている物も殆どない。その狭い一角に椅子を二つ置いて、机で勉強をするリクと膝に乗せたパソコンで仕事をするキースが並んで座っていた。二人をチラチラ見る通りすがりの社員達。会議室と違って周囲の視線がかなり気になった。
今日はエドが十五時頃まで外出するというので、ほぼ一日この場所で二人で過ごす予定だ。
「おはよう、リック」
「おはよう」
声を掛けてきたのはサイモンだ。サイモンはリクが問いている数学の宿題を覗き込んでいる。
「リックは高校生?」
「高校一年生だよ」
「飛び級?」
「え? 何で? 違うよ。十六歳だよ」
確かにリクは背も低いし、かなり細い。顔立ちの所為か日本でも幼くは見られる。でも友人の笹本だって身長はリクと大差ない。日本の高一はこんな身長・体格は沢山いるし、アメリカ人だってリクと同じような体格の高校生は沢山居る筈だ。飛び級と間違われるのはおかしいと思う。でも。リクは広瀬を思い出した。広瀬も高一だ。アメリカじゃあの体格が十六歳標準なのか。考えてみれば、雨宮も川原も田端も余裕で身長百七十センチを超えている。体格もしっかりしている。同じハーフなだけにかなり凹んだ。
エドは百九十センチ前後の身長がある。流石にあの身長まで伸びる気はしないが、もう一人の遺伝子母の身長が気になった。しかし母の体格は知らない。サイモンが皆にリクの年齢を伝えている気がした。サイモンの周りに集まった社員達がリクをチラチラ見ながら驚きの声と表情をしているからだ。リクは周囲を無視して宿題を続けた。
しかしキースが隣にいる所為か今日はやたらと声を掛けられる。とはいっても声を掛けられるのはキースで、リクへの質問の通訳を頼まれていた。キースは仕事中だろうと周囲を追い払っていた。ただポールの友達という人とは少し話をした。一族の男性でポールとは子供の頃から親しく、今も連絡を取り合っている仲だという。
昼になると殆どの社員が昼食を食べるか買うかしに出掛けてしまい、部屋の中は閑散としていた。リクから少し離れた所で、キースは先程声を掛けてくれたポールの友達と話をしている。ポールの友達がリクとキースの昼食を用意してくれたそうで、キースはそれを受け取りに行った序でに彼と話しているようだった。
突然、リクの居る場所が何かに光を遮られ暗くなった。ふと見上げると女性が立っている。年齢は二十代半ばから後半位、ストレートロングの金髪に青い瞳、背も高くてスタイルも良くてパンツスーツの似合っている綺麗な人だ。見上げたリクと目が合うと、一言二言何かを言った。しかし英語なのでよく聞き取れない。キースは話し中、サイモンは昼食を食べに出掛けているのか見当たらない。
「I can’t understand English. I need someone who speaks English and Japanese.」
リクが今言える精一杯の英語なのだが、その女性は無表情で睨んでいる。やがて立ち去ったが何を言いたかったのか。その女性と入れ替わるように戻って来たのは、食事の入った袋を二つ持ったキース。丁度いいとリクはキースに頼むことにした。
「キース、女の人から英語で話しかけられたけどわからなくて。何言いたかったのか聞いてもらえる?」
「どの人?」
「えーと、あれ部屋に居ない」
先程までは居たのだが今はもう居なかった。
「昼食を食べに出掛けたのかな」
「どんな外見? IDは見たか?」
リクは先程の女性の外見を伝えた。IDは見ていなかった。キースは難しい顔をして考え込んでいる。
「またその人見掛けたら、キースかサイモンに通訳をお願いするよ」
話を聞いているのかいないのか、キースは考え込んだままだ。
「いや、その女性のことは気にしなくていい」
キースは何故かそれだけ言うと、パーテーションの外にずれた椅子を引っ張ってきてリクの隣に座った。
午後になり社員達が揃ってきた。リクは先程の女性を探すが居ない。先程は何故リクに話し掛けたのかを聞きたかったが、通常この部屋で仕事をしている人ではないのかもしれない。
キースは昼食後直ぐからずっとリクの隣で何か作業をしている。パソコンにイヤホンを繋いでパソコンからの音を聞きながら、猛スピードでキーボードを打ち続けている。何やら難しい顔をして、それは怖い位に真剣そうに。
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