父の家
目を覚ますと見たことない天井、見回せば見たことない部屋。窓の外は明るくなりかけていて、時刻を確認すると六時。リクは飛び起きた。
エドの車で会社を出たところまでは覚えている。あれは夜の八時だった筈。ならばやはり今は朝の六時、翌日ということになる。
トーチの夢を見たのは昼寝の時だったが、その後リクは再び簡単に寝てしまえた。トーチが近かったのは守護者のエドが傍に居るからかと思う。眠れたのもエドが近くにいるお蔭だろうか。
リクの寝かされている部屋は、木の天井、所々剥き出しの木の部分が残された白い壁、床は天井や壁と同じ種類の木が使われた、ロッジを思わせる内装だった。ベッドも机も椅子もその横のチェストも色の揃えられた木製。チェストの隣にはリクの荷物が置かれている。リクはベッドの横に揃えて置かれているスニーカーを履くと窓に歩み寄った。窓の外の風景は住宅街。日本の住宅と比べると広い庭の家が多い。今度はドアを開けて廊下に出てみた。リクの寝ていた部屋は二階で、廊下は一階への吹き抜けになっている。吹き抜けから一階を見下ろすと、リクの部屋同様の内装の広いリビングだった。テレビとソファとローテーブルがある。テレビ台の上には太くて長い丸太が一本天井と壁を伝うように付けられていて、部屋全体のアクセントになっていた。テレビ横の壁には暖炉があるが使われている形跡はない。装飾用なのかもしれない。
階段から一階に下りると、部屋の中を見回してみる。二階から見えなかった場所にキッチンがあった。その手前に食事用のテーブルと椅子。これも木製。テレビ台の横の床は一段高くなってその向こうに奥まったかなり広いスペースがあった。そのスペースの壁は、窓部分以外は全面天井まで本棚で、何冊あるのか見当もつかない程、本がびっしりと並べられていた。
リクが居るのはエドの自宅で、車の中で寝たまま起きなかったのだろうと思われた。家の中はリク以外起きている気配はなく静まり返っている。リクはトイレを探して使用するとリビングに戻ってソファに座った。寝過ぎである。昨日の午後からほぼ寝っぱなしということになる。目を瞑るとまた眠りそうだ。その時、二階のドアの一つが開いてエドが出て来た。
「おはよう」
リクは二階に向かって声を掛けた。
「おはよう。大丈夫か?」
エドは階段を下りながら言う。
「えっと、俺は昨日」
「車の中で寝ちゃってね、家に着いていくら起こしても起きなくて。仕方がないから部屋に運んだんだ」
「そうだったんだ」
まるで幼稚園児のように寝てしまって起きられず運ばれたのはこれで二度目だ。日本ではスティーブが、ここではエドが運んだのだろう。リクが恥ずかしくて俯いているとエドは大欠伸をして、
「心配だったからポールに電話で相談したら、発熱していないなら一晩様子を見てと言われたんだ」
それから今度は伸びをして、
「シャワー浴びてくるよ」
そう言って二階へ戻って行った。階下の声に起こされたのか今度はキースが起きてきた。ポロシャツに綿パンツ、いつものキースだ。でも茶髪の短髪。伸びた黒髪を見慣れているリクから見れば不思議な頭部だった。
「おはよう、起きて大丈夫か?」
「うん。おはよう」
「じゃあ朝食を作るから手伝ってくれ」
キースに言われて一緒にキッチンに入った。冷蔵庫を開けてみると食材が沢山入っている。
「いつもの朝と同じで大丈夫だ」
そう言われたので、日本にいた頃と似たような洋の朝食の用意をした。
「先生は昨晩遅くか明け方までリクの部屋にいたんじゃないかな」
「え?」
「昨晩、君が車の中で全く目を覚まさなくて、先生はかなりうろたえてポールに電話していた。ポールに様子を見るように言われた後も君の部屋に籠っていたし、俺は十二時頃寝たけど、その時もまだ部屋にいて心配そうにしていた」
リクは眠っていただけなのに、エドはずっと傍に居たのかもしれないと聞いてリクは驚いた。それではエドは寝不足だ。今日も仕事なのに。シャワーを終えたエドがガウンを羽織った姿でキッチンへやって来た。
「二人で用意してくれたんだ。ありがとう」
食事を終えるとリクもシャワーを浴びた。それで時刻は午前八時。エドはスーツの上着を脱いだ状態でリビングのソファで寝ている。キースは本棚の前で本を立ち読みしていた。しかしページをめくるのが異常に早い。バサバサとページをめくっていく。あれで読めるのか不思議に思いリクはキースを観察していた。
「あれは読んでいるんじゃないよ」
エドが薄眼を開けて教えてくれる。
「キースはあの本を丸々一冊暗記し終わっているだろうから、見ているだけだね」
「え? 本を一冊暗記? ええ?」
「キース、読む本がなければ好きなだけ買い足していいよ」
とエドはキースに言っている。そして再び寝てしまった。キースは本を戻し次の本を手に取る。そして再び異常な早さのページめくり。次に手にした本の内容もキースの頭の中に全部入っているということだ。リクの頭では本の丸暗記はあり得ない。不可能だ。リクはキースの頭の構造が信じられなかった。
リクは部屋に戻るとバックパックの中に、勉強道具やらスマホやらゲーム機やらを突っ込み出掛ける支度をした。リクも会社に行くのだと言われた。本当に付いて行って大丈夫なのだろうかと心配だが、小さい子ではないので、静かに勉強やゲームやスマホをしていれば問題ないのかもしれないと思うことにした。
外に出るとこの時刻はまだ空気が冷たい。キースは着替えずそのまま車に乗り込もうとしている。今日はその服装で仕事をしていいのかと、リクは昨日のスーツ姿を疑問に思った。会社に着くとキースは地下に下りる階段の方へ行ってしまった。リクとエドは昨日と同様社長室へ向かう。途中廊下で会った男性とエドは挨拶らしきものを英語で交わしていた。その中でリクにも聞き取れた部分があった。
「……He’s my son. Call him Rick.…… 」
リクを息子として紹介していた。相手の男性の表情は面喰っている。リクも驚いた。でも相手は直ぐに何とか平静を取り戻した様子で、にこやかに応じている。リクとエドはそのまま通り過ぎた。社長室に行くと今朝は秘書がいて、また同じように挨拶して説明した。先程の男性同様、秘書も唖然。何とか平静を装って言葉を返しているようだが、見るからに困っている。
「Nice to meet you.」
リクはただそれだけを、次々と出会う相手に言うしかない。その日使用予定のない会議室へリクは連れて行かれた。後で昼を一緒に食べようとエドに言われ一人残された。会議室の壁は上半分がガラス張りで廊下から中が見える。廊下を行く人達は当然リクに興味があるらしく、中を気にしながら歩くスピードを落として通り過ぎて行った。
昼近くなってまずキースが会議室へ現れた。数分して今度はエド。
「社長、何とかしてください。周りがうるさくて、仕事になりません」
「どうした?」
「今朝社員達から急に呼び出されて何かと思ったら、これから毎日社長はリクをここへ連れてくるのかと質問攻め。今朝社長からリクは息子だと紹介された社員からあっという間に本社中に広まったらしく、俺はよく知らないと言っても仕事場の地下に戻らせてもらえない」
「あーっ。息子としか言わなかったからなぁ」
とエドは余り反省していなさそうな口調で言った。
「後で社員に説明するよ。病気の日本人の子供を三週間預かることになったから、息子のつもりで面倒を見たいので協力して欲しいとお願いしよう」
そんな説明をして後で本当の関係がばれたらどうするのかとリクは心配だった。昼を食べ終えると捕まりたくないと言って、キースは地下へ走って逃げて行った。リクはまた会議室へ戻される。会議室を出て行くエドと入れ替わるように、こっそりサイモンが入って来た。
「キースから聞いた? 午前中はキースが捕まって、昼休みは僕が捕まった。日本語を話せる社員が僕しかいないから、リックと話して来いって言われた。でも社長が説明するだろうし、聞かれても話せないだろう?」
サイモンは言葉を探しながらゆっくり話した。言いたいことはわかった。
「キースを困らせないように皆に頼んでよ。それに俺からも何も話せない」
「じゃあ、リックは社長が好きか?」
「え?」
リクは返答に困った。好きかどうかなんてわからなかった。今まで考えもしなかった。二人の間には血の繋がりがあるというだけで他には何もない。この十六年間エドは数回しかリクに会いに来なかった。でもエドは昨晩リクを寝ずに心配をしていた。リクが息子だから心配なのか、次期守護者だから心配なのか、リクにはわからない。そしてリク自身のエドに対する気持も。言われるままにアメリカまでやって来たのは、ただエドから話を聞きたかったからなのだと思う。
「社長と君との関係は……上手く言えない? えっと……複雑?」
なかなか答えられないリクにサイモンはそう問い掛けた。
「うん、そうかな」
「社長はいい人だよ。社員は皆、社長が好きだ」
サイモンはそう言うと会議室を出て行った。日本でスティーブが言っていた言葉を思い出す。
『一族全員が尊敬し、信頼し、慕っている人物ですよ。自分の目で確かめてみたらどうです?』
サイモンもいい人だと言っていた。社員も皆好きだと。でもリクがここに来て一番知りたいのは、まずはエド自身のことよりも、エドと母との関係や一族達のことだった。
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